ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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多くの兵士たちが眠る上に咲き誇るヒマワリ、どこまでも広がる様に見えるその規模に感慨
ビットリオ・デ・シーカ 監督による1970年製作(107分/G)のイタリア映画。
原題:I girasoli、配給:アンプラグド。
劇場公開日:2023年7月28日、その他の公開日:1970年9月(日本初公開)、1974年10月、1982年11月、2011年12月17日、2020年6月1日
ウクライナ侵攻が有り、あのヒマワリ畑はウクライナのロケということで再度注目を集めていて、再視聴。高校生の時に名画座で見て、感動して以来。
今見るとそれ程でも無いのだが、ソ連の有名女優だったリュドミラ・サベリーエワの儚げな美しさとヘンリー・マンシーニの美しい音楽に、当時メロメロになったのを思い出した。そして今見ても、水平線の向こうまで続く咲き誇るヒマワリのパノラマ的映像に、その下でソ連兵とドイツ兵のみならず大勢のイタリア兵も眠っていると思うと、感慨を覚えると共に圧倒もされた。
全く覚えていなかったのだが、マストロヤンニが作り過ぎた卵料理で新婚2人がゲンナリとしたり、徴兵回避の為に精神異常を装ったりと、前半は結構コミカルな演出。新婚2週間は徴兵されないとは、何ともイタリアらしい制度とかなり驚き(調べてみると、開戦初期の1940年と翌年の出生数は実際に増えていた)。
大女優ソフィア・ローレンの名前は知っていたが、このオバさんのどこに魅力が?と高校生だった自分は不思議であったが、今見てもわざと濃い色の肌のフケメイクを施していて、夫カルロ・ポンティが製作者でもあり、かなり不思議(その後、生命力に溢れて美しい彼女主演の映画を幾つか視聴)。
多くの庶民的オバさんを本映画のメインターゲットとしたかったせい?ただどうしても、サベリーエワの白さと若さが、より際立ってしまった印象は有る。そんな魅力的な現地妻なのに、マルチェロ・マストロヤンニの心は、ずっとソフィア・ローレンの方にある様。そうでないと悲恋ドラマにならないということかもしれないが、おじさん的には何とも不自然にも感じた。
恥ずかしながら、独ソ戦というイメージが強く、イタリア兵が多勢ソ連に赴き戦って亡くなったことを十分にイメージできないでいた。今回、雪上の敗残行軍で全く歩けなくなり横たわって死にかけているマストロヤンニを、リュドミラ・サベリーエワが重いのに足を引き摺り一生懸命に家に運び込もうとする映像を見て、かなり違和感を覚えてしまった。
周りには多くの兵士が倒れており、素直では無い気もするが、若い兵士を助けて夫にしたい彼女の邪心をイメージしてしまった。夫を必死に探して、ついに見つけ出したソフィア・ローレン中心のつくりであり、もしかして監督も、そう思われることを意図していた?
最後はひまわり畑の美しい映像で終わったが、今また、あのウクライナのひまわり畑は戦場になっているのだろうか?
監督ビットリオ・デ・シーカ、製作アーサー・コーン、 カルロ・ポンティ、製作総指揮ジョセフ・E・レビン、脚本トニーノ・グエッラ、 ゲオルギ・ムディバニ、 チェザーレ・ザバッティーニ、撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽ヘンリー・マンシーニ。
出演
ジョバンナソフィア・ローレン
アントニオマルチェロ・マストロヤンニ
リュドミラ・サベリーエワ
もう戦争はしちゃダメだよ
初めての鑑賞
妻が「昔見て、チョット泣けた」というのでBS放送を録画
第二次世界大戦中のイタリア
海辺で出会ったジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオは恋に落ちる
アントニオはまもなく戦地へ赴くという
離れたくない二人は結婚し、休暇を取ることで出征を遅らせ
さらに、『アントニオが精神を病んでいる』という芝居をして
兵役逃れを企てるが、嘘であることがわかり、戦地へ赴くことになる
やがて終戦を迎え兵士たちが帰ってくるが、アントニオは一向に帰ってこない
ある日、ソ連の戦地でアントニオと一緒だったという帰還兵にあう
「死んだのではないか」という男
諦めきれないジョバンナは、アントニオを探すためにソ連に向かう
という物語
アントニオを探し続けるジョバンナ
どこまでも続くひまわり畑
ついに見つけたアントニオはロシア人女性マーシャと子供の3人で新しい生活を送っていた
アントニオはマーシャに助けられて命拾いをしたけど、
記憶を失っていて、そのままマーシャと暮らし始めたと・・
記憶があれば終戦と同時にイタリアに帰ったんだろうけど
自分がどこの誰だか分からなきゃ帰るところも無いわけで・・・
しばらくして、アントニオはイタリアを訪れ、ジョバンナに「会いたい」と連絡するんだけど
ジョバンナは再婚して、子供も生まれていて・・・
アントニオはやり直したいみたいなこと言うけど
ジョバンナは「無理でしょ」言う返事
見てるこっちも「もう無理でしょ」って思うわけで
でも「時間を戻せるなら、戻してあげろよ」とも思う
古い作品だから、不自然に感じる部分もあったけど
『やっぱり、戦争はダメだよ』
戦争が引き裂いた愛
テーマ曲が切ない。
1970年作品。
ソフィア・ローレンは35歳位。
マルチェロ・マストロヤンニは45歳位。
ヘンリー・マンシーニのテーマ曲が初めにも終わりにも流れて
切なさをかき立てられます。
アントニオとジョバンナの、たった12日間の結婚生活。
おままごとのように、24個の卵でオムレツを焼き。
ベッドでただただ抱き合った。
そして徴兵逃れの作戦を実行するものの、失敗して
ペナルティはアントニオのロシアへ徴用でした。
戦争が終わっても帰ってこないアントニオ。
生死が不明なのです。
遂にロシアへと探しに行くジョアンナ。
それにしてもジョバンナは強い女性。
そして優しい女性。
やっとアントニオを見つけた時。
既にロシア人の妻と娘の新しい生活がアントニオにはありました。
列車から降りて来るアントニオ。
アントニオを一眼見て、ジョバンナは即座にイタリアに引き返す。
決して妻子からアントニオを奪おうとしない。
しばらくしてアントニオがミラノにやって来る。
「二人で逃げよう」そういうアントニオを制して、
子供と今の生活を守る。
戦争が引き裂いた愛。
反戦映画の代表的な作品。
美しく力強い。
(ソフィア・ローレンは88歳で存命なのですね)
素晴らしいことです。
惹かれあっていても
戦争にさえ行かなければ、二人が引き裂かれることはなかった。
あのロシアのツンドラの凍土を歩かされる兵士たち。あれは体力のない者を自然淘汰する為に歩かせたとさえ思わせてしまう光景。
あの小屋、開けてびっくり、立って眠る兵士たち⁉️
男なら徴兵される、男は辛い、大変だなぁと思った。今もし徴兵制度がしかれたら女性もだろうなぁ、と思うが。
アントニオは助けてもらったにせよ、生きておれるのがラッキーな状況だった。そう思えば、最愛の人と別れても生きている方がマシか?
助けてもらえなければ亡くなっていた筈。
ジョバンナが言ったように感謝して立ち去る事はできなかったのだろうか。
アントニオが言っていたようにマーシャの所だけしか安心できなかった状況だったからか。
ジョバンナが探して探してやっと見つけたら他の女性と結婚して子供もいた。怒り心頭に発するのだけど、記憶喪失だったら仕方ないか❓生きていてよかった、と考えるしかなく自分に言い聞かせ別の男性と結婚してしまった。
アントニオが会いに来たが、どうしようもできない。愛し合っているのに別れるしかない悲しさ。
しかし、アントニオ身勝手な人とも映る。マーシャと娘を置いてきてジョバンナとヨリを戻そうとするのは。
いや、しかし、これが戦争の苦しさむごさなのかもしれない。極限状態におかれてしまったら、心が変わってしまうのかも。
あのお墓の情景、広すぎる、多すぎる。
やはりラストの場面、音楽が素敵過ぎる。
悲しさを倍増させる。
追記:
撮影はウクライナで行われていて今もひまわり畑が広がっているらしい。
上映は、当時ソ連で一度も行われず撮影場所に住む方も観たことがなかったらしい。
ウクライナ侵攻で本作各地でリバイバル上映されていて収益金をウクライナに送るとか。
戦争の残酷さ
WOWOWオンデマンドで78回目の終戦記念日に視ました。美男美女のメロドラマ要素もありますが、その当時の平凡な男女でも第二次世界大戦の下では各国で起こっていた出来事であるのだろうなと思いました。
ようやく会ったときに逃げるように列車に飛び乗るジョバンナ。アントニオが訪ねてきたときに一線を越えないジョバンナ。帰らないかもしれないと思いつつイタリアへ帰ることを許す美しいロシア人の妻。
60年以上前の映画ですが出てくる女性が強く美しく印象的です。
戦争の愚かさ、残酷さを美しい音楽と美男美女が教えてくれる名作です。
分断された心と愛
どこまでも拡がるひまわり畑と、美しくも哀しいヘンリー・マンシーニのテーマ曲が心に残る名作中の名作。
戦争は人の心と愛を分断するものなのだと改めて考えさせられた。
戦地に赴き地獄を味わった者と、兵士の帰還を待ち続ける者とでは同じ想いを共有するのは本当に難しいだろう。
映画はロシア戦線からの帰還兵の中に夫の姿を探す妻の描写から始まる。
夫は生きているのかと詰め寄るジョバンナの気性の激しさがまず印象に残る。
ジョバンナとアントニオの馴れ初めも非常に情熱的だ。
アントニオはアフリカ戦線行きを控えていたために、ジョバンナは彼に求婚し、結婚休暇を取ることで出征を送らせようとする。
二人が一緒にいられるのはたったの12日間。
こういう場合、とてもロマンチックで哀しみを誘うような描写が多くなりそうだが、大量の卵でオムレツを作る場面などはとてもユーモアに溢れている。
そして二人は橋が爆撃される様子を間近に見ながら、お互いに何があっても離れないと固く愛を誓い合う。
かと思えば何の前振りもなく、アントニオがナイフを持ってジョバンナに襲いかかる場面に。
実はこれは二人の作戦で、精神病院送りになることで兵役を免れようとしたのだ。
が、作戦は失敗し、アントニオはさらに過酷なロシア戦線へ送られてしまう。
やがて戦争は終わりを告げるが、ジョバンナは毎日駅のホームでアントニオの写真を手に彼の帰還を待ち続けている。
すると彼と戦線を共にしたという男が彼女に声をかける。
極寒の戦場はまさに地獄そのもので、力を使い果たしたアントニオは雪の中に倒れてしまう。
男は何とかアントニオを励まそうとするが、自分も命の危険にさらされているため、やむ無く彼を置き去りにしてしまう。
去っていく男を見つめながら、覚悟を決めたように手を上げるアントニオの痛々しい姿が目に焼き付く。
その男も極限状態にいたわけで、誰も彼を責めることは出来ないだろうが、ジョバンナは夫を置き去りにした彼を激しく責め立てる。
ジョバンナにしても、男の行動がやむを得ないものであったことを理解しているだろう。
しかし彼女は男を責めずにはいられないのだ。
それでも彼女はどこまでも強く、行動力があり大胆だ。
彼女はアントニオを探しにロシアを訪れる。
ひまわり畑の下に眠っているという数多くの兵士や民間人の供述が生々しい。
どこまでもアントニオの生存を信じているジョバンナは、ついに彼の居所に辿り着く。
しかしそこにはマーシャというロシア人女性と幼い娘がいた。
その姿を見て、何かを察知するジョバンナ。
マーシャは瀕死の状態のアントニオを看病したのだが、彼は自分の名前も記憶も失ってしまっていたらしい。
やがてマーシャはアントニオを迎えに駅へと向かう。
そして列車から降りてきたアントニオは、ジョバンナの姿を見て愕然とする。
どう見ても彼はジョバンナのことを覚えている。
アントニオの姿を見てショックを受けたジョバンナは、そのまま列車に乗り帰国する。
そしてアントニオの写真を破り捨て、彼の一切を忘れることを誓う。
ジョバンナを一目見てしまったアントニオは、再び彼女への愛を思い出してしまう。
妻子がありながら彼はジョバンナに会いにイタリアにやって来てしまう。
そして彼女に電話をかけるが、そこで彼女にも新しい相手があることを知らされる。
アントニオはジョバンナに会うこともなく立ち去ろうとするが、ストのせいで列車は動かない。
そこで彼は娼婦に声をかけられ、そのまま彼女について行ってしまう。
このあたりがアントニオの意志の弱さであろうか。
彼は娼婦のもとから再びジョバンナに電話をかける。
一度はアントニオを拒んだジョバンナだが、彼のことをまだ愛しているのだろう、住所を告げて彼に会う約束をする。
稲光だけが二人を照らす暗い部屋での再会の場面はとても印象的だ。
アントニオは何もかも捨ててやり直そうとジョバンナに縋る。
ジョバンナも本心では彼を受け入れたいのだろう。
しかしそこで突如赤ん坊の泣き声がする。
彼女にもすでに新しい家族が出来ていたのだ。
アントニオもジョバンナも、それぞれに家族の生活を守るために、二人の愛に別れを告げる。
ラストのプラットホームでの別れの場面は涙を誘う。
どちらにも事情があり、そしてどちらの言い分も正しいのだろう。
戦争さえなければ二人の愛は続いていたのかもしれない。
戦争は人の命を奪うだけではない。
それでも二人にはそれぞれに自分を待つ人がいることがせめてもの救いだと思った。
引きのショットからのクローズアップがとても効果的で、言葉はなくとも登場人物の心情を饒舌に語っていると思った。
アントニオ役のマストロヤンニはさすがの風格だが、ジョバンナ役のソフィア・ローレンの熱量には圧倒された。
マーシャ役のリュドミラ・サベリーエワも哀れみを誘う表情が印象的だった。
男女の違いが浮き彫り
この当時の戦争に翻弄された男女を描いたものは
この手のパターンが多いのだろうか。
もしかすると現実でもそうだったのかもしれない。
平和な時代であれば、どうってことない
バカップルとして夫婦仲良くいられたものを、
抵抗むなしく前線へ。
この映画の場合は夫が記憶を無くし
回復したら改めて自分の人生を取り戻したくなる。
その間ほかに家庭ができても、そう思う気持ちは
自然なものだろう。
でも再会した妻ももう別の道を歩いていた。
時間は巻き戻せないと悟る二人。
しかし男は過去の幸せな頃にこだわり
女は現在をみている。
これはいつの時代であってもそうなんだろう。
ある意味この夫は記憶を無くして幸せだったのかもしれない。
戦争から無事に戻ってきても、ずっとPTSDで心が帰れなかった
者たちも多かったろうし、その場合の家族は
ずっと別人となった男を隣にいながら待ち続けなくてはならなかった。
とにかく戦争は二度と起こしてはならないものだと
改めて心に刻む作品だった。
そしてソフィア・ローレンの目力も深く刻まれた。
もしもあの時
ひまわりのテーマ曲は、私の幼い時の記憶を呼び戻す曲です。本作を好きな父親が、普段から良く聴いていたそう。だから、このヘンリー・マンシーニの旋律を聴くと、幼少期に見ていた東京の景色を思いだすのです。子供心に何となく物悲しく感じたテーマ曲でしたが、本作を初めて鑑賞した時の衝撃も忘れられません。
もしもあの時戦争がなければ、もしもあの時ふたりが再会していれば、もしもあの時、、、
ソフィア・ローレンもマルチェロ・マストロヤンニも美しく気品がありますが、表現もとても良かったです。若さ溢れる初々しい出会いからラストの別れに至るまで、本当に沢山の月日が経った様にみえました。愛する人と幸せな現在の生活との狭間で揺れ動くふたり。イタリア監督ならではの美しいカメラと雄大なひまわり畑が、逆に哀しみを誘います。
人類が長い歳月、数えきれない殺しあいをしてきていても、今日も変わらずウクライナではひまわりが咲いている。花はいつも美しいのに、人間はいつも愚かしい。悲しいことに、いまだにジョバンニとアントニオは世界中に沢山存在しているのです。
戦争が裂いた愛
テレビ大阪での放送を鑑賞。
最近行われていたリバイバル上映に足を運ぶことが叶わなかったので、今回の放送はめちゃくちゃ嬉しかったです。
戦争が引き裂いた愛が切ない。戦争さえ無かったら、ふたりは今も仲睦まじく暮らしていたはずだろうになぁ…
別れのシーンはあまりにもツラい。アントニオを乗せた列車を見送るジョバンナが流した涙にグッと来ました。
相手への想いを胸に仕舞い込んで、それぞれの生活へ戻っていく。ふたりとも、せめてそちらでは幸せであれ。
何はともあれ、悲劇しか生まない戦争は忌避し続けるべきだし、現実、本作の印象的なひまわり畑のある国が蹂躙されている今、改めて考えるべきことだと思いました。
※修正(2023/05/23)
再会後の心理描写は秀逸
期待度が高かったのですが、前半2人の出逢いそして結び育むを端折ってる感じなので感情移入はしづらい。
そして2人の関係が戦争という時代の流れにより引き裂かれるのだけど、もう少し映像内に時間の流れをしっかり表現して欲しかった。
後半、彼の家を見つけた所から最後の列車の別れのシーンまでの心理描写はとても良いのだが。
あれ?
その昔友達に誘われて学校帰りにこれを観た。確か有楽町で立ち見だった。前情報が全くなく観たら号泣もので、ハンカチを忘れた私は帰りの電車はひたすら俯きながら帰る羽目になった。鼻声になってしまったのを悟られたくなくてぶっきらぼうに返答してたら友人に怒ってる?と聞かれた。(笑)
泣くのを堪えて観ていたので、今回は心ゆくまで堪能しようと劇場に臨んだ。
しかし。その1
あれ?1970年てあたし中学生だよ?あの子とその時期仲良かったっけ?
←この子とは中1と高1、クラスが同じである。
ま。いっか。
しかし。その2
やー。泣くには泣けたんですけどね。(笑)だめだー。おばちゃんは世間の垢に塗れてしまったらしい。
50年前はひたすら戦争に引き裂かれた恋人たちに泣けましたが、余計なことが気になる、気になる。
まず。
ただ待ってるだけならともかく現地に出向いてまで探す行動力がちょっと怖い。二人が結構歳いって見えるのがそれに拍車。ねっちょり見える。(笑)
そして。男、身勝手な気がする。帰らなかったし、また会いたいとか言うし。あっちもこっちも救われないじゃん。
哀しみのひまわり
1970年イタリア映画を代表する、戦争の悲劇を描いた名匠、ヴィットリオ.デ·
シーカの大作映画。
ソファイア.ローレン。マルチェロ.マストロヤンニのイタリア黄金期の二大スターによる永遠の名作。
何度この映画を観ただろう、十代の時に今はない老舗名画座テアトル銀座、池袋文芸坐で。
時には、テレビでと。世代を越えて何度となく観賞した。そして、その都度新たな感動を与えてくれた。
上質な映画とは、きっとそういうこと何だと思う。時代背景が違っても、世代を越えても、国が違っても、何度となく新たな感動を教えてくれる。
永遠の名作「ひまわり」は、私にとって不滅の映画の一本である。
戦争の悲劇によって引き裂かれた新婚の夫婦、ジョバンナとアントニオ。
最も過酷なロシア戦争に送られた、夫のアントニオ(マルチェロマストロヤンニ)の消息を追って、
イタリアからロシア迄、長い長い時間をかけて探しにいく、妻のジョバンナ(ソファイアローレン)。あの頃行き来が難しかった時代に、困難の中で夫の生存を信じ、ロシア中を探し回るジョバンナの姿が華やかなイタリア時代と一変した彼女の悲壮感が映画の画面に映し出される。
モスクワ広場の広大な場所で通行人、一人一人に夫の写真を手に取り。そして、あのウクライナのひまわり畑。画面一面を覆ったひまわり畑の下には、戦争で亡くなった兵士達の墓標がある。ここにはいないと信じて広いひまわり畑の墓標を探し回るジョバンナ
遂には、アントニオの消息を掴み「生きているという」事を知る。しかしそこには、既に可愛いい奥さんと、子供のいる家。
アントニオは、極寒の雪の中生死を彷徨、助け出され記憶を失っていたのだ。
生きていたとはいえ、既にアントニオは家庭を持っていたのだ。仕事を終えたアントニオを駅に、案内する不安そうなアントニオの妻。
仕事を終えて、汽車から降りてきたアントニオ。遠くイタリアから再開を夢見てやって来た、ジョバンナの前に記憶を失ったアントニオが目の前に。
その瞬間、ジョバンナはアントニオが降りてきた汽車に飛び乗る、絶望的な思いで泣き崩れるジョバンナ。このシーンは、映画の一番の名シーンですが、正に胸を締め付けられ一緒に号泣した。
ヘンリーマンシーニの曲の盛り上がりと共に。ジョバンナの苦しみ悲しみの絶望感を実感してしまう。
本当に素晴らしい演出。
その後、ジョバンナはイタリアに戻り荒れた生活をするが、やがて再度結婚をして子供にも恵まれた。
そんな中、記憶を少しずつ取り戻しジョバンナとの愛の生活を思い出すアントニオ。ロシアで、空虚な時間過ごす彼だが、イタリアに帰りたい。生まれ育ったイタリアに、ジョバンナに会いたい。
アントニオがイタリアに戻った時には既に何年いや何十年の歳月が流れて行ったのだろう。
二人の顔のシワが、物語っている。
会うのを拒んだジョバンナだったが、何度も電話してきたアントニオの悲痛な声を聞いて。
暗闇の部屋で電気も付けずに、再開する二人。
暗い部屋の、僅かなろうそくの下。かつて美しかったジョバンナとアントニオの今は年老いた顔を確認する二人。
「君にお土産があるんだ」それは、戦争にいくお別れの駅で、ジョバンナをなだめる為にした約束「帰って来たら毛皮をお土産に持ち帰るよ」
小さなミンクの襟巻き。
彼のロシアでの貧しい暮らしが伺えるシーンだ。ジョバンナに約束を忘れていないと伝えたかったのだろう。
ジョバンナはその精一杯の彼の誠意に過去の二人の思い出、愛を思い出した。
アントニオが悪いのではない、裏切ったのではない。運命だったのか?いや戦争が二人の愛を時間を思い出を引き裂いたのだ。
それを静かに悟るジョバンナ。
翌朝、アントニオと最後に別れたミラノの駅迄奇しくもまた見送るジョバンナ、イタリアとロシアもう二度と会うこともないだろう。
もう二度と会えないだろう。
その喪失感を抱えて二人は、またミラノの駅から別れていくのだ。
エンデングのあの眩しいウクライナの、ひまわり畑のシーン、ヘンリーマンシーニの哀愁ある、ひまわりの音楽と共に静かに幕を閉じる。
ウクライナの土地のあの場所に、この名作の思い出がある。映画は永遠に不滅にそれを記している。
リュドミラ・サベーリエワはオードリー・ヘプバーンに似ている。
中学2年の頃、『錦糸町楽天地』で『小さな恋のメロディ』と『ひまわり』の二本立てで見た。期待していなかったが、ガキのくせに泣けた。しかし、何でメロディとひまわりの二本立てなのかなぁ。
リュドミラ・サベーリエワはオードリー・ヘプバーンに似ている。『戦争と平和』を見ると分かる。僕はリュドミラ・サベーリエワの方が好きだけど、ボンダルチェクはオードリー・ヘプバーンに対抗して、リュドミラ・サベーリエワを起用したようにどうしても、考えてしまう。青い瞳はリュドミラ・サベーリエワだけのものだけど。
この頃、ソ連で撮影するのはまだまだ難しかった。しかし、ここまでロケできたのは、イタリア共産党のソ連に対する忖度あったのでは、と考える。
ヘンリー・マンシーニの曲赤の広場で流れる『search』って曲だそうだが、こちらの曲の方が良いと僕は思った。
今(2024年9月3日)はトスカーナのフィレンツェにいる。前日はローマにいたが、トスカーナ地方に入ると枯れかけた黄色い花が車窓を過ぎ去って行く。
『アレ?』と思った。『ひまわり』じゃないの?この映画のロケ地ウクライナまでではないが、トスカーナもひまわりの畑が一面に咲く畑がある。さて、演出家はウクライナの『ひまわり』に郷愁を感じ、二人に別の愛の決断を描きたかったんじゃないかと車窓を眺めてをつくづく思った。勿論、ミラノはトスカーナではない。しかし、最後の別れの場面はミラノ中央駅である。
2024年9月3日18時50分ミラノ中央駅に着く。『ひまわり』の最後場面だ。
鳥肌が立った。
戦争で引き裂かれた女性の愛の軌跡を追ったメロドラマを支える、女優ソフィア・ローレンの名演
巨匠ヴィットリオ・デ・シーカは、喜劇と悲劇の両面に俊才を表した監督であった。この後期の代表作「ひまわり」はその両方を併せ持った演出を施し、それが後半の悲劇をより一層感慨深いものにしている。またデ・シーカ監督の一代傑作「自転車泥棒」では、終戦直後の日常生活のほんの些細な出来事から起こる家族の不幸な事件を描いたが、この「ひまわり」の悲劇の主因は遥かに規模が大きく、第二次世界大戦という戦争そのものに取り組んでいる。結婚したばかりのまだ仲睦まじい男女を引き離し、そして更に哀しみのどん底に叩き落す戦争。敵味方死闘を繰り返す戦場以外の(戦場)、または戦後の(戦場)を一組の夫婦の姿を借りて表現している。
そこに導くものが、ソフィア・ローレン演じるジョバンナが持っている愛を貫く強い意志だ。夫の生存を信じる愛の終着点を確認するために、イタリアから遥々ソ連へ行方不明の夫アントニオ探しの長い旅が始まる。広大な大地を覆うように咲くひまわり畑と、夥しい数の墓碑が整然と並ぶ墓地のコントラスト。ついにロシアの大地に来たと見せる、この映像の証言は圧倒的である。そこに一人ジョバンナの姿が映し出されて、この数え切れないひまわりの中のたった一本の花を探しに来たのかと思うと、彼女の愛の執念に改めて感心しないではいられない。
そして、物語は急展開を見せる。その深刻さは、体験することのない人にとっても無理にでも分かって上げたいという同情の涙で答えるしかないものだろう。夫アントニオが生きている歓喜に震えるのも一刹那に、不吉な予感で呆然自失となってしまうジョバンナの心の置き所はあったのだろうか。あらゆる感情によって体力の限界を維持し漸くマーシャの部屋に踏み入る彼女の眼に映るものは、慎ましくも幸せな家庭の光景だった。そして、ついに再会するシーン、列車から降りて妻マーシャに気付き寄り添うアントニオの姿を見たジョバンナの心境はどのようなものか。虚しさ、口惜しさ、憐みなど、様々な感情によって列車に飛び乗るジョバンナ。ここにデ・シーカ監督が最も特徴とする、理屈からの理解で人間を表現するのではなく、感情そのものを表現した映像美で観客を映画の世界に吸い込んでしまう天才的な演出技巧がある。それは同時に、ソフィア・ローレンという優れた女優の豊かな感情表現の演技力があって成立した見事さであり、デ・シーカ監督作「ふたりの女」から10年のキャリアを共にした信頼関係が生む名場面と言える。
後半の話は、劇的な表現を抑えた冷静な大人の世界になる。他の人達の誰も傷つけない幸せな生き方の結論は、二人が別れることだった。もしアントニオに子どもがいなかったら、ジョバンナも独身でいたならと選択は少し変わっていたに違いないが、もっと大切なことは本当に愛する人から離れて偽りの家庭に生きて行くのではないということ。二人の愛が全てだったジョバンナとアントニオは、大人の良識を持った人間に成長変化していた。
しかし、ラストそれでも愛は人間を揺さぶる。ソ連戦線に向かうアントニオを見送ったフォームで、再び別れる二人。永遠の別れになるかも知れないこの悲痛さに、夫探しにソ連まで行った情熱を持ったジョバンナだからこそ、涙を見せるも静かに佇むことが出来る。全ての不幸を戦争の所為と思いつつも、その苦しみに耐えて生きるジョバンナの逞しさも窺える名ラストシーンになっている。
アントニオとジョバンナの出会いから最初の出兵の別れまでの追憶場面は、喜劇タッチで恋人たちのイタリア人気質を楽しく描いて、喜劇「昨日、今日、明日」をモノにしたデ・シーカ監督らしい演出を見せる。後半は、予想もつかない事態に出会うやるせない悲しみを感情豊かに描き、またシリアスな場面の落ち着いた演出にも熟練の味がある。ただ、10年の年月を掛けて準備して構想を練った作品全体の迫力は、ソ連ロケ以外あまり感じない。大作と云うより、より身近に感じる悲劇メロドラマとしての感動が大きい。完成度の点では問題が残るも、デ・シーカ監督とマルチェロ・マストロヤンニ、ローレンの名トリオの名人芸が素晴らしいのは間違いない。その中で一番の魅力を放つのが、ソフィア・ローレンのヒロイン像であり、これはアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ふたりの女」の名演に勝るとも劣らない実力を披露したと絶賛したい。このローレンの演技を更に抒情的に表現したヘンリー・マンシーニのテーマ曲がまた素晴らしい。繊細にして哀愁漂うメロディが優しく包み込むようにローレン演じるジョバンナを慰め労り共鳴する。
1976年 4月29日 早稲田松竹
マルチェロマストロヤンニはどうしていつも罪な男なんだ!
まあ今なっては、2時間ドラマのようなストーリーですな…。
しかしこうも濃厚なラブストーリーになっているのは、背景にある戦争と、圧迫された生活からでしょうかね…。あとカメラワークかな。流れるようなカメラワークが素晴らしいね。
あと意外だったのは、「ひまわり」に真冬のシーンが出てくること!こういう映画だったんですねえ。
それとロシアの奥さんが出てくるとは思わなかった!めちゃ白くて可愛いのね…
名シーンは
・病院でのハグ
二人が愛し合っていることがあのシーンだけでひしひしとわかるようなシーンになってます。素晴らしいね。何も喋らず、音楽もなく、なのにあんなに伝わってくるなんて。
あと
・ローソクが点いて二人が顔見合わせるシーン。
うん、このシーンも語らずして何かを語っておりますな…。絵になる名シーンでした。ああいうシーンを変に角度付けて撮らないのがいいよね。写真家のようなアングルで撮る人だなあと。
後半はなんだか、「シェルブールの雨傘」にしか見えなかったけど、名作なのは間違いないし、いろんなドラマがラストの別れのシーンに影響受けてると思うなあ。
ソフィアローレンは、パムグリアにしか見えないのですが、やはり駅のホームとかで佇んでると異常に綺麗に見えて仕方なかったですな。
列車に飛び乗る
ひまわり畑のタイトルバックとヘンリー・マンシーニの音楽、これだけでかなり満足。最初に観たのが中学生の頃、TVでだった。ソフィア・ローレンという女優は、どうも吹替え版のほうが雰囲気が出ていていいかもしれない。兵役からほんのわずかの12日間逃れるための結婚。食べ切れなかった卵24個のオムレツ。兵役を逃れるための狂言暴行がバレてソ連戦線へ、などといった小ネタもあったんだな。
小麦畑やひまわり畑の下に眠る多数の戦死者。十字架を形取った広大な墓地も対照的に描かれている。夫アントニオは生きているという何の根拠もないまま探し続けるジョバンナ。一瞬だけ再開し、列車に飛び乗り泣きくずれるソフィア・ローレン・・・この演出が最高。ベタではなく、自然でもなく、ナポリ娘の気質を演技一つで表現した素晴らしい出来・・・だと思います。
極寒の戦地、イタリアの肉体表現
戦争に引き裂かれた、悲恋の物語。邦画にもこの類の作品は数多くあるけど、戦場のシーンの雪は目新しかった。ロシア戦線の悲惨さを訴える映画を見たのは、これが初めてかもしれない。邦画では、戦地と言えばやっぱりジャングルのイメージが強いから。BGMも台詞も少なめで、目と表情で訴えかけるような表現力は、名作と言われるだけあるな、と感じさせられた。ただ、物語の展開があまりにもメルヘンチックというか、ロシア人女性が戦地でイタリア兵を命がけで助ける意味や、記憶がどの程度失われていたのかなどが曖昧で、あんまり共感できなかった。それに、夫婦と言っても、肉体関係がすごく強調されているところも、個人的には受け入れにくい部分があった。音楽は、荘厳な感じで映画ととてもよくマッチしていたけれど。
苦い!
ストーリーはパッケージ裏にほぼ全て書いてある。戦争先で記憶を無くした恋人がそこで家族を作っていた。そうとも知らずに待ってた恋人の苦悩、最後2人は決別して、終わり。
最近の映画みたいに、ストーリーがよく練られたものに慣れてしまうと、まあ物足りない。でも、イタリア人独特の雰囲気とか、間とか、情熱的な感じとか、ストーリー以外で伝わるものは多い気がする。てかそもそも、こういうストーリーも、公開当初は目新しいものだったんだろうな。
最後の二人、正しい決断だと思う。子どもがいるんだからね。でも、にも関わらず、アントニオ途中まで家族捨てる気だったのがちょっと腹立つ。でも正しい決断の苦さがスゴイのもわかる。苦いな〜、イジワルな映画や。
最後の最後にタブーは守られた。
『ひまわり』(1970)
NHKBSプレミアムで放映のイタリア・フランス・ソ連の合作映画との事。一面いっぱいのひまわり畑の映像で始まる。ヘンリー・マンシーニだそうだが、その音楽も冒頭からその映像と共に印象強いものだった。格調高い雰囲気なのだが、ちょっと調べながら書くと戦争で引き離された夫婦の話らしい。結局夫婦になったようなので救われる気もするが、恋人時代というべきか、会ったばかりの時期か、浜辺で砂浜の上で性行為してしまう所はいただけないシーンである。こうしたシーンのために、私のこの映画への評価は著しく下げるが、そういう評価スタイルの私である。だが夫婦になったから、少し評価を戻すか。性行為も衣服をきた前後の場面しか映してはいないが。男はプレイボーイを気どり、20人も女がいるとかいないとかいう話で喧嘩になるようだが、これを書いていて字幕が少しとんだ。しかし結局結婚した。この夫婦役が、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンらしい。結婚12日間休暇がとれて、戦争に行かなくてよいとかなんだとかの影響があって、それを利用したらしい。よくわからない。ネットで調べながらでもよくわからないが、恋愛感情はあって楽しそうである。始まりはコメディな感じもある。調べるとマルチェロの実生活もプレイボーイでわけがわからかったらしい。まだ名前を知る程度だが、カトリーヌ・ドヌーブが愛人の一人で子供も出来てしまっていたそうだが、こうした人だからソフィア・ローレンとも実際の性行為もあったのかも知れない。共演が多かったらしい。とても評価できるものではない。ヨーロッパの現在はどうなのか。そんな性の悪い意味でのいい加減さが、戦争という悪事によって薄められているのが、だいたいの世界の推移である。どこでもそうだった。そんなことを思っていたら、なぜか夫が逮捕されてしまった。と思ったら調べたら徴兵回避のために精神病と偽るための夫婦の芝居だったらしい。監督のヴィットリオ・デ・シーカというのは、『自転車泥棒』の監督だったのか。これはずっと前に観た記憶があるが、記憶は薄れた。貧乏の辛い話だったと思う。そして夫は出兵する。夫婦の別れのシーンである。夫婦なら抱き合おうがキスし合おうと構わないだろうし、夫は戦争先で死んでしまうかも知れないという別れの場面である。短いシーンだったが、思えば辛いシーンである。ここは全くの夫婦になっていて、コメディでもない。そして、夫が無事帰ったかどうかの列車のシーンにすぐ移る。妻や家族たちは夫の写真をかざして、消息を帰った兵隊たちから聞いてまわりもする。妻は、一緒に夫といたという戦争から帰った男から、その時の事を聞く。極寒の雪のシーン。場所はソ連なのか。小屋でいっぱいの兵隊たちがぎっしりといっぱいに立ちながら寝ている。行軍中に疲労でへとへとで、夫は倒れて、話を始めた男に抱きかかえられて歩くが、また倒れて男は先を行く。壮大な音楽が強く流れている。このシーンで夫は死んだことがうかがわれる。夫の他にもかなりの人数が倒れていた。妻は置き去りにした男に怒り出す。男は他の誰かが助けたかも知れないと言い残し去った。義母の老母が妻を訪ねるシーンがあり、その後、妻が重い鞄を下げて街中を歩いている。何処かを探している。ここで流れる音楽も壮大だ。エリートビジネスマン風の男となぜか「外国貿易省」のあたりで待ち合わせして列車に乗る。男は官僚か。広大な一面ひまわり畑に来る。一体何なのか。男の説明によると、こうした畑の下には大勢の兵士などの死体が埋まっているのだという。だが妻は夫はこの下にはいないと否定する。妻は夫の安否を訪ねに旅に出たようだ。木造の十字架の墓を妻が歩く。男は、生き残ったイタリア人はいないから諦めてくださいと説明する。妻は信じない。場が切り替わり、妻はサッカー場にいる。目が何かを探しているようだ。
しかしすぐ出る。少し夫に似たような男をカメラが追う。妻の目線だ。妻は男の後をつける。イタリア人ねと聞くが、違うと応じらて終える。とおもうとまだ追う。ストーカ―的である。一体何なのか。追い付いて夫を探しているのだと言う。夫に似ているわけではなかったみたいだ。イタリア人だから追ったようだ。とうとう男は、イタリア人と認めたが、今はロシア人だという。理由は話せば長くなるという。結局夫は知らなかった。まだ妻の夫を探す旅は続く。道行く人じゅうに聞きまわる。イタリア人が近くに住んでいると道案内してくれる現地のおばさんたち。家には若い女が洗濯物を取り込んでいた。妻は若い女に夫の写真を見せると、若い女は意味ありげな表情を見せ、小さな女の子が出て来る。もしかしたら夫は若い女と暮らしてしまい、女の子を産んでいたのだろうか。わざわざ家に入れるのだろうか。わからない。少しサスペンス気味だ。女は妻に話し出す。大勢倒れている中でなぜか若い女は夫を選び出し、雪の中で倒れた夫を助け出す。なぜ夫を選んだのか。なぜ若い女が助けに来たのかさっぱりわからない。しかし、夫のアントニオは若いロシア人女性と結ばれて子供を産んでしまっていたのだ。もはや前妻のようになってしまった妻のジョバンナは、アントニオを若い妻の案内でホームで再会するが、アントニオの少し驚いた表情のところを、涙を流しながら汽車に飛び乗り、去る。この映画の一番の主題だろう、戦争で引き離されていた間に、夫は別の女性に助けられて、その女性と子供を産んでしまった。なぜ夫は妻の元に帰らなかったのか。
なぜ若い女が夫だけを助けたのかは不明だが、帰宅した妻は怒りで家の中のものを壊し続ける。
どうして夫は妻を裏切ってしまったのか。記憶喪失ではなかったらしい。まさか死んだと思って妻が訪ねては来ないだろうと思ったのか。妻よりも美貌で若い女に移ってしまったか。若い女は、リュドミラ・サベーリエアという、ロシアで有名な美人女優が演じたらしい。ネット時代以前では調べるのはかなり困難だったが、今じゃすぐだ。シーンが変わり、月日が移ったらしい。ジョバンナは男のオートバイの後ろに乗り、オートバイが故障して喧嘩になったりしている。一人で食事をしている。義母がやってくる。夫の裏切りを伝える。女が落としていった夫の写真の裏には愛するアントニオへ。ジョバンナとあり、夫はそれを拾う。若い妻がみているところ、夫の表情は曇る。アントニオがジョバンナに複雑な気持ちを残しているシーンがある。若い妻も辛いシーンである。ただ、繰り返してしまうが、なぜ若い女がアントニオだけ助けたのかが意味不明のまま残りそうである。ここでネットで他の人の意見を調べたら、若い女は兵士の死体から金目のものをあさる女だったが、アントニオだけ生きていたのがわかり、悔いなどもあったのか、助けてしまったとか、アントニオも、一度
死んだ身で、不甲斐なさから、もうイタリアに帰れないと思い、ロシアの女の甲斐甲斐しさにほだされたなど、解説してくれている。しかし、アントニオはジョバンナに会いに一人イタリアに来てしまった。しかしジョバンナは怒りで、そしてジョバンナももう再婚したと公衆電話口のアントニオに伝える。
それならもう会わないほうがいいなとアントニオは話す。お互いに未練がありながらも、複雑な愛と憎しみの感情で再び一緒になれない二人。お互いにがっかりしながらも電話の応対だけで別れる。電車がストライキで帰れなくなり、街をアントニオは歩く。なぜか余計な、赤ん坊の人形を抱いた変な女がやってきて、アントニオを誘う。一体この脚本はどうしたものか。アントニオは応じてしまう。アントニオはそこでもジョバンナに電話をかける。少しでも会いたい住所を教えてくれと。そしてジョアンナは教えてしまい、アントニオがその場所を伝えると女が口紅で鏡に住所を筆記する。すると、アントニオは裸になっていた女に見向きはせず、ジョバンナの場所へと向かう。この設定は大変に凝っていると思う。行きずりの女と結婚した女とは違うのだ。複雑な設定の中にでも、1970年代の性の倫理をふと感じる場面かも知れない。ジョバンナはなぜアントニオに住所を教えてしまったか。複雑な愛憎である。二人だけ夜に再会した二人はどうなるのか。女は男を部屋に招き入れる。日本語字幕は椎名敦子氏。「あなたがいるなんて」「きちんと説明したい」「自殺しかけたけど愛なしで生きられたわ」「僕の事情もわかってほしい。気づいたら見知らぬ家にいた。会ったこともない女性がいた。記憶を失いなんだかわからなかった」「そんなことを言うのね。子供まで作って」「あの家だけが確かなものに思えたんだ」「彼女を愛したのね。」「あの時昔の僕は死んで別人になっていた。彼女との生活の中に小さな平和を見つけた。理解してくれといっても無理か。戦争とは残酷だ。ひどいものだった。なぜこんなことに」灯りもつけず、黒い中を二人で語り合う。「わからないわ」。ろうそくに火をつける。「見ないで年をとったわ。あなたも額にしわがあるわね。髪も白くなった」「今でも愛している。」「無理に決まっている」そういいながら抱き合おうとしてしまう二人。しかし赤ん坊の泣き声が聞こえる。二人は我にかえる。隣の部屋に子供がいた。男は別れられないと言う。女は子供を犠牲に出来ないという。ジョバンニも再婚して子供までいたのだった。女は倫理観を失っていなかった。玄関から出て二人は茫然としながら肩まで抱き合い別れる。列車で男を女は見送る。
二人とも辛い表情である。壮大に音楽が流れる。見えなくなった男。女は嗚咽する。
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