僕の村は戦場だったのレビュー・感想・評価
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割りとストレートな(反)戦争映画
旧ソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキー監督の長編1作目。
原作は小説らしいけど未読です。
戦争映画が好きじゃないので楽しめなかった…
最後まで観て、タルコフスキーだから…と、深読みした受けとり方をしたけど、
ゆくゆく調べてみると、自分の勘違いだったみたい…
普通に反戦の思いが込もった戦争映画みたいです。
戦争は終わらない…
冒頭、意外とサスペンスフルに展開していたので、初期のタルコフスキー、実はエンタメなのか?とちょっとだけ予想外の期待をしたのだが…
やはりテンポは冗長…
作家性とは、分かってはいつつも…
こればっかりは好き嫌いかねえ…
戦場の殺伐としたモノクロームや、それに対比するような美しい白樺林などは、とても素晴らしかったのだが。
出来れば、戦争状態のシーンは、もっと短くして、戦争前の幸福な回想シーン(幻想シーン?)の割合を多めにして、もっとリアルと幻想の対比を鮮烈にして欲しかったな。
しかし、思った通り、このご時世、殺伐とした戦時下を捉えたシーンの数々が、とてもリアルに感じられてしまった。
あんな少年が今のウクライナにもいるのかもしれない。
少年の村はウクライナ南部 ドニエプル川の東側沿いの村だったのです 今まさに77年前と同じことが起こっているのです! 本作は現在進行形の映画だったのです
今日は2022年4月26日です
ウクライナにロシア軍が侵略を始めて2ヵ月と2日が経ちました
今こそ観るべき映画です
1962年の映画です
しかし現在進行形の映画なのです
アンドレイ・タルコフスキーの初監督作品
反戦映画です
舞台は第二次世界大戦のロシア
戦っているのはソ連軍(ロシア軍)とドイツ軍
主人公は12歳の少年イワン
彼の父は戦死、母と幼い妹はドイツ兵に殺されています
それも単に撃たれて殺されたのでは無く乱暴された末のことのようです
彼の村は戦場となり瓦礫の山です
顔見知りのおじいさんの家は煙突と暖炉だけ、あとドアだけが燃え残っています
冒頭や中盤の回想シーンは、村が戦争になる前の平和な頃の少年と母と妹、友達らとの楽しい思い出です
彼の背中には、ドイツ軍につけられたであろう大きな傷跡もまだなく、表情も12歳らしい優しい笑顔です
しかし、今の彼はソ連軍(ロシア軍)の少年スパイとして、ドイツ軍の占領地域に潜入して敵の戦力の配置状況を偵察して、ポケットの木の実や枝の数をメモ代わりにして探ってくるのです
危険な行為です
なにしろソ連軍の偵察兵二人は、殺されるだけでなく見せしめに川の土手に晒し者にされているほどです
しかし地元の子供だからスパイとはバレないからと、孤児院行きを拒否して自ら進んで志願したようです
彼を使っている中佐もそろそろヤバいと彼を任務から外して、幼年学校に行けと命じます
しかし、彼は「戦争中に休むなんて役立たずだけだ」と逃げだしてスパイを続けようとするのです
ラストシーンは1945年5月
ソ連軍がベルリンを占領して戦争が終わった直後です
恐らく本作の物語は1945年の早春2月ごろから4月ごろにかけてのお話なのです
場所はそうウクライナです
冒頭で夏に母と水遊びした川
序盤でイワンが泳いで渡った大きな川
偵察兵二人が殺されて晒し者にされた川岸
中盤の回想シーンで友達や幼い妹と鬼ごっこした川
イワンが小舟で敵軍のいる向こう岸にわたって消息を絶った川
その川はドニエプル川です
少年の村はウクライナ南部
ドニエプル川の東側沿いの村だったのです
今まさに77年前と同じことが起こっているのです!
本作は現在進行形の映画だったのです
同じ場所で、西と東が入れ替わり、敵はロシア軍となって全く相似形の戦争が行われているのです
戦火で無惨に破壊された村は、今日私たちがカラーでテレビニュースで視た光景そのものです
壁も屋根もなく、煙突と暖炉とドアしか残っていない家に招き入れてくれるおじいさんが今にもニュースに現れて、テレビカメラに向かって同じことを話しそうです
残虐に殺された民間人の写真は、本作のワンシーンがカラーでスチールにされたかのようです
今の戦争なら敵軍の配置はドローンが偵察してくれると思います
それでも本作の少年イワンのようなウクライナ人の少年が、ロシア軍支配地域に潜入してドローンではわからない部分を偵察しているかもしれません
その21世紀の彼の村はドニエプル川の西側で
「僕の村は戦場だった」のです
ロシア軍、ウクライナ軍
どちらがナチなのか
タルコルスキーは予言していたのかも知れません
ソ連軍(ロシア軍)も一皮向けばこうだと
タルコルスキー監督の父、アルセニー・タルコフスキーはウクライナの著名な詩人であると初めて知りました
それも今まさに激戦地であるヘルソンの出なのだそうです
水の表現の美しさだけの映画ではないのです
それだけに目を奪われてはなりません
映画はナチが敗北して終わります
しかし無名の犠牲者は山のようにあったのです
子供ですら容赦されないのです
それが戦争の現実です
今こそ観るべき映画です
本屋大賞の狙撃兵の話はこの映画かなぁ?
タルコフスキーの強烈な反戦映画ですかね。
ソラリスが封切られた頃、初めて見た。近年は渋谷とかでも見たが、親父のDVDコレクションにも残っていたので、こんな時にソ連映画見るのはと考えて、あえてもう一度見た。やっぱり、傑作だと思う。
シベリア鉄道に乗りたくて、一昨年、イルクーツクへ行って来たが、やはり、サンクトペテルブルクとモスクワに行きたい思いが馳せた。しかし、こんな事になっては、ロシアには旅行に行けない。
ウラン・ウデやイルクーツクであったロシアの人々は良い人ばかりだったが、ロシア系じゃなかったのかなぁ?
タルコフスキーの卓越した演出による、モノクロ映像の詩的映像美で綴られた戦争悲劇
今年の二月テレビで見学した時は、それほど評価出来る作品ではない印象を持ったものの、今度の劇場鑑賞では何故か親近感を覚えた。それは第一に主人公イワン少年の余りにも過酷な境遇に同情してしまうからなのだが、タルコフスキー演出の詩的な表現によって、戦争の残酷さのリアリズムのその内にある人間の想いが素直に理解出来たからである。例えば若い中尉と看護師との男女間は、結ばれるようで結ばれない微妙な関係であるし、この恋愛模様と中尉とイワン少年の固い友情で結ばれた兵士同士の関係が対照的に描かれていた。それが白樺林の印象的な自然描写と相まって個性的な美しい映像詩の映画を形成している。描かれた戦争秘話の悲劇性は、その美しすぎる詩情ゆえに直接的ではない。この表現が、アンドレイ・タルコフスキーの個性なのだろう。
しかし、その微妙な人間模様の映像美に関係なく、このイワン少年の復讐に囚われたストーリー自体は絶望的に暗い。まだあどけない年齢にも係わらず過去の幸せな時を追想するものと現在の苦しい戦場の現実との対比が、より少年の悲劇を表現している。何より孤児の孤独から強がりを大人の前で貫く姿が、頑なで痛ましい。子供らしい純真無垢な優しい心を素直に表現出来ず、その汚れなさ故に敵に復讐心を抱く確固たる自意識が、勇敢なスパイ活動を全うしようとする。いつかは自立を成し遂げるべき人間の、それは他者を何らかの才能で圧倒せねばならない人生の道理を知ってしまったのが、この少年には早すぎたのである。戦争の悲劇が殺人行為による兵士の死のみならず、こんな罪のない子供までも侵食してしまうストーリーは、観ていてとても辛い。
やり切れないくらいの暗い戦争悲劇の物語を、タルコフスキー監督の詩的な映像美で完結した個性強固な映画作品。一方的な反戦姿勢がソビエト映画らしいが、それだけに留まらない卓越した映像美を持った佳作だった。
1976年 12月11日 池袋文芸坐
十代の頃は映画好きが高じてオールナイトを何度か経験した。この時の同時上映は、「禁じられた遊び」「悲しみの青春」「キャバレー」の3作品。戦争を題材にした地味な映画ばかりだ。タルコフスキー監督作品は、この初期の作品と75年の「鏡」のみ。後期の代表作は、劇場鑑賞でないと作品と充分な対峙ができないと思う。とても気になる特別な作家ではあるが、機会がなく今日に至る。それでもこの「僕の村は戦場だった」と「鏡」共に忘れ難い映画ではある。
【水滴の音】
タルコフスキーの水の表現で、この作品の中で印象的なのが、水滴の落ちる音だった。
何を意味してるのだろうか。
この作品では、積極的に戦争に参加し、大人の役に立とうとする少年イワンの姿が中心に描かれる。
最も大きな理由は、母親と姉がナチスドイツに殺害され、父親は戦争で命を落としているからだ。
独ソ戦は、絶滅戦争とも呼ばれ、特にソ連側の被害は甚大だった。
病死も含めた戦死者は約1500万人、民間人も含めると2000万から3000万のソ連側の人が命を落としたと言われている。
ドイツ側の民間人を含めた死者は600万人から1000万人。
これは、それまでの人類史上最多の死者数であるばかりか、これ以上の死者は今後も出ることはないだろうと考えられている。
また、このうちドイツが捕らえたソ連兵捕虜500万人は全て命を落としているというから、如何に残虐な行為が行われていたか想像に難くない。
最後にイワンの写真が貼り付けられた記録が見つかるが、少年捕虜に対しても処刑行為があったということだろう。
最近、フランスが過去にルワンダでジェノサイドを行ったことを認めたが、これは明らかにドイツによるロシア民族に対するジェノサイド行為だった。
水滴は、人々の命の音だったのではないのか。
儚く弾け散る水滴の音だ。
或いは、イワンの命のカウンドダウンだったのだろうか。
如何なる理由があるにせよ、若者が死に急ぐ理由などないのだと示唆しているようにも感じる。
いずれにしても、筆舌に尽くし難い。
観直して改めて感動
映像も少年役も特に初老の兵士も他もよかった。「羅生門」じゃないけど古臭くてもでもでも優れた作品ってこういうものだ。
※劇場での一度目ではなんとなく少年愛映画っぽい感じもして恐々みたが、二度目DVDでの印象はそうでもなかった。卒業映画とかこの作品では監督の少年性の瑞々しさが過剰で勘違いさせるだろう..
現実と夢の対比
難解といわれるタルコフスキーだけれど、この作品は分りやすく描かれている。
戦争という過酷かつ残酷な環境化で復讐に燃える少年、イワン。
イワンが見る夢や回想のシーンは、海や雨など水を使った詩情豊かな美しい映像で、きらきらとした生命の喜びと幸福に満ちている。
それと対比して、現実は残酷で怒りと死の恐怖に支配されている。
単なる戦争映画とは違い、詩的な映像を随所に挿入することで、イワンの心情に入り込むような感覚があった。
映像詩人タルコフスキー
詩的映像美や人間に対する深い洞察、難解なストーリー等で知られるタルコフスキーの長編第一作。
素晴らしい傑作、とは言えないが後々SFの傑作などを撮ることになる彼の特徴や作家性が随所に観られる良作である。
まだこの作品しか観ていないが彼の作品は難解と言われる原因は明瞭である。
主語が無い。これに尽きる。
彼の作品を理解するのは漢文や古文を読解するテクニックと同じようなものである。
説明も無しに主語つまり視点が二転三転するからである。
視点を掴めば簡単なことだ。
しかし、これは映画、読解するのとは言うまでもなく違う。
たとえストーリーが理解出来なくともいいのだ。
ストーリー以上に本質を心に訴えかける映像があるのだから。
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