劇場公開日 1967年5月18日

「通俗のギャング映画の形で表現された、ロベール・アンリコ監督の映画愛溢れる青春映画」冒険者たち(1967) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5通俗のギャング映画の形で表現された、ロベール・アンリコ監督の映画愛溢れる青春映画

2021年5月29日
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鑑賞方法:映画館

端的に言えば、映画として成立していればどんな作品でも、名画、名作、傑作、秀作、佳作、力作、大作などの称号を与えられれば格好が付くものだ。しかし、このロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」という映画は、そんな概念を問題にしない。青春の挫折と夢への挑戦の冒険活劇という大人気無い世界観にある、誰もが通過する純真な時代への郷愁を刺激して、これこそ自分たちの映画だと言う気高さがある。ストーリーの表面上の深刻さとは別に、アンリコ監督の優しさに溢れた世界観に魅了されて、いい映画に出会えた感動に包まれるのだ。

いい加減大人になっていい男二人と女一人が好きな道で失敗する前半の面白さ。実際には、好きな道での挫折は大きな打撃であり心身ともに堪えるものだが、1970年代のニューシネマ以前の青春映画に位置するからなのか、社会に対する怒りより自分の不甲斐なさに苦悶する姿が共感を呼ぶ。そして、この三人が一つの大きな希望に向かってアフリカの海に臨むロマン。映像は、それを何と美しく鮮烈に捉えていることか。海風と潮の匂いが漂うアンリコ監督の演出が素晴らしい。都会の雑踏を遠く離れ、飾りを捨てた三人のありのままの姿、その自然に溶け込む主人公たちの人間らしい、愚かさ、律義さ、欲望、正義感などの思いが、海に浮かんでいる。
そして、お決まりの嫌な奴の登場。安直なギャング映画のコントラストを加えて、俗っぽい魅力が引き立つ要因になっている。続くヒロイン・レティシアの死。この水葬シーンの美しさをなんと表現しよう。神聖な美しさにしばらくただ息を呑むしかなかった。
男二人は、大金を見事探し当て大金持ちになるが、けして贅沢をしない。ジョアンナ・シムカス演じるレティシア(なんて奇麗な名前だろう!)の従弟に財産を分け与える挿話は、挫折から続く同じ仲間意識の極自然な流れがいい。最後は、三人の夢の象徴である、海に浮かぶ要塞跡を舞台に、大金目当ての大人が登場してギャング映画らしく結末を迎える。アンリコ監督の映画好きが痛いほど伝わるラストシーンの切なさが、堪らない。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンのもう一つの代表作であり、その対比で渋い男の魅力が更に増したリノ・ヴァンチュラの紛れもない代表作の一本。そして若くして引退したシムカスの貴重な代表作。映像の世界観と調和したフランソワ・ド・ルーペ作曲のテーマ曲「レティシア」の素朴な美しさも忘れ難い。
  1978年 5月3日  高田馬場パール座

ロベール・アンリコ作品では「ラムの大通り」「追想」があるが、やはりこの「冒険者たち」が最もいい映画だと思う。映画が好きで好きで堪らないアンリコ監督の映画青年のような演出の繊細さと瑞々しさが感じられて、特別な存在にあるフランス映画になっています。

Gustav
Gustavさんのコメント
2024年3月21日

Mr.C.B.2さんへ
高田馬場パール座は何度も通った訳ではないですが、好きな名画座でした。「冒険者たち」も「サムライ」もアラン・ドロン32歳頃の作品ですね。二枚目俳優の美貌に頼らない演技派に変わろうとしていた頃の代表作と思います。デビュー時代から名監督に恵まれていい作品が多い大スター。ベルモンドとライバル関係でフランス映画界を牽引したのは、今思い起こすとフランス映画の全盛期と言っていいかも知れません。
「ある日どこかで」と「シベールの日曜日」をベスト映画に挙げられていて、とても嬉しくなりました。

Gustav
Mr.C.B.2さんのコメント
2024年3月21日

高田馬場パール座、懐かしい名前です。

「冒険者たち」を何度も劇場で観ましたが、最初はラストのアラン・ドロンの歌は無く、インストルメンタルでした。
ラストがアラン・ドロンの歌ヴァージョンになったのはジョイパック・フィルムでリバイバルされてからです。私が持っているDVDもインストルメンタル版です。

私にとってのアラン・ドロンは「冒険者たち」と「サムライ」です。

Mr.C.B.2