冒険者たち(1967)のレビュー・感想・評価
全29件中、1~20件目を表示
飛行機乗りのマヌー(アラン・ドロン)とエンジニアのローラン(リノ・...
飛行機乗りのマヌー(アラン・ドロン)とエンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)。
歳も離れ、見た目も性格も異なるふたりだが、妙に息があったふたりだった。
マヌーは凱旋門のくぐり抜け飛行に挑戦、ローランは1万回転のエンジンに挑戦していた。
前者は日本の映画会社からの依頼ということだったが、一杯食わされた。
冗談だったのだ。
担いだヤツを締め上げたところ、「コンゴ沖に墜落した飛行機に5億フラン近い財宝がある」と吐いた。
ローランも新規エンジンの開発に失敗し、ふたりはコンゴ沖の財宝引き揚げに乗り出すことに。
最近知り合った、美人の現代造形美術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)を連れての冒険だった・・・
といった物語。
十代の頃、70年代末にテレビで観た際の感想には
男のロマン、冒険。
それは青春。
男の友情を軸にしていて、冒険もうまくいっている。
女がひとりでも、奪い合いなんかしないのですね。
でも、早くにジョアンナ・シムカスが死んでしまったのは、たいへん残念。
とあった。
今回再鑑賞しても感想があまり変わらない。
スタント飛行、猛スピードエンジン、海中の財宝・・・
それぞれの冒険は観ていてのんびりしている。
ロマンというより、浪漫と漢字で書く感じ。
海中の財宝を探し当てるまでの、男ふたりに女ひとりの嬉々とした様子は、特にそう。
(現在の眼からみると、ちょっとイヤらしいんだけどね)
で、財宝を狙う一味にレティシアは斃れ、後半はノワール映画へと展開するが、クライマックスは海上の要塞島でのドンパチ。
第二次大戦の置き土産を使ってのドンパチは、レティシアの弔い合戦。
ラストの空撮、中間の海中撮影、それにレティシアに捧ぐテーマ曲。
男の、というより男の子の胸を熱くする映画ですね。
意外に奇怪!
スキヤキ、出発前のバカ騒ぎ、ゴジラのパクリか?、最後も謎の空撮。
でも所々台詞をカットしてテンポが出ていた、最終盤の銃撃は冗長。ラストの会話に泣けた後、謎の空撮が!
ジョアンナシムカス、ビキニのボトムに溜まった水が堪らない。確かにロザンナアークエット似なのでグランブルーになぞらえるのも解る。
財宝を得る代わりにかけがえの無い存在を失う
マヌー、ローラン、レティシアの三人は、年齢や職業といった属性は異なれど、夢を追う志の高さでは一致していた。だからこそ3人は惹かれ合い、厚い友情で結ばれていた。しかし、財宝探しの冒険に手を出したのが運の尽き。彼らは財宝を得る代わりにかけがえの無い存在を失うことになる。ラストシーンの呆然とするローランを空撮で捉えるシーンは、この映画のテーマを象徴していて印象的だった。
今作は太陽の下で煌めく海の映像が美しい。船の上ではしゃぐ三人と映像美がマッチすることで、彼らの厚い友情が表現できていた。
ラ・ロシェルの沖合に浮かぶ要塞フォール・ボワイヤール
なんて、素晴らしい映画だろう!中学生の時に見た「サムライ(学校からよく許可が出たものだ)」高校の文化祭の時の「太陽がいっぱい(映画研究会のドル箱)」、あの頃、ちょうど封切りだったこの映画も見ていたら、何と思ったことか。
3人の俳優が魅力的だった、アラン・ドロンの扮するパイロット、マヌー、リノ・ヴァンチュラの演じるローランドに、可憐なジョアンナ・シムカスのレティシア。
筋立ては、どうということはない。マヌーの操縦はうまいが、チャレンジングで、やや騙されやすいか。ローランドは、レーシングカーのエンジンの設計に打ち込み、特許の取得を目指している。一人でやっているからか、なかなかうまくは行かない。レティシアは、モビールなどに挑む新進の前衛彫刻家、個展を開いて注目は集めるが、新聞での評論は散々。
滑走路に近いローランドの仕事場で一緒になった3人は、リスクを承知の上で、コンゴ動乱の際、混乱の中で海に墜落した小型飛行機に積まれていた財宝を探しに行くことになる。
コンゴの海岸で捜索中に無理やり加わってきた墜落した飛行機の操縦士は、確かに財宝を探す上では役に立ったかもしれないが、余計な闇社会の男たちの介入を招いてしまう。
マヌーとローランドは、やっとのことで財宝を手に入れて、リティシアゆかりの港町ラ・ロシェルにゆき、沖合に浮かぶ要塞フォール・ボワイヤールを目にする。そう言えば、以前、フランスのテレビで、ラ・ロシェルの要塞を舞台にしたアドべンチャー・バラエティ番組があった。今でも放映されているだろうか。
この映画からは、撮影時のアラン・ドロンの日本での人気ぶりがうかがわれた。2度も日本に関連した場面がでてきた。日本の映画会社のパリ事務所と、パリの和食レストラン。その頃、既にサントリーレストランはあったのだろうか。ホテル・ニッコー・ド・パリができたのは、もう少し後だったろうから。
男同士の友情、男女の愛と並んで、パリの郊外の滑走路や曇り空の凱旋門、コンゴの海岸のあくまで青い空と海、それからラ・ロシェルでの空撮を含めた爽快な情景が心に残る。
この映画を観たら、心を完全にリセットすることができた。映画を見る一番大事な理由を想い出させてくれた。
何時に見ても色褪せない生涯BEST2位作品。
ローランとマヌーの友情をレティシアが絡むことで更に熱いものにしている。この作品には若きアラン・ドロンの全てが詰まっている。クールでダンディでワイルド。そして儚さ。ドロンの歌うドルーべのレティシアのテーマがまた聴きたくなりました。★−0.5点は自身が中坊の時にラストの要塞城を延々とカットせず見せてくれたTVのロードショーが一番感動した為。
最初から最後まで美しい
冒頭、躍動感ある楽曲から
可憐なテーマ曲へと変わる。
その連続性が心地よく
印象は最後まで続く。
レティシアのテーマ
常に彼女が中心にいる。
物語は …
冒険好きのローランとマヌーは
新進芸術家のレティシアと出会い
財宝探しへと出掛ける。
彼らの夢は続くと思われたが…。
描かれた3人の友情と愛
その全てが純粋で美しく
波音に消える絶叫へと続く。
最後はあの要塞を眺めながら
しばらくの間、幻を思う。
凄いA級映画ではないが
彼らと共有した時間は
今も続いている気がする。
ファッションも注目。
※
レティシアが美しかった
新型レーシングエンジンの開発に取り組むローラン(リノ・ヴァンチュラ)と、その友人でパイロットのマヌー(アラン・ドロン)、そして、ローランの工房に材料探しにやってきた芸術家レティシア(ジョアンナ・シムカス)と、それぞれの夢を持った3人。
しかし、マヌーは所属する飛行クラブから請け負った凱旋門の下を飛行機でくぐり抜けに挑むがフランス国旗を立てられ失敗し、危険な行為だとパイロットライセンスを停止されてしまった。一方ローランは完成したエンジンのテストを行うが、走行中にエンジンが爆発し失敗。さらにレティシアも、ようやく開いた個展を批評家たちに酷評された。
傷心の3人は一路コンゴの海に向かった。そこには数年前のコンゴ動乱の際に国外脱出を図って墜落した飛行機が、莫大な財宝を積んだまま沈んでいるとのことだった。そして・・・どうなる、という話。
アラン・ドロンは相変わらずの長身でイケメンだけど、本作の主役は美しいレティシア役のジョアンナ・シムカスだと感じた。
そんなにエロくは無かったが、溶接機持って車のドアパネルで作品を作ったり、飛行機やバイク、船に乗っての可愛い笑顔など魅力的だった。
大金が入った後の夢も良いな、って思ったし、そんなレティシアに惚れた2人のその後の行動も良い。
軍艦島のフォート・ボワヤールに行ってみたい、って思った。
☆☆☆☆ そうか、劇場鑑賞は初になるのか! テレビで軍艦島の特集を...
☆☆☆☆
そうか、劇場鑑賞は初になるのか!
テレビで軍艦島の特集を見る度にこの作品を思い出す人は多いはず。
先日、94歳で亡くなったシドニー・ポワチエの追悼作品鑑賞を。奥さんのジョアンナ・シムカス作品のこちらを鑑賞して、間接的な追悼鑑賞とする悪あがき(^^;)
最近はテレビでも放送されなくなっちゃったけど、随所に60年代の香りが漂っているところは捨てがたいモノがある。
今だと、色々な整合性を持たせる為に、1つ1つのショットを必要以上に見せ。尚且つ、そのショット自体が長くなりすぎるきらいがある作品が多い。
それに反し、60年代のこの作品だと。そこまで詳しくは描かずに、ある程度のところでぶった斬る編集が、今の若い人達が観るとどうなのだろう?…と、少しばかり不安にはなる。
当時から熱狂的なフアンを獲得した、ある意味では《カルト》映画のはしりの作品ですが。後半に登場する【殺し屋軍団】の存在感の薄さが、悲しくなる程に情けなく見えてくるのがどうなんだろう?
ラストシーンが神格化した作品でしたが、今では簡単にドローンで撮影出来る。
昔は機材をヘリコプターに詰め込んでの撮影自体が大変な苦労だっただろうから、「凄いな〜!こんな撮影が出来るんだ!」…と思った人が多かったんじゃないだろうか。
2022年1月26日 シネマブルースタジオ
今日のブルースタジオで鑑賞した回での観客は、自分を含めて安定の4名(u_u)
捨てがたい味のある映画
途中から違う映画が始まったみたいになっていた。 脚本を書くのに相当苦労したのだろう。実はマークされていたっていう 後出しじゃんけん みたいなのが2か所もあるし。1時間半くらいしたところで見るのやめようかと思った・・・けども皆さんの評価が高いので最後まで見てみた。そしたら なるほど いい映画かもしれないと思った。これはアランドロンのファンが見たらたまらない映画だろう。それは間違いない。
恋と友情と飛行機とお宝
基本的には男2+女1のドリカム編成で恋と友情の間を描くストーリー。
最初は青春!て感じだったけど、気づいたらハードボイルドにギアが変わっていた。さすがはフランス映画、現実は厳しい。そして夢の跡は切ない。
サブスクで観たのだが、ラストはアラン・ドロン扮するイケメン青年が亡くなって終わり。ヒロイン、レティシアの甥っ子ちゃんが一人で残されることにはなっていなかった。
可愛いらしい2枚羽根飛行機のアクロバット飛行も見もの。
男のロマンチシズムと永遠のヒロインへの思慕
私にとってのフランス映画とは、同じくアランドロン主演の「太陽がいっぱい」と並んでこの作品が双璧なのです。フランソワドルーべの口笛を使ったテーマ曲が流れる冒頭から心を鷲掴み、レティシア役ジョアンナシムカスの佇まい、アランドロンとリノヴァンチュラの友情、真っ青な海面に沈んでいくレティシアの埋葬シーン、城壁島の風景、リノヴァンチュラの腕の中で死んでいくアランドロンのセリフ「この嘘つきめ」、そしてアランドロンが歌う主題歌も永遠に忘れることができません。
いろいろと思うこところはあるが、恋とか友情とか。この三角関係に最後...
いろいろと思うこところはあるが、恋とか友情とか。この三角関係に最後まで持っていかれた。
マヌーから一緒に暮らしたいと言われても、レティシアは3人で楽しく暮らせたら...とかいう感じで、けっこう気持ち出してる。
ローランはマヌーの気持ちを察してる。だから、答えない。
マヌーはレティシアがローランに惹かれているのがわかる。ローランに対して、だからレティシアの夢を叶えようとしてるんだろう?的なことを言ってみたり。
そして、このラスト。2人とも情が深いから、じんわりとなる。泣けるよりも熱く。
『明日に向かって撃て』のフランス版だ
中学2年の時テレビで見た。
ヨーロッパ(白人)人の植民地支配がまだ残るアフリカの話だと思っていた。白人はいいなぁ。と思っていた。その考えは今でも僕の心の片隅に残る。
まぁ、それは兎も角、この映画は『明日に向かって撃て』のフランス版だと思う。究極の三角関係なのだろう。この時代、こういった映画が流行った。
要塞島はかなりの観光地と思うが、ネットで調べても、マイナーな情報しかない。日本では『軍艦島』とか称して世界遺産までなっているのに。
67年の映画だから、明日向かって撃てがリスペクトしたんだね。まぁ、元は『俺たちに明日は無い』だろうが。
通俗のギャング映画の形で表現された、ロベール・アンリコ監督の映画愛溢れる青春映画
端的に言えば、映画として成立していればどんな作品でも、名画、名作、傑作、秀作、佳作、力作、大作などの称号を与えられれば格好が付くものだ。しかし、このロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」という映画は、そんな概念を問題にしない。青春の挫折と夢への挑戦の冒険活劇という大人気無い世界観にある、誰もが通過する純真な時代への郷愁を刺激して、これこそ自分たちの映画だと言う気高さがある。ストーリーの表面上の深刻さとは別に、アンリコ監督の優しさに溢れた世界観に魅了されて、いい映画に出会えた感動に包まれるのだ。
いい加減大人になっていい男二人と女一人が好きな道で失敗する前半の面白さ。実際には、好きな道での挫折は大きな打撃であり心身ともに堪えるものだが、1970年代のニューシネマ以前の青春映画に位置するからなのか、社会に対する怒りより自分の不甲斐なさに苦悶する姿が共感を呼ぶ。そして、この三人が一つの大きな希望に向かってアフリカの海に臨むロマン。映像は、それを何と美しく鮮烈に捉えていることか。海風と潮の匂いが漂うアンリコ監督の演出が素晴らしい。都会の雑踏を遠く離れ、飾りを捨てた三人のありのままの姿、その自然に溶け込む主人公たちの人間らしい、愚かさ、律義さ、欲望、正義感などの思いが、海に浮かんでいる。
そして、お決まりの嫌な奴の登場。安直なギャング映画のコントラストを加えて、俗っぽい魅力が引き立つ要因になっている。続くヒロイン・レティシアの死。この水葬シーンの美しさをなんと表現しよう。神聖な美しさにしばらくただ息を呑むしかなかった。
男二人は、大金を見事探し当て大金持ちになるが、けして贅沢をしない。ジョアンナ・シムカス演じるレティシア(なんて奇麗な名前だろう!)の従弟に財産を分け与える挿話は、挫折から続く同じ仲間意識の極自然な流れがいい。最後は、三人の夢の象徴である、海に浮かぶ要塞跡を舞台に、大金目当ての大人が登場してギャング映画らしく結末を迎える。アンリコ監督の映画好きが痛いほど伝わるラストシーンの切なさが、堪らない。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンのもう一つの代表作であり、その対比で渋い男の魅力が更に増したリノ・ヴァンチュラの紛れもない代表作の一本。そして若くして引退したシムカスの貴重な代表作。映像の世界観と調和したフランソワ・ド・ルーペ作曲のテーマ曲「レティシア」の素朴な美しさも忘れ難い。
1978年 5月3日 高田馬場パール座
ロベール・アンリコ作品では「ラムの大通り」「追想」があるが、やはりこの「冒険者たち」が最もいい映画だと思う。映画が好きで好きで堪らないアンリコ監督の映画青年のような演出の繊細さと瑞々しさが感じられて、特別な存在にあるフランス映画になっています。
レティシア
制作当時、アラン・ドロン31歳、リノ・ヴァンチュラ47歳、決して若くはない二人の男に、何とも可憐で瑞々しいジョアンナ・シムカス、この3人の男女が夢を求め、野望に満ちた冒険に挑む、どこか無器用で不得要領の3人による、痛快で、ほんの少しセンチメンタルな名作です。
少しは人生経験を重ねて世事人情に通じた中年の男、己の野心へ一直線に猛進する若者、自らも夢を求めつつ彼らを優しく包容する女、この絶妙な組合せは、本作の2年後、『明日に向かって撃て!』でも踏襲され、寧ろ邦画で多くのオマージュ作品を作られたパターンですが、全て本作が起源です。
やはり、それはジョアンナ・シムカス演じるレティシアの、愛くるしい温雅な存在感に起因します。
若者の夢と野望を追い求める直向きさ純粋さ、そしてそれが挫折した後の空虚感と脱力感。でも青春は常に新たな冒険を見出し全力疾走する、若さゆえのその不屈の勇猛心と果断さ。そこに立ちはだかり阻害する邪な大人たちを撥ね退け、一途に突進するその逞しく美しい若者像には、遥か遠い過去に失ってしまった覇気と膂力への憧憬を心から感じます。
エッフェル塔を目指すパリ市街のスリリングな俯瞰映像、熱帯の太陽に眩く照り映える海の美しさ、そして不安と緊張によるトランス感を高める要塞島廃墟、印象的な情景が数多いのも本作の魅力ですが、何よりレティシアが滄溟の海中に沈んでいくシーンの、モノトーンの蒼い陽光に包まれた凄絶なまでの壮美は、いつまでも記憶に残ります。
男女3人の奇妙で微笑ましい友情と愛情、心地良いその関係が呆気なく破綻した後、夢に辿り着いたにも関わらず二人の男に去来する虚しさと遣る瀬無さは、レティシアの沈むシーンが強烈に効いて大いに共感させます。
本作を彩る、今一つの大きな要素は、口笛で奏でられる、いみじくも「レティシア」と命名されたテーマ曲でしょう。あの哀愁に満ちつつもリズミカルで流麗な旋律は、青春のロマンを感じさせつつ、切なく儚い本作のラストを想起させ、今聞いても胸が熱くなります。
3人がキラキラ輝いている
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンを観て
今作も観たくなる。3人の主人公達がそれぞれに
魅力的。アラン・ドロンも美しさに渋みがかかっている。音楽もいい感じ。
レティシアが海で亡くなり二人の男性に
よって水葬されるシーンも幻想的。
海に浮かぶ要塞も雰囲気がある。
映画自体の雰囲気を味わう映画。
昔のフランス映画...
男2人と女1人という組み合わせで旅をしているだけで楽しいんだろうな、と思う。
要塞島といいコンゴの海といい、ロケーション抜群。
しかし、レティシアも、アラン・ドロン演じるマヌーも突然、訳も分からないままあっけなく死んでしまう。
他にも銃撃のやり合いで多くの人が死んでいて、なんとも言えない後味の悪さを覚えた。
コンゴでのアラン・ドロンは髭を生やしてワイルドだったなあ。
とても気持ちがいい
アラン・ドロンが飛行機を乗り回して、船で海に出て水中にもぐって、要塞のような島もすごい。女の子もきれいで性格がよくて気持ちがいいし、島の男の子もかわいい。彼女が亡くなって、アラン・ドロンと友達でお金を身内に渡しに行くのも素敵で、何から何まで気持ちがよかった。テンポもすごいくいい。
全29件中、1~20件目を表示