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◯作品全体
大好きな作品なので既に数回見ている。衝撃のラストやキントによる「信用できない語り手」の回想に惹かれる作品だけど、登場人物たちの仕草やカメラワークによる騙すギミックも素晴らしいな、と感じた。
たとえばキントが事務室に入ってきて間もない、冒頭のシーン。キントが様々なところに目線を這わせ、偽装工作の準備を始める。視線が落ち着かない変な男、のように見せるミスリードが巧い。時間稼ぎのようにコーヒーを淹れさせ、たばこをつけさせるシーンも良い。不審がらせないように、さりげなく障害者、社会的弱者であることを強くアピールしている。
状況説明をするようなカメラと登場人物の距離感も良かった。回想には必ずキントの語りが挟まっていることを、客観視するカメラによって印象付けている。まるで「画面上で行われていることはキントからの情報によって構成されていることを忘れるな」と訴えているようだった。
その「キントからの情報」を強く感じるのはキートンの描写だ。キートンはすごく魅力的な、人情味ある人物として映されている。イーディを見る視線もそうだし、仕事を続けることに躊躇いがあったり、キントを逃がそうとするところもそうだ。本当にそうだったかはわからないが、回想シーンのカメラには必ずキントのフィルターがかかっていると思ったほうが良いだろう。そう考えると警察が「キートンは冷徹な男」と見ているのを逆手にとって、キントが騙されていたという方向へ誘導するような演出がカメラに仕組まれていたと感じる。
例えば、序盤でキントがキートンを仲間に誘うシーン。イーディについて言及することでキートンから暴行を受けるが、映すのは二人の上半身だけで暴行を直接的に描写しない。これは「キントからの情報」がキートンにダメージを与える描写を規制しているのだと思う。終盤で警察が「キートンがソゼだ」と結論づけるが、そのシーンではキントに対して冷たい仕打ちをとるキートンが映される。これは「キントからの情報」というフィルターが外れて、警察側による情報として映像が切り替わったような効果があった。そう考えると、宝石商を撃った場面もキントが意図的に庇っている可能性があった(=キートンが躊躇いなく撃った)り、フェンスターの遺体を埋めようとするキートンは実際には唾を吐いたのかもしれない。
これはもう、正確なことは何も言えないわけだ。人によってはこの不正確さ、曖昧さに興醒めするのかもしれないが、個人的には映像作品の、そして映像演出の妙を強く感じて感動した。
過去の回想において画面上で行われていた行為は、全くと言って良いほど信頼できない。だからこそ「語り」だけでなく映像演出も含めて登場人物の意図を考えたくなる。
カメラワークは神の目線のスタッフの意図だけじゃなくて登場人物の思惑もある…そう考えると登場人物がより生々しく見えてくる。そこに作品の作り込みを強く感じた。
◯カメラワークとか
・ファーストカットが良い。港の水面と複数浮かぶ光源の揺れ。物語の静かな導入としてもかっこいいし、虚像を映すことで真実の霞みを感じられる。
・コバヤシの事務所でイーディを見つけるシーンではガラスの反射を上手く使った演出があった。事務所内にいるイーディをガラス越しに見つめるキートン。事務所内からキートンを映すことでガラスが反射して外にあるビルしか映らない。しかし反射の先にイーディを見張る”ボディガード”が立つことで影になり、反射の奥にいるキートンと、手前にいるイーディが映るという仕掛け。キートンとイーディの間には避けられないコバヤシの魔の手がある、ということを画面から伝える演出だった。
◯その他
・終盤とラストカットも何度見ても良い。ゆっくりと本性を現していくキントの足取りが戻っていくところは本当にゾッとする。ラストカットでキントの言葉を反芻させるのも本当にうまい。誰のことを言っているのか、と考えていると、最後の「フッと消えた」がトドメを刺してくるような。