「時代の変化に大人の愛の変化を見る。」日の名残り Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
時代の変化に大人の愛の変化を見る。
日本人の中には否定できないヨーロッパ貴族への憧れがある。本作に登場する英国貴族の重厚かつ華麗な生活様式に魅了されてしまう。広大な敷地にある屋敷、豪華な美術品、上質で歴史ある家具・調度品、見事な彫刻のほどこされた壁等の、画面に現れる小物1つ1つにも目を奪われる。さらには狩猟や晩餐会などの華麗な催し物・・・。これら1つ1つが見るものをひきつけてやまない。しかし本作の特異で面白いところは、それら貴族の生活を使用人の目線で描かれる点だ。今ではほとんど存在しなくなった「執事」というプロフェッショナルな職業を通して、新聞にアイロンをかけたり、テーブルセッティングに1mmの狂いもないように定規を使うなどの、今まで知る機会のない使用人の日常生活がとても興味深い。1つの屋敷にこれほど大勢の使用人がいることに驚かされる。
物語は第二次世界大戦を挟んだ30年代と50年代の様子を時系列を無視して語られる。戦争という世界的に大きな出来事を、「ダーリントンホール」という1つの屋敷に集約させ、それによって起こったさまざまな「変化」が的確に描写されている。執事と女中頭のラブストーリーを核に、国際情勢、階級差別、時代の移り変わり等、様々な要素をとりまぜた豊かな人間ドラマである。
「執事」は自分の意見を持ってはならない・・・。この信念のもと、完璧なまでに(時には冷酷と思われるほど)感情を表に表さない主人公に、対立することでしか近づけない彼女。立派な大人の2人が、まるで初恋にとまどう中学生のようだ。2人が最も接近するのは、本を取り合うというたわいもない行為。だが、秘められた感情は昂ぶり、触れ合った指先は震え、熱いまなざしは絡み合う。最高にセクシーなシーンとなっているが、その刹那、男は自分の感情に驚き怯え、女に「部屋を出ていってくれ」と言ってしまう。このもどかしさ、はがゆさ。どこまでも不器用な2人が、愛らしくも切ない。
本作はよく悲恋物語と称されるが、私はそうは思わない。たしかに、女は、心を開かない男にあてつけて、他の男と結婚し、屋敷を去っていく。彼女のいない20年の間に、主人はヒトラーに加担した「非国民」とされ、失意の中死に、貴族の伝統を知らないアメリカ人の富豪が新しい主人となった。世の中は確実に変化した。そして彼の中にも、「確実」に変化がおきたのだ。
自分の間違いを正すために、彼は20年ぶりに彼女に会いに行く・・・。不幸な結婚に疲れきった彼女と、今度こそ「執事としての人生」ではなく「自分の人生」を歩むために。
しかし、彼女は再び夫の元へ戻っていく。だがそれは別れではない、始まりだと私は信じる。最後の握手に、確実に繋がれた手に、そのたった一瞬のふれあいに、ただそれだけで彼の内に凝っていた「愛」や「罪の意識」が浄化されたのだ。私はその、ほんの一瞬握られた手に、このもどかしい大人の愛の成就を見た。
窓から放たれた鳩が、広大な屋敷の上を飛んで行くラストシーンに、新しい時代=新しい人生への希望を信じられ爽やかな気持ちにさせてくれる、文芸映画の逸品。