ヴェルクマイスター・ハーモニー

劇場公開日:

ヴェルクマイスター・ハーモニー

解説

ハンガリーの鬼才タル・ベーラが大作「サタンタンゴ」に続いて撮りあげた長編作品で、クラスナホルカイ・ラースローの小説「抵抗の憂鬱」をモノクロ映像で映画化した幻想ドラマ。

ハンガリーの荒涼とした田舎町。天文学が趣味の郵便配達員ヤーノシュは、音楽家の老人エステルの身の周りを世話している。エステルは18世紀の音楽家ベルクマイスターを批判しているようだ。ある日、町の広場に移動サーカスと見世物である巨大クジラがこつ然と姿を現す。住民たちは「プリンス」と名乗る扇動者の声にあおられるように広場に集まり、やがて町中に破壊と暴力が充満していく。

「ラン・ローラ・ラン」のラルス・ルドルフが主演を務め、「マリア・ブラウンの結婚」などライナー・ベルナー・ファスビンダー監督作への出演で知られるハンナ・シグラが共演。2024年2月、4Kレストア版にてリバイバル公開。

2000年製作/146分/ハンガリー・ドイツ・フランス合作
原題または英題:Werckmeister Harmonies
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年2月24日

その他の公開日:2002年6月29日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)Goess Film, Von Vietinghoff Filmproduktion, 13 Production

映画レビュー

4.5四半世紀を経て、預言者の如く還ってきたクジラ

2024年2月25日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

タル・ベーラの作品はたやすく時を超える。4Kで生まれ変わったこのモノクロームの黙示録的怪作と23年ぶりに対峙し、相変わらず催眠術にでもかかったかのように体と心が痺れゆくのを感じた。そこに東欧ハンガリーが辿ってきた歴史の苦悩が刻まれているらしいことはわかる。だが同時に、約四半世紀を経たいま、この映画が指し示しているのはむしろ「現代」なのではないかと、本作のことを預言者のごとく改めてまじまじと見入ってしまう我々もいる。見世物のクジラ。扇動者プリンス。怒れる人々。不気味に立ち込める街の空気。音もなく静かに広がる破壊、暴力・・・。もともと千差万別のメロディで自由に謡われていた人々の暮らしや価値観が一方的に定められた概念によって統制されゆく時、人間はそこから逸脱する者を集団で否定し、貶め、抑圧しようとする。そこに思考や理性は皆無。いわばこの映画そのものが、世界の現実を見つめ、謳い続けるクジラである。

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牛津厚信

4.0アカとクジラ

2024年11月3日
Androidアプリから投稿

「恥ずべきことにこの数世紀の音楽作品の音程はすべて偽りであり、音楽もその調声もエコーも、その尽きせぬ魅力も、誤った音声に基づいている。大多数の者にとって純粋な音程は存在しないのである。」
「ここで想い起こすべきことは、もっと幸福だった時代のこと。ピタゴラスの時代だ。我々の祖先は満足していた。純粋に調声された楽器が数種の音を奏でるだけで。何も疑うことなく、至福の和声は神の領分だと知っていた。」
主人公の郵便配達ヤノーシユが面倒をみる老音楽家エステルが語るこのヴェルクマイスター音律と、ブダペストの広場にサーカス一座が運び込んだ巨大なクジラのハリボテ、そして、影だけで姿を人前にけっして現さない“プリンス”とは一体?

戦時中はナチスドイツに協力→戦後はソ連占領下の共産主義政権→ソ連崩壊後NATO・EU加盟→現在はウクライナ支援に反対する親ロシア政権。東欧諸国の戦後史を辿ると決まって上記のようなストーリーに遭遇する。親独政権と親露政権の間をいったりきたり、米国と中国の両方からカツアゲを食らっている現在の我が国と同様に、不安定な政権が戦後ずっと続いているのである。“プリンス”の国籍や中産階級の暴動の後軍事介入してきた国がどこか特定されていない理由は、ハンガリー国内で将来も起こりうる、いな現在すでに起こっている紛争を見越していたからに相違ない。

同監督作品『ニーチェの馬』(2011年)を劇場で見た時は、ジャガイモ爺さんとその娘に待ち受ける“嵐”の意味がよく分からなかったのだが、グローバリズムの終焉とナショナリズムの世界的盛り上がりを肌で感じる昨今、むしろストレート過ぎる政治的メタファーだったのだろう。バッハのお友達だったヴェルクマイスターが考案した調律方法では、和声が濁って聞こえる副作用を生じるらしい。つまり、コミュニズムにしろグローバリズムにしろ、人工的な政治経済システムではかならずや不協和音を生み出し、それは神が自然界にもたらしたハーモニーには遠く及ばない。てなことを多分言いたかったのではないか。

『ジョーカー1』でトッド・フィリップスが描いた暴動前夜の不穏な空気が、本作では異様な凶気をはらんだ中産階級の無言の行進によって、より具体的にリアルに描かれる。巨匠タル・ベーラはこう語る。「言うなれば、飢えや苦難で堕落した文化と、キリスト的西洋文化を二分する、目に見えない壁です。この物語で、追放された人々の獣的な熱情が、飢餓行進と同時に吹き出す。一方、中流的価値は意味を失い、昔からの階級秩序が独自の風刺画になり、何世紀にもわたって続いてきた文化がその価値を下げるのだ」と。

私は思うのだ。他国を占領しようと思ったら、まずはその国の不満分子を焚き付けて内戦を起こす。その内紛を鎮圧するという名目で、本作のように大国が軍事侵攻をかければ一丁あがりなのである。今般のウクライナ紛争がいい例である。自民党の旧安倍派や保守系の野党と、米国や中国に弱味を握られいいなりのなんちゃってグローバリストたちとの間で内紛状態にある日本とて例外ではないだろう。しかし「内紛は水際まで」という言葉があるように、“プリンス”のようなデマゴーグに踊らされて事に及んでは大国の思うがままなのだ。

獣と化した暴動グループが襲撃をかけた病院で、痩せこけた老人を見つけた時、彼ら一団はある“過去”を思い出すのである。それは、戦時中ナチスドイツのホロコーストに協力したハンガリー矢十字党の暗い歴史の一頁だったのではないか。老音楽家が「彼らが築いたものや、これから築こうとするものは、すべて幻覚である」と語ったように、広場に放置されたハリボテの巨大クジラは、霧雨の中で次第にその輪郭を消してゆく。かつてヴェルクマイスターが均等に音律を割り振った秩序の中では、自由と平等は未来永劫ハーモニーを奏でることがないのだろう。

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かなり悪いオヤジ

よく分からぬまま圧倒さる

2024年8月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 毎回、「一体何の映画なんだ」と混乱させられるものの、心をざわつかせる長回しの映像がいつしか脳裏に焼き付けられるタル・ベーラの2000年の作品が、スクリーンでリバイバルです。

 広場に突如出現したクジラの巨大オブジェと人々の心の裏側を煽る男。そして、その言葉で目覚めたかのように暴徒化する大衆。それぞれが何を意味するのかは今回もやはりよく分かりません。しかし、タル・ベーラらしいモノクロ・長回しの映像は困惑とザワザワ感を抱かせたまま観る者を圧倒します。

 それは、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」の風評に振り回された関東大震災の暴徒の様にも、フェイク情報に踊らさられる現代のSNS空間の様にも見えます。

 そして、終盤の10~15分間にわたる大規模破壊行動の長回しでは、「これ、絶対に失敗できないお金の掛かった一発撮りだよな」と別の緊張感にも晒されたのでした。

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La Strada

3.0あまり理解できなかった…

2024年4月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

忽然と現れたクジラ

ラディカルでパンクな傑作

と紹介文にあり、

デヴィッド・リンチっぽい不可思議な感じやパンクっぽいモノを期待して観たんだけど、不可思議な感じじゃないしパンクっぽくもない。

あまり意味わからなかった…

1回観ただけじゃ理解できないと思う。

あと、言われてる方いますがワンシーンが長い(笑)

意味あるんでしょうけど(笑)

ここでの評価は高いみたいだけど、個人的には…

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RAIN DOG

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