「ソフィスティケートされたスクリューボール・コメディの傑作」フィラデルフィア物語 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ソフィスティケートされたスクリューボール・コメディの傑作
映画ジャンルでいうロマンチック・コメディは、主人公の奇想天外な行動で物語を展開させるスクリューボール・コメディと、男女の粋で都会的な会話のやり取りで物語を展開するソフィスティケート・コメディに分類され、前者の代表作にはキャプラの「或る夜の出来事」やホークスの「教授と美女」などがあり、後者にはルビッチの「極楽特急」「ニノチカ」やワイルダーの「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」があります。ハリウッド全盛期の女性映画の名手ジョージ・キューカー監督のこの作品は、一応スクリューボール・コメディ扱いされるようですが、ブロードウェイのヒット舞台を映画化した脚本には洒落た台詞が散りばめられ、主要登場人物の無駄の無い場面登場の計算された話術と相俟って、ソフィスティケート(洗練された、上品な、大人的な、趣味の良い)されたものになっています。それでも1940年の戦前に製作されて漸く戦後の1948年に日本公開された当時の評価では、日本の批評家から特に注目される作品ではありませんでした。英会話が全くできない私がアメリカ映画の会話劇の面白さを指摘しても説得力がありませんが、主演のキャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント、そしてアカデミー賞を受賞したジェームズ・スチュワートの演技、特に会話時の表情演技を補足して観れば、十分以上の面白さを感じると思います。その的確な演出にキューカー監督の手堅さと、技巧を見せびらかさない自然な流れの巧さがあります。
先ずヘプバーンのために書き下ろしたフィリップ・バリーの戯曲から創作されたドナルド・オグデン・スチュワートの完成度が高い脚本が素晴しい。上流階級の贅沢で何不自由のない環境で育ち、知性も美貌も持ち合わせて女王のように振舞うトレイシー・サマンサ・ロードの設定が、気品と知的さを併せ持つヘプバーンにピッタリで、唯一の欠点である思いやりの無さを元夫のデクスター・ヘイブンと父セス・ロードに連続して指摘され落ち込む演技が見所となる。時間もお金もあって特にすることが無いのは精神衛生上良くないし、結婚すれば全てが思うように行かなくなる不満も募る。劇中でトレイシーが婚約者ジョージ・キットリッジに人の役に立つことがしたいと告白するが、それが本音とは身近にいる人ほど気付かないものです。これが男性だと、喧嘩別れで離婚したデグスターのように酒に溺れて失敗するパターンでしょう。人間の弱さを認めてから、初めて人間関係が築けるというのが、この映画の隠された主題とも言えます。貧乏暇なしは、考え方次第で幸せな事かも知れません。作家志望の雑誌記者マコーレイ・コナーは、女性カメラマンのエリザベスとコンビで舞台のロード邸で取材を遂行しようとシドニー社長の命令で仕方なく登場するのが面白い。お金持ちの豪邸を、観客の代わりになって徘徊する役目です。トレイシーからの逆取材でエリザベスのバツイチが発覚してコナーが驚くところが可笑しい。そこからエリザベスと会話を交わすデクスターが、ふたりの関係に気付く脚本の厚み。それは酒に酔ったコナーとトレイシーが男女の関係に行きそうになって婚約者ジョージの怒りを買う展開になって、ギブアンドテイクの結末を迎える大団円のラストシーンに繋がります。社会通念で時代を窺わせるのが、父親セスの浮気理由でしょう。妻のマーガレットは自分の責任と諦めても、長女のトレイシーは頑なに許せない。でも理由を聞くと、それはトレイシーが冷たいからだと言い訳します。父親がいつまでも若く居るには娘が優しくしてくれることが大事と言って、温か味のない家庭だから若い女性の愛人に走ると宣う。居場所が無いのは解りますが、そんな娘に育てた父親の自己責任はどこにいったのかと言いたくなります。登場人物の中で、この父親セスが一番子供です。次女シドニーの大人びてやんちゃな設定も、適度にストーリーに関わり分かり易いユーモアを出しているのもアメリカ映画らしさの1つ。主演3人に脇役7名が絡んで舞台劇の緊張感そのままに、無駄なく展開する女と男の愚痴喧嘩のコメディ。題材は風俗劇のようでも、ヘップバーンの気品ある演技、クールを貫くグラントの落ち着き、キャリアでは一番浅いスチュワートの親しみが持てるキャラクター確立のコンビネーションがいい。ジェームズ・スチュワートの演技が彼のベストとは言い切れないものの、泥酔した演技の巧さが光ります。ラストカットの写真を撮るのがスパイ社の社長シドニーのオチもユーモアたっぷり。何処かで観た顔と調べるとチャップリンの「独裁者」で印象に残るヘンリー・ダニエルでした。
音楽は「サンセット大通り」「陽のあたる場所」などのフランツ・ワックスマン、撮影は「哀愁」「心の旅路」のジョセフ・ルッテンバーグ、そして製作が「イブの総て」のジョセフ・L・マンキウイッツと超一流揃い。室内シーンが殆どでも、ルッテンバーグの美しい映像美は健在。ヘップバーンが水着姿でプールにダイビングするサービスシーンもあります。1930年代から40年代のハリウッド映画の中で確立したスクリューボール・コメディの逸品として後世に遺したい、大人のための傑作でした。