ピアノ・レッスン(1993)のレビュー・感想・評価
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今もあの海には
19世紀半ば。口がきけずピアノで全ての思いを語る女性が、結婚の為に娘と共にニュージーランドに渡って来るお話。僕は初見です。いやぁ、これは素晴らしい作品でした。
映画を語るのに映像・音楽・演技・ロケーションなどがしばしば取り上げられますが、僕にとっては「いかに豊かな物語(ストーリーの事ではない)があるか」が一番大切です。その点、「人の心は善悪・正邪・損得で動く訳でない」事を豊かに紡ぐ本作では、その爛熟した物語から甘美な果汁が滴り落ちていました。映画でしか表し得ない物語です。
「今も、ニュージーランドのあの海底にはピアノが静かに眠っているんだろうな」
と、その像を想像してしまう観終えてからのひと時は至福の時間でした。映画館で観る事が出来て幸せ。
母性よりもSEXが勝る感情の移ろいを女性監督ならではの視線で描いているのだろうが・・・・・・・
社会の一般的な通念であれば母性がSEXを上回ることは無い様な気がするのだが・・・・・?
ましてや19世紀半ばという時代性を加味すれば、まだ家長制度の強い中 いわゆる不倫に対する世間からの視線は決して指を切断することだけでは済まされないような気がするのだが!
これももしかしたら男性目線からの偏見かもしれないが・・・・・!
ただ女性監督であるジェーン・カンピオンがこうしたタブーを撮る事自体が30年前という時代性も含め、斬新でありパルムドールを受賞した理由なのかもしれない。
今でこそ恋愛ドラマと言えば不倫を題材とした作品が溢れ、何らの目新しさも感じることは出来ないのだが(笑)!
1993年作品という時代性が生んだ、まさに女性目線の秀作とでも言えば良いか?
ただ自分としては共感できる部分が少ない作品に過ぎなかったが・・・・・
映画から学ぶ
humさんの鋭い考察が御座いますので是非お読み下さい。「The Piano」(邦題 ピアノ・レッスン)は映画祭での受賞も多く今更説明する事は無いですが女性からの視点で製作された数少ない作品です。批評の記事を引用すれば家父長制をThemeにしており生きづらさや残酷さを描いている。とは言っても映画は娯楽なのでそこまで難しく考える必要はありません。劇中に流れるMichael Nyman作曲のPianoによる楽曲は素敵で一度聴いたら忘れる事は無いでしょう。この作品は監督・脚本・主演・助演が女性の手によるもので後進に与えた影響は大きくCreativeの観点からも再評価をする向きがあるようです。同様な傾向がある映画ではMaryShelly(邦題 メアリーの総て)がそうです。Englandでは女性が実名で自分の作品を世に問う事が難しく殆どが匿名で出版していた時代がありました。首を傾げる様な話です。18歳でFrankenstein:or,The Modern Prometheus(フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス)を執筆した主人公の役を同年齢のElle Fanningが演じました。本物を越えている、そう思わせる程彼女の魅力が際立っています。 映画は日常の疲れを忘れさせてくれる存在ですが時として映画から歴史・文化・人の有り様について学ぶ事があります。この作品もその一つです。
譲らない女、魅了された男、理解できない男
随分以前に衛生放送とかで鑑賞して以来の
映画館での鑑賞。
いや〜〜画面が美しい〜〜。
特に象徴的なのは
浜辺に置き去りにされたピアノ。
そこにあのテーマ曲が流れると
もう無条件で「名作」決定!!!
19世紀半ば。主人公のエイダはスコットランドから
ニュージーランド入植者のスチュアートに嫁ぐため、
娘フローラと1台のピアノと共にやって来た。
彼女に何があったのは説明されていないが
6歳の時に言葉を捨てていて
感情の全てをピアノで表現していた。
彼女の言葉と等しいピアノを
夫となるステュアートは、
「重いから」と言う理由で浜辺に置き去りに
あろう事か土地の顔役で地主のベインズに
勝手に売り払ってしまった。
ピアノをエイダの夫から買い取った地主のベインズと
エイダの関係の変化に目が離せません!
で、月に8回くらい、映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
随分以前に衛星放送とかで観た時は
女性の権利等何も無い時代の
可哀想な女性の話の様に勝手に思い込んでいたけど
4Kリマスターで改めて観てみたら
結構とんでも無い女の映画だったわ‼︎
この作品は監督と脚本が
ジェーン・カンピオンが兼ねているので
なぜ、主人公のエイダが6歳で言葉を捨てたのか?
なぜ、エイダの夫のことが子供のおとぎ話でしか
語られないのか?
そこは、都合よく何もヒントがありません。
ただエイダと言う恐ろしく意志の強い女性の
その強さに魅了されてしまった男と
その強さを抑えつけようとした男と
実はどちらがこの先、穏やかな人生なのだろう?
最後の方、エイダと共に島を去るベインズの行末が
ちょっと気の毒になってしまった。
エイダの強さは、誰かを守る強さではなく、
あくまでも自分を通すための強さに私には見える。
自分を通す強さを女性が持つことは悪いことでは無いけど
私が若い頃、嫌な女だと思った「風と共に去りぬ」の
手段を選ばないスカーレットでさえ、
その強さは愛するタラの土地を守る為だったけど
エイダの強さは「自分を通すこと」だけに
偏っている気がして同じ女性としては
あんまり好きになれなかったです。
強さと言う点ではこの作品が最初に封切りされた当時に
聞いた話なので正確では無いかもしれませんが
エイダをぜひ演じたいと手を挙げたホリー・ハンターは
カンピオン監督から「イメージでは無い」と断られたとか。
それを粘りに粘ってこエイダ役を勝ち取ったホリーもまた
強い女だったと言うことだったのでしょうね。
映画を見直して、この逸話を思い出しました。
途中までこの作品が大っ嫌い、、、 って思ってたけど複雑な人間の感情...
途中までこの作品が大っ嫌い、、、
って思ってたけど複雑な人間の感情が描かれていて
綺麗で女性の怒りに満ち溢れていてそしてその憎しみの解放になっていて、すごい映画だった。
セリーヌ・シアマの燃ゆる女の肖像が好きなのでこの作品から影響を感じた。
映画にて4Kリバイバル上映を鑑賞
ピアノレッスンとマイケル・ナイマン
ピアノレッスン 4Kデジタルリマスター
兵庫県西宮市にある映画館TOHOシネマズ西宮OSにて鑑賞 2024年4月1日(月)
パンフレット入手
19世紀半ば、エイダ(ホリー・ハンター)は、まだ若い娘のフロラ(アンナ・パキン)とスコットランドに暮らしいた。エイダは6歳で話すことをやめた。その理由は自分でもわからなかったが、自分に声がないとは思っていない。得意とするピアノ演奏で"声"を奏でることができるからだ。
夫のいないエイダは、父親が決めた結婚相手と結婚することになる。エイダは愛用のピアノと共に、新しい夫となるスチュアート(サム・ニール)の住むスチュアート(サム・ニール)ニュージーランドの孤島へと船で旅立つ。
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エイダを乗せた船が海岸に到着するが、荒れた天候のせいか迎えはなく、その夜は野宿を強いられる。翌日、荷物運びの先住民たちと、彼らとの通訳を務めるベインズ(ハーヴェイ・カイテル)と共に現れたスチュアートは、ピアノは「重すぎる」からと、海岸に置き去りにする。
スチュアートが先住民の土地を買うための旅に出ると、エイダはフロラを連れてべインズの家を訪ね、ピアノの元へ連れていってくれと頼み込む。海辺に着いたエイダは、日が暮れるのも気にせず一心にピアノを弾く。べインズは黙って、その姿をを見つめるのだった。
帰ってきたスチュアートに、べインズは自分の土地とピアノを交換しないかと持ち掛ける。条件はピアノを教えてくれること。土地欲しさに同意したスチュアートに、エイダは手話で「私のピアノに触るな、べインズは字を読めないバカな男」と激怒する。だがスチュアートは「犠牲に耐えるのが家族だ」と聞く耳を持たない。
渋々べインズの家を訪ねたエイダは、フロラを通して「音の外れたピアノでは教えられない」と告げるが、べインズは調律師に頼んで音を直していた。さらにべインズは、彼女の演奏をただ聴いているだけでいいという。
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2回目の「レッスン」で、演奏中にべインズから不意にうなじにキスされ驚いて飛び上がるエイダに、べインズはある取引を提案する。1回来るごとに、鍵盤をひとつずつ返し、最終的にはピアノそのものを返すというのだ。エイダは思案した末、白鍵の半分に当たる黒鍵で数えるならいいと応じる。
その取引が何を指しているのか分かっていたエイダは、次のレッスンからフロラに外で遊んでいるようにと命じる。ある日のべインズは演奏中にスカートを上げるよう求め、別の日は上着を脱ぐようにと願う。エイダはべインズの言いなりにはならず、彼が露になった腕に触れようとしたときには、すかさず鍵盤2本との引き換えを要求する。
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そんな中、日曜学校の学芸会にフロラが出演することになり、スチュアートとエイダが舞台を見守る。スチュアートは愛想笑いの一つもしないエイダを、エイダは所有地を広げることにしか興味のないスチュアートを理解できず、二人は全く打ち解けていなかった、それでも人前では仲のいい夫婦のように振る舞う二人を見て傷ついていたべインズは、次のレッスンで10本の黒鍵と交換に裸になって触れ合うことを希う。
ところがべインズが突然、エイダにピアノを返すと告げる。「君を淫売にしては自分が情けない」と言う。自分がエイダに愛されることはないと諦めたべインズは「帰ってくれ」と悲しげに言い放つ。
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返されたピアノを、弾く気になれないエイダ。ようやく鍵盤に指をすべらせるが、べインズの熱い視線も慈しむような愛撫もそこにはない。弾かれたように家を飛び出し、べインズの元に走ったエイダに、べインズは君を思い過ぎてとてに苦しいと打ち明ける。「俺のことを思っていないなら行ってくれ」とドアを開けるべインズに、エイダは感情が溢れるままに殴りかかる。互いの気持ちを確かめた二人は激しく抱き合うが、フロラの言動から疑惑を抱いたスチュアートが、べインズの家を訪れ二人を目撃してしてしまう。
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「君が本気なら明日も来てくれ」とべインズに言われたエイダは、翌日も彼の元へと向かうが、スチュアートに阻止される。スチュアートはエイダを連れて帰ると、窓と扉をふさぎ家に閉じ込めている。数日後、スチュアートは扉を開放し、「君を信じている」と言い置いて仕事へと出かける。すると、べインズが島を去ると耳にしていたエイダは、「私の心はあなたのものよ」と刻んだ鍵盤を、べインズに届けるようフロラに頼むが、娘は母を裏切りそれうをスチュアートに渡してしまう。遂にスチュアートの怒りは限界を超え、手にしていた斧をエイダの指へ振り下ろすのだった。
ところが、夜になって事態は一変する。べインズの前に現れたスチュアートが、エイダの「何をするかがわからない自分の強い意志が怖い。べインズと一緒にここを立ち去らせて。彼なら私を救える」と訴える心の声に耐えられず、二人でサルことを許すというのだ。
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先住民の漕ぐ船に乗って、フロラとピアノと共に旅立つべインズとエイダ。海の上でエイダは突然、ピアノを捨てると言い張る。彼女に従ってピアノが海に投げこまれたその時、エイダは繋がれたロープの輪に自らの足を差し入れ共に海へと沈んでいくーーーー。
しかしその時、生きたいという強い力に突き動かされたエイダは、靴を脱ぎ捨て、水面へと浮かびあがる。
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今、エイダはべインズとフロラ、そして新しいピアノと北の町で暮らしている。べインズが作ってくれた銀の義指でピアノ教師をはじめ、再び話してみようと、発声練習をしている。
夜になると、エイダは海底の墓場のピアノを想い、その上をたたよう自分の姿を見る。二度と会うことのない自分の姿をー。
監督・脚本 ジェーン・カンピオン
音楽 マイケル・ナイマン
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感想など
わたしはマイケル・ナイマンのピアノ曲を前からずっと聞いていた。あまりにも美しすぎるメロディーに深く耽溺していた。スコアを入手、電子ピアノで演奏したりしていました。
映画「ピアノレッスン」は鑑賞していませんでしたので、ようやく会えたよと、エイダとその娘フロラ!
親子揃ってピアノ演奏・・・に感謝の思い。
マイケル・ナイマンの曲以外にも、演奏された曲があります。
フランス生まれの作曲家 エリック サティ「ジュ・トゥ・ヴ(Je te veux)(あなたが欲しい)」
この作品はほんとうは「THE PIANO」です。なので「ピアノレッスン」ではなく「ピアノ」ではとかんじています。
30年前の作品、30年ぶりに鑑賞です。再びBunkamuraで(改...
30年前の作品、30年ぶりに鑑賞です。再びBunkamuraで(改装中ですが)。
一つ一つの絵面や音が、あまりに力強く。
声を出すのをやめた女性ですが、
意志の強さ、
旋律と表情だけで喜怒哀楽が全て伝わる、
やっぱり圧倒的です。
それにしても、各場面の絵面の、力強さ。
ピアノが海岸に放置、
書面だけの夫とは、心を開くこともなく、表情も硬いまま、
再三の雷雨、
こっそり会いに行く山道、
などなど…。
男性側が、ただ亭主関白(ときに横暴)なだけではなく
心が聞こえたとか、
考え方の移ろいも、興味深いです。
愛と官能を教えて貰った
海辺に取り残されたピアノ
狂おしいまでにピアノと会話をして、
世界を閉ざしていたエイダ(ホリー・ハンター)
心を海辺に置き去りされたエイダに、
ピアノを自分の土地と引き換えに買い取り
レッスンを請うベインズ(ハーベイ・カイテル)に、
エイダはピアノを教える事になる。
ベインズには夫なったスチュワート(サム・ニール)とは
正反対の思い遣りがあった。
レッスンを受けるというベインズは、
レッスン毎に鍵盤を返して行くと提案する。
その代わりにお願いがあると言う、
エイダを宝物のように触れ、嗅ぎ、開かそうとする・・・
鍵盤を数個返すのと引き換えに服を脱げと頼むのだ。
(何という提案でしょう)
心を開かないエイダに絶望したベインズは、
「君を淫売にするのはあまりに自分が情けない」
ベインズは、レッスンをやめて、
無償でピアノをエイダに差し出す、
「俺を愛してないなら、消えてくれ」
突然ベインズとの時間と官能が嵐のように
エイダに湧き起こり、
二人は遂に魂と肉体を重ねてしまう
愛の歓び、官能、背徳、
しかし2人で紡ぐ愛はエイダを潤す
それはスチュワートへの裏切りだった
逆上したスチュワートはエイダの指を
切り落としてしまう
幼い娘のハンナ(アンナ・パキン)は泣きじゃくりながら
指をベインズに届ける
この映画は結果として「愛の歓び」を完結しています。
エイダはバインズと島を出て、ニュージーランドで
「愛の暮らし」を手に入れる
ハッピーエンドなのです。
【ピアノ】
ある人にとっては、
重くて、邪魔で、厄介なものが、
ある人にとっては、
大切な心の丈を託す命のようなもの
ピアノはエイダにとって愛そして言葉そのもの
バインズはいつだってエイダの声を聴き取ろうとした。
言葉を話せない人間にも、
伝えたい事、
エイダは受け取った愛を、
愛で返すことだって出来る。
【後記】
残念ながら、今回4Kデジタルマスター上映館で
観た訳ではありません。
数10年前に観た日の衝撃をずっと忘れずにいました。
エイダの主体的な愛とパインズとの官能描写に
衝撃を受けたのを思い出します。
19世紀半ばのニュージーランドの孤島に、嫁いで来た口を聞かない
シングルマザーと娘。
酔いしれたように没入する
マイケル・ナイマンのピアノと音楽。
毅然として夫を拒絶するホリー・ハンターの演じるエイダ
エイダの通訳でもある娘のハンナを演じるアンナ・パキン。
現地人との通訳をするネイティブとの混血のようなベインズを
演じるハーベイ・カイテルの裸体は饒舌にして実存する悪夢。
今でも新鮮な映画
代償を払っても手に入れる価値のある
《自由と愛》
私が観ると名作とは思えない作品だった。映画料金分は元が取れる。
各映画祭で受賞しているし、日本公開時話題となった映画だ。但し、私は見る気持ちが全く起きなかった。指を切断する場面があるとラジオで聞いて、残虐シーン嫌いな私は怖気づいてしまった。
4Kデジタルリマスターで上映される機会に観ることにした。
再婚した主婦が夫の友人と不倫に走る物語だった。まぁ、どこにでもある話だが、事故で声を失ってしまった歌手の設定が、珍しかった。アイデアはいい。ピアノを奏でることで、主人公は精神の均衡を保っている。ピアノが彼女の失った声の替わりである。
一番肝心な不倫する2人の恋愛の始まりが良くわからない。友人の追恋慕だと思うが、それに応えていく主人公の心得て変わりが良くわからない。これは脚本に問題があると私は感じた。俳優達の演技は良い。脚本は監督が書いているから、監督の責任だろう。
それと音楽を担当したマイケル・ナイマンだが、私には優れた音楽には思えない。管弦楽は及第点を与えてもいいが、ピアノソロの音楽は私には平凡だった。
ハリー・ハンターは角度を変えると、私の好きなジェニファー・コネリーに似ている。邦題名は「ピアノレッスン」。映画を見終わると原題通りの「ピアノ」にした方が作品の内容を表している。主人公の頑なとなった心にを暗喩しているからだ。私にはそう思えた。
愛とは美しくて醜い
予備知識なく鑑賞。
そのためもっとピアノにフォーカスした作品かと思っていて、しかし恋愛.不倫でやや嫌悪感を抱きながら最後まで鑑賞してしまった。
大切なピアノを海辺に置き去りにされたエイダの気持ちも、海辺へ連れて行き陽が沈むまでピアノを弾かせ、そして調律しエイダに自由に奏でさせるベインズにエイダが惹かれていくのも理解できるが共感までは難しい。
不快感を感じたのはベインズがいやらしいから。エイダが家族を犠牲にしてでもベインズを追いかけるから。でも人間の欲望とは通常人に見せないだけで、本来はあんなものなのかもしれない。。
愛とは美しくて醜いもの。
愛って生々しい。
理性を無くしてまで愛せるなんて愛は怖い。
映像はアートのようで美しかった、
エイダもとても美しかった。
そして最後のシーンがとても印象的。
あの最後を観れたことで、この作品の美しさを少し分かったような気がした。
モヤモヤと鑑賞していた途中、最後のあのシーンで何だか全てを許せた気になれた美しい終わり方だった。
ホリー・ハンター
公開当時未鑑賞だったが、当時観た同僚が「エロ映画だった」と言っていたことだけは覚えていたアラフィフS
4Kリマスター映画と聞くと居ても立っても居られないアラフィフS、今日は新宿へGO💨
ホリー・ハンターは、若い頃より現在のホリー支持派なのだが←ドーデモイイデスヨ~、今作では子悪魔っぷりを盾にハーベイ・カイテルとサム・ニールの二人のオヤジ俳優を狂わせます
文芸モノだと観ていると、結構珍味っぷり発揮する好き嫌い別れる映画なので
一人で観るのがイイデショー(・∀・) オワリ!
美しさ+エロス=最強
エイダと自然がとにかく美しい映画。
ベインズと横たわる時のエイダのお尻なんてまさに絵画から飛び出してきたような美しさ。あのお尻だけでもずっと見ていられる気がする。
エイダ、声を発するのなんでやめたんだっけ??
ベインズ、最後までなんでマオリタトゥーしてるのかよくわからなかったけど、無骨さの中に純粋に愛する姿が見られて素敵だった。
嫉妬に駆られた旦那さんがホラーな行動に出たときには自分の血の気が引いて一瞬ギブアップかと思ったけどなんとか耐え切った😅もう一度観るときにはあのシーンはスキップだーε=ε=ε= ┌(;´゚ェ゚)┘
女心は難しい
1993年制作にして、日本初公開は翌年1994年の本作。20年程前の作品でしたが、今回4Kデジタルリマスター版として改めて上映されたので観に行って来ました。
20年前の作品とは言え、舞台が1852年の当時イギリスの植民地だったニュージーランドということで、映像も一新されたこともあり、全く古さは感じませんでした。ニュージーランドがイギリスの直轄植民地になったのが1840年とのことなので、当時のイギリスにとってもニュージーランドは完全なフロンティアだったのでしょう。
そんなニュージーランドに、主人公のエイダが愛娘のフロラを連れて輿入れするところから物語は始まりました。彼女はあることをきっかけに喋ることが出来なくなり、結婚はしていなかったらしいフロラの父親も既に亡くなっている状態のようで、本国の家族とすれば扱いに困っていたのではないかと推測されます。そんな中、道路すら整備されていないフロンティアに進出していたスチュアートが嫁探しをしていて、両家の利害が一致した結果の輿入れだったと思われました。まあ厄介払いですね。
そんな結婚話にエイダの意思は反映されていないようでしたが、女性の自己決定権が認められていなかった時代の産物だったのでしょう。行きたくもないニュージーランドに行かされた挙句、荒れ狂う海原を乗り越えてようやく辿り着いたニュージーランドの海岸で、夫のスチュアートは、愛娘の次に大事にしていたピアノを家まで運んでくれず、海岸に放置してしまう。それに加えて海岸に放置されたピアノを、土地と引き換えに夫が勝手にベインズに渡してしまうに至り、彼女の夫に対する敵愾心とも言うべき気持ちは決定づけられました。
ここまでは彼女に対する同情を禁じ得ない展開だったのですが、ピアノを手に入れたベインズの求めに従って彼の家に行き、ピアノを弾いているうちに彼と男女の関係に陥っていくエイダの心情は、イマイチ理解出来ないものでした。確かにベインズは、ピアノが放置された海岸まで連れて行ってくれたり、ピアノを引き取って家まで運び、さらには調律師に調整させたりと、彼女の大事なピアノを保護してくれたのはその通りでした。それでも何故彼に惹かれたのかが、イマイチ分からぬまま、最終的に指1本と引き換えにベインズとの生活を手に入れたところで物語は幕となりました。まあ私が女心を解しない朴念仁だということなのかも知れませんが、モヤモヤ感が残るお話でした。
そんな訳で、俳優陣の演技は非常に良かったとは思うものの、お話自体は今ひとつヒットしなかったので、本作の評価は★4とします。
4Kリマスター版を2Kの映画館にて
現代人で日本人の凡人の自分には驚くストーリーでよくこんな脚本書けるなぁと驚く物語。
サム・ニールは「ポゼッション」、「イベント・ホライゾン」など変わりどころの演技が凄いが今回でも。
ハーベイ・カイテルも絶妙なアイデンティティーの役どころを見事にこなす。
後の「X-MEN」ローグ役のアンナ・パキンがオーディションで5000人の中から大抜てきされ、アカデミー賞史上2番目の若さとなる11歳240日で助演女優賞を受賞。
ジェーン・カンピオンはエイダ役に当初シガニー・ウィーバーをイメージしていたが、この役に惚れこんだホリー・ハンターが熱心に売り込み、また彼女がピアノを弾けることもあって出演が実現したらしい。
浜にピアノを置いてジャングルの中をマオリの案内で進むシーン(女の子がよろけて歩く直後)で、案内役のマオリの男が「あんな所、生きて通れねえ!」と日本語で言っているように聞こえる(1995年5月19日放送の『探偵!ナイトスクープ』の爆笑小ネタ集で紹介、本当はマオリ語で「あそこはあなたの向かう道ではない(Ana to huarahi kite kore.)」)。
美しい作品ではあるけど
ピアノ、曇り空だったり雨、寒々しい風景の中での美しい作品とは思いました
セリフなしで目だけの演技で気持ちの伝わってくるホリー・ハンター
ピアノとの決別が過去の自分との決別というラストも良い終わり方でした
そう思うと高評価ばかりなのも納得の作品でした
でも私には合わなかったです
面白くないってわけじゃなくて、しっかりストーリーに入り込めて観れました
でも主人公のエイダが私は無理でした
好きになってしまったから仕方ないっていうのも、娘に外で遊ぶように言い聞かせてその間にベインズとっていうのも母親のする事じゃないし、私の理解不足ですが、何でエイダがベインズを好きになったのかわからなくて、むしろあんな取引を持ち掛けてきたベインズは卑怯すぎると思えるし
娘にベインズへの愛を綴った鍵盤を届けさせるのも母親として理解不能
夫のスチュアートは2人の浮気現場を見た時怒鳴り込まず、立ち去りもせず覗き見するって変態じゃん…
最初に自分の大切なピアノを置き去りにした夫をエイダが受け入れられなくなったのはわかるけど、その後はちゃんとした夫だったのに
そんなんでエイダにもベインズにもスチュアートにも全く共感できず娘のフローラにだけ好感が持てました
💍
一回じゃ正直よくわからなかった。ただ、音楽と映像美に圧倒されて涙が出てくる。
追記:4/4二回目を見たが、前と全く違うところで涙が出てきた。余韻で鳥肌たつくらい内容も音もズシンとくるものがある。成人してから観たらまた違う視点を発見できそうな予感がして楽しみ。
この女嫌い
2024年劇場鑑賞69本目。
6歳の時に声が出なくなり、その後子連れの未亡人になった主人公が遠い地で見受けされることになり、唯一の趣味のピアノと共に海を渡るという話なのですが。
主人公の女性が納得の上で結婚したはずなのにとにかく夫に冷たく、そのうち夫もどんどんキレていくのですがそりゃそうだよなと。サム・ニールかわいそうだなぁという話でした。
全48件中、1~20件目を表示