「美しくも愛らしいジェニファー・コネリーの最高の瞬間を切り取った功績は大きい!」ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0美しくも愛らしいジェニファー・コネリーの最高の瞬間を切り取った功績は大きい!

2019年2月20日
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鑑賞方法:映画館

午前十時の映画祭でディレクターズ・カット、251分版を観賞。
セルジオ・レオーネ監督が、この映画の適正な尺は4時間10〜25分と発言していたらしいので、レオーネが求めた形がほぼ再現できたのだろう。
ソフトリリースされている「完全版」も、完全ではなかったということ。
消失したと思われていた映像を探しだし、ここまで繋ぎ合わせた労力と技術に敬意を表したい。

さて、長尺版でも内容の難解さは残る。

謎めいたエンディングの意味は、観た者の解釈しだい。
レオーネ自身が「夢オチ」的な発言をしていたと聞いた覚えがあるが、
だとすると、
ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスが自分の裏切りによって意図せずジェームズ・ウッズ演じるマックスや仲間が死んでしまった後、阿片窟に逃げ込んだところで、「そんなはずはない。マックスだったら逆に俺を出し抜いて何十年後にこんなことになるんだろう…」と想像して微笑んでいる…と読める。
しかし、それには辻褄が合わないところが多々ある。
(そもそも、レオーネの映画に辻褄を要求してはいけないかも…)

それよりも、
自分の策略で仲間が一網打尽になって、「シメシメ」とほくそ笑んでいる…と見る。
マックスとは固い友情がありながら、意見の対立もあり、真に心を許しあってはいなかったのではないか。
何より、あのデ・ニーロの表情にはイヤラシさがあった。
だが今度は、これをエンディングに持ってきた意図がわからなくなってしまう。

マックスの最期は自殺か?という議論、
デボラとマックスはどの段階で結びついたのか?という疑問等々、
観客に解釈を求める類いの映画だから、
何度も観て、その時その時に改めて考えを巡らせてみるのが楽しい。

「ゴッドファーザー」の成功以降ギャング映画が乱発されたが、本作は明らかに模倣品とは一線を画した傑作だ。
クレーンを用いる等して、クラシカルな都会の風景をダイナミックに捉えた素晴らしい構図の数々。
トイレの壁穴から踊る少女を覗くノスタルジックなシチュエーション。
クリームケーキの微笑ましい挿話。
貧しいはずだが、子供たちは厚手のコートや帽子・サスペンダーなどでキメていて、あの時代は皆お洒落だった。それが寒々しいニューヨークの蒸気と濡れた石畳の背景に映えている。
暴力描写はレオーネお手のもの。
コッポラが見せたバイオレンスとは毛色が異なる、エグさだ。

何より、本作の最大の収穫は、ジェニファー・コネリーの美しさ。
幼さと色っぽさが同居した、正にあの瞬間でしか捉えられなかった、絶妙なタイミングでのキャスティング。
後にヌードルスに車中で犯されてしまうことを考えると、コネリーが少女期だけの配役でほっとした。

kazz