「燃えるような・・・燃え尽きるような」やさしくキスをして ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
燃えるような・・・燃え尽きるような
「麦の穂をゆらす風」など、常に時代に抗い続けた人間を描き続けるケン・ローチ監督が、自身のキャリアにおいて初めて挑んだラブストーリー。
違和感があった。どうしても拭えない違和感があった。互いの名前も知らない二人が出会い、愛を育み、知り合っていく喜びと、それに付きまとう困難と苦しみを描き出すのがラブストーリーだと信じている人ならば、この違和感に共感していただけると思う。これは、何か。冒頭から、この物語で出会う二人は決して結ばれない。そんな、確信を予感させる要素が散りばめられているのだ。始めに、言っておく。これは、悲恋の物語である。
様々な敵を相手にしてもひるまずに戦い続け、敗れていく人間の姿を追いかけてきたケン・ローチ監督。本作でも、その姿勢を従順に貫いている。人種に、宗教に、家族に逆らい、互いを求めようと戦った。だが、その想いは報われない。
そんな様々な逆境を準備するのはラブストーリーの鉄則だが、本作の場合は若干色合いが異なっている。この男と女、恋愛に対する姿勢が同一のものではない。女は、街中で当たり前に繰り広げられている普通の恋愛の姿を求めた。だが、男は、家族も、仕事も、未来も、全てを投げ捨てた刹那の愛を求めてしまった。この修復不可能の違和感を最後まで貫くローチ監督の姿勢は、決してラブストーリーという異質の分野においても変わらない。そこが、悲しい。でも、そこが、嬉しい。
遊びのつもりで挑んだ恋は、二人の思いだけではどうにも上手く行かない。その現実を、女は鋭く直視することになる。そして、知る。この、恋は、結ばれない。
突き放した視線で語られる世界観に、冷酷な辛さを、心が痛む人がいるかもしれない。しかし、愛に苦しむであろう人に、現在苦しんでいる人に、独りきりで向き合って欲しい物語である。そして見終わった後、愛を語り合える人と一緒にもう一度観て、今自分たちが感じている幸せを噛み締めて欲しい。終わりある愛を見つめる、異質のラブストーリーを味わって欲しい。