ペイルライダーのレビュー・感想・評価
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この時代(1985年)は、これくらいのシンプルなストーリーでも良かったのだろう
オープニングの映像がかっこいい。山並みから森へのカメラアングルがあって、そこから馬に乗った一群が出てくる。ゆっくりとその一群にズームアップしていく。彼らは何者だろうと思っているところからストーリーに入って行く。
ラストシーンもよく演出されていて、印象的。
登場人物は典型的でわかりやすい。こちら側にイーストウッドが演じるヒーローがいて、善良な人たちの味方をする。ヒロインは母娘のふたり。相手側には親子の悪者がいて、強い助っ人を雇う。
1985年の映画だが、この当時はこれくらいのシンプルなストーリーで良かったのだろう。でも、今観ると、どの戦いも一方的に終わってしまうし、ヒロインがヒーローを好きになる理由も描かれていなくて、物足りない感じがする。殺されるほどのことをしていなくても、あっさりと銃で殺されてしまうのも、「これで良いのか?」と感じる。
イーストウッドが監督・主演なので、名作かと思って期待して観た。でも結局、イーストウッドも最初から「文句のない素晴らしい映画」を作っていたわけでもないのだなあ、と思った。映画作りはだんだんと上達していくもので、時代と共に映画全体の質が上がって行くものなのでしょう。
監督・主演なら もう少し謙虚に
イーストウッド映画の感傷なき孤独
イーストウッド映画のガンマンに対して「彼は孤独だ」などと評したところでそれは何も言ったことにならない。真に瞠目すべきは、その孤独にアメリカ映画的な感傷が一切感じられないという点だ。
イーストウッド映画の孤独なガンマンは常に超然としている。『七人のガンマン』のように、護るべき集落に対して個人的な感慨や仁義を抱いているような素振りすら一切ない。にもかかわらず集落を護る。あたかもそれが自分に与えられた使命であるかのように。
システマチックに敵地へ乗り込み、システマチックに敵のガンマンを皆殺しにしていく。唯一、敵の金鉱をダイナマイトで破壊する際に彼が手を滑らせダイナマイトを地面に落とすシーンがあったが、それも結局はハルの馬をどこか遠く逃すことで彼を敵の本拠地に同行させまいとする意図からの行為だった、という徹底ぶり。
よく本作はジョージ・スティーヴンス『シェーン』と比較されるが、全くもって内実は異なる。後方から「カムバック、シェーン!」の声を受けるシェーンの背中は寂しげに揺れていたが、本作の場合、少女ミーガンの「ありがとう!さようなら!」は峨々と連なる大山脈に吸い込まれていく。そこに既にイーストウッドの姿はない。イーストウッドは一度たりとも振り向くことなく、なおかつ大雪山に向かって迷いなく馬を飛ばし続ける。
イーストウッドの孤独の中核を成しているのは、回避型愛着障害的な苦痛でもなく、ハンフリー・ボガード的なハードボイルド・ダンディズムでもない。
だから、やはり、彼は神なのだ。使命という動力以外には何の動力も備わっていない、徹底的で絶対的な個。もちろんこの世の理が彼に通じるはずもない。
サラは自分の人間的な愛が彼に届かないことを初めから知っているし、雇われ保安官のストックバーンの供述は彼が存命しているという事実と論理的に噛み合わない。
思えば町での決闘も不自然な点だらけだ。イーストウッドの登場シーンではあれだけ聞こえよがしにガチャガチャ鳴っていたウエスタンブーツの拍車が、決闘が始まった途端にピタリと止む。
街路で待ち受けるイーストウッドを屋内から見ていたストックバーンたちが一斉に外へ躍り出ると、そこには彼の帽子だけが置いてあり、彼は忽然と姿を消している。ストックバーンの部下たちは手分けして町中を散策するが、彼の姿は見当たらない。しかし銃声が鳴り響き、一人が撃ち殺される。次いで別の場所にいたもう一人が撃ち殺される。
ほどなく不審げに二人組で行動していた部下たちの後方にある箱がゆっくりと倒れ、そこに潜んでいたイーストウッドが二人を撃ち殺す。最後は井戸に近づいてきた一人を井戸の縁から飛び出して撃ち殺す。
いったいイーストウッドはいつ移動したのか?ここには明らかな空間的矛盾が生じている。
しかし彼が人ならざるもの(=神)であることを踏まえればすべてに説明がつく。登場以後の彼のあまりにも不気味な行動・言動はすべて最終盤のこの活劇のためにあった、といっても過言ではないだろう。
そう考えるとメチャクチャ変な映画だと思う。たった数分の活劇のために躊躇なく自分の人間的な部分を供物として捧げられてしまう監督/俳優「クリント・イーストウッド」の不気味なまでのストイックさにひたすら怯える。
“カムバック”ではなく、“愛している、さようなら”だったが…
まだまだ巨匠と言われる前の
クリント・イーストウッド監督作品だが、
ミロス・フォアマン、ベルイマン、
ビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース
ら、そうそうたる名監督の映画が
キネマ旬報ベストテン入りした年、
第13位という評価だったものの、
第1位に推した選考委員が2名、第2位が3名
と、一部には強く支持された映画だった
ようなのでTV放映を機に鑑賞。
ネットの紹介では、あの名作「シェーン」に
似た設定とのことなので、
その比較の意味でも興味が湧いた。
さて、“ペイルライダー”の意味は
聖書からの“死の騎士”とのこと。
それが関連してか、
主人公は牧師との設定のようだが、
彼は本当に牧師なのか、そうではないのか、
また、彼が牧師だとしても、
何故拳銃使いでもあるのか、また、
保安官との因縁も何も語られないままで、
全体的には理屈抜きに模式化されたような
西部開拓時代的ストーリー展開で、
威圧が社会を支配する「許されざる者」の
原点とも思えるような作風も、
聖書から引用のためか、
主人公の神聖化が超人化に繋がり、
逆に作品の凡庸さを招いたように感じた。
そして、
金採掘仲間が銃殺される場面も含め、やはり
「シェーン」へのオマージュが満載との
印象だったが、
ラストシーンでの、
“シェーン、カムバック!”は、
主人公に恋心を抱く少女だったからか、
“愛している、さようなら”だった。
不朽の名作許されざる者へのステップになった習作と言えると思います
ペイルライダー
クリントイーストウッド監督主演の1985年の西部劇
ペイルライダーとは、『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、第四の封印が解かれた時に現れる騎士のことだそうです。青白い馬(蒼ざめた馬)に乗って地上の人間を死に至らしめる役目を担っているのだそうです
タロットの死神のモデルのことです
なーんてそんな難しい話はあんまり関係なくて少女が神様に奇跡をお示し下さいと祈ったから村人を救う為に現れた死神というだけのことです
深読みしてもそれ以上ありません
お話は1973年の荒野のストレンジャーのリメイクみたいなもの
荒野のストレンジャーは、悪党だけでなく、主人公を見殺しにした街の人間にも徹底的に復讐をして去りますが、本作では悪党だけを復讐して去ります
そこが違います
イーストウッド監督からすれば、主人公を見殺しにした街の人間にまで復讐の天罰を与えたのはやっぱりやりすぎたかなとの反省があったのかも知れません
スカッとしないのです
しかし本作のように超人的なヒーローの勧善懲悪だけでの映画ではシェーンの焼き直しとしか評価されないということをイーストウッドは本作では学びます
その反省が次の西部劇に活かされて、不朽の名作1992年の許されざる者に繋がって大成功を納めることになったのでは無いでしょうか?
闘争シーンに関しては観客を呆然とさせるところまで描いて観客の度肝
抜く、しかしストーリーはあくまでも単純な勧善懲悪で純粋なカタルシスを与える
それが許されざる者の制作方針になったのです
つまり本作は不朽の名作許されざる者へのステップになった習作と言えると思います
蛇足
スカッとしたくて西部劇を観たのに、全然スカッとしない
いや本作の問題ではなくて、観ているこちら側の心理的な問題で
本作の渓谷で金探しする村人達
襲いくる悪党ども
悪党は悪党なりの理屈をのべて自分の好き勝手を行うのです
暴力が恐ろしく刃向かうことも出来ない村人達
既視感が強い
ウクライナを侵略するロシア
南シナ海を我が物としようとする中国
彼らの主張することと、本作の悪党の親玉の言うことの相似形
そして村人達を励ます主人公は
いよいよとなると村を出て行ってしまう
果たして現実世界は本作の主人公のように村に戻ってきてくれて悪党どもをやっつけてくれるのでしょうか?
なんか今は1000ドルで手放した方が身のためだぞと言っているようにみえるのです
さすがに悪党の親玉に呼ばれて来る悪い保安官にはならなくても、牧師さんのように戦ってくれるのでしょうか?
そんなことがグルグルと頭を渦巻いて少しもスカッとしないのです
トランプ大統領が就任する1月20日、もしかしたらウクライナは悪党の言うことを聞いてひきさがらざるを得なくなるのかもしれません
え?その方が身のためだと牧師さんがそれを説得するのか?と
そしてそれは明日の日本姿になるのかもしれないのです
しかしどんどんコーナーに追い込まれている感がするのです
だから全然スカッとしないのです
もっと評価されてもいいのでは
アウトローと許されざる者の間に放たれたイーストウッドによる西部劇。アウトローはイーストウッド自身がお気に入りと言ってるし、許されざる者に至ってはもはや言うまでもないみたいな感じで、あまり注目されてない感がある本作。深いテーマみたいなものは無いし、ストーリーは直線的なので分からなくもないものの、聖書や神話との繋がりを意識した演出と雰囲気が堪りません。情報が極限まで削ぎ落とされた多くを語らない脚本も、観客の想像を膨らませることに成功しており、王道西部劇に留まらない独特な風格が本作にはあると感じました。
映像も素晴らしい。全編にわたってカメラに収められてる空気の冷たさと闇の中に浮かび上がる優しい光が、作品の神秘性を効果的に高めてます。
あとは音ですかね。音楽も要所要所に使われてますが基本は自然音。焚き火や川の流れ、岩を打ち付ける金属音など実はこういった音が意外と作品を支えているんだなと気付かされました。
大好きな作品です。個人的にはもっと注目、評価されてもいいと思ってます。
ミーガン、恋をするには若すぎたか・・・
最初は良かったけど...
のどかな村に「何てことするんだよ!」という形でスタート。波風立てない優しそうな人達だったから尚更かわいそうな感情が沸いて、いきなり話に引き込まれる展開は良かった。
その後はアクション等の刺激的な場面はありませんが、自然をバックに人情味のある話が続きます。でもちょっと和むシーンが長かったなぁ。おてんば系の娘だったり、結婚するしない、「金」を見つけたとか話題はありますが、これといって印象に残りませんでした。逆を言えばイーストウッドの存在感が大きかったのかもしれません。
「007」のリチャード・キル、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の吹替ビフの声(谷口節さん)とか個人的に注目したことはあったけど、ストーリー自体は少しずつ、少しずつ退屈に思えてしまいました。
いざ対決もあっけなくて...かすり傷ひとつせず去っていくなんて格好良すぎますよ(苦笑)
というわけで、最初の部分が一番良かったです。
痛快
シェーン(1953)のアレンジ+リメイクで傑出した映画が東西にある。東は遙かなる山の呼び声(1980)で西は本作だと思う。わたしはこれをダビングしたVHSで繰り返し見た。亭主が荒っぽい奴を拾ってきたと思ったらクレリック襟なのでプリーチャーと呼ばれる。いっけん西部劇だがキリスト教の神話を翻案したファンタジーとしてつくられた。だが、その気配はほとんどない。もし気配がある──とすれば、ヒーローの活躍に、危うさがまったくないところ。やられそう、とか、いったんやられるとか、形勢不利がまるでない。ようするにヒーローが無敵。この方法は観衆の安心につながる。後年イコライザーを見たときペイルライダーを思い浮かべた。ぜったいに大丈夫なヒーロー像ってのは、あんがい珍しい。はずである。
繰り返し見たシーンは雑貨屋の店先に売られていた白木の棍棒で与太者たちを伸すところ。「パコーン」と(音がするようで)爽快だった。いっぱいあるがもうひとつあげるとラストちかく。街に乗り込んで最終決戦をする直前、亭主はプリーチャーの心遣いでわざと置いてきぼり(馬を逃がされ)にされ、悪漢は全員プリーチャーがやっつけた──と思いきや、さいごの一人が銃口を向けている。そいつを亭主が撃って、終わる。
Long walk.(だいぶ歩いたな)(馬をうしなっていたから歩いて街にやってきた──ので)。マイケルモリアーティがyepと答える。pは発音しなかった。なんども見た。語り尽くせない。黙示録の四騎士が元にあるそうだがどこまでも痛快な西部劇になっている。ペイルライダーやほかの数本の映画を思い出すときVHSの断捨離を後悔する。ことがある。
日本映画や文化へのオマージュに溢れている
西部劇は苦手だがイーストウッド作品だけは別。絵になる。挙止動作がい...
リアルな西部劇?
ラフッド一家と言っても鉱山を興す企業家だ。19世紀といえども残酷な人殺しはしないというリアリティがある。保安官の買収問題や、土地の権利問題など、現代でも通用しそうな展開が面白い。
中盤、峡谷の者が土地を手放すために一人1000ドルという契約を持ちかける。買収に応じず村に骨をうずめる決意をした20人の男たち。頼りの神父も出ていってしまった(拳銃を取りにいっただけなんですが・・・)。 スタックバーン保安官と6人の部下たちという敵も面白い・・・
西部劇の古き良き時代を懐かしんで作ったような作品だが、勧善懲悪とは言えないくらい、町の人たちの考えもアメリカ的。タイトルからして、もしかして幽霊のような存在かとも思えたのだが、正体は不明のままだ・・・重く、暗く、寒くなるような雪山を背景にしているのも雰囲気がありますね。
真冬のイーストウッド
「シェーン」もどき
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
無法者の権力者がいて、困っている金採掘をしている集落があって、そこに凄腕の男が現れて戦うという、あれふれた定番の西部劇で、「シェーン」にも似ていて新鮮味はあまりない。
どうにもわからないのはイーストウッド演じる牧師は何故彼らを助けたのかということ。「シェーン」では家族への親愛というか愛情が動機として感じられたが、この作品では何がきっかけで彼は関係のない集落のためにここまでするのかがわからないままに話が進むのはどうにもすっきりしない。
しかし金採掘の集落の暮らしの描写が視られたのは良かったし、登場人物と演出は悪くなかった。
あまりにも直球な西部劇
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