「怪奇な世界にようこそ。 破滅の美学を堪能あれ。」世にも怪奇な物語 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
怪奇な世界にようこそ。 破滅の美学を堪能あれ。
江戸川乱歩氏等熱狂的ファンが多いエドガー・アラン・ポー氏の小説を映画化した、3人の監督のオムニバス。
『黒馬の哭く館』ヴァデム監督 ☆2つ。
『影を殺した男』マル監督 ☆3つ。
『悪魔の首飾り』フェリーニ監督 ☆5つ。
総合評価は、平均して、☆3.3・・・・・なのだけれど、
「トラウマ必須」と名高い『悪魔の首飾り』が、怖くて、後味悪くて、それでも惹きつけられるという、わけのわからない映画です。
R・PG指定のないこの映画、何も知らずに子ども時代に鑑賞された方は、だいたい口を揃えて「トラウマ」と言う。
とはいえ、”トラウマ”を期待したり、有名なネタバレを知って鑑賞したりすると、「そんなに怖くない」になるかも。
この映画が話題になって、『悪魔の首飾り』的な演出をしている恐怖映画が増えているせいもあるからと思います。
でも、役者の演技、監督の演出。その世界観。やっぱり怖いよ。私には。
『世にも奇妙な物語』の着想のもととなった映画とか。
ポー氏も、江戸川乱歩氏等、後世に大きな影響を与えていますが、
この映画も、各方面に影響を与えているのでしょう。
幻想的で耽美で、人間の闇を切り取って読者に見せるポー氏の世界観を、3人の監督がどう映画化しているか。3人3様の持ち味が出ていて面白い。
ヴァデム監督は、目を引くファッショナブルな衣装と古城・自然の取り合わせ。貴族の退廃的でゴージャスな世界を、ちょっと間延び?と言いたくなるほど、たっぷりと堪能させてくれる。
マル監督は、1作目より時代が現代に近い設定にしているせいか、コージャスではあるものの、よりスマート。必要部分だけを的確に映像化している。
フェリーニ監督は、舞台を現代にし、芸能界を華々しく描き、かつ、現実と心象風景・幻想・幻覚の境目を曖昧にして、百鬼夜行の様をこれでもかと描き切る。
企画の段階で、このようなコンセプトにしたのか、たんに監督の持ち味なのか。コテコテの作品ばかりだと疲れるが、良いバランスとなっている。少しずつ狂気に誘われる。
(ポー氏の小説はいくつか読んでいるものの、この映画の原作未読)
1話:『黒馬の哭く館』ヴァデム監督
とにかく美しい。美男美女もそうだけど、衣装や調度、城や森の風景にうっとりします。
ジェーン・フォンダさん演じる伯爵夫人の奔放さにも釘付け。ヘンリー・フォンダ氏の娘として、元々セレブだからか、立ち振る舞い、言葉等板についています。実生活でもこんななのではと偏見をもってしまうほど。
物語はお金持ちのわがまま女の…でなんとなく言いたいことはわかるけど、「呪いを受け取ることにした」とか急に言われても…(読み取りが悪いのか?字幕が悪いのか?)。最期の女主人公の歓喜極まる表情も、状況を考えると怪奇そのものなんですが、そこに至るまでが説明不足で唐突に見えます。その辺の心理描写をしっかりと、または怪奇的に流れをしっかり描いてくれたら最高なんですが…。ただ、人と戯れ、馬と戯れている印象しか残らない。消化(昇華)不良。”呪い”よりも、女主人公の性癖・言動、それを周りが許してしまう環境そのものが怪奇なのか?一人でいるときとか、男爵といるときは普通の人だし。
ヴァデム監督作品は、他に『危険な関係』しか見ていません。『危険な関係』の、人を人として見ていない、けれどあるきっかけで人としての心を取り戻しそうになる様と共通するのでしょうか?
それより、ヴァデム監督ご自身、相当なプレーボーイだったとか。『危険な関係』でも、その映画の撮影当時妻だった女優を作品に登場させていますが、この作品でも、撮影当時妻だったジェーンさんを主役に持ってきています。そのジェーンさんが演じる伯爵夫人が恋焦がれる男爵を、ジェーンさんの実弟ピーター氏が演じていらして、”禁断の・・・”という雰囲気を出しているというレビューも読んだことがありますが、単に、夫である監督が、妻が他の男に恋する様を見せたくなかったが故の配役?とか妄想してしまいます。(ちなみに、2作目に登場するバルドーさんも、ヴァデム監督の元妻。遍歴がすごすぎます)
映画の方のストーリーにのめりこめなかったせいか、そんな裏事情も頭にちらついてしまいます。テーマ自体は、何でも思い通りになる環境であるからこそ、心が空虚で、それゆえ破滅に導かれてしまう夫人の顛末という映画に最適なものなのに。この伯爵夫人と同じ心境にいたのが、監督であり、ジェーンさん・ピーター氏なのだろうかとまで妄想してしまいます。
私の、エドガー・アラン・ポー氏の小説イメージってなぜか『ポーの一族』。その『ポーの一族』に近いのは1話でしょうか?どこか退廃的で耽美でロマンチック、なのに物悲しいところに酔いしれていました。”宿命”に縛られている、永遠でありながら、”滅び”がちらつき、”発展”が見えない。世界観は見事です。
2話:『影を殺した男』マル監督
とにかくアラン・ドロン氏が美しいし、子役もすごかったです。
でも、映画に遊びがない。現実的で怖いです。
『世にも奇妙な物語』にもドッペルゲンガー的な話があったように記憶していますが、こちらの方が先ですね。でもその設定より、主人公の性格の方が怖かったです。しかも、現実にいそうなのが、よりいっそう怖い。しかも、周りは止めない。なんて人たちなんだ。
マル監督作品は、他には『死刑台のエレベーター』しか見ていません。『死刑台のエレベーター』も、ジャンヌ・モローさんとマイルス・デイヴィス氏の音楽ありきの映画でしたが、この映画もドロン氏ありきの映画です。ドロン氏の、あの冷たさがなければ、もっとドッペルゲンガー現象に比重が置かれた話になっていたのではないでしょうか。
3話:『悪魔の首飾り』フェリーニ監督
テレンス・スタンプ氏の怪演!!! 映画に出てくる女の子は確かにトラウマになります。
女の子を演じた女優は撮影当時22歳と聞きました。「トラウマの女の子」なんて子どものうちからレッテル張られていたらどうしようと心配していましたが、杞憂でした。(ほっ。)
話は、『8 1/2』とカブってしまって…。『8 1/2』より狂気の世界。逃げ場がありません。いや、逃げ場はあそこだけか、ラストの、あの・・・。と、頭が段々と酩酊してきます。呑んでないのに。そんな追いつめられた、諦めた感じが、嫌な感じで後をひきます。
色調がこれでもかというほど、めまいを起こしそうになるほど不愉快です。芸術作品としては凝りに凝った色合いなのだけど、観続けることを拒否したくなります。だのに、時折飛び込んでくるテレンス氏や女の子の表情に心奪われて目が離せません。観たくないのに探してしまいます。
気持ち悪い。夢見が悪い。ラストも、予想しつつも、ポ~ンと、あの場所(ハイウェイなのか闇の底なし沼なのか)に、主人公の代わりに私がおいてかれた感が半端ありません。
すっきりしない。鑑賞後に口直しの映画が欲しくなります。
『道』のような救いもありません。『アマルコルド』や『8 1/2』のようなユーモアもありません。
これだけ、酷評しているのに、忘れられません。怖がりで躊躇するのに、また確かめたくなります。
まさに映像・音楽のドラッグ。
すざまじいの一言です。
ニ度と観たくない、でも惹きつけられてしまう。そんな映画です。
それこそ怪奇な現象? さあ、怪奇な世界へ誘われん。 ともに、狂いましょう。
おはようございます。
懐かしいです(≧▽≦)
オムニバス映画ですね。
大昔に観たのと
数年前に観なおしました(レビューしていません)
とにかく、怖かった記憶が・・・
特に
『悪魔の首飾り』フェリーニ監督
夜の背景とか 「キャリー」を思い出したりで
パルマ監督もリスペクトされたのかな
本当に、テレンス・スタンプ氏の怪演ですよね。
素晴らしいレビューを
ありがとうございました。