欲望(1966)
劇場公開日:1967年6月3日
解説
「情事」「太陽はひとりぼっち」などで知られるイタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニが初めて手がけた英語作品で、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの小説「悪魔の涎」を下敷きに描いた不条理サスペンス。若くして成功したファッションカメラマンのトーマスは、公園で密会する中年男性と美女のカップルを盗撮する。気づいた女にフィルムを渡すよう詰め寄られたトーマスは、彼女のヌード撮影を条件に同意するが、渡したのは偽のフィルムだった。改めて本物のフィルムを現像したトーマスは、その画像にどこか違和感を覚える。引き伸ばしてみると、そこには銃を持った男と、死体らしきものが写り込んでいた。第20回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。“スウィンギング・ロンドン”と呼ばれた1960年代イギリスの若者文化を捉えた作品としても知られる。
1966年製作/111分/イギリス・イタリア合作
原題:Blow-up
配給:MGM
スタッフ・キャスト
全てのスタッフ・キャストを見る

- ×

※無料トライアル登録で、映画チケットを1枚発行できる1,500ポイントをプレゼント。
2022年4月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
若手人気写真家が主役のこの映画。ふと公園で撮った写真に死体が写り込んでいて…と、写真に狂わされていくサスペンスなのかと思いきや、シュールすぎるエンディングに…。難解だが、映像が写真のワンカットのようで、60年代のイギリスファッションを愉しむのも、この映画の見方の一つなのかな🤔
2022年3月21日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
不条理世界を描いた名作だのとの触れ込みがDVDに書いてあったので,さぞやどうしようもない状況に置かれた主人公が大爆死するんだろうと思っていたら,全然別の方向だった.しかし優れた映画だった.主人公は写真家として成功しているし,ポストを欲しがる美女と性行為を楽しんでいるし,美術の収集にも余念がない.いくつかの不穏さは映し出されるけれど直接語られることもなく,ミステリのように進展した殺人事件についてもなすすべもなく終わってしまう.そして極めつけは最後のシーンで,何とは言えないけれどとてもしびれた.ボールを取りに行く演技をすることによって,空想の試合が現実のものになったのか.雑に解釈するなら,我々が現実だと思っていることも,空想の徒手空拳でしか過ぎないのであって殺人事件だとかいくつかのことは妄想でしかないとかそんなところだろうか.難解なシーンがいくつかあるけれど,構図やモノの特性を生かした映像美に魅せられて飽きることがなかった.
カメラは眼前の真実を切り取る。しかし切り取るという行為によって、切り取られた真実は延伸性を喪失する。こうなっていたかもしれない、という無数の可能性はあえなく途絶する。カメラの使い手は、あれほど渇望していたはずの真実にかえって首を絞められていることに気がつく。
いや、気がつくのならまだいいほうだ。ほとんどの者はそのことに考え至りさえしないのだから。彼らはカメラの絶対的権能を信じて疑わず、あたかもそこに収められた画像や映像だけが世界のすべてであるかのようにふんぞり返っている。そしてそういう傲慢な人々が写真や映画を創っている。
本作の主人公であるトーマス(彼はカメラマンだ)は、物語を通じてカメラの権能を、ひいては自己の認識を疑い始める。
最終シーンでは陽気な若者たちの集団が彼の前に現れ、パントマイムのテニスを始める。ラケットもボールもない、視線と身振りだけのテニスだ。しかしそこには確かにテニスが存在していた。目には見えずとも、そこには振り抜かれるラケットがあり、打ち返されるボールがあった。
不可視のボールはフェンスを越え、トーマスの足元に転がってくる。彼はそれを拾い上げ、コートの中に投げ返した。
カメラの権能が、あるいは自己の認識が干渉できる領域など、ほんの少ししか存在しない。
2019年8月21日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
とって楽しんじゃいました。
という感じの映画だったと思います。それなりに雰囲気があって楽しめました。まあどっちか中等雰囲気を楽しむためだけの映画。もう10分ぐらい短ければもっといい映画だったような気もしますが人にはお勧めできませんねぇ。