ラスト・ショー
劇場公開日:1972年7月20日
解説
「ペーパー・ムーン」のピーター・ボグダノビッチ監督による青春ドラマ。ラリー・マクマートリーの半自伝的小説を基に、ボグダノビッチ監督とマクマートリーが共同で脚本を手がけ、テキサスの田舎町で暮らす多感な若者たちの青春をノスタルジックに描いた。1951年、テキサスの小さな町アナリーン。高校生のソニーと親友デュアンにとって、元カウボーイのサムが経営する映画館は唯一のデート場所だ。しかし2人とも、それぞれ恋人との関係が上手くゆかずにいた。そんなある日、フットボールのコーチから妻ルースの送迎を頼まれたソニーは、心優しい彼女に惹かれていく。1972年・第44回アカデミー賞で、サム役のベン・ジョンソンが助演男優賞、ルース役のクロリス・リーチマンが助演女優賞を受賞した。
1971年製作/118分/アメリカ
原題:The Last Picture Show
配給:コロムビア
スタッフ・キャスト
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2022年2月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
これはノスタルジックな作品でありながら、アメリカン・ニューシネマの延長線上に置くことが出来る新しい感覚を持った映画だ。好みで言えば2年後の「ペーパームーン」が断然上だが、描かれた赤裸々な人間群像の切実さと時代を映し出す映像の緊張感のアメリカ映画らしさの点では力作だと思う。ここ10年の間のアメリカ映画の中では最も衝撃を受けた。大胆にして厳しいボグダノビッチの演出タッチに面食らいながら、この絶望的な物語の未来はどうなるのだろうと思いを馳せる。ただ欲を言えば、編集に不満を憶えたし、シビル・シェパードはミスキャストだと感じた。
それ以外の出演者は役柄に合っていると思う。ティモシー・ボトムズとジェフ・ブリッジスはテキサスの田舎の青年らしく、ベン・ジョンソンとクロリス・リーチマン、エレン・バースティンは貫禄と味のある演技を見せてくれる。この役者への演出を観ると、如何にボグダノビッチ監督が映画好きか分かるだろう。特にサムを演じたベン・ジョンソンの役柄に感じる。アメリカの、またはアメリカ映画の活気があった時代を知るサムの突然の死が、主人公の若者たちに多大な影響を与える。欲望の赴くままに生きてきたアメリカの青春の終わりは、その自由を謳歌すると同時に未熟で未練がましく、何処か寂しい。これでいいのだろうか。
1977年 1月29日 池袋文芸坐
私のこの映画の評価は衝撃度の大きさ故もある。私が尊敬する映画批評家でも評価が2分化していた。飯島正氏と淀川長治氏はベストテンに選出していない。代わりに清水千代太氏と野口久光氏、双葉十三郎氏は高評価だった。
2021年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
全編白黒のこの映画、女優たちをいっぱい脱がせているからそうしたのであろうか。80年代に流行るコメディタッチの青春映画からコメディを抜いたような映画だ。そして一連の青春映画と違って、子供たちよりも大人の方が処女性にこだわりがなく、子供たちにむしろセックスを勧めているいるかのような不思議な世界だ。
賞を多数獲得しているが、編集のせいか時の流れの扱いが手抜きすぎるし、作品としてはダメだ。いつのまにか数ヶ月経っていたり、いつのまにか友達の恋人を寝取ったり・・・真面目に作ってはあるが、出来は悪いと感じる。普通なら男の友情をメインにするような気がするのだが、後半に無理矢理付け足したような感じで、男たちの「誰とやって、誰と別れた」とかいう会話に成り下がってる。タイトルのテーマである映画に関しても一工夫欲しいところだ。助演男優賞獲得は頷けないが、助演女優賞は納得です。それでも可愛さだけのシビル・シェパードは何にも無い・・・脱いでるのに。
ベトナム戦争への反戦気運が高まる世の中であっても、この映画のスタッフは朝鮮に出兵するという意味を「東洋女性とやりにいく」だけとしか考えてないんでしょうね。朝鮮戦争の件が無ければ評価はもうちょっとだけ上がる。
2021年5月5日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
流れる空気感がなんとも形容し難いノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
モノクロであることに最初驚いたが恐らくこの雰囲気あってのことだろう。
性的な描写が多すぎる事にやや嫌気がさしたので少し減点である。
2020年1月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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総合:70点 ( ストーリー:75点|キャスト:75点|演出:65点|ビジュアル:60点|音楽:60点 )
娯楽は小さな撞球場と映画館くらいしかない寂れた田舎町は、何かが出来る・誰かになれる可能性の低いし何をしてもすぐにみんなにばれてしまう。そんな町で大人になっていく青年2人の姿を描く。
何かはっきりとした流れがあるわけではない。女と別れて年増女とくっついたり、ちょっとした冒険に出たり、兄貴分の大人の男が突然死したり、田舎町の閉鎖性から抜け出したい親友の女を巡って年増女を疎遠にしながら親友とその女とのいざこざがあったりする。そして親友は従軍のため町を出ていき、親友の金持ちの女もすでに町を出ていた。
一人町に取り残された青年と朝鮮に行く青年の今後はどうなるのか。なんとなく寂しさとやるせなさが残る。でもはっきりとしない展開と今後に中途半端さも残る。
ウィキペディアによると、原作者の自伝的小説が基になっているということらしい。だから町で彼らがつるんだり親友の女が町の外の異世界のような家で裸で泳いだりするのも、似たようなことが実際にあったのだろう。
でもメキシコで何をしたとか、年下の少年がいきなり交通事故で死んでいるとか、物事をはっきりと見せない曖昧な演出が物語の具体性を低くしている。そのためにこちらが受ける印象も浅くなりがちになる。石油業界に入って金を儲けていた親友がいきなり軍隊に入って出征したのは何故だろうかという疑問も残った。映画館が閉館前に最後に上映する映画も突然で、そこに思い入れをこめる場面がその前にないから特別感がない。わざわざの白黒映像も設定の50年代の古臭さは出るが、自分は天然色のほうが当時の時代の色がわかって良いと思う。物語をはっきりさせて現在の演出で再映画化すればもっと面白くなるだろう。