死ぬまでにしたい10のことのレビュー・感想・評価
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人間にとって順番に死んで行く事が幸せな事と。この映画で学ぼう。
二回目の鑑賞で二回目のレビューの様だ。
この映画は一生懸命に何かを後世に残す事を主題としているが、こんな神様見たいな人間になりたいものだ。
まずは貧困と病気は一切因果関係がない。従って、どうする事も出来ない。さて、だがしかしである。ひょっとしたら現在の日本の医療なら癌から生還出来る可能性がある。この映画では、優しそうな理解度の高い医者が飴玉をちらつかせて、諦める事を説得する。しかし、本当にそうなのだろうか?アメリカは自由と民主主義の国だが、全てお金の国である。日本国は立派な社会保険が完備されている。従って、ステージ4であっても諦めず、治らなくとも寛解期まで持ち込んで、公的な保険の範疇でも治療は可能だ。だから、10も根拠の無いやりたい事を探すよりも、一つだけだ。つまり、直してくれる医者を探す事。それと、先ずは家族に全てを話す事。その2点かなぁ。なんの為に家族の『木綱(絆)』があると言うのだ。
繰り返す。ステージ4であっても諦めるな。病気とは戦え!
『S◯L◯ 孤独の淵で』を見た後にこの映画を見て、間抜けなウマシカ男が生き残れるのに、こんな不幸な女性が努力すら出来ずに死んで行く事に納得は行かないが、所詮映画としてみるべし。
この映画が男の演出家だったら、最低の映画にしたいが、普通のオバサンが作ったお話で、脚本も彼女の脚本のようなので許そう。
まぁ、この死に行く主人公の母親の気持ちだろうね。どうかどうか、実話に基づくお話してはないようにね。
実話の方が悲惨でしょうから。
日本国の社会保険制度は大事にしよう。順番に死んで行く事がどんなに幸せか。この映画で学ぼう。
21世紀のある愛の詩は最後に浮気までさせるのか?しかも、髭面の汚い詐欺師見たいな男と。時代はもう少し進むと良いが。
二十年前の映画で、現在子供たちは成人を迎えている。実話ベースだったら、この娘たちが可愛そうだ。
『死んでしまえば、何も感じない』そんな台詞は、究極のワガママだと思う。残されし者に何一つ気配りが無い。それなら、生きる事や死ぬ事にこだわりを持つな!と言いたい。
早い話がもし生きながらえれば、犯罪者になる可能性もあるのでは?と考えてしまう。
原題 My Life Without Me
製作年 2002年
製作国 スペイン・カナダ合作
劇場公開日 2003年10月25日
上映時間 106分
ロマンと現実が両方ある
母親役はデボラ・ハリー。 劇中で歌を歌うわけではない。 彼女が夫以外の男と恋愛する相手はマーク・ラファロ。 劇中でハルクには変身しない。
動画配信で映画「死ぬまでにしたい10のこと」を見た。
劇場公開日 2003年10月25日
2002年製作/106分/スペイン・カナダ合作
配給:松竹
原題はMy Life Without Me。
私がいない私の人生。
主演はサラ・ポーリー。
カナダ人。
この女優さんは知らない。
母親役はデボラ・ハリー。
劇中で歌を歌うわけではない。
彼女が夫以外の男と恋愛する相手はマーク・ラファロ。
劇中でハルクには変身しない。
サラ・ポーリーは自宅のトレーラーハウスで倒れた。
検査の結果両方の卵巣に腫瘍が見つかった。
彼女の余命2-3か月と診断される。
担当の医師はとてもいい人で、
彼女は医師に頼みごとをする。
彼女には夫と幼い2人の娘がいる。
彼女はカフェで食事をしながら
「死ぬまでにしたい10のこと」を紙に書き出した。」
刑務所にいる父親と会うこと。
家族と海に行くこと。
髪型を変えること。
子どもたちのためにカセットテープに声を残すこと。
夫には新しい妻を、子供達には新しい母親を見つけること。
夫以外の男性と付き合ってみること。
などなど。
心残りはたくさんあるが、
やはり宣告通りに彼女は亡くなってしまう。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
【貧しいながらも幼き娘二人と優しき夫と暮らしていた女性が、余命宣告を受けて初めて”生”の尊さに気付いていく物語。人生の終焉を告げられながら、僅か23歳でここまで出来る人間は素晴らしいと思った作品。】
ー 23歳のアン(サラ・ポーリー)の家族は、失業中の夫ドン(スコット・スピードマン)と二人の幼き娘、ペニーとパッツィー。
貧しきながらも、幸せな生活を送っていたアン。
ある日突然、腹痛に倒れたアンが検査を受けると、「あと2-3カ月の命」と宣告される。
誰にもその事実を話さないと決めた彼女は、「死ぬまでにしたいこと」リストを作り、一つ一つ実行していく。
■アンが夜のダイナーで書いた、10の死ぬまでにしたい事。
1.娘達に毎日愛しているという。
2.娘達の気に入る新しいママを探す。
3.娘達が18歳になるまで、誕生日にメッセージを贈る。
4.家族でビーチに行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思っている事を話す。
7.夫以外の人と、付き合ってみる。
8.男性を夢中にさせる。
9.刑務所のパパに会う。
10.爪とヘアスタイルを変える。
この中の”3.娘達が18歳になるまで、誕生日にメッセージを贈る。”は、橋本愛さん主演の「バースデーカード」で同テーマを軸にオリジナル脚本で勝負する吉田康弘監督により、描かれている。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・サラ・ポーリー演じるアンは突然の余命宣告及び体調不良にも拘らず、家族の前では気丈に振舞う。
- サラ・ポーリーの好演が光る。-
・恋人に去られたリー(マーク・ラファロ)とコインランドリーで出会うシーン。
リーは病気の疲れなのか寝てしまったアンを朝まで愛おし気に見ている。
しかも、アンの洗濯物も全て折りたたんでいる。
そして、彼がそっと忍ばせた本には、連絡先が書いてある。
- 上記、7.8に当たるのだが、品よく描かれている。ガランとしたリーの部屋でアンと語り合うシーン。他のレビュアーさんのコメントでは”不倫”と否定的に書かれている方もいらっしゃるが、私はアンの行動を是と捉えた。何故なら、アンはドンと17歳で知り合い19歳で子を設けている。推測であるが、アンは男性との交流は殆どなかったのではないか、と思ったからである。更に書けば、二人が情交するシーンは描かれていない。(有無は別。)死を目前にしての人間の行動欲望としてとらえた次第である。
そして、雨の中、車の中でアンを迎えに来たドンの姿を見て、ハンドルに顔を付け涙するリー。
彼女がリーに残したメッセージ”家具を買って・・。そして、部屋を新しく塗り替えて・・。”
今作のラストシーンはリーが壁を塗る後ろ姿である。
アンは死しても、リーに生のメッセージを遺したのだ・・。-
・臨家に越して来た同じ名前のアン(レオノール・ワトリング)が彼女に語った哀しき経験と彼女が行った行動を聞いたアンは、彼女を家に招く。
”帝王切開したら、シャム双生児だったの・・。父親は目も向けなかったわ。けれど、私は最後まで抱っこしていたの。冷たい部屋で最期を過ごすなんて悲しいじゃない・・。”
<車の中で、一人娘達へのバースデイメッセージをカセットテープに吹き込むアンの姿。夫への謝罪、母親への励ましの言葉。
人生の終わりを迎えるにあたって、僅か23歳でここまで出来る人間は素晴らしいと思った作品。
今作は、ペドロ・アルモドバルが製作を務めているが、成程彼らしい作品の風合だな、と思った作品でもある。>
後悔なく生きることは、我儘とは違う。
死を前にしたなら「そのときの気分で」なんてのんきなことは言ってられない。
限られた時間を自らの思いに従い、一瞬一瞬を誠実に、
無駄遣いすることなく生きるほかなくなるだろう。
だから10のしておきたいことを、主人公はピックアップした。
その誠実さは、裏切ることなく周囲へ伝わる。
それが「私がいなくなった私の世界」にたった一つ、
私の痕跡として残される。
愛は偉大と思わずにおれない。
ラストの何とも言えない穏やかで幸せそうな映像は、
果たして主人公の妄想なのか、現実なのか、分からない。
ただどちらにせよそうであれば誰も打ちひしがれることない
穏やかな「その後の世界」は主人公も含めてなんてハッピーなんだ
と思えてならなかった。
わがままだけなら逆の光景が広がっていたのでは、と思うほど。
プライムビデオで鑑賞した本作だが、
レビューにただの不倫映画だ、と酷評もいくらかあった。
だがあの出会いがなければ主人公は土壇場でおそらく、
十七歳の自身を後悔したと思う。
夫に不満を抱えてしまったのではないかと想像する。
予感があったからこそ主人公はリストに挙げ、
あったかもしれないもう一つの道、を確かめようとしたのだと思っている。
夫を、自身を、恨まないために。
(でないと夫の次の幸せなんて考えられないし、そんな夫に育てられるだろう子供の幸せを願えば、主人公こそ納得して次へ送り出す準備が必要である)
望んだ出会いも主人公が自身に誠実であればこそ、
痴話に終わることなどなかったのだから、
相手もまた救われたというのだから、
あとは墓場まで秘め事と持って行くだけ。
それがあったからこその穏やかなハッピーエンドだと思っている。
ともかくフィクションにありがちな、
ありがちだから死に際に別れを惜しんでお涙頂戴、とは果てしなく異なる、
大人な展開だと感じて止まない。
とてもリアル路線の、それでいて夢のような物語。
公開終了間際に滑り込みで観ることができて本当によかった。
もし自分ならと考えて見てると
まず大切な人に自分が死ぬことを隠し通す覚悟がすごい。
あとなんで不倫みたいのをしたかったのかはわからないけれど、不倫相手との最後の日の、最後の挨拶のシーンの主人公の泣き方は、すごくリアリティがあった。
だれかとの最後の別れってあれくらい顔がぐちゃぐちゃになって、悲しくて悲しくて、辛いものだ。
演技上手なひとなのかも...
観た後、面白くなかったな、とか、
なんだろうこの映画、、
と、疑問がたくさん湧いたけど、
観た次の日までずっとこの映画のことを考えている。
死という題材は、全ての人に関わりのあることだから。
とても悲しかったけど見てよかった。
ある意味星5個映画だなとおもうけど、
やはりまだ自分が死を考えることが怖いからなのか
悲しさの余韻がつらかったので星3です。
デボラ・ハリー
私の感性に合わない映画だった。まず、賛同できないのが、余命が2ヶ月しかないのを誰にも言わなかったこと。したいことの中に不倫が入っていて、実際に実行したこと。
それはともかく、この映画でいちばん印象に残ったのは別の事だった。母親役の女優がブロンディのデボラ・ハリーに似ていると思って後でキャストをチェックしたら実際に彼女だった。結構渋い、いい演技をしていた。昔、東京での初来日コンサート(1978年渋谷公会堂だったかな?)に行ったのを思い出した。当時はまだ知名度はイマイチだったせいか観客が少なく、そのためかなり前の席が取れた。しかも、ステージが高く、ミニスカートのデボラ・ハリーを見上げる感じだったので、ドキドキした覚えがある。一曲目からノリノリの曲だった、Xオフェンダーだったかな。
10年の間に変わった10のこと。
約10年ぶり?に鑑賞。
それにしても、これも☆3.1か…みんな厳しいね…
初見の頃から約10年経って、自分のなかで変わったこと。
①主人公の気丈さにとにかく感心
昔はこのスゴさがいまいち分かってなかったように思う
②リストのうちの項目「恋をする」や、実際、不倫する主人公を見て「なんだ不倫かぁ(-""-;)」ってかつてはガッカリしたんだけど、今回は割と気持ち分かった
旦那いるけど、ほぼ無職だし。17で最初の子を産んで23の今までずっとパートと育児と家事に追われてたんじゃ、そりゃあ最後に一花咲かせたくもなるだろうな、と。
③摂食障害のパート仲間、アマンダ・プラマーだったのね。アマンダ・プラマー好きになってたのに、気付けなかったw
④不倫相手、マーク・ラファロだったのね。当時は全然ときめかなかったのに…w (数年前に観た「イン・ザ・カット」で惚れた)
等々。10個もなかった。
娘達が毎年誕生日に聴けるように、誕生日メッセージをカセットテープに吹き込んで、それを(旦那だとちょっと心配だから)主治医に託したり、、 メッセージの内容も、痒いところに手が届くというか、、いやはや、できた人だよ。
製作がペドロ・アルモドバルとか。実はまだたぶん一個も観てないw 観ないとね。
タイトルで思いっきり(ラストの)ネタバレをしているようなこの手の映画は、オチの付け方が難しいと思うんだけど、暗くなりすぎず、若干のユーモアと爽やかさがあって、よかった。
内容が薄っぺらいです。
23歳の主人公が余命2ヶ月の宣告を受けます。
家族にも誰にもそれを話さず、最後の人生で何をすべきか、何をしたいかを考えて行動に移すお話しです。
悪い言い方だと、それ以上でもそれ以下でもない内容です。
良い言い方でいうと、人生で大切なものが何かとか、毎日を一生懸命生きようとする主人公に感情移入はしやすいと思います。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない映画です笑
「ずっと夢を見ていて、やっと目が覚めた感じ」
命の期限・・・
偶然
タイトルなし(ネタバレ)
似たような題材の作品は何本かあるけど、格別にくそだった。
若い母親が主人公になるとこんなにもクソなの?
そもそもリストの中に不倫が入っている時点でもうダメ。
主人公23歳なんだから恋愛要素を描きたいなら既婚設定にしなきゃいいのに。それかシングル。
どうしても主人公が好きになれなくて途中で観るのをやめた。
人それぞれに
23才の若い母親が突然余命宣告を受けて、
死ぬまでにやりたい事をリストアップして
やっていくお話。彼女が夫以外の男性と付き合う事がリストにあって実際に付き合うんだけど、
うーん、賛成出来ないけど、17才でできちやった
婚したからちゃんとした恋愛がしたかったのかな。まぁ旦那さんにはばれないでほしい。
賛否両論ある作品だけど、観ながら自分だったら何をするだろうって考えさせられる映画です。
五感をフル回転させて、行間を読まないと、味わえない。
原題直訳『私が存在しない私の人生』
私がいないのは死後のことだけ?
私という主体抜きの人生を歩んできたアン。その最後の時を紡いだ映画。
雨に打たれるアン。雨だれに混ざって涙が頬をつたう。けれど字幕には涙に関する、もしくは涙を流すような感情を表現した言葉はない。
字幕には「私」。でも語られている言葉は「you」。誤訳ではない。アンが今やっていることについての心の中でのつぶやき。
Wikiでは「所々出てくるナレーションの部分では、主人公を指す代名詞に you (あなた)が使われ、あたかも、映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている。(日本語字幕では 私 と表示される) 」と説明されているが、私には、アンが心の中で本当に感じていることと、頭で考えていることの、無意識の乖離のように思える。雨の中でしか泣けないアン。でも、アンは泣いていることを否認して、ポジティヴにと変換する。
昨今流行りのわかりやすい脚本ではない。
アンがリストアップした10のことへのレビュー上での賛否。
字面だけをとったら非難したくなる。
でも、アンを取り巻く状況を丁寧にみていったら、理解できたら、もう少しアンの気持ちに共感できるのではないだろうか。
自分の人生をベースにした己の正義を押し付けるだけでなく、アンの生きざまにちょっとでも寄り添ってみてほしい。
じっくりと、何度も繰り返し鑑賞して味わう度に、気づきがある。
「死ぬまでにしたいこと」の6番目にリストアップされている「思っていることを話す」。
アンは決して無口な女性ではない。食事に招くような友人と、家族に恵まれて、常に何かをしゃべっている女性。でも、その会話をよく聞けば、アンが語ることは、相手が言ってほしいこと。決してアンが言いたいことではない。
職場で交わされる多くの会話と同じ。場を乱さないために本音を隠したトーク。人は皆、自分の言葉を真剣に受け取ろうとして、受け取ってもらえた経験がないと、本音(思っていること)を話せなくなる。
優しい言葉と思いやりを示してくれる夫。でもアンは”思っていることを話したことがない”。アンが欲しい優しさ・思いやりと、夫が示す優しさ・思いやりが違う。アンのわがまま。そんな言葉で片付けられないことは、真剣に人と向き合う(恋した)ことがある方ならわかるのではないか。
かえって、リーの前で”(わがままにも通じる)思っていることを話せている”アン。そんな求めていた恋人の前でさえ、家族のことを考えてしまうアン。
そういう言葉と映像と、登場人物の行動・表情のギャップに、感性を響かせながら味わっていかないと、この映画が表現したいことを受け止められないんじゃないだろうか。
手ごわい映画です。
邦題の方が、多くの人の目につきやすい、そんな販促の方針なのだろうけれど、映画を誤解させ、評価を間違ったものにさせる。勿体ない。
<以下ネタばれ>
ほとんどその日暮らしのアンの家族。仕事が長続きしない夫。17歳で出産したというからおそらく低学歴、実父のこともあってか?彼女自身の仕事も低収入。母親のトレーラーに住まわさせてもらって家賃を浮かし、洗濯機も買えずにコインランドリー通い。極めつけが、23歳の女性が「髪型を変えること≒美容院に行くこと」が「死ぬまでにしたい10のこと」にランクインするほど。そんななかでも、日々自分にできること、自分がしなくてはいけないことをしてきた。子ども達の為にできるだけ明るく。彼女の夫は優しく心触りのよいことを口にするけど、実行力はない。ほとんど彼女が一人できりまわしている。
そんな中での、突然の死の宣告。自分が死んだら、家族は・子ども達はどうなってしまうのか?最悪夫は泣き暮らすだけで子どもの面倒は誰がみるのか?施設暮らし…なんて自分の死後のことを考える。そして子ども達の為に、生活が成り立つようにあれこれ考える。
23歳の女子だったら、自分のことだけ考えていたっていい年齢なのに。アンのリストには家族の為の項目が幾つも並ぶ。残された時間はないんだ、そんな決意が痛々しい。
末期癌なら、一緒に暮らしている夫が気がつきそうなものだ。母だって。でも気がつかないんだな。夫はお子ちゃま坊やだし、母とは会えば言い合いになってしまう。死の恐怖に誰かに縋りたくたって、縋れない。当事者よりも周りが衝撃を受けて、当事者が周りのケアに走っているとか、辛い事実を切り捨てて(この場合娘が(妻が)死ぬなんて受け入れられなくて切り離す)なんてことはよくある。少なくとも、アンは自分の家族を、自分の辛さを共感してくれる存在とは認識しなかった。自分一人でなんとかしなきゃ。今までそうしてきたように。そんな覚悟に胸引き裂かれる。
夫を愛してはいるけど、満たされない。誰かに包んで欲しい。そういう想いがあったって、もっと違う人との人生を夢見ちゃったとしてもそれは罪なのだろうか。かって浮気されて傷ついたことがある私が、浮気を肯定するのもなんだかなあと思うけど。
英語に疎い私だが、リストの英訳には「7.夫以外の男の人と付き合ってみる。8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する」となっているが、不倫するつもりならふつう逆じゃないか?誘惑してから付き合うだろう。だとすると、誤訳?デートして、誘惑ごっこだけをイメージしていた?そんな風に考えていた時に出会ったリーは失意のどん底。ここでもアンはリーのメンタルケアをする。自分の方がつらい状況なのに放っておけない。リーが立ち直ってから離れるアン。リーは自分の足で歩いて行ける。
容易ならぬ覚悟の元に、さらなる関係にも心を配りながら、決意を粛々と実行していくアンが痛々しくて泣けた。
自分の”いつか”に思いをはせると、アンの強さに驚愕する。
アンの想いに共感してくれるリーや医師やもう一人のアンに出会ったことで、アンが安らかに逝けたことを願う。
映画には邦題より原題の方がいいと思うけれど、自分の生を考える時、邦題はいいキーワードだ。
災害、事故、脳内出血…自分の「いつか」も必ず来る。
もし、○○後に死ぬとしたら、私は何をするのだろう。”いつか”は”いつか”来る。日常の惰性に流されている時、見直したい映画です。
全45件中、1~20件目を表示