インディアン・ランナーのレビュー・感想・評価
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"Highway Patrolman"
ショーン・ペンの初期衝動が炸裂、期待を裏切らない彼のイメージを良い意味で覆さない映画を叩き付けてくれた!?
髭の生えた女やモーテルの廊下で突っ立ている爺さんに全身ピンクのご婦人、デル・トロの印象に残る奇妙な存在感など、どこかD・リンチ的な滑稽さも!?
若かりしヴィゴ・モーテンセンの格好良さは逸品で、名もなき役者は言い過ぎでも「ヤングガン2」や「カリートの道」などチョイ役での活動が目立った90年代に、危なっかしいイメージも多々なショーン・ペンまんまの主人公である弟を見事に演じ切った。
兄のデヴィッド・モースは地味な俳優のイメージが、優しさの中にある静かな渋みが堪らない存在感を醸し出し、アラバマ演じる前のパトリシア・アークエットにバレリア・ゴリノのセクシー?さや、大御所二人の渋さ全開でどっちも死しての扱いが潔いチャールズ・ブロンソンにD・ホッパーとキャスト陣も最高で、S・ペンのセンスがモロ好み。
今観ると都合の良い男の美学が如く、男たちの甘えや女性に対する理想など、男の勝手な世界観だけで突き進む物語があるようにも思えてならないが、そんな本作が堪らなく好きでしょうがない自分。
"ラファエル"の可愛さに癒される。
最近、旧作映画であっても、INDIANを先住民と字幕を書き直していることが多い。しかし、タイトルだけはどうしようもない。
刺青だらけのモーテンセンは本当に怖い雰囲気を出している。頭は悪くないのにバカだと自虐的になるフランク。兄ジョーと韻を踏む言葉遊びを楽しむところなどは兄弟愛を感じるし、理由もなく狂暴になる性格が掴みづらくもある。復員恩給で暮らし、今で言うとニートのようなタイプ。フランクの彼女ドロシーは奇妙な女。特につんざくような悲鳴は『ブリキの太鼓』を思い出したくらいだ。チャールズ・ブロンソン、ベニチオ・デル・トロ、デニス・ホッパーなど、個性的すぎる俳優を難なく脇役として使うこともショーン・ペンの人望のおかげなのだろう。
ベトナム帰り、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンドと70年代初期の匂いがプンプン。狂気はつまり、大人になりきれなく、恐怖心を拭いされない男の悲哀。“アイ・シャル・ビー・リリースト”をバックに恐怖と狂暴の呪縛から、インディアンの神聖な狩を称えながら去っていく・・・
60年代のヒッピー文化の終焉の物語
Traffic
Jefferson Airplane
Quicksilver Messenger Service
Creedence Clearwater Revival
Janis Joplin
The Band
これらは劇中で流れる曲のアーティストだ
どれも1967年頃から一番新しいので1970年頃までの楽曲だ、ヒッピー文化を濃厚に伝えてくる音だ
だから、画面にはその頃の時代の空気が濃密に詰まっている
兄弟愛、家族愛、子供への愛、両親への愛
痛いくらいにそれらの愛が詰まっている物語だ
しかし、それ以上に60年代のヒッピー文化の終焉の物語でもあった
フランクはその60年代の自由気ままな生き方がもてはやされた時代を象徴する人物だ
そしてジョーはそこから卒業して大人になって行った60年代を卒業した人物を象徴している
二人は共に60年代に育ち深い絆で結ばれているにも係わらず、フランクは60年代を卒業できないのだ
自由を忘れたくない、大人になりたくない、自由でいたい
いつまでも永遠に若いつもりでいるのだ
しかし現実には自分が変わらなくても時は進む
兵役から戻って見ればそのギャップに驚く
兄は体制側を象徴する正に警官となり、家という資産を持ち、結婚もし子供も作り家族を中心とした大人の社会の住人になっていたのだ
だからこそ彼は驚き、困惑し、不機嫌になったのだ
時が経てば両親も死ぬ、彼女が妊娠もする
時は彼を待ってはくれないのだ
当たり前の話だ
ベトナム戦争の悲惨な現実が云々なんて関係ない
インディアンランナーのメッセージ
そんなものはヒッピーの吸うヘロインの煙のような戯言だ
そんなものに意味はない
ランナーとは逃げる者の意味だ
だから題名のインディアンランナーとは本当は逃亡する敗残者という残酷な意味でしかない
フランクとは、すなわち60年代のヒッピー文化を限りなく愛し、その価値観を守って人生を生きていこうとする生き方なのだが、そんなことが出来るわけがない
いつまでもカウボーイごっこでじゃれあえる子供のままではいられはしないのだ
ジョーはそれが分かっている
即ち原作者と監督と観客側の目線なのだ
しかしフランクは現実から逃げていったのだ
それは団塊の世代の人々の心の中の心象風景なのだろう
彼らの心の中でフランクはいつまでも逃げているのだ
しかし表面はジョーのように日常に追われ責任を果たした生活している
彼らの胸の奥にはフランクの逃げる車のテールランプの光景が残されているのだ
本作公開からさらに30年近く過ぎようとしている
彼らももはや、本作の兄弟の両親のように老人となった
60年代を忘れて、彼らの母のようにフランクを見捨てるのか
見捨てたとしても独りの老後は寂しくて、未明に電話しても別れを言えず、自ら命を絶つ父になるのか
あるいはフランクが復活して駅員に暴力を振るうような荒れる団塊老人になるのか
ジョーとフランクの物語は、今ではその両親の目線で団塊の世代からみられる時代なのかもしれない
「いちご白書をもう一度」という歌の内容が本作と似ているのかもしれない
生きる理由
警官の兄と不良の弟の絆と家族愛の話
鑑賞後に鬱になるで定評のあるショーン・ペン監督作品
友人から借りて、何の前知識もなくノーガードで見てしまった、まさかペンの初監督作品とは。
辛い、悲しい、救いがない、本当にペンは心に傷を負わせる映画を上手く撮るなと感心した。
真面目な兄役にデビット・モース、全てに怒れる弟にヴィゴ・モーテンセン、脇役にチャールズ・ブロンソン、デニス・ホッパー、ベニチオ・デルトロ、名だたる名優揃いだ。
何とか弟を更生させて幸せに暮らして欲しいと努力する兄の奔走に胸を打たれ、何とか社会に適応しようともがく弟に胸を締め付けられる。
二人の兄弟愛は本物で互いに信頼しているのだが、どんなに頑張っても生き方までは変えられない。
全てにイラつく弟の情緒不安定な役をヴィゴは本当に上手く演じていた。セクシーだしカッコいい、そして怖い。全てが最高に極まっていた。
真面目な警官の兄役デビット・モースも素晴らしかった。彼はいつも目じりが下がっていて泣きそうな顔が特徴なのだが、いい具合に役にはまっていた。
怒りをため込んで、物に当たってしまう高校の頃の友人を思い出してしまった、彼は今、家族をもつ立派なな父になっているが、一歩間違えばこの映画のヴィゴみたいになっていたかも知れない。
そう思うとアメリカだろうが日本だろうが関係なく不器用で社会に馴染めない人間がいるのだなと実感した。
社会が悪いのか、自分が悪いのか、答えは出ないだろう、ただ辛くても生きるしかないのが現実だと思った。
ラストシーンで車から子供の頃の弟が出てくる演出にはまいった。思わず目頭が熱くなってしまった。
なぜこうなってしまったのか、兄弟で一緒に育ったはずなのに。ベトナム戦争帰りだから精神がおかしくなってしまったと言えばそれまでだが、理由は他にもあると思ったしこれが宿命なのかとも思った。
何にせよ、幸せを希望を見つけるためには生きなければならないし、見つけたなら大事にしないといけないと思った。
元気のない時には見ない方がいい、元気があっても注意が必要な映画だ。
鑑賞後、何かしら得るものがあるはず。見た事を後悔しないだろうその点だけは保障する。
劇中セリフより
「俺はメッセージだ、メッセージは捕まらない」
言葉や概念は永遠に残る
<この映画を貸してくれた友人へ>
ありがとう、君のおかげでまた一つ素晴らしい映画に出合えたよ。
これを読む時がいつでどんな状況かはわからないけど
楽しく生きようぜ!
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