レナードの朝のレビュー・感想・評価
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マイルドなアルジャーノンに花束を
脳炎で麻痺していて動くことも話すこともできない患者に今までとは別の薬を投与することで、症状の劇的な改善が見られた。
しかし、今までの失われた人生の数十年間や、薬の副作用などに苦しんだ後、結局は元の状態に戻ってしまうという実話に基づくストーリー。
「アルジャーノンに花束を」は、劇的な症状の改善が見られ知能指数も通常の人間以上になったが、この映画はそこまではいかない。より現実味のあるストーリー。
前半は少し間伸び気味。
後半は感動する。
一度は劇的な症状の改善が見られたが、薬の副作用により思いどおりに体が動かせず、自分でもそれが分かっているのが辛い。
そんな自分を見せるのが嫌で、気になっていた女性にもう会わないと切り出すが、女性がゆっくりダンスでフォローするシーンは感動する。
快方に向かったと言う事実が大切
ロバートデニーロの好演。
重厚でもう1時間長く感じたほどの内容。
ロバートデニーロの難病患者になりきる怪演は
一切のぎこちなさを感じず、さすがの貫禄。
大学での研究科から転職でやってきたマイキーが、
レナードを筆頭とした脳炎の難病に悩む患者達を救う物語。
前半1時間と後半1時間で大きく話が分かれていて、
パーキンソン病の治療薬が特効薬であることが判明し、
奇跡の全員が治療に成功するが、
最終的には実験的投与であったことから薬の副作用で
結局は症状がぶり返してしまうという、
バッドエンドであるのだが、実話であることに驚いた。
映画としてみた景色とリアルで見る景色は違うだろう。
人生の正解なんて、誰にもわからない
目覚めさせたことが残酷だったのか。
そんなことはわからない。
治ったのだから、それが永遠に続くものだと思ってしまう、ごく普通の人間。
這えば立て、立てば歩けの親心。
今日と同じ明日が続く日常。
でも、実は、それは当たり前ではないのだ。誰にとっても。
人生の中で、頭に浮かぶことのすべてが可能であるわけではない。
自分で選択できること、しなかったこと、スルーしてしまったこと、
運命に翻弄されるように、人知の届かぬこともある。
その中で、できれば”正解”の人生を送りたいと願うが、そう簡単ではない。
”正解”を選んだつもりなのに、過ぎてから思えば、後悔も出てくる人生。
”正解”の行いをできなかったように見えて、後からこれでよかったと思うこともある。
”正解”は知っているのに、あえて違う方をとることもある。
”正解”の人生を歩んでいる途中で、出会う思いもよらない出来事もある。
30年間の空白。
失ったもの。新たに獲得するもの。そして失いゆくもの。
目覚めたことが余計なお世話だったのか、嬉しいことだったのかは、一人ひとりによって違うし、思い返す日、これからどう生きるかによっても違う。
それでも、と、期待し希望して行動する。ちょっとでもの可能性を信じてしまう。
あなたの笑顔が見たいから。
実話の医師がどういう方かは存じ上げないが、この映画では、臨床医ではなく研究者が奇跡を起こす。まだ臨床医として燃え尽きてもいないから、目の前に起こっている現象を素直に捉えて、既成概念を飛び越える。
新薬を試す。一つ間違えれば、患者を危険にさらす。でも、トライしなければ改善はない。
倫理としてどうなのか。このケースでは感動的な結果になるが、割り切れない難しい問題。治療に役立つ新薬が次々と生まれる反面、特効薬ともてはやされた薬が、実は患者を苦しめる悪魔の薬だったという報告が数年後に出る場合もある。Dr.カウフマンとの攻防が、どちらが善意でどちからが悪なのかも簡単には言い切れない。
という、医療にかかわる様々な問題をベースにして、
レナードの、見た目・生理的には中年になってしまったけれど、心は思春期であり、思春期の葛藤という、レナードの成長。
医療という思いやりの”檻”に閉じ込められて、恋もままならぬし、一人で街歩きも許されない。切ない。
そんな一つ一つの出来事が、輝かしい”朝”のように瑞々しく、まぶしく…。
そして、思いもよらぬ残酷な運命に立ち向かう姿が、リアルに、命の・心の限りをほとばしらせて、描かれる。
そして、Dr.セイヤーも頑張ったが、周りのコワーカーが皆、患者のために一生懸命になる姿がうれしい。
敵役のようなDr.カウフマンでさえ、採用の時には経験ある臨床医(治療できる臨床医)を望み、レナードが閉鎖病棟からいつもの病棟に戻った時にはあんな笑顔を見せる。
『アルジャーノンに花束を』と似ているというレビューも散見する。
けれど、『アルジャーノンに花束を』の映画では、恋人・恋人の家族との絡みは出てくるが、基本アルジャーノンの変化だけをこれでもかと冷静に追っている。医療関係者は、”実験”の枠をはみ出さない。
なれど、『レナードの朝』は、レナードとDr.セイヤーの関係を軸に、周りの人々も描き出す。
患者が、”人間”となるべく、治療にいそしみ、”人間”としての要求・感情の爆発に対峙し(困らせられ)、その思いに胸を痛める。
私も、スタッフの一人?ボランティア・家族の一人として、二人を見守ってしまう。
レナード自身が目覚めをどうとらえたのかは、わからない。
動かぬ体の中で、何を思い出し、何を思うのか…。
目覚めたときのあの表情。
30年前とは違う姿の自分。
30年前にはなかったもの。新たなる経験・思い出。
”恋”のときめき、希望と切なさ、苦しさ。絶望。
自分の状態をビデオに録るよう迫り、「(今の自分の状態から)学べ!」と叫ぶ心。
とはいえ、目覚めたレナードによって、Dr.セイヤーの人生は変わった。Dr.セイヤーにとっては、一生忘れられない人となった。
かってな言い草だが、レナードの人生・目覚めには意味があったと思いたい。
”患者”としての記録だけでなく、”人”として、誰かの中に残る記憶。
言わずもがな、脚本・演出・音楽・映像も素晴らしいが、
デニーロ氏、ウィリアム氏、ルーシー、ローズを演じた役者の一つ一つの表情に、人を愛おしむ気持ちを思い起こさせられて、思い出すたびに慟哭してしまいます。
筋を知っていてもなお、観るたびに心が震える、至極の映画です。
副作用
冒頭、少年時代のレナードがベンチに名前を刻む。成績優秀だったレナードは病気にかかり、自部屋に閉じこもるようになり、30年を失ってしまう。
新薬の効果は劇的であり、一瞬にして全ての時間を取り戻したようだった。レナードの成功例が認められ、他の患者にも投与開始。ある晩に、同じ病棟の患者が全て起き上がり喋り出すところで、最初の感動がやってくるが、徐々に副作用を心配し始める。ポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)にほのかな恋心を抱いたり、普通の人たちと同じように院外での自由行動を求めるレナード。チック症状が活発になったり、突如意識が遠のく症状も出始める。
そんな悪い状況でも、副作用の実態を自らカメラに撮るように指示するレナード。ポーラに別れを告げるレナードに、彼女がよりそい二人はダンスを踊る。本人たちも周りの患者も一瞬の美しさを感じ取った。
おまけのようではあったが、セイヤーが看護婦エレノアにコーヒーを誘うという伏線が心暖まるシーン。彼もまたそれまでの自分を失っていたのかもしれない・・・
当たり前からの目覚め
‘生きる’とは? レナードが教えてくれた事
短い期間だったかもしれませんが、レナードは確かに生きました。そしてセイヤー医師もまた、レナードによって救われました。二人の交流から‘生きる’事について考えさせられる感動作です。
セイヤー医師の治療により30年の昏睡状態から目覚めたレナード。初めは戸惑いもありますが徐々に回復していきます。恋をしたり、親離れをしたり、友情を育んだり・・・と一夏の間ではありましたが、レナードは凝縮された人生をまっとうしたと思います。
好意を抱いた女性に、壊れていく姿を見せたくないからとレナードが立ち去ろうとする時に、女性がレナードを抱き寄せダンスをする場面が感動的でした。ありのままのレナードを受け入れようとする女性によって、自暴自棄になっていたレナードの心が穏やかになっていきます。
自分の症状を積極的にビデオに記録していたのも、この出来事が影響しているのかなと思いました。ありのままの自分を写し出す事で、セイヤー医師の研究に役立てたり、同じ症状で苦しむ患者の力になれたらと考えたのかもしれません。そんなレナードの勇気ある行動に胸を締め付けられます。
目覚めた患者達が街へ社会科見学的なものへ出かけるシーンも面白かったです。
初めはセイヤー医師行きつけの植物園(?)に行きますが、患者達は退屈の様子。それならばと出かけたダンスホールでは皆生き生きと踊ったり歌ったりしています。まるで患者達がセイヤー医師に‘人生を楽しむってこういう事なんだよ!’と教えてあげているようでした。
この映画はセイヤー医師がレナードを目覚めさせ救う話ですが、それだけではなく、セイヤー医師もまた、本当の意味での‘生きる’という事をレナードから学び、救われる話でもあるのだなと思いました。
内気で人に心を開けないセイヤー医師。そんな彼に対し、「死んでいるのはあんたの方だ!」とレナードが叫ぶ場面が印象的でした。レナードは再び昏睡状態に戻りますが、ラストで勇気ある一歩を踏み出したセイヤー医師の中にレナードの希望が輝き続けているようで感動しました。
ロバートデニーロの演技が素晴らしかったです。体はもちろん顔の表情すらピクリとも動かさない迫真の演技。終盤、徐々にけいれんが広がり元の症状に戻っていく様子も演技とは思えないくらいリアルで衝撃的でした。また、少年のように笑う笑顔も忘れられません。
【人間の魂は、どんな薬より強い・・。後半のレナードを演じる、ロバート・デ・ニーロの姿には涙を禁じ得ない作品。】
― 人間の強さ、優しさ、哀しさ、弱さが、全て描かれている作品。ー
・名優ロバート・デ・ニーロがパーキンソン病の新薬により、一時的に”嗜眠性脳炎”から回復したレナードを演じた後半、新薬の効き目が薄れていく様を、
同じく名優ロビン・ウイリアムズが演じた”人間が好きだが、人付き合いが苦手”な医師セイヤーに敢えて”撮らせる”シーン。
ー後のメイヤーの研究のためにだろう・・。-
・病の症状が再び悪化してきたレナードが、好きになった若き女性ポーラに、別れを告げるが、ポーラが優しくダンスに誘い、二人で食堂で踊るシーン。
そして、去るポーラを病院の窓から見るレナードの何とも言えない表情。
・患者たちが、再び”嗜眠性脳炎”の症状に戻っていく様を見て、自分を責める医師セイヤーに対し、元気だったレナードから貴方に気がある・・、と教えられていたエレノアが掛ける優しき言葉。
・そして、医師セイヤーは、勇気を出して、エレノアを珈琲に誘う・・。
<とても、心に残る作品。
生きている事の素晴らしさを思い出させてくれる作品でもある。
久しぶりに鑑賞したが、矢張りとても良いです。>
泣けましたぁ
永久保存版🙆♂️
デニーロがカッコよすぎ
それぞれの生き方と信念
見よう見ようと思って何年が過ぎたのか(笑)
やっと観た。
非常に自分の携わっている障害福祉とも近しい内容であり、セイヤー医師にも共感を抱いた。
現代からすれば「ん?」と言う場面や、映画ならではの表現力が少なからず見られるが、人としての尊厳や生きていく意味を丁寧にとらえている部分は非常に好感が持てる。
またロバート・デ・ニーロやロビン・ウィリアムスの演技が神がかっており、あの屈託のない笑顔はどうやって表現されるのであろうか?と興味深く見ていた。
パーキンソン病等の疾患は特定の原因もなく、非常に厄介であるが、患っている本人をないがしろにするのではなく意思を尊重し寄り添う姿には涙なくしては見れないだろう。
観ていて改めて思ったが、ロビン・ウィリアムスの演技のひとつひとつに心を動かされるし、本当に惜しい人を失ったとつくづく感じる。
また当時は鬱を患って自殺するとは本人も思ってはいなかっただろう。
今さらではあるが、ご冥福をお祈りします。
デ・ニーロの怪演
レナードの朝
セイヤー医師のなんとか病気を改善できないかという努力がヒシヒシと伝わる。
記録しろ記録しろというレナードの役に立とうとする気持ちもそれを記録できない…というセイヤー医師の気持ちもよく分かり、医学の進歩もこのように出来てきたものもあるんだろうなぁと思った。
この世界に戻ってきたレナードと母との対面のハグシーンや最後のペネロープアンミラー演じるポーラとのダンスシーンに感動した!
なぜ見なかったんだ、私。
30年以上の眠りから覚めた患者の話、っていうのはざっくり知っていたけど。なんとなーく気後れして観ていませんでした。
臨床経験に乏しい医師・セイヤーが、入院患者を毎日診ているうちに。
身動きしない患者が、こちら方の特定のアクションに反応するのに気づき、その診療方針を変えていく。
それまでの医師達は「どうせ何をしても変わらない」なタイプだったんですね。
これ、今でもありそうな気がする。
その熱意が報われて、レナードが目覚める。バンザーイ、涙。
あれ、でもまだ1時間ぐらいしか・・・?!。
後半が圧巻でした。
ネタバレになるので書きたくないけど。
まさかそんな風に話が進むなんて!!(実話ですから)。
レナードの言葉。
「あなたたち医師が目覚めさせたのは、物じゃない人間だ」。
30年の空白を埋めることができるのか。
終盤のレナードと、病院で出会った女性(入院患者の娘)のダンスシーン。
泣けたよ。書きながらまたウルっと来てます。
お互い心が寄り添っているからこそ、手を取り合えたんだなあ。
ロビンの医師役は、パッチ先生等でおなじみでしたが。
デ・ニーロの迫真の演技。圧巻でした。病人の演技をするというよりは、もうそのもの。
名作と言われる理由が、この2時間の間でわかりました。
観てよかった、本当。約30年前の作品。
あ、ちょうどレナードな眠っていた時間とほぼ同じじゃん!
そう思うと、その年月の長さを感じます。
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