魔王(1996)のレビュー・感想・評価
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主人公の能力の羅列が寓話性を薄め…
寓話性、象徴性、リアリティ性等々、 その全てに中途半端な印象で、 最終版のクリストフォロスに因むエピソード も全体の展開からすると 唐突感が拭えなかった。 さて、「シャトーブリアンからの手紙」を観て、 この映画も「ブリキの太鼓」と同じ フォルカー・シュレンドルフ監督作品 と知り、初鑑賞した。 運命に導かれるように、 ドイツ側に連れて行かれた 夢想家で主体性のないフランス人男性が、 ドイツ軍に重宝され、 終いにはヒトラーユーゲントの少年兵にも 一目置かれる立場になったが、 彼らを戦火から守ることが出来ないまま、 ユダヤ人の少年と共に沼地をさまよう までが描かれた。 魔王もヒトラーの洗脳に負けて、 ユダヤ人と共に流浪の途についた とのことなのだろうか。 都合の悪い事態に陥りながらも この作品の主人公には 何故か次々と都合の良い立場が舞い込む。 その淡々と運命に翻弄される主人公の姿に 「フォレスト・ガンプ」が思い出された。 今回の作品も同じ寓話なのだろうから、 あまり気にしてもいけないのだろうが、 主人公は何故か工学的な能力があり、 また動物や狩猟への知識があって、 捕虜の身ながら行動が自由だったり、 場面設定を作るために都合の良い前提で 話が繫がれている印象があり、 彼の世界に思い入れが出来なかった。 そんなこともあってか、 「フォレスト…」の寓話にするにはもってこいの 身体的能力と、当時の社会描写の組み込み の上手さに比べて、 この作品では主人公の能力の羅列が 寓話性を薄め、 また、当時の状況描写の組み込みにも 切れを感じなく、 「フォレスト…」には元より、 監督自身の「ブリキ…」や「シャトーブリアン…」 にも及ばない出来に感じた。
そして、ハンターになる
聖クリストフォロスの伝説を下敷にした フランス人アベルの物語 母国ではあまり良い体験がないのだが 戦争でドイツ軍捕虜になってからの 彼の体験は 彼の目線から見ると冒険的、幻想的 将校フォレスター、ゲーリング元帥 SS将校ラオファイゼン、カルテンボーン伯爵と 彼が仕える相手は色々 フォレスターには動物との ラオファイゼンには子供との親和性を見いだされ 活用される 特に後者の目的は少年のスカウトで アベルの勧誘が誘惑に、そして誘拐になってゆく処が 怖い (レーベンスボルン) 虐められた母国の学校より 規律正しく美しい軍学校に魅了されてしまうのは 凡人としては ちょっとわかる気も 現実世界にワンクッション置いたような彼の人生観が 妙にナチスとシンクロしてしまう ゲーリングの狩猟ロッジやハンティングの様子も 残酷だが甘美 ついに魔王と呼ばれるようになった ドーベルマンを引き連れ、馬に乗るマント姿の アベルも幻想的 そして子供をさらう(ハンティング) 最後にユダヤ少年を担いで戦場を突破してゆきながら クリストフォロスのことを思い出す 東プロシアの森で 善悪の境界をさまよい続けるアベルを マルコビッチが演じていてハマリ役
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