フォレスト・ガンプ 一期一会のレビュー・感想・評価
全64件中、21~40件目を表示
トム・ハンクスの表情に魅せられた
或る決意を思い立つ迄のトム・ハンクス演じるフォレスト・ガンプの迷いのない真っ直ぐな眼差しと思い、呟いた言葉や行動に引き込まれ観ていた。
ジェニー( ロビン・ライト )との関係性が示唆していたものとは…。
切ない余韻が残る作品。
-僕は約束を守る
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
自分の今の生き方を見つめ直せる映画!!名作中の名作
映画は、その人の人生に影響を与える、、、、、、
そのことを僕に教えてくれた映画です!!!!
僕がこの映画では、
【人からどう思われるか?】を本当に気にして生きているな、、
と率直な感覚を覚えました。
主人公は知的障害のある男性
今時の言葉でいう、、空気が読めない男性である。
素直であり、まっすぐ、疑わない。
自分の信じた道をひたすら進む
周りからは変な目で見られる。
あいつは、、変なやつだ、、、
でも、目の前の人がどう思うか?関係なく
自分が良いと思ったことをやりぬいていきます!
その中で物語は
主人公の男性を中心にいろんな事が起きます
戦争
出会い
スポーツ
友人との約束
エビ
走る 走る
その中で周りの人も変わり始めます。。。
ある主人公の軍の上官は
【俺もやってみるよ】
主人公の彼女は
【自分を信じてみる】
そして周りの人も
【まずはやってみる】
1人の主人公が
周りの人をハッピーにしていきます。
絶対その中に映画を見ている「あなた』も含まれます!!!!!
必ず見てください!!!
ストーリーが強引
バス停の椅子に腰掛けてたフォレスト・ガンプが、バスを乗る為にバス停にきたバス待ちの見ず知らずの人に、物語の終盤までひたすら自分の人生を語ってる。
最初のご婦人は、バス待ちの際、読書をしながらバスを待とうとしてたのだが、フォレスト・ガンプが、そんなのお構いなしにひたすら自分の人生を語っている。
目的のバスきた婦人はバスに乗り、フォレスト・ガンプは相変わらずひたすら自分の人生話続けてる。
回想シーン終わると、次のバス待ちの二人が椅子に座っており、フォレスト・ガンプの人生をバスに乗ってしまった婦人の途中の話を聞いてるにも関わらず、話を耳傾けて聞いている。
フォレスト・ガンプが知能指数低いということで、呑みこむとこは呑みこむことできるが、さすがにいきすぎ・やりすぎ感がある。
ストーリーも、足が歩けない子供の頃が義足なしでいきなり走れるようになったり、学生時代はアメフトで活躍したり、ベトナム戦争終わったあとは勲章だらけになり、卓球で世界大会出場。
その資金でベトナム戦争の時知り合ったババさんに、船でエビをたくさん釣って儲けようと言われ、最初は全く釣れず、ある日嵐がきてからは毎日のように大量に釣れる。
アップルの株を買っては大儲けし。
ジェミーのことを忘れようとひらすら数年間マラソン
設定が現実離れしすぎている。
I was running. 走って走って
90年代の名作の4Kニューマスターを映画館で鑑賞しました。やー、良かったです。子供の頃に観ていたんですが、大人になって色々と知識が付いてから観るとまた違ったもんですよね。ジェニーのDV家庭だったこととか、ベトナム戦争とか、ウォーターゲート事件とか子供の頃じゃ全くわかってなかったですし。アメリカの歴史をなぞっているので多分アメリカ人ならもっと楽しめる作品なのでしょう。
フォレストのIQ75ってのが意外といい塩梅だったんですね。コミュニケーションが取れないほどではなく、いくつになっても純粋でまっすぐで、ジェニーを一途に想い続けれた事にも説得力を感じますよね。トム・ハンクスのアカデミー賞受賞も納得の演技でした。
フォレストを中心に物語は進んで行きますが、もう一人の主人公は間違いなくジェニーでしょう。フォレストとジェニーは見事に対比してあるんですよね。ちょっと頭が足りなくても母親の愛情をしっかり受けて育ったフォレストと父親からDVを受けていたジェニー。どちらも一人親なのですが、全くの逆で。DVの父親だったせいか彼氏もいつもDV男を選んでしまうジェニーが切ない。
ジェニーって言うなればパリピで当時の時代の最先端だったわけですよね。アメリカの暗部っぽい描かれ方ですけど、あの当時ってあれがブームだったわけで。きっと日本でもあんな格好して「ラブ&ピース」って叫んでいた人も多いのではなかろうかと。今観ると残念ですが、あの当時はそれがリア充な生活だったでしょうし、ロバート・ゼメキスってパリピの仲間に入りたくても入れなかったのであのように嫌な感じの描き方をしてるのかなっと勘ぐってしまいます。
結局ジェニーは若い頃の無茶がたたってエイズになってしまうのですが、最期にフォレストと結ばれたのはもう一人の主人公ジェニーの救済の側面もあるのではないでしょうか?フォレストにも大事な人が亡くなっても子供がいますし。ジェニーは最期にフォレストに宝物を残していったのかなっと。そしてラストのフォレストがジェニーのお墓に語りかけるシーンはグッときます。
子供の頃に観た時ってフォレスト側の視点でしか観てなかったのでジェニーにはムカついて仕方なかった覚えがあるのですが、自分もいい歳になって観るとジェニーの事もわからなくはないというか。フォレストに席をゆずる心優しい子供だったのに環境によって堕ちていってしまう人間性とか。良い悪いは別にして、ちゃんと人間を描けていたんだなっと。
本作を観たのはン十年ぶりだったのですが、歳を取ると見方も変わってくるもんですね。子供の頃に観てても何となく心に残る作品だったので、90年代を代表する名作の1つだと改めて思いました。
知識があればある程…
あな、恐ろしいや。
観る人を試す映画です。
公開当時、観たはずですが…
全然、この映画の真髄を解っていませんでした。
戦争、反対!絶対反対!
そして、博愛。
決して人を差別しない(肌の色や過去の薬物使用など)ことは素晴らしいことだ、と云うメッセージ。
齢を重ね、このとこ十余年、映画をさんざん観たおかげで…細かい描写まで、(宝物の中のおさるのジョージとか。当時は全く存じ上げず、単なる絵本だと思ってた)フムフムと楽しめました。
4K修復ありがとうm(__)m
時代を象徴した男女
「アメリカ版『裸の大将放浪記』だなぁ」
「愚直で運が良ければ成功するなんて、ご都合主義も甚だしい」
一見するとそんな具合にも思います。
しかし、リマスターで改めて観てみたら、キャラクターをしっかり描こうという意思を汲み取れませんでした。
「時代を体現する象徴」としてガンプとジェニーを配置し、、1950代〜1990までの約40年間、アメリカの現代史そのものを観客へ見せて、知っている世代には思い返させ、若い世代には君たちのお父さん・学校の先生・おじさんおばさんらはこんな時代を生きたんだと教える作品だと受け止めました。
主人公のガンプは「表のアメリカ」の代表。
頭が悪くて、足の速さと体力だけ。
ベトナム戦争やニクソン政権下で、国や上官から言われた通りに粛々とこなして生きてきた人々。
対して「裏のアメリカ」を歩くのが、ガンプの想い人・ジェニー。
典型的な貧乏農家のアル中親父から、幼少期に性的虐待を受けて育ち。
身体を売って大人になり。
ヒッピーになって反戦運動や人種差別反対運動へ身を投じ、アルコールとマリファナ漬けになって、政府に逆らう左翼的言動を重ね。
挙句、誰との子ともわからない(一応時期は合うが)子どもを男に押し付け。
完治不可能な感染症(おそらくAIDS)で死亡。
そして、足元から舞う鳥の羽根は、新しい世代には過去を知り受け止めても振り返らず前に進んで欲しいということと、ジェニーというキャラの「鳥になって飛びたい」という気持ちの成就=古い世代が過去に囚われずに自由に生きて欲しいという、二つの願いを込めているのかなと。
大人の童話物語だった。楽しめたけれど、心から感動することはなかった。
初公開当時、この映画が大変評判になっていることは知っていた。その後アカデミー賞で何部門も受賞したことも。しかし、私はいっこうに観る気が起こらなかった。
主人公が知的障害者で成功を積み重ねていく物語に今ひとつ共感できず、知的障害者を揶揄しているように思えたからだ。公開から30年近く経ち、私もおじいさんになった。それなりに人生経験も積んたが、今だに悩み事から開放されない。それで、この映画を観てみた。
これは大人の童話物語だ。主人公は純真な心の持ち主で、悪と性に馴染めない聖者(聖愚者)に設定されている。障害を持っているが特別な才能に恵まれ、一つの事に集中できる能力と速い脚力が彼の人生を成功へと導いて行く。しかし、名誉や富には全く無関心で、彼の唯一の望みは愛する人と暮らすことだけだ。
この映画をよく観察すると、主人公は母や軍隊での上官など信頼できる人の教えに従順で、自らの強い意志を持っていないように映る。流されるままに生きて本人が求めていない大成功を納めてしまう。強い意志を感ずるのは、ジェニーへの想いだけだ。
興味深いのは主人公が愛するジェニーや軍隊での上官ダン中尉の描き方だ。私は主人公のガンプよりもこの二人の生き方に関心をもった。主人公は神の恩寵の元にあるが、二人は私と同じでどこにでもいる普通の人間だ。ジェニーは幼い頃に母親と死別し、アルコール中毒の父親に育てられた。もしかすると性的虐待を受けていたかもしれない。生家を恨んでいるからだ。ガンプの愛情を分かっていながら、素直に受け入れられない。主人公と肉体関係を持つと唐突に家出してしまう。最終的には主人公と結婚するが、若死にする。彼女の彷徨を辿る映画でもある。何故ガンプの元を去り、また戻ってくるのかがよく理解できない。
ダン中尉は軍人の家系に生まれ、名誉の戦死を遂げることが彼の望みだった。ところが、ガンプの助けにより命を救われたが、両足切断の運命を背負うことになった。その運命を呪い、自暴自棄なったりする。ガンプと一緒に働くことで運命を受け入れ、克服もする。エビ漁で成功したことがその理由だろうか。そうではなく、主人公から感化されて運命を克服できたと思うのだが、そこがよく描かれていないので理解できない。
もし、この二点が描かれていたならば、もう0.5点加点しても良かった。多分、心から感動してしまうだろう。歴史上の人物や史実に主人公を絡ませる加工・編集や当時流行した音楽を使って娯楽映画としても秀作である。
ジョンソン大統領のエピソードは笑わせた。この大統領は大変朗らかな人で、巨根が自慢でパンツをすぐ下ろしたがるという噂を聞いた事がある。
キング牧師を登場させなかったのは残念だ。プレスリーを「キング」と主人公に発言させている。
ある評者があれはキング牧師と被せているとの解釈だが、やはり映像で登場させたかった。
原作になかったかもしれない。だけど、脚色してでも入れるべきだと私は思う。
本当は「フォレスト・ガンプの世界」
映画評論家の町山智浩氏はこの映画をトンデモ映画のように批判しています。詳しくはそちらの方をご覧いただき、わたくしは別の視点でこの映画を深く楽しみ慈しむ者です。それははじめから終わりまでこの映画が「フォレスト・ガンプの世界」になっているからです。
彼はIQ 75の知的障害をもっている設定になっています。わたくしの長男は知的障害と烙印を押され、以来彼の視点からこれまで従来の社会を再検証する機会を得ました。その体験から考えると、この映画に写し出されるすべてのエピソードは、その語りと同時にフォレストにしか見えない、感じ得ない世界に他ならないのです。
一方的に他人に話しかける行為もその特性なのです。バスを待つフォレストは隣に座った黒人女性にチョコレートをすすめながら話はじめます。女性が聞いているかどうかは関係ありません。物語が進んで行くと共に隣に座る人たちが次々とかわってゆきます。それでもフォレストは話をやめません。
フォレストの世界にはアラバマ州の激烈な人種差別などは存在しません。黒人に対する過酷な仕打ちが微塵も出てこないと批判がありますが、そもそもフォレストには人種差別の感覚がないのです。だからババという黒人兵士と仲良しになれるのです。白人しか通っていない大学に黒人が通学するのを断固反対する空気のなかで、当の黒人女性が落としたテキストを「落とされましたよ」と拾ってあげるのは差別の意味がわかっていないからこそ自然に出来るのです。
キング牧師のことさえ出てこないと批判がありますが、フォレストがプレスリーのことを語るとき、「キング(プレスリー)になるのは大変だね」と隣の黒人女性に向かって言います。これこそプレスリーと同時にマーチン・ルーサー・キング牧師のことを示唆していると考えるのは、わたくしのアメリカの生活の体験から容易に想像がつきます。でなければ、黒人女性にわざわざキングという名前を言及する必要などないのです。
フォレストには好戦も反戦もありません。政治活動も存在しない。入隊してみたらと言われるとすんなり入隊してしまう。反戦デモに巻き込まれたのならそれはそれでベトナムについて語ろうとする。このシーンは本来キング牧師の有名な「I have a dream」スピーチが原型になっている圧倒されそうなシーンです。好戦派らしき男にスピーカーのケーブルを抜かれてフォレストの声が聞こえなくなりますが、何を語ったのかは想像がつきます。このシーンは観客にとり、周りから痴呆扱いされるフォレストと一体化できるか否かの踏み絵のような瞬間なのですが、批判の対象になっているのが残念です。
社会における既成概念など飛び越えて誰とでも親しくなれるのがフォレストなのです。問題なのはそういう純朴な個性を「間抜け」「気味が悪い」と邪険にする周りの人間たちなのです。ババはそんなフォレストを受け入れた、だから親友になれたのです。
ジェニーはふしだらでヒドイ女だという指摘があります。フォレストをいいように使っては放浪癖よろしく消えていなくなる。そんなジェニーを愛せるのはフォレストしかいないのもよくわかるのです。なぜでしょう。ジェニーはフォレストを受け入れたからです。邪険にしなかったからです。
ダン中尉もフォレストを受け入れたからこそ絆がつよくなったのです。両足を失ったダン中尉はその不自由さにフォレストに怨み辛みをこぼしますが、フォレストの空気のような抵抗感のない態度に惹かれてゆくのです。元々脚にギプスをつけていた少年フォレストは、自分のようにいつかダン中尉にもきっと「ミラクル」が起きるのではと考えていたのかもしれません。物語は義足をつけたダン中尉の立ち姿を見せるのです。なんという巧みなシナリオなことでしょうか。
この映画はそうした視点から見ると本当に分かりやすい作品なのです。そしてちょっと変わった人を自閉症だのアスペルガーだのとレッテルを貼り、疎んじる側のリトマス試験紙であることもこの映画の評価に関わっていると思います。
加えて、トム・ハンクスの演技と南部訛の英語が尋常ではありません。トム・ハンクスは子供時代のフォレストを演じた子役の見事な台詞の影響を受けたと語っていますが、なるほどと思わせる見事な南部英語を子役は自然に話していました。
本来、この映画は「フォレスト・ガンプの世界」として公開すべきものだったのではとわたくしは思います。しかしすでに「ガープの世界」という映画があり、Gump と Garp が似た音なので混同避けざるを得なかったのではと勝手な考察をしながらひとまずここで閉じたいと思います。
映画はチョコレートの箱。開けてみるまで中身はわからない。 保守的だという批判もわかるが、やっぱり名画だ。
知能指数は低いが真っ直ぐな男、フォレスト・ガンプの半生を描いたヒューマン・ドラマ。
監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『永遠に美しく…』の、巨匠ロバート・ゼメキス。
主人公フォレスト・ガンプを演じるのは『ビッグ』『めぐり逢えたら』の、レジェンド俳優トム・ハンクス。
第67回 アカデミー賞において、作品賞/脚色賞/編集賞/視覚効果賞/監督賞/主演男優賞を受賞!✨✨✨✨✨
第52回 ゴールデングローブ賞において/作品賞(ドラマ部門)/主演男優賞(ドラマ部門)/監督賞を受賞!✨✨
言わずと知れた名作だが、大人になってから観賞するのは初めて。
子供の頃は凄くエッチな映画だなぁ…と思いながら観ていた気がするが、今観てもやっぱりエッチな映画だった💕
映画評論家の町山智浩さんが、本作をかなり厳しい口調で、というかブチギレながら酷評しているのをYouTubeで見て、そんな映画だったかしらん?と思い観賞してみた。
その酷評の中身についてはここでは著さないが、「うーむなるほど確かに…。」という部分と「いやいや、それは歪曲して受け取り過ぎやろ💦」という部分が半々と言ったところだった。
まぁ確かに保守的なところもあるかもだけど、よっぽど酷いものじゃない限りは、映画と政治は切り離して観賞するべきだと私ゃ思いますけどねぇ。
とはいえ、自分の息子にKKKの創始者の名前を名付けるのはどうかしていると自分も思う。作中でその理由を説明していたけど、全く納得出来るものでは無かったね。
本作は感動作として名高い。
確かに自分もかなり感動しながら観賞していたが、一体何に感動したのか上手く言葉にすることが出来ない。
というのも、これはラブ・ストーリーでは無いし、失恋の物語でも無い。家族愛のお話でも無い気がする。
見様によっては、ありふれたアメリカン・ドリームのお話であり、信じる者は救われるというキリスト教原理主義的なお話でもあり、古き良き南部の白人を礼賛するお話でもある。
日本人には縁遠い物語なのに、一体何が感動させるのだろう?
色々考えて思いついたんだけど、この映画って実は『市民ケーン』なんじゃないか?
億万長者になり、必要なものはなんでも手に入るが、心の底から手に入れたいと願うものは全て掌から零れ落ちる…。
愛する母親、ジェニー、バッバ…。彼にとっての「バラのつぼみ」は全て散っていく。
その寂寥感こそが、本作の要なのでは無いだろうか。
本作のヒロインであるジェニー。
奔放にあちこちをふらつき回りながら、フォレストとは付かず離れずの関係を保ち続ける。
彼が大金持ちになった後に近づいてきて、またふらっと離れたと思ったらその数年後に彼を呼び出し、この子供はあなたの子なのだと言う。
かなり厳しい境遇の女性なので同情的に見てしまうが、冷静に考えるとスーパー・ビッチ。まあそこがこの映画のキモなんだけど。
多分だけど、フォレストJr.はフォレストの子供では無いよね。
ジェニーの暮らしぶりはシングル・マザーにしてはかなり裕福そうだった。彼女の生活の面倒を観ている男がいたんだろう。もしくは身体を売って生活して居たのかもしれない。
いずれにせよ、フォレストJr.は複雑な事情の末に生まれた子供なのは間違いないと思う。
んで、自分がHIVにかかり、命の期限が迫ってきていたからフォレストに連絡を取り、彼の子供だと嘘をついてフォレストJr.を育ててもらう算段をつけた。
我が子のためには手段を選ばないと言う姿勢は、フォレストを学校に入れるために体を売ったガンプ夫人のそれと重なる。
ジェニーとフォレストは結婚するが、彼女がフォレストに対して愛情を持っていたのかは結局分からずじまい。
食べてみても何味かわからないチョコレートも、世の中には往々にして存在する。
しかし、フォレストは彼女のことを愛していたし、彼女もまた自分のことを愛しているのだと、一片の曇りもなく信じていた。
その一途さと、それに付随する悲しみこそが本作の普遍的な美しさの根源なのだと私は思います。
知能指数の低いフォレストを演じるトム・ハンクスの演技力は見事と言う他ない。
彼の演技力があってこそ、この映画は名作足り得ているのだと思う。
本作の脚本を担当しているエリック・ロスは、2008年の映画『ベンジャミン・バトン』の脚本も担当している。
これはほとんど『フォレスト・ガンプ』の焼き直しなんだけど、『ベンジャミン・バトン』の方が自分は好きだったりする。
子供の頃は本作の名言に対し、「チョコレートの箱の中に入っているのはチョコレートに決まってんだろ笑」とか思っていたんだけど、改めて聞いてみるといい言葉だ。
映画もチョコレートの箱と一緒。開けてみるまで中身はわからない。昔食べたチョコレートを、久しぶりに食べてみるのも良いものです😆
フォレスト君は、実の息子ではない…?
あの女性の性格だから、フォレスト君は実の息子ではなくて、
自分が病気になって1人にさせた時、
彼なら絶対にフォレストを守り抜いてくれると確信があったから、
彼に預けたように思えました…
皆さんはそこをどう解釈したのか気になります!
こういうの探してた!
この映画に出会うために、長年映画を見てきたような気がする。
何を手に入れても、手に入れられないものがある虚しさ。変わりになる何かを探しても埋められない心の隙間。
長い映画だが夢中になって見た。一切飽きがこない。
最後のあの表情は、いったいなんだったのだろうか。
素晴らしい作品に出会った。
肩の荷が降りた
中学生の頃に小説として読み、当時はなかなか理解できず「よくわからない小説」という認識だった。
中学生ぶりに見た「フォレスト・ガンプ」というタイトルに惹かれ映画を視聴したが、当時ではわからなかった描写や登場人物の心情などを感じ取ることができ、自分を登場人物と照らし合わせて見ることもできた。
中学生時代と現在の私が大人になった事を実感したとともに、現在では忘れてしまった中学生時代の大切な事を思い出し、フォレスト・ガンプの様に純粋な心をいつまでも持ったまま大人になる難しさを感じた。
周りの環境のお陰である事も否定はできないが、もし私がフォレスト・ガンプと同じ条件化で大人になると考えた時、フォレストの様に純粋な心を持ち、人を疑わずに生きていくことはできないと感じた。
私が個人的に心に残った言葉が二つある。
一つは前半でできた「投げる石が足りないこともある」という言葉で、これはその場面を見た人にしか伝わらないと思うが、その状況を端的に、かつ優しく表現している言葉で、特別深い言葉ではないと思うが個人的にかなり胸に刺さるものがあった。
二つ目はジェニーが今までフォレストが経験してきたことについて尋ねるシーンでフォレストが放った「君もいたよ」という言葉で、普通なら「君にも見せるよ」や「僕も見たかったよ」などといい相手を慰めるだろうが、「君もいたよ」という誰も傷つけず気を遣わせない様なとても優しい返事に鳥肌が立ちました。
フォレスト・ガンプの様な人物は周りからすれば世間知らずでたまたま運良く生きてこれた人だと写るかもしれません。しかし、そう決めつけて相手を知ろうとしない人は本当の「幸せ」を逃してしまっている残念な人だと気づきました。
これはフォレストの話を聞いていた人々に当てはまると思います。1人は予定に追われ聞く耳を持たず、1人は嘘だと疑い否定しました。この様な人々を映画を見ている第三者の目線からすれば「なんなんだこの人は!」となるかもしれませんが、私も日頃否定し、疑い、予定がある事を言い訳に大切なものを逃してしまっていたのかもしれないと気づきました。
綺麗事だけで行けていける様な甘い世界ではないことはわかっていますが、たまには綺麗事を言ったり、人を心の底から信じたり、自分の思うままに生きてみようと感じました。
この映画は大人に成長して無くしてしまった大切な事を思い出させてくれる素晴らしい映画です。
案外考えすぎず楽に生きたり働いてみるのもいいのかなと思いました
人生で大切なものを教えてくれた
ベトナム戦争、ヒッピームーブメント等をリアルタイムで生きてきた私にとって感慨深いものがあります。
彼を取り巻く人たちの関係がすごく興味深いです。母親、初恋の人ジェニー、戦友のダン中尉。母親は体を張ってまで(ちょっとやりすぎた)彼を志望校に入学させた。ジェニーとは最初にバスで知り合ってから死ぬまで一途に彼女を愛した。社会運動に強い興味を持っていた彼女が、彼を心の底から愛していたかどうかはやや疑問ですが(私の想像)、それにもかかわらず彼は彼女のことを、彼女だけを最後まで愛していたのが素晴らしい。彼女の病気は明らかにされていなかったようであるが、この映画の時代背景を考えると、多分この頃から社会的に問題となってきたエイズだったような気がする。ダン中尉とは、名誉の戦死を望んでいた彼を助けたことによって、彼から憎まれたのだが、その後は両足を失った彼(特撮が凄い)と深い友情で結ばれた。彼のおかげで生きる希望を持ったダン中尉は、最終的に結婚(相手は日本女性)して幸せになれたようであった。
心に染み入るセリフも満載、彼が語った母親の言葉「人生はチョコレートの詰め合わせのようなもの、あなたがどんなチョコレートを手にするかは開けるまで分からないの。」(ちょっと意訳)は名言ですね。
再見したら、最後のシーン(冒頭のシーンに似ている)に出てくるフォレスト・ガンプの息子役がハーレイ・ジョエル・オスメント だった。
こんな人にお勧めです。 ・幸せな気持ちになれる映画を観たい人。 ・とにかく笑いたい人。 ・音楽が最高の映画。
20年ほど前に観て、久しぶりの鑑賞でした。
話としては生まれつき知的障害のあるフォレストと幼馴染のジェニーの恋物語です。
とは言っても、ジェニーからすればフォレストを大切に思う事と恋愛としてフォレストと一緒になれるか?という事は全く別物で、いかにしてその大きな壁を越えられるか?というのがストーリーの軸になります。
観ている側としては、フォレストの一途で、純粋で、不器用な思いに感化され、フォレストが傷付けば同じく傷付き、そして喜びは大きく喜び、それは何度も何度も繰り返され、いったい2時間半の映画の中でどれだけこれを繰り返すんだろう?とフォレスト愛が限界に近付いた所で現代に戻ります。
そして遂に最後のジェニーとの再会へ。
今度こそと張りつめた思いで、拳を握りしめて見守っていると、妙にあか抜けたジェニーの部屋の装飾に不安を感じ始める。
もしかして、ジェニー、また新しい男を。。。
と、不安がピークになった所で、誰だ!子供!!
一気に絶望に落とされました。
フォレストを直視できない程のショック。。。
しかし、ここで更に衝撃的な事実が。
「僕の子供?」
!(^^)! !!!!!
このジェットコースター展開、物凄い破壊力でした。
と言うか、20年前に観ているのにすっかり忘れていました。
そうそう、ここでオスメント坊やが出てくるんだった!
しかし胸をなでおろしたのも束の間、今度はジェニーが。。。
でも、ジェニーに関しては本当に残念ではありますが、ついにフォレストとジェニーが結ばれたというのは、2時間半をフォレストへの応援に費やしたことへのご褒美のような幸せな結末でした
やっぱり映画ってこういった幸せを疑似体験できるっていうのも醍醐味ですね。
映画に関してですが、あくまで軸はフォレストとジェニーの恋物語ですが、60年代、70年代のアメリカを背景にしていることもあり、その時代の空気感を上手く再現しながら、アメリカの抱える多くの問題も絡みつつ進みます。
人種差別、銃社会、ヒッピー、コカイン、ロック、特にベトナム戦争の後遺症として身体の損傷やPTSDが描かれるのは、この時代を扱う映画の宿命のように感じます。
ストーリーはフォレストの恋と人生にこれらを絡ませ、テンポよく、笑いも混ぜ、皮肉も混ぜ、全く飽きさせることなく進んでいきます。
その一方でどんどん荒んでいくジェニーの姿には心が痛みます。
ジェニーはフォークシンガーを目指していたはずなのに、ストリップ小屋で裸でギターを弾くジェニーと再会するフォレストのショックと言ったら。。。
また物語の語り部はフォレストで、バス停で彼の人生を振り返りつつ、入れ代わり立ち代わり聞き手が変化していく軽妙な展開。
時折現代に戻りつつ、聞き手の興奮や合いの手や茶々入れでストーリーのワンクッション的な流れを生み出すなど、やっぱりハリウッドの映画って良く練られた脚本なんだな。と感心してみていました。
フォレストの語りを直接聞いているような1人称で進んでいくストーリーですが、徐々に湧いてくるフォレストへの愛情というのが大きな意味を持つ映画かと思います。
知的障害という要素が彼自身の人格にどういった影響を与えているか?というのは、分析するにはデリケートな問題ではあるのですが、彼自身から感じる人格としては、
・素直である事、
・嘘をつかない事、
・信用した相手には絶対の信頼を持つ事、
・感情の起伏は大きくないがジェニーに関することへは制御が出来なくなる事、
なんと言うか、知能という問題とは別に人格として上のような特徴のある人。という気はするのですが、少し極端な性格故になかなか受け入れてくれる人は少ないです。
ただ、映画の受け手を含め、彼を応援してしまう一番の美徳は、「信用した相手には絶対の信頼を持つ事」かと思います。
ジェニーにしても、ダン中尉にしても、彼を受け入れてくれる時間が長かったとは言え、彼を遠ざけ、蔑むことも多かったです。
それでもフォレストは彼らを裏切らず、打算や思い込みのない素直な目線で彼らの本当の心を信じ続けていました。
正直、彼が周りから冷たい仕打ちを受け、ジェニーやダン中尉から冷たくされる度に、人間は優しいのか、冷たいのか判らなくなりますが、フォレストの目線は常に彼らへの信用を語ります。
フォレストにとって他人という物は、人は本当は優しい。という感覚なんだろうな。と思いました。
実際にフォレストと接して、フォレストの一途な思いで優しさを取り戻していく人々。
いいな、映画ってやっぱり。
最後に、ストーリーとも関わりますが、アメリカの大きさに圧倒される映画でした。
美しく雄大な自然であったり、ハリウッドの映画作りの実力であったり、歴史であったり、役者の存在感であったり。
日本でも同じような展開の映画は作れそうですが小品として扱われる映画になるんだろうな。と思いながら、ハリウッド映画の本気の凄さを感じた気がする映画でした。
※興味を持って頂けたら、プロフィールからブログの方も見て頂けると嬉しいです。
泣きっぱなしでした
観た後、温かい気持ちになる良い映画でした。
悪ガキに追われて走る時に脚の装具が外れて自由に走れるようになるシーン、鳥にして下さいと祈っていたジェニーのお墓から帰る時に鳥が飛び立つシーンなどなど、この映画の演出は見せ方やBGMがどれも素晴らしくて涙腺を壊してきます。バッバや母親が亡くなった時などに(泣いてはいたのだろうけど)見せなかったフォレストの泣き顔を、ジェニーが亡くなった時だけは見せる演出とかもやば過ぎです。
報われなかった人生の偶像
高校生以来、20年ぶりに見直しました。大人になると主人公よりも脇役の人生に想いを馳せてしまいます。そしてフォレスト・ガンプは報われなかった大勢のアメリカ人たちの偶像のように感じてとても悲しくなりました。フォレストのミラクルラッキーな人生がなぜ描かれているかというと、本当はジェニーは薬漬けで自殺、ダン中尉は神と和解できずに死んで、母は子供を普通学級に入れることができない、という話の方が現実的で50年代〜70年代のアメリカにはそういった人間は大勢いただろうなと思うのです。激動の時代にはどうにもできない現実を生きた人々がたくさんいたでしょう。それでフォレスト・ガンプという存在が多くの報われなかった人生を昇華しているように感じました。物語の中ではフォレストの周辺の人はフォレストの影響で幸せな人生を送ります。「人生はチョコレートの箱」かもしれませんが、中身は空かもしれません。ただこの作品の中ではフォレストによって素敵なチョコレートの詰まった箱として別の人生を送ることが出来ているのだと思いました。
じんわりくる良さがある。
話は長いが、こんなふうに人に話せる人生を歩めているだろうか、という考えがふとよぎる。
まぁとてもあり得ない幸運が起こり続けるが、もしかしたらこの人のそばにいたらこの人を応援したいと思うのかもしれない。まっすぐだから。
フォレストを信頼してか、利用してか、最後にジェニーがフォレストを頼ってきたのは複雑…。
個人的にはダン小隊長とのやりとりが好き。
フォレストがエビ船を買ったら俺が第一航海士だ、と言った約束を守り船を見に来たダン小隊長に、フォレストがめちゃくちゃ喜んで近寄るシーン。
嵐の夜、船で走り回るフォレストと対照的に、ダン隊長がテンションぶち上がってるシーン。
誰にでも言われたくない言葉がある。俺にはバカ、でダン小隊長は身障者。
そんな繊細なことまで分かるのにIQとか、なんなんだろう世の中の判断基準って。
2度目
何十年ぶりかに観てみました。
初見は多分20代前半、ただただ面白い映画として記憶していました。
エビ漁で儲かったお金をアップルに投資した。というくだりが、りんごのマークを見て『フルーツ会社』と言うガンプが面白かったし、何でもかんでもラッキーで突き進む所。
ジョンレノンやケネディ大統領と対話しているシーンがとても印象に残っていた。
ジェニーが親元から離れたい理由、忘れてました。今思えば、親からの性的虐待なんだなと、その事から彼女の人生、思考、自分探しを続けることになるのかな。
何度も何度も拒絶されるフォレストが可哀想に見えたけど、最後は自分の子供も含め家族になれて良かったね。
ジェニーは死ぬことで自由な鳥のように羽ばたいたのだろう。
『ガンプのIQは75です!養護学校へ!』と言うシーン、この映画公開から何十年も経って、今は小学校は特別支援学級があり、フォレストならそこへ入るだろう。日本よりもアメリカの方が、障がい児への支援は手厚いイメージ。みんな違ってみんないい。
もちろん人種差別などはあるが、、
日本ももっと、普通にフォレストみたいな人が活躍できるようになるといいな。
フォレストのお母さん、真っ直ぐに育てたねぇ。
我が子の事も重ねて、改めて観て良かった。
人が成長するにつれ忘れていく素朴さ
本当に大好きな映画です。
自分ではどうしようもなかったり困った状況の中でも腐ることなく
「じゃあどうする」
「自分はどうしたい?」
ということをまっすぐに考えて実行していくフォレストガンプに愛おしさと自信と勇気をもらえます。
私は辛い時によく観てました。
自分の人生なんだもの
とはいえ、周囲の環境や人はコントロール出来ないものです。
たとえ自分のIQが低くてもヒロインがゲスでも
そこに固執することなく、じゃあ自分はどうしたい?じゃあどうするべき?という姿勢は生きていく上で本当に大事だと思います。見習うべき。
やりきれない時はフォレストのようになんとなくで全米横断マラソンするぐらいやりたい事やってもいいんだと思えました。
感謝です。
表面上はいい話風なのだが
ハッピーエンドのような構成になっているのだがよくよく考えてみると
しっくりこない点がいくつかあり
それがこの映画を好きになれない理由だと感じました。
モヤモヤとしたまま映画が
終わってしまったように感じました。
この映画で1番理解できない点は
ヒロインのわがまま加減かと思います。
フォレストの気持ちをかなり
掻き乱しています。
それにもかかわらずフォレストは
彼女を何度も受け入れようとするにもかかわらずいつの間にかいなくなってしまう。
フォレストは優しい男ですが
あんなことをされていたら
気持ちは冷めてしまいます。
そこを冷静に考えて見てしまったら
元も子もないのかもしれませんが
自分としては
そこに感情が入らなかったため
いくらハッピーエンド風な味付けにしても
流石にそれはない。
と思って見てしまいました。
総合すると
映画を理屈的に観ようとする人間には
楽しめない作品でした。
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