16歳の合衆国のレビュー・感想・評価
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「断片をつなぎ合わせたより、総体は大きいのよ」
世の中を覆っている、のしかかる悲しみにとらわれてしまったリーランド。 リーランドがリーランドの世界(合衆国)の見方で世界を見たように、 自分でも何が何だかわからなく(事件に関する記憶だけが無く)(自分と相手の心の境界線があいまいで)、整理するべく「書きたい」と願ったリーランド。 リーランドへ。 誰よりも共感性と感受性が豊かだったリー。「後悔している」って、何をどう後悔しているのかな? 善と悪と、悲しみと喜びと…。この世界の成り立ちと、崩壊…。 「背後に潜む悲しみをみるか、すべてに目をつむってしまうか」 そうね。世間には、悲しみを感じないようにして様々な手段を講じている人が多いね。ある人は嗜癖物や、そういうものでなくとも恋とか趣味とか仕事とか、何かに没頭することによって悲しみを感じないようにしている人もいる。元気な振りしている人もなんて多いことか。自分じゃない人の悲しみに鈍感な人はもっと多い。 その人達の代わりに、リーランド、君はたくさんの悲しみを背負ってしまい、窒息しそうになってしまったのかな? 自分の家庭や周りにはないNYの”理想の家庭”が壊れてしまったという君のショックも大きかったね。その気持ちをフォローできなくてごめんなさい。 でもね、 「断片をつなぎ合わせたより、総体は大きいのよ」って、君はどう理解したんだろう。 NYの婦人の悲しみ。そこを共感してくれたのは嬉しい。あの婦人が私なら、君が寄り添ってくれたことで癒された。感謝する。でもね、私がNYの婦人だったら、たった2回の出会いという私の断片を知っただけで、私の人生決めつけないでって言いたい。 世の中には、人生には、君が感じたように悲しみや苦しみが満ち溢れているけど、パンドラの箱のように、喜び・希望も隠れているのだから。喜びがあったからこそ、今の現状が悲しいのだから。そうやって移り行くものなのだから、この先また喜びを見つけられる可能性だってあるのだから。そういうことを教えてくれる人が君の周りにはいなかったんだろうね。悲しみから目をそらすことに熱心な大人ばかりに囲まれてしまったのね。 自分がこう考えるから、相手もそう思っているのか。それが真実・事実なのか。 ライアンの気持ちをリ―が推し量ることは、ライアンを大切に扱う上で必要不可欠だけど、ライアンの気持ちをリ―が決めつけることはライアンを大切に思っているようで、本当のライアンの気持ちをないがしろにしていることに気が付けないほど、周りとの境目がなくなってしまったリー。苦しかったね。もがき苦しむしかなかったんだね。 起こしてしまったことへの理由づけなんて千差万別。人それぞれの理由付けがある。リーランドにはリーランドの。アレンにはアレンの。他の人もまちまち。主観と客観/欲望と絶望の交錯。 「断片をつなぎ合わせたより、総体は大きいのよ」って、この映画にも言えること。 映像情報を読んで、罪を犯した少年の内面を深く掘り下げていく物語かと思ったけどそれだけではない。リーだけでなく、その家族、被害者の家族、教官のエピソードが断片のようにつなぎ合わされる。リーがライアンの気持ちを勝手に決めつけて、自分の悲しみに覆われたまま、ある意味リー自身のために事を起こしたように、この映画に出てくる人々すべて、父にしろ、教官にしろ、ベッキーにしろ、アレンにしろ、リーランドも、誰かのために動いているようで、皆自分がこう思う・こう願うに従って動いている。ここにこの映画で表現したかったことがあるのだろう。そして、世の中もそういう思いの集合体で動いて行っているのだろう。究極「我思う、ゆえに我あり」なのだ。だからこそ、自分の思いを見つめ、相手とすり合わせる作業が必要なのだろう。声の大きい人の話だけがまかり通るのではなく、言葉にならない思いに思いを馳せて。 何が善で、何が悪なのか。何が悲しみで、何が喜びなのか。自分の立場・想いと他の人の立ち位置と想い。何が正しいのか。”正しい”ことなんてあるのか。世の常識と自分の考える常識を問われます。 難しい映画です。 蛇足: ゴスリングさんは『プレイス・ビヨンド・パインズ 宿命』やこういう役の方が本領発揮していると思います。 ライアンを演じたウェルチさんは当事者?と言いたくるほど。 チョイ役?でぺ―ニャさんも出演されています。重い雰囲気の中で、この方を発見するとそれだけでほっとする。稀有な存在感。でも、『クラッシュ』や『リンカーン弁護士』『エンドオブウォッチ』のような役も。幅の広い役者さんです。
心理学の事例?
簡単にあらすじを読んで興味を持った。すごい映画だった。心理描写が巧みで難解で私には深く考えられない。見る前は、若者の更生や更生施設やカウンセリングにも興味があると思ったがこういう類ではなく、リーランド(ライアン ゴスリング)の心の中は更生施設のなかで二人でバスケット(ドリブル。シュート)をしているシーンに似ている。つまり、リーランドは攻撃的に出ず、戦い方を知らないし、心の中を磨かせてもらえず、燻ったままでいたと思える。バスケットでもう一人の囚人の青年がシュートのブロックの仕方を知らないリーランドにブロックしろと教えるが、人生の中で、このブロックするとかいうステージを逃すと社会適応が難しい成長の仕方をするのかなと勝手に思った。 16歳のリーランドがなぜガールフレンドの弟を殺したのか?殺さなくてはならなかったのか?理由はなにか?父親との親子関係にあるのか?父子家庭であるが、父親の存在感のない生活が問題だったのか?ガールフレンドとの関係がうまくいかないから?自分の心の置き場がなく厭世観が漂っていたのか?などと高校生が殺人を犯す理由がどこかにあると考えてみた。はっきり言って何も理由がないのかもしれないとも思った。 はっきり理由付けがあって、この行為だけではなく、16年間積もり積もったものが何かの形で現れたのかもしれない。未成年の犯罪の場合、犯罪心理学で家庭環境は一番注目されると思う。前記のように、人生で学んでいく過程の何かを失ってしまっているんだと思う。人生において、彼のように純粋な心を保って生きるのは、彼が苦労すると言おうか、人に理解されにくいと思う。攻撃したり、破壊的なことをしたり、困らせたりするわけではなく、倫理的で感が鋭く生きている。この彼には、相手の気持ちをを察することができるから、相手に感情移入してしまう。ニューヨークのおばさんの目からは輝きが消え、伴侶の不倫で離婚したため、悲しさに溢れていると。自分をその哀しさを紛らせるために使ってもらっているようだ。でも、結局は何もしてやれないと思っている。 ベッキーが『大丈夫だ全て上手く行く』と言ってくれというがリーランドは言えない。現実はそうじゃないから。現実を見られないベッキーに対して一時的に相手を喜ばす、『うまくいく』というまやかしは言えない。 そして、ライアンは自転車が障害物の中から出せなくなっている。障害がある故に障害物を乗り越えるのは難しい。そこで、初めて、『大丈夫だ。心配はいらない』とリーランドはライアンを抱きかかえて言えるが、現実的ではない。大丈夫じゃないから。このライアンにもなにもしてあげられないと感じた。でも何かをしてあげた。 これらについて、この映画を自分勝手に理解したつもりでレビューを書いてみる。心理的な映画は大変理解しにくい。
テーマが曖昧
何を描こうとしているのか?R・ゴズリングが犯した事件を中心とした地味に豪華キャストな群像劇!? 被害者家族と加害者家族、加害者に携わる人物と加害者本人それぞれの心情に葛藤などを描いて行く方向性でも無く人物描写の掘り下げ方が中途半端な気も。 主要人物、全員の感情の起伏の乏しさが目立ちそれぞれに抱えている問題や悩みも寧ろ本作の邪魔になっているようにも感じてしまう。 大風呂敷を広げて畳むのが面倒臭くなったが如くラストはメチャクチャな終わり方。
鬱映画と評価されるが
それだけでない気がする。主演のライアン・ゴズリングの顔芝居が好きだった。見たことあると思ったら、ラースとその彼女のラースなのね。ちょっと世間から取り残された役を演じると素敵です。 最後の刑務所内のオチは無理があると思った。
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