「哀しき人生にあらわれたタツノオトシゴ」ピアノ・レッスン(1993) humさんの映画レビュー(感想・評価)
哀しき人生にあらわれたタツノオトシゴ
品のある重厚な色彩が作りだす19世紀半ばの世界観。
人肌の温もり、鼓動をも伝えてよこすリマスター版に改めて驚嘆しながら4人の運命を息をのみ見守る。
音楽とともに1人の女性の逞しさとその娘の目線が身にしみてくるような作品だ。
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幼少期に自ら声を出さないようなったエイダには父との関係性に相当なトラウマがあったのではないかと察する。
そんなわけありを匂わす当時のエイダの声が綴る心の声と回想シーン。
そして今、辿り着いたニュージーランドの浜辺のただならぬ様子。
じわりと伝わる負のオーラがエイダとフロラ、スチュアート、べインズの出会いにあり、後ろの物憂げな雲がすんなりと混ざり合う。
押し問答の末、浜辺に残されたピアノを丘の道からみるエイダのまなざしの不安気なことよ。
ここまでで既に感情を直接音にできるピアノがエイダのどんな存在かということがよくわかる。
自分の行く場所にピアノがないことは一心同体の崩壊を意味する。
対して初対面で夫になる男スチュアート。彼はそれを察知できず理解しようともしなかった。
この時点でエイダがスチュアートに惹かれることはなく実父の政略的な結婚がますます仕方ないものになっだろう。
話せない母の気持ちを瞬時にすくい取り表してきた利発な娘・フロラは、母が気のない結婚することもわかっているし、母をとられるような気持ちが相まり拗ねている。
そんなフロラが、エイダに興味深々のスチュアートの叔母たちに話すエピソードは噂話に尾びれをつけるには格好の出だしだったのではないか。
夫婦として慣れていくことを気長にまとうとする善良な性格がみえるスチュアートの不安が湧いてくるのを煽る。
ピアノを諦めきれないエイダは原住民のごとく土地に馴染む厳つい雰囲気の白人ベインズに頼み込む。
一旦は断りながらも良心が動いたのか浜へ案内したベインズ。
波打ち際でのびやかな感情を鍵盤から紡ぎ出す姿は美しく、楽しそうに合わせて踊る娘をみつめるエイダにすっかり魅了されてしまう。
間も無くベインズはスチュアートに土地とピアノ+エイダから受けるレッスンを交換する約束をとりつける。
彼女のためにピアノを取り戻す方法だったが、彼女に近づく下心もあったようだ。
そんなベインズは、潮にさらされ、険しい山道の樹木にぶつかりながらやってきた傷んだピアノをきちんと調律させて待つ誠実さをみせ、喪失感で放心状態だったエイダをさらによろこばせた。
そして魅力的な彼女を前に彼の理性はきかなくなる。ピアノがなくてはならない心理につけ込み彼女に巧妙に、しかしストレートな思いを徐々に表しながら近づきはじめるのだ。
エイダに触れていくベインズに愛情が募り出すとそれが伝わるかのように、取引の壁を越え次第に彼女も彼に惹かれ出す。
ついにエイダの気持ちを振り向かせると互いを奏でるような繊細な時間が2人の心のひだを寄せて深めていく。
エイダは夢うつつで夜明け前にピアノを弾き、フロラやスチュアートに触れながら、我を忘れベインズを思い描くほどのめり込むようになるのだ。
妻の異変に気付きつつも真意にせまったり心の距離を縮められずにいるスチュアート。
母の意識が自分やピアノレッスンから離れベインズに向いているのを感じたフロラはこどもの素直さ故に父に告げ口した。
浮気の現場をこっそり覗いたベインズはすぐには割入らず彼女の様子をみているが、妖術使いだと周りに噂されるなか真実味を感じますます不安になる。
その状況でも「そのうち私を好きになるだろう。」と自分に言い聞かせるようにする彼は非常に健気でもある。
そんなある日、ベインズが引っ越すことを知りエイダは鍵盤を抜きベインズへのメッセージを書く。
あれだけ大切にしたピアノよりベインズへの想いが重要になっている決定的なシーンだ。
そしてそれを渡すように託されたフロラが湿地の踏み板をすすむが、逆方向の父の居場所へと進路を変える。
あの学芸会のごとく躊躇なく斧を手にする夫が急ぐのは妻の元だった。
たしかに気の毒なスチュアートではあるが、よりによってエイダの代弁者である娘の前で、エイダの心を謳うためのそれを容赦なき罰として切り落とす。
血をしたたらせながらも沈黙のまま水溜まりにふらふらと座り込むエイダが、私には残酷ななかに逞しい野生の本能を開花させていく美しい黒鳥にもみえた。
そして怪我からの発熱で苦しむエイダにの目がようやく覚めたときのスチュアートの姿。
エイダの黒い瞳は言葉以上に雄弁だった。
その動かぬ強い意志を受けとり、
彼はそこに映った自分の不甲斐なさを自覚せずにはいられなかったはずだ。
完敗を覚悟したスチュアートはベインズの元に向かい妻子連れてこの土地から去ってくれと告げる。
ベインズの指示の元、再び舟にピアノを積み荒波を出航した。
ベインズににぎられたちいさなエイダの手は彼の愛に満たされ、難航を予測し重いピアノを海に捨てるように言うが、ベインズはエイダの大切なピアノを最後まで運ぶという。
恋愛が成就してもエイダの大切なものをどうにか守りたいベインズの彼女に対する思いやりを噛みしめながらも
海面を撫でる哀しげなエイダが決心のあとの内心を垣間みせた。
無理もない、自分をひきちぎられるようなエイダ。
原住民たちの力強いかけ声とともに斜めに深い海の底に向けて滑り落ちていくと、とっさにピアノにつながる縄の穴に自分から足を入れたエイダは一瞬で海中へ。
あまりの唐突な展開に恐ろしいこれ以上ない絶望感が襲う。
しかし、一転。
見開いたエイダの目。
〝意志が生を選んだのか〟
靴を脱ぎ捨て危機一髪で垂直に浮かび上がり大きく息を吐くエイダ。
〝何という死〟
〝何という運命〟
〝何と言う驚き〟
予想を覆すクライマックスに
エイダの心の声が語る。
〝その力は私と多くの人を驚かせた〟
エイダ自身も驚いたその力とは、ようやくみつけた真実の愛の力だった。
心の声はまた語る。
〝夜は海底の墓場のピアノを想い
その上をただようじぶんの姿を見る
海底はあまりにも静かで
私は眠りに誘われる
不思議な子守歌
そう 私だけの子守り歌だ
音の存在しない世界を満たす沈黙
音が存在しえない世界の沈黙が
海底の墓場の
深い深いところにある〟
あの時エイダの過去は死んだのだ。
そして今もそれはピアノと繋がれて海に漂う。
そして、生まれ変わったエイダの幸せな笑顔が北の地にある。
再び出はじめた声。
そのままのエイダを愛するベインズ。
不安を目の当たりにして心配したが相変わらず元気なフロラの姿もみえた。
母娘とベインズが歩いた浜辺に貝で描いた美しいタツノオトシゴが、この数奇な運命の道すじを示唆していたかのように思えた。
修正済み
追加済み
humさん、私の疑問への回答と言うかコメントありがとうございました。この映画を深く真っ当に評価されているのだということが分かりました。私は、女性というか人間そのものへの理解がまだまだ足りないんだということを痛感させられました。
共感とコメント、ありがとうございます
humさんのレビューで思い出しましたが、ベインズはピアノをわざわざ調律していましたね。粗野ではあるが精一杯心遣いをする彼の人柄がよく出ていましたよね。
humさん、コメントありがとうございます。アカウントが二つになってしまった期間だったので、自分のレビューに自分がコメントするという間抜けで失礼しました。でも読んで下さった方がいらしてくれただけで嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします!
ベインズが着ていた服を脱いでピアノを拭くシーンからちょっと変態ちっくな気もしていましたが、ベインズもスチュアートも変態か!でした笑
切ないストーリーでかなり変態度は薄まって美しい作品になる不思議です。
コメントと共感ありがとうございます。
素晴らしいレビューをしみじみと読ませて頂きました。
私の変態とか言ってるレビューが恥ずかしくなりましたが、私も作品としてはとっても美しく高評価ばかりなのも当然と思います。
寒々しい風景とシンクロした3人の想いですね。
共感&コメントありがとうございます。
エイダ本人の声だったんですね、誤解してました。最初の夫はその声がちゃんと聴けてたんですね、ベインズ、そしてスチュアートも最後には。
humさん、コメントありがとうございました
観る度に複雑な気分になり、切なくて切なくてやるせない気持ちになる本作、また大画面のスクリーンでしかも綺麗な4K映像で観られてよかったです
humさんのレビュー文も素敵で勉強になりました
共感とコメントをありがとうございます。
それまでの、4者の有様、世界観を表現する映像、そして心をかき乱されるピアノの音色と、出色の映画でしたが、
あの、ラストの海のシーン。忘れえぬ映画となりました。
予告に「女性ならではの感性なんて言わせない」という小川さんのコメントがありますが、あの展開は女性にしかない感性だと思います。
現代ですら、他人に左右されることの多い女性の生き方。あの時代なら、なおのことでしょう。でも、そんな中での自我の目覚め。とてもショックでした。
すごい映画ですね。