未来世紀ブラジルのレビュー・感想・評価
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【88.7】未来世紀ブラジル 映画レビュー
本作は、ジョージ・オーウェルの『1984年』が描いた全体主義的悪夢を、テリー・ギリアム監督独自のブラックユーモアとバロック的な映像美で再構築した、20世紀SF映画の記念碑的傑作である。単なるディストピアの描写にとどまらず、管理社会における個人の尊厳と、逃避としての「狂気」の救済を描ききった点で、その完成度は極めて高い。
物語は、情報省が支配する高度に官僚化された近未来を舞台に展開する。そこでは、ハエ一匹の死骸が引き起こした印字ミスにより、善良な市民がテロリストとして誤認逮捕され、拷問の末に死に至るという不条理がまかり通っている。この冒頭のシークエンスだけで、本作が描こうとする世界の非人間性と、システムへの盲従がもたらす恐怖が、痛烈な皮肉と共に提示される。
特筆すべきは、本作が提示する「幸福」の定義への問いかけである。主人公サム・ラウリーは、英雄として空を舞う夢想に耽ることでしか、息苦しい現実から逃れることができない。結末において彼が迎える、精神の完全な崩壊――すなわち現実からの恒久的な解離――は、一般的にはバッドエンドと捉えられるかもしれない。しかし、ギリアムはこの悲劇的な結末を、逆説的に「魂の解放」として描いている。システムが肉体を拘束し、破壊することはできても、精神の自由までは奪えないというこのメッセージは、公開から数十年を経た現代においても、情報化と監視が加速する社会に対して強烈な批評性を持ち続けている。カルト的な人気を超え、映画史における芸術的到達点の一つとして評価されるべき作品である。
【監督・演出・編集】
テリー・ギリアムの演出は、モンティ・パイソン時代から培われたシュルレアリスムと、過剰なまでの装飾性が融合し、唯一無二の視覚体験を生み出している。広角レンズを多用した歪んだ構図は、登場人物たちの精神的圧迫感を視覚的に表現し、観客にも同様の閉塞感を与えることに成功している。編集においては、夢想シーンの浮遊感と、現実世界の機械的で冷徹なリズムの対比が鮮やかだ。特に、現実がサムの夢を侵食し、夢と現が渾然一体となるクライマックスの畳み掛けは、カオスの極致でありながら計算し尽くされた演出の白眉である。
【キャスティング・役者の演技】
ジョナサン・プライス(サム・ラウリー)
本作の主演として、管理社会の歯車でありながら夢想の世界に逃避する主人公サムを演じたジョナサン・プライスの演技は、繊細かつ悲哀に満ちている。彼は、野心を持たず、ただ平穏無事に過ごしたいと願う小市民的な弱さと、夢の中で英雄として振る舞う際の高揚感という二面性を、目線の動きや微細な表情の変化で見事に表現した。特に終盤、拷問によって精神が崩壊し、現実世界から切り離された瞬間に浮かべる、虚ろでありながらも至福に満ちた微笑みは、映画史に残る名演技である。彼の存在がなければ、この荒唐無稽な物語に観客が感情移入することは不可能だったであろう。
ロバート・デ・ニーロ(アーチボルド・"ハリー"・タトル)
非合法の配管工タトルを演じたロバート・デ・ニーロは、出演時間こそ短いが、強烈なインパクトを残している。役所の手続きを無視して故障を修理する彼は、この硬直した世界における「自由」と「アナーキズム」の象徴だ。デ・ニーロの軽妙で活動的な演技は、停滞したサムの日常に対する強烈なアンチテーゼとして機能しており、物語に動的なエネルギーを注入している。
キム・グライスト(ジル・レイトン)
サムの夢の中の天使と瓜二つのトラック運転手ジルを演じたキム・グライストは、サムの幻想と、粗野で現実的な女性というギャップを好演した。彼女はサムにとってのロマンティックな憧憬の対象であると同時に、彼を過酷な現実へと引きずり込むトリガーでもある。その曖昧な立ち位置を、彼女は硬質な美しさの中に巧みに落とし込んでいる。
マイケル・ペイリン(ジャック・リント)
サムの旧友であり、拷問官であるジャックを演じたマイケル・ペイリンは、「悪の凡庸さ」を体現している。彼は良き家庭人でありながら、職務として淡々と拷問を行う。その屈託のない笑顔と親しげな態度は、残虐行為が日常化した社会の狂気を、大仰な悪役以上に恐ろしく際立たせている。
イアン・ホルム(カーツマン氏)
サムの上司カーツマンを演じたイアン・ホルムは、責任を回避することだけに汲々とする小役人の悲哀と滑稽さを完璧に演じた。彼が常に見せる神経質な振る舞いと、部下であるサムに依存する姿は、組織に去勢された人間の末路をカリカチュアライズしており、脇役ながら忘れがたい存在感を放っている。
【脚本・ストーリー】
トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン、そしてギリアムによる脚本は、緻密かつ重層的である。全体主義への批判というシリアスなテーマを扱いながら、随所に散りばめられたブラックユーモアが、事態の深刻さを中和するのではなく、むしろその不気味さを増幅させている。「書類」が人間そのものよりも重要視される官僚主義の風刺は鋭く、テロリストの脅威よりも、暖房設備の故障や配管トラブルが市民の生活を脅かすという設定は、生活実感に根ざした恐怖として機能している。
【映像・美術衣装】
「レトロ・フューチャー」の金字塔とも言える本作の美術デザインは、圧倒的である。ノーマン・ガーウッドによる美術は、20世紀初頭のモダニズムと産業革命期の機械美を融合させ、どこか懐かしくも奇妙な未来像を構築した。特に、あらゆる場所に張り巡らされた「ダクト」の造形は、社会の血管であると同時に、人々を縛り付ける鎖のメタファーとして機能している。ジェームズ・アチソンによる衣装も、1940年代のスタイルを基調としつつ、微妙な違和感を加えることで、時代不詳の異世界感を強調している。
【音楽】
マイケル・ケイメンが担当したスコア、そして主題歌として全編にわたり変奏されるアリ・バロッソの『ブラジル(Aquarela do Brasil)』の使い方は秀逸である。陽気で情熱的なサンバのリズムが、冷徹な管理社会の映像と重なることで生じる強烈な違和感(コントラプンクト)は、サムの抱く現実逃避への渇望を聴覚的に象徴している。悲惨なシーンで流れるこの美しい旋律は、狂気と正常の境界を曖昧にし、観客を眩惑する。
【受賞歴】
本作はその独創性が高く評価され、ロサンゼルス映画批評家協会賞において作品賞、監督賞、脚本賞を受賞している。また、第58回アカデミー賞では脚本賞と美術賞にノミネートされ、その芸術的功績は映画史に刻まれている。
作品[Brazil]
主演
評価対象: ジョナサン・プライス
適用評価点: B8
助演
評価対象: ロバート・デ・ニーロ、キム・グライスト、マイケル・ペイリン、イアン・ホルム
適用評価点: 8(平均値切り捨て)
脚本・ストーリー
評価対象: トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン、テリー・ギリアム
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: ロジャー・プラット
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: ノーマン・ガーウッド、ジェームズ・アチソン
適用評価点: S10
音楽
評価対象: マイケル・ケイメン
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: ジュリアン・ドイル
適用評価点: -1
監督(最終評価)
評価対象: テリー・ギリアム
総合スコア:[88.7]
こんなの嫌だという未来世界。コメディっぽい雰囲気があるのだが笑えな...
金かかった文化祭映画
今も色褪せないレトロフューチャーの魅力
初見は大学生の頃。
今はもうなくなってしまったが、松本市の縄手通りにあった中劇シネサロンで観た記憶がある。
若い人たちからすると信じられないと思うが、劇場内の至る所に灰皿があって、タバコを燻らせながら映画が見られた時代だった。
今回、Huluで久しぶりに観たが、自分の若き日に衝撃を受けただけあって、細かいところまで案外覚えていた。全編に漂うレトロフューチャーな雰囲気が大好きで、初見の時はそこに惹かれたのだが、令和の今、改めて見返してみても、全く色褪せない魅力を感じた。
この映画で描かれているのは、紛れもなくデストピアだが、社会のカリカチュアでもある。
途中で甲冑を身につけている巨大な武者が出てくるが、映画制作当時は「ジャパン アズ ナンバーワン」の頃で、日本に勢いがあったからチョイスされたのだろうと思う。今だったら、どこの国の、どんなものが選ばれるのだろうか。
カルト向け
中学のころ、わかってないくせにTVで放映中のモンティパイソンを「イケてる」と言って通ぶるのが流行ったことを思い出した作品です。
カルトな人だけが見るカルト映画なのでレビューの評価は高めですが、一般受けはしません。2001や時計じかけと同類。
管理社会の風刺、ってところだけはわかりますが、延々と繰り返されるワケわからないシーンの意味は全く不明。最後はどんでん返しらしいですが、そもそも初めから最後まで話が破綻しているので、何が「返された」のかもわかりません。
自分なりに解釈するのが好きな人向けです。
とは言いつつも、2001的な押しつけがましい哲学臭がなく、却ってドタバタギャグ的な演出をオバカ映画と捉えれば、独特な映像感覚も好ましいので「意外の4点」です。
テリー・ギリアムの特徴が分かった
【初鑑賞時には、何だか分からないが、物凄い熱量に圧倒された作品。テリー・ギリアムは寡作の監督であるが、歳を重ねて作品を鑑賞すると、凄い拘りを持った監督であることが良く分かるのである。】
■20世紀のどこかの国。
管理で、雁字搦めの情報局の小官吏・サム・ライリー(ジョナサン・プライス)の慰めは、ヒーローになった自分が天使のような娘と大空を飛ぶ夢想に耽ることだった。
ある日、善良な靴職人がテロリストと間違われて処刑される。
未亡人のアパートを訪れたサムは、そこで夢の中の娘と出会う。
◆感想
・初見時には、大学の友人で、映画館の息子及び友人達と、”レーザー・ディスク”で鑑賞したのであるが、物語の50%程度しか内容が分からず・・。
ー で、テリー・ギリアム=難解な映画監督という図式が、脳内に刻み込まれた。-
・唯一、覚えているのは、管理社会に背くがごとく、動くタトル(ロバート・デ・ニーロ)である。
が、彼は覆面をしているため”アレ、ロバート・デ・ニーロじゃないの?””いや、違うんじゃね?”等と言っていたモノである。
■久方ぶりに鑑賞して驚くのは、1985年の製作である、今作の近未来感の出来栄えの凄さである。
更に言えば、その後の情報統制社会を見越した作品構成である。
<今作から数十年後に「テリー・ギリアムのドンキ・ホーテ」を劇場で鑑賞し、貫禄タップリなジョナサン・プライスを見た際には、感慨深いモノがあった。
テリー・ギリアムは寡作の監督であるが、歳を重ねて作品を鑑賞すると、凄い拘りを持った監督であることが良く分かるのである。>
独特の世界観
近未来の社会において、手違いで別人が処刑されてしまう。 様々なこと...
特に美術費がすごいSF
特に近未来的な建造物やセットでのロケが、見事な画を作っていると思った。
セットを作るのに当時の製作費2000万ドルの大半が投入されているそうで、思い切った価値はあったかも。そして、母親などの装いはロートレックの絵画の女達のようで、こだわりが感じられた。
ストーリーは現代の視点から描く小説「1984」。今日のような超情報管理社会が舞台。でもなぜかローテク気味の配管パイプの役割とロバート・デ・ニーロが出演を熱望したという配管工のヒーローが面白かった。
奇想天外とは、このこと!
午前十時の映画祭11にて。
昔々、私が学生の頃、新宿歌舞伎町の映画館でモンティ・パイソン3本立て(だったかな?)のオールナイト上映があった。
『バンデットQ』以降『未来世紀ブラジル』直前だったと記憶する。
当時、ちょっと映画通を気取った若造(=私)たちは、『バンデットQ』のテリー・ギリアムが、幼い頃の記憶に微かに残るモンティ・パイソンの奇っ怪なアニメーションのクリエーターだったと知って、モンティ・パイソンを伝説のムーブメントかのごとく崇めていた。
確か、次作『未来世紀ブラジル』の情報は海外から入ってきていて、若造たちの期待値が上昇していた時期だったと思う。
で、そこで観たモンティ・パイソンの内容は全く覚えていないのだが…😅
くだんの若造たちの熱狂をもって公開を迎えた『未来世紀ブラジル』たが、巷ではロバート・デ・ニーロが珍妙な役で出演していることが話題だった程度ではなかったか。
主題曲として用いられた「ブラジルの水彩画」から採用された映画のタイトル『Brazil』に特段の意味はないのだが、邦題を『未来世紀ブラジル』にしてしまったことで、意味があるかのように誤解されたフシがある。確か、「ブラジルとは南米の国のことではなく、理想郷という意味」みたいな説明があった気がする。「ブラジルの水彩画」は、ブラジルの美しさを歌い上げた(のだと思う)サンバのスタンダード曲で、日本人でも大抵聴いたことがある曲だ。リオ五輪開会式でブラジルチームの入場時に使われていたから、ブラジルでも国民的な歌なのだろう。だからと言って、「理想郷」的な意味はい…と思う。邦題をつけた配給側のこじつけだったのだろう。(記憶違いなら申し訳ない)
初観賞時は、期待に違わぬ強烈なイメージの具現化に感動すらしたし、奇想天外な小技の畳み掛けに心踊ったものだ。
ダクトの隠喩を仲間内で議論したりもした。
今回見直してみても、衝撃は色褪せていなかった。今日に至ってもギリアムのイメージ世界は真似することすらできない、圧倒的なハチャメチャさだった。
このギリアム印の映像バラエティーは、次作『バロン』にも引き継がれ、若造たちの熱狂は頂点を迎えることになる。
今回、本作が午前十時の映画祭にラインナップされたことは、正直意外ではあった。
映画史に一定の爪痕を残した作品に数えられたことは嬉しい限りだし、何より劇場でもう一度観賞できたことに感謝したい。
日本国内で昨今流行っている“悪ふざけ映画”の製作陣は、よぉ〜っく見習ってほしいと思う。
さて、その後のギリアムは『フィッシャー・キング』でも異彩を放ったが、若造たちは若造に毛が生えた者たちになろうとしていた。
そして、『12モンキーズ』でとうとう世間を振り向かせてくれたが、次世代の若造たちに熱狂することは譲って、若造に毛が生えた者たちは腕を組んで頷きながら観賞するのだった。
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