未来世紀ブラジルのレビュー・感想・評価
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【88.7】未来世紀ブラジル 映画レビュー
本作は、ジョージ・オーウェルの『1984年』が描いた全体主義的悪夢を、テリー・ギリアム監督独自のブラックユーモアとバロック的な映像美で再構築した、20世紀SF映画の記念碑的傑作である。単なるディストピアの描写にとどまらず、管理社会における個人の尊厳と、逃避としての「狂気」の救済を描ききった点で、その完成度は極めて高い。
物語は、情報省が支配する高度に官僚化された近未来を舞台に展開する。そこでは、ハエ一匹の死骸が引き起こした印字ミスにより、善良な市民がテロリストとして誤認逮捕され、拷問の末に死に至るという不条理がまかり通っている。この冒頭のシークエンスだけで、本作が描こうとする世界の非人間性と、システムへの盲従がもたらす恐怖が、痛烈な皮肉と共に提示される。
特筆すべきは、本作が提示する「幸福」の定義への問いかけである。主人公サム・ラウリーは、英雄として空を舞う夢想に耽ることでしか、息苦しい現実から逃れることができない。結末において彼が迎える、精神の完全な崩壊――すなわち現実からの恒久的な解離――は、一般的にはバッドエンドと捉えられるかもしれない。しかし、ギリアムはこの悲劇的な結末を、逆説的に「魂の解放」として描いている。システムが肉体を拘束し、破壊することはできても、精神の自由までは奪えないというこのメッセージは、公開から数十年を経た現代においても、情報化と監視が加速する社会に対して強烈な批評性を持ち続けている。カルト的な人気を超え、映画史における芸術的到達点の一つとして評価されるべき作品である。
【監督・演出・編集】
テリー・ギリアムの演出は、モンティ・パイソン時代から培われたシュルレアリスムと、過剰なまでの装飾性が融合し、唯一無二の視覚体験を生み出している。広角レンズを多用した歪んだ構図は、登場人物たちの精神的圧迫感を視覚的に表現し、観客にも同様の閉塞感を与えることに成功している。編集においては、夢想シーンの浮遊感と、現実世界の機械的で冷徹なリズムの対比が鮮やかだ。特に、現実がサムの夢を侵食し、夢と現が渾然一体となるクライマックスの畳み掛けは、カオスの極致でありながら計算し尽くされた演出の白眉である。
【キャスティング・役者の演技】
ジョナサン・プライス(サム・ラウリー)
本作の主演として、管理社会の歯車でありながら夢想の世界に逃避する主人公サムを演じたジョナサン・プライスの演技は、繊細かつ悲哀に満ちている。彼は、野心を持たず、ただ平穏無事に過ごしたいと願う小市民的な弱さと、夢の中で英雄として振る舞う際の高揚感という二面性を、目線の動きや微細な表情の変化で見事に表現した。特に終盤、拷問によって精神が崩壊し、現実世界から切り離された瞬間に浮かべる、虚ろでありながらも至福に満ちた微笑みは、映画史に残る名演技である。彼の存在がなければ、この荒唐無稽な物語に観客が感情移入することは不可能だったであろう。
ロバート・デ・ニーロ(アーチボルド・"ハリー"・タトル)
非合法の配管工タトルを演じたロバート・デ・ニーロは、出演時間こそ短いが、強烈なインパクトを残している。役所の手続きを無視して故障を修理する彼は、この硬直した世界における「自由」と「アナーキズム」の象徴だ。デ・ニーロの軽妙で活動的な演技は、停滞したサムの日常に対する強烈なアンチテーゼとして機能しており、物語に動的なエネルギーを注入している。
キム・グライスト(ジル・レイトン)
サムの夢の中の天使と瓜二つのトラック運転手ジルを演じたキム・グライストは、サムの幻想と、粗野で現実的な女性というギャップを好演した。彼女はサムにとってのロマンティックな憧憬の対象であると同時に、彼を過酷な現実へと引きずり込むトリガーでもある。その曖昧な立ち位置を、彼女は硬質な美しさの中に巧みに落とし込んでいる。
マイケル・ペイリン(ジャック・リント)
サムの旧友であり、拷問官であるジャックを演じたマイケル・ペイリンは、「悪の凡庸さ」を体現している。彼は良き家庭人でありながら、職務として淡々と拷問を行う。その屈託のない笑顔と親しげな態度は、残虐行為が日常化した社会の狂気を、大仰な悪役以上に恐ろしく際立たせている。
イアン・ホルム(カーツマン氏)
サムの上司カーツマンを演じたイアン・ホルムは、責任を回避することだけに汲々とする小役人の悲哀と滑稽さを完璧に演じた。彼が常に見せる神経質な振る舞いと、部下であるサムに依存する姿は、組織に去勢された人間の末路をカリカチュアライズしており、脇役ながら忘れがたい存在感を放っている。
【脚本・ストーリー】
トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン、そしてギリアムによる脚本は、緻密かつ重層的である。全体主義への批判というシリアスなテーマを扱いながら、随所に散りばめられたブラックユーモアが、事態の深刻さを中和するのではなく、むしろその不気味さを増幅させている。「書類」が人間そのものよりも重要視される官僚主義の風刺は鋭く、テロリストの脅威よりも、暖房設備の故障や配管トラブルが市民の生活を脅かすという設定は、生活実感に根ざした恐怖として機能している。
【映像・美術衣装】
「レトロ・フューチャー」の金字塔とも言える本作の美術デザインは、圧倒的である。ノーマン・ガーウッドによる美術は、20世紀初頭のモダニズムと産業革命期の機械美を融合させ、どこか懐かしくも奇妙な未来像を構築した。特に、あらゆる場所に張り巡らされた「ダクト」の造形は、社会の血管であると同時に、人々を縛り付ける鎖のメタファーとして機能している。ジェームズ・アチソンによる衣装も、1940年代のスタイルを基調としつつ、微妙な違和感を加えることで、時代不詳の異世界感を強調している。
【音楽】
マイケル・ケイメンが担当したスコア、そして主題歌として全編にわたり変奏されるアリ・バロッソの『ブラジル(Aquarela do Brasil)』の使い方は秀逸である。陽気で情熱的なサンバのリズムが、冷徹な管理社会の映像と重なることで生じる強烈な違和感(コントラプンクト)は、サムの抱く現実逃避への渇望を聴覚的に象徴している。悲惨なシーンで流れるこの美しい旋律は、狂気と正常の境界を曖昧にし、観客を眩惑する。
【受賞歴】
本作はその独創性が高く評価され、ロサンゼルス映画批評家協会賞において作品賞、監督賞、脚本賞を受賞している。また、第58回アカデミー賞では脚本賞と美術賞にノミネートされ、その芸術的功績は映画史に刻まれている。
作品[Brazil]
主演
評価対象: ジョナサン・プライス
適用評価点: B8
助演
評価対象: ロバート・デ・ニーロ、キム・グライスト、マイケル・ペイリン、イアン・ホルム
適用評価点: 8(平均値切り捨て)
脚本・ストーリー
評価対象: トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン、テリー・ギリアム
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: ロジャー・プラット
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: ノーマン・ガーウッド、ジェームズ・アチソン
適用評価点: S10
音楽
評価対象: マイケル・ケイメン
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: ジュリアン・ドイル
適用評価点: -1
監督(最終評価)
評価対象: テリー・ギリアム
総合スコア:[88.7]
超管理社会の小役人は電気ケトルの夢を見るか
20世紀のどこかの国を舞台にした本作。今や過去の時代となった20世紀。現実は未来を追い越してしまった。
今、本作を見てみると描かれたこの国がどこの国なのかがわかってなんとも監督の先見の明には驚かされる。監督はディストピアを描きたかったようで実は現在の世界そのものを描いていた。
本作初見時はSF好きの十代の少年でブレードランナー同様その描かれたディストピアに魅了された記憶がある。今見直すとさらに本作のメッセージが深く理解できて面白い。
親のコネで中央政府の記録省に勤めるサムの日常は書類に埋もれた退屈な仕事の繰り返し。常にスモッグで覆われた薄暗いこの世界にうんざりしていた。
彼はそんな現実から逃避するかのように毎晩夢を見続けた。その夢では彼はいつも真っ青な大空を鳥のように自由に飛び回る鎧をつけた騎士の姿をしていた。
彼は夢の中ではなにものにもしばられない自由を謳歌できた。そしてその夢で必ず会う美しい女性、彼は彼女に恋をしていた。
目覚まし時計の故障で寝坊した彼は上司の怒鳴り声でたたき起こされる。中央政府(センチュリーサービス)により完全管理された監視社会。完璧と言われるセンチュリーに管理されて生活は便利で安全安心なはずだが、なぜだか全自動朝食メーカーの調子はおかしい。
政府の情報剝奪省のオフィスではたたき潰した虫の死骸がタイプライターのキーの隙間に落ちてタイプミスの誤作動。テロの容疑者タトルがバトルと誤って伝えられ、普通の市民が秘密警察に逮捕されてしまう。上の階の住人の女性が誤認逮捕だと訴えても政府に間違いはないの一点張り。
完全な管理社会ながらどこか間の抜けた社会。杜撰な管理でミスも多いがけしてミスを認めようとはしない。
20世紀のどこかの国、社会は常に爆弾テロに恐れおののいていた。今日もどこかで爆弾騒ぎが起きている。その容疑者とされるテロ犯のタトルを情報省は追っていた。
情報管理の重要性を訴えて情報省につぎ込まれる予算はもはやGNPの7%にまで膨れ上がっていた。経費節減のために容疑者とされた人間の留置費用や拷問にかかる費用が本人または家族に請求される。
そもそも爆弾テロと言いながらいまだ犯人は一人も逮捕されていない。市民の安全を守るために情報省は重要だとうそぶく情報省次官のヘルプマン、しかしテロ撲滅運動はすでに13年目に突入、そんなに経つのかととぼけるヘルプマン。
テロ犯として指名手配されているタトルはただのフリーの配管工だった。センチュリーが独占するメンテナンスを無断で請け負っていただけの。
終盤囚われのサムを救いに秘密警察と大立ち回りを見せるがそれもサムの夢の中の話。最初からテロ犯なんていなかったのだ。
爆発騒ぎは老朽化したインフラの配管がいたるところでガス漏れを起こして引火し爆発を起こしていたにすぎなかった。
テロを理由にすれば情報省は潤沢な予算を得られる。テロとの戦いを口実に市民への監視も許される。どこかで聞いた話だ。9.11以降のアメリカの姿そのものじゃないか。
当時監督のテリー・ギリアムへのインタビューによると彼は元々アメリカ生まれ。彼が育った50年代から60年代のアメリカは激動の時代。50年代はマッカーシズムが吹き荒れ、皆が共産主義者を密告し合うような魔女狩りを彷彿とさせる時代、またベトナム戦争を大きく進めたジョンソン政権下ではギリアムは反戦デモに対する武力弾圧に巻き込まれて警官から暴行を受けたという。
そんなアメリカに愛想が尽きて渡英したギリアムはモンティパイソンに入り映画監督になつたという。
本作は当時のソ連の様な全体主義国がモデルと思われたが実は彼が愛想をつかしたアメリカがモデルだという。
確かに自由民主主義ながらまるでソ連のように密告が繰り返された赤狩りや反戦運動に対して武力弾圧するその姿。それはなんら全体主義国家と変わらなかった。
イデオロギーを理由に独裁国家か否かなんて判断できない。ドイツもナチス政権になる直前まで優れた民主主義国家だったし、アメリカも自由民主主義と言いながらいまや独裁国家に変貌する勢いだ。問題はイデオロギーではなくそれを理由に独裁を強いる人間にある。本作が描いたディストピアはまさにアメリカの姿そのものだった。
誤認逮捕の容疑者バトル氏が拷問に耐えきれず途中で死んでしまったために家族に請求した拷問費用が余ってしまい、その費用を返還するためにサムは彼の家族の下を訪ねる。するとその上の階の住人こそ夢の中の彼女だった。
彼の中の夢が現実となった。夢の中では騎士の彼は囚われの彼女を救い出そうとする。現実世界でも誤認逮捕を訴えた罪で容疑者とされていた彼女を剝奪省から救おうとするサム。彼の中で夢と現実が次第にリンクしてゆく。
彼女との逃亡に成功したと安心したのもつかの間、彼は囚われの身となってしまう。拷問される直前タトルが現れ救出されたサムは彼女と共に美しい自然に囲まれた農場でいつまでも幸せに暮らした。
サムの夢の中の願いが現実になった瞬間だった。夢が現実に、いや正確には夢を無理やり現実にしたというべきか。本当の彼はまだ拷問の椅子に縛られたままで、すでに洗脳手術が施され廃人のように無表情のままだった。心ここにあらず。彼の心は遠く夢の世界に旅立ってしまった。悪夢のような現実から逃れて心の奥深くにある夢の世界へと。
映画マトリックスのように意識だけが夢のような住みよい世界にいられるようなそんな技術がもし開発されたら、今の時代においてもみんな利用したいと殺到するんだろうなあ。どんなに現実がディストピアでも心はずっとユートピアにいられるんだから。
悪夢のような世界で運命に翻弄される一人の男を通して監視社会の恐ろしさを描いたディストピア映画の金字塔。
サムが隣の部屋の同僚とデスクの引っ張り合いをしたりするシーンなど細かいギャグも笑えて、暗いお話だけどサンバミュージックが気分の落ち込みを防いでくれるファンタジーなディストピアものでもある。
巨大ドームでのテロリスト襲撃以降を夢・幻とした設定に納得出来なく…
難解な記憶の作品だったが、
ポストモダン建築としても話題になり、
この映画の舞台となった
リカルド・ボフィル設計の、
神殿のようで未来建築のようでもある
マルヌ・ラ・ヴァレ「アブラクサス」を
かつて訪れたこともあったので、
その懐かしさからも再鑑賞した。
しかし、約40年前にこの映画を観た時は、
もう少し長く画面に登場していた記憶が
あったのだが、今回観直してみたら、
たったのワンショットの描写だったことに
気付かされ、自分の記憶の不確かさには
愕然としてしまった。
更には、映画の内容についても、
ブラックなファンタジーとの印象くらいで、
ロバート・デ・ニーロが出演していたなんて
ことも覚えていないくらい、そのほとんどを
忘れていたことにも気付かされた。
それにしても、映像的には
しっかりと資金投入したと思われる
シュールな描写の連続には大変驚かされた。
しかし、私にはとっては
大変困った再鑑賞ともなった。
何が不満かと言うと、
ラストシーンまでは、
管理社会への批判的作風として
陶酔しながら観ていたのだが、
一つの設定から夢から覚めてしまった。
それは、終盤の巨大ドームでの
テロリスト襲撃以降の話が、
主人公の幻想(嘘)であることが示された
設定だ。
この作品、一方では、大空を飛ぶ主人公が
天使のような娘の夢を見るシーンが
事前に何度も挿入されていた。
そうすると、これまでの全ての物語も
実は、夢や幻であって、
全体のストーリー自体が
信頼に足りないものと思わせてしまうのは、
管理社会批判作品の一貫性としては
どうなのだろうか。
エンディングの一部として
希望的要素を織り込みたかったのだとは
思うのだが、
ここはテロリスト襲撃から娘との逃避シーン
をバッサリとカットして、
希望的要素の織り込みは
別に考えるべきではなかったろうか。
どうせ不条理な世界に浸るのであれば、
「ユージュアル・サスペクツ」のように、
全てが嘘でした、と“美しく”
私は欺されたいのだが。
こんなの嫌だという未来世界。コメディっぽい雰囲気があるのだが笑えな...
金かかった文化祭映画
from モンティ・パイソン‼️
この作品は「ブレードランナー」と並んで80年代を代表するSF映画だと思う‼️コンピュータによる国民管理が徹底されている仮想国ブラジル。ある役人が叩き落としたハエによって、テロリストの容疑者の名前が誤って変更されてしまう。その結果、善良な靴職人が誤認逮捕されてしまう中、情報省に勤めるサムが解決に当たる。彼は夢見ることが趣味。ある日、夢見た女性とそっくりな娘に出会い、デタラメな当局の陰謀で彼女が逮捕されると知り、なんとか助けようとするが、反逆者としてロボトミー手術を受けさせられる・・・‼️まずテリー・ギリアム監督の素晴らしいビジュアル・センスですよね‼️サムが夢想する幻想の中で、レオナルド・ダ・のような翼付きの鎧をまとって大空を飛行するシーン‼️未来社会なのにレトロ趣味全開の服装やビルなどの風景‼️黒装束のロバート・デ・ニーロのテロリストがロープを伝わってビルの谷間に消えていくシーン‼️印象的な名曲「ブラジル」の使用‼️天使のような幻想の中のマドンナ、ジルの描写‼️ホントに豊かなイマジネーションの世界ですよね‼️そしてハイテク化され快適なはずのユートピア社会が逆に人々を抑圧するディストピアとなってしまう恐怖‼️その社会風刺性‼️40年前の作品なのにSNSやネット社会、マイナンバーなどで個人情報が管理されてる現代を見事に予見してますよね‼️ホントに怖い‼️最後は哀しい夢オチの物語なんですが、自由を求める個人と、それを抑圧する社会の対決を美しく幻想的でグロテスクに、シュールでブラックでユーモラスに描いた傑作で、ホントに大好きな映画です‼️
上階に住む美女を求めて飛ぶ
観始めて最初のころに二つの事を考えた。
1つは、夢を現実にした国で自分の夢を掴もうとする男の物語だろうと。
もう1つが、サムはイカロスで、おそらく彼が墜落して地面に激突し夢が終わるのだろうと。
しかし、ラスト20分くらいで、なんか違うかな?と思い始めた。というか、よくわからなくなってきた。そしてエンディング。一瞬、もう完全にわからなくなった。
けれど、一つ一つ紐解いていくと見えてくるものがある。
エンディングから受ける最初の疑問は、サムはいつから夢を見ているのかということ。
イカロスだと思っていたサムが墜落しなかったことも不思議に思っていたのだが、思い返してみると、サムはかなり最初の頃に、せり出してきた地面に激突しているのである。地面への激突は墜落と同じ。
これはつまり、相当最初からサムは夢を見ていたと考えられる。
サムが最初から夢を見ていた理由。それは、サムこそが誤認逮捕されたバトルだったからだと考えた。
ラストのサムの穏やかな表情に満足そうな施術者から想像するに、別人格を植え付け夢の世界に留まらせる事が、この管理社会の罰則なのだと思った。
全く管理できていない管理社会で、人々は自分で物事を判断することもできず、書類とサインで混乱しまくっている様は大いに笑えた。
本作の殆どがサムの見た夢であることを考えれば、自分を誤認逮捕したこの国の管理体制は、おそらくこんな感じでグダグダに違いないというサムの気持ちが反映されたもので、実際は、実際ってのもおかしいけど、もっとちゃんとしているんだろう。でないと、いくらこの映画の制作年を考慮したとしても、あまりにテクノロジーがアナログすぎるもの。
イカロスはテクノロジー批判の神話だそうで、それを考えても、管理社会とテクノロジーに対する皮肉満載のSFファンタジーコメディ作品だったかなと思う。
誰にでもオススメってわけではもちろんないけど、とても面白かった。
最後に、監督のテリー・ギリアムは有名な監督さんでファンも多い。
私は好きでも嫌いでもない監督だけど、この映画を観て、テリー・ギリアムが好きな人の気持ちが少しわかった気がする。それだけオンリーワン感のある作品だった。
今も色褪せないレトロフューチャーの魅力
初見は大学生の頃。
今はもうなくなってしまったが、松本市の縄手通りにあった中劇シネサロンで観た記憶がある。
若い人たちからすると信じられないと思うが、劇場内の至る所に灰皿があって、タバコを燻らせながら映画が見られた時代だった。
今回、Huluで久しぶりに観たが、自分の若き日に衝撃を受けただけあって、細かいところまで案外覚えていた。全編に漂うレトロフューチャーな雰囲気が大好きで、初見の時はそこに惹かれたのだが、令和の今、改めて見返してみても、全く色褪せない魅力を感じた。
この映画で描かれているのは、紛れもなくデストピアだが、社会のカリカチュアでもある。
途中で甲冑を身につけている巨大な武者が出てくるが、映画制作当時は「ジャパン アズ ナンバーワン」の頃で、日本に勢いがあったからチョイスされたのだろうと思う。今だったら、どこの国の、どんなものが選ばれるのだろうか。
ハチャメチャなディストピア
表題のブラジルは、この映画で流れる「ブラジル」という桃源郷のような世界を歌った曲と歌詞から来ているのだろう。皆、理想を求めて生きている未来が、果たしてどうなるかって問いの映画なのだろう。
1986年製作ということで、SFXなどが使えず、コンピューターも本格的に普及していない中での想像、創作は大変だったであろう。
この映画の中では、人間は終始、いい加減で適当、管理を統括する中央省庁による文書による指示や命令で管理されているかのよう。指示や命令は絶対的で、誤りを正すには膨大な時間を要する。そして、男は出世を求め、女は美と若さを求めているように描かれていた。
そんな無機質な世界で満足できる人ばかりであるはずもなく、主人公のサムは、夢に出現する理想の女性と結ばれることに運命を感じる。その夢の人物は、誤認逮捕されたバトルの上階に住んでいたジル。彼女のために、異動を願い出て、居場所を突き止め、抹殺命令が出ていることを知り、助けるために管理システム側の人たちとバトルをするって物語。情報剥奪省のヘッドは、多くの役人に囲まれ、情報に翻弄される様子は、現在を表しているかのよう。省庁は、階ごとに全く異なる様相であったが、この辺りは、この当時の予想の限界か。セットや建物が、グレーを基調とした独特の特徴を持っていて、チープな感じもドタバタにぴったりな感じだった。
後半、ジルを守るための逃走部分は、もうハチャメチャ。因果関係や心理的な経過がわかりづらく、混乱と行き当たりばったりが交錯し、収まったかと思いきや、捕らえられて洗脳装置にかけられてみた幻影だったオチ。耳障りのよい音楽、見た目を良くする整形女性、圧倒的な情報量とシステムなど、本当にそれが未来の理想郷に繋がるものなのかって問いが浮かんできた。自分たちが直面している問題でもある。マトリックスへと繋がるような映画だった。
カルト向け
中学のころ、わかってないくせにTVで放映中のモンティパイソンを「イケてる」と言って通ぶるのが流行ったことを思い出した作品です。
カルトな人だけが見るカルト映画なのでレビューの評価は高めですが、一般受けはしません。2001や時計じかけと同類。
管理社会の風刺、ってところだけはわかりますが、延々と繰り返されるワケわからないシーンの意味は全く不明。最後はどんでん返しらしいですが、そもそも初めから最後まで話が破綻しているので、何が「返された」のかもわかりません。
自分なりに解釈するのが好きな人向けです。
とは言いつつも、2001的な押しつけがましい哲学臭がなく、却ってドタバタギャグ的な演出をオバカ映画と捉えれば、独特な映像感覚も好ましいので「意外の4点」です。
テリー・ギリアムの特徴が分かった
【初鑑賞時には、何だか分からないが、物凄い熱量に圧倒された作品。テリー・ギリアムは寡作の監督であるが、歳を重ねて作品を鑑賞すると、凄い拘りを持った監督であることが良く分かるのである。】
■20世紀のどこかの国。
管理で、雁字搦めの情報局の小官吏・サム・ライリー(ジョナサン・プライス)の慰めは、ヒーローになった自分が天使のような娘と大空を飛ぶ夢想に耽ることだった。
ある日、善良な靴職人がテロリストと間違われて処刑される。
未亡人のアパートを訪れたサムは、そこで夢の中の娘と出会う。
◆感想
・初見時には、大学の友人で、映画館の息子及び友人達と、”レーザー・ディスク”で鑑賞したのであるが、物語の50%程度しか内容が分からず・・。
ー で、テリー・ギリアム=難解な映画監督という図式が、脳内に刻み込まれた。-
・唯一、覚えているのは、管理社会に背くがごとく、動くタトル(ロバート・デ・ニーロ)である。
が、彼は覆面をしているため”アレ、ロバート・デ・ニーロじゃないの?””いや、違うんじゃね?”等と言っていたモノである。
■久方ぶりに鑑賞して驚くのは、1985年の製作である、今作の近未来感の出来栄えの凄さである。
更に言えば、その後の情報統制社会を見越した作品構成である。
<今作から数十年後に「テリー・ギリアムのドンキ・ホーテ」を劇場で鑑賞し、貫禄タップリなジョナサン・プライスを見た際には、感慨深いモノがあった。
テリー・ギリアムは寡作の監督であるが、歳を重ねて作品を鑑賞すると、凄い拘りを持った監督であることが良く分かるのである。>
独特の世界観
近未来の社会において、手違いで別人が処刑されてしまう。 様々なこと...
特に美術費がすごいSF
特に近未来的な建造物やセットでのロケが、見事な画を作っていると思った。
セットを作るのに当時の製作費2000万ドルの大半が投入されているそうで、思い切った価値はあったかも。そして、母親などの装いはロートレックの絵画の女達のようで、こだわりが感じられた。
ストーリーは現代の視点から描く小説「1984」。今日のような超情報管理社会が舞台。でもなぜかローテク気味の配管パイプの役割とロバート・デ・ニーロが出演を熱望したという配管工のヒーローが面白かった。
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