「冷戦期の《潜水艦映画》の白眉。」レッド・オクトーバーを追え! こっこさんの映画レビュー(感想・評価)
冷戦期の《潜水艦映画》の白眉。
2025年5月投稿。
古い話で恐縮だが、私は初公開当時の学生時代に、当時もう閉館が囁かれ始めていた日比谷宝塚劇場B1に有った『日比谷みゆき座』で、本作を観た。
現代のようなシネコン方式の映画館は当時はまだ殆ど無く、一館で1本か2本の上映が当たり前の時代だ。映画館でお酒(ウィスキー等)が飲める映画館がある事を初めて知ったのも此処だ。スクリーンの幅は野外コンサートのステージの如く広く、外のラウンジは超高級サロンの様で(お上りさんの自分は)驚嘆したものだ…。
大学に入って東京へ通うように成り、それこそ都内の書店や映画館を駆け回るように過ごしていた“幸福な時代”だった…。
そして、みゆき座の巨大スクリーンで正に《タイフーン.クラス》の巨大潜水艦の雄姿に度肝を抜かれたのは、今も鮮明に憶えている。
ま、個人的な思い出話は此処までにして、映画の話をしよう。
原作がトム・クランシーの小説というのは、彼自身が『超』の付く《軍事オタク》だった為、小説の情報量が多過ぎて、それを映画にそのまましたら1本当たり5〜6時間の超大作に成ってしまうような原作ばかりだった(後にはスカスカに成っていくのだが、それは又別の話…)。
そんな原作をバサバサと刈り込んで、此処までのエンターテイメント映画にまで作り上げた、ジョン・マクティアナン監督の手腕には(流石は『ダイ・ハード』の監督!)と唸る思いだった。
何せ予習のつもりで読もうと思った原作が、泣きたくなるほど長く、恐ろしく細かな部分まで丁寧に説明してくれるお陰で(まるで「造船技術と米軍階級人事の本」…)、結局途中で投げ出してしまった程だったからだ(『いま、そこにある危機』など、初めから読む気もしなかったw)。
今作の一番の要諦は「『ソ連が、当時世界最高技術且つ最大級の原子力潜水艦を作る事に成功し、その処女航海で艦長が(自分とその側近の意志だけで)潜水艦ごと西側へ亡命しようとしたら…』と云う、卒倒しそうに恐ろしく且つ魅力的な物語」にある。
さらにその巨大潜水艦は、感知不能な《無音潜航能力》を持ち、米軍のソナーでもお手上げなのだ。そんな代物が、大西洋を抜けてアメリカに近付いてくる!どうするんだ西側諸国は?!…と云う序盤の行りの展開の速さは、賞賛に値する。
しかも艦長は艦内にKGBのスパイが(反乱防止の為に)乗り込んでいるのを承知の上なのに、西側へ「亡命する意思を率直に伝える」手段もコネも特に持っていない…、そして米軍側の高官達は「さてはソ連が戦争を仕掛けてくる積もりじゃ…」と邪推する…、こんな東西共に大騒ぎに成る中で、主人公のCIA分析調査官、ジャック・ライアンが誰もが驚愕する《艦長の心理》に辿り着く…。
此処から双方の虚々実々の駆引きや意図の読み合い、米軍とソ連軍の構造的な(お国柄の)違いなどを、素人にも分かるようにテキパキとストーリーは進んでゆく。
米軍の潜水艦の《眼前で》「レッド.オクトーバー」を見失うシーンも最高の特撮技術で、今見ても《海中シーンでは一滴の水も使われていない》とは到底思えない出来だ。
その後の展開は観ていただくとして端折るが、この映画の魅力の真髄は、お互い姿が見えない(=海の中ではソナーが感知しなければ、相手の存在は分からない)中で、互いに相手の位置だけでなく行動(考え)を読み合う部分にあると思う。それは《潜水艦映画のお約束》でもあるのだが、今作はその点をメカニックだけに頼らず、脚本・演出で非常に上手く利用している。最後の《海中のチキンゲーム》は何度観ても、手に汗握る演出の巧みさで、急浮上する米艦「ダラス」のシーンは本当に素晴らしい。
主人公のジャック・ライアン役のアレック・ボールドウィンは、此処で貶している方も居るようだが、個人的にはこの人が一番の適役かと。
原作を読めば直ぐに分かるが、彼は元海兵隊員とは言え〈現在はCIA情報分析官(=文官)〉なのだ。ハリソン・フォード等が演れば忽ち「インディアナ・ジョーンズ」の様に“大冒険”に成ってしまうので、それが逆に嘘臭く成ってしまう(原作者が、ジャック・ライアンを〈ジェームズ・ボンドの様に造型し出してからの作品〉は、本作とは全く別物なので、一緒くたにするのは不公平と云うもの)。
とにかく『潜水艦映画に外れ無し』という言葉を象徴するような、今もって輝きを失わない'80〜'90年代映画の傑作である。ジョン・マクティアナンと云う監督は、本作と『ダイ・ハード』だけで充分に名監督だ(『ダイ・ハードⅢ』他は“観なかったこと”にしているのでww)。又、米艦「ダラス」の艦長の役者さんも〈本物っぽくて〉素晴らしい演技だった。
最後に一言、「ショーン・コネリーの頭、凄くカッコよかったね!とてもヅラには見えなかったよ!!!」