ハワーズ・エンドのレビュー・感想・評価
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登場人物誰にも共感できず
高評価が多いので私好みではないと思いながら観ましたが、全く良さがわかりませんでした
私の映画能力が低いのでしょうけど
当時のイギリス上流社会の人達の考え方には呆れるばかり
かと言って労働者階級の人にも共感できず
ヘンリーもその子供達+嫁もジャッキーもみんな嫌
中流階級?のマーガレットとヘレンはまともに思えていたけど、土地からマーガレットもおかしくなったように思えたし
登場人物のほとんどに好感が持てなくて全然面白さが感じられませんでした
肌感覚ではわからない
登場人物たちが生き生きとしていて、それぞれの
信条での行動は揺るがなく
多少の設定が変わればどこの世界にも起きそうなようにも思える。
ハワーズ・エンドという邸宅をめぐって
階級の異なる二家族が
妙な縁に振り回されつつ理解し合えるのか、
そんな主題。
気持ちとしては好きと思っても結婚となれば
価値観の違いというものはより如実になる。
そこをわかってくれる人に家を受け継いでほしいと
いう気持ちはわからいでもない。
しかし前述したように価値観の違い、だけではなく
イギリスなのでそこには純然たる階級の違いも
存在している。
実業一家は階級的にはそれほど高くはなく、
実利ばかりで教養も足りてないという
認識があるのだろうと思う。
知的階級のマーガレットたちはむしろ
そういったことでの差別はいけないことだと
理想主義として教育されている。からこその
貧乏青年とも恋に落ちる。
行動の基盤がそこにあるんだろうというのは
頭ではわかるのだけれど
そんな階級世界をよくわかっていないので、
イギリスやヨーロッパの人たちがこの作品を観て、
肌感覚で「わかる」ところが
おそらく自分には理解できてないのではないだろうか。
評価高かったから観たけど、良さが分からなかった
身分違いの恋やタイトルにもなっている名家の別邸ハワーズ・エンドの所有者を巡るゴタゴタに
次第と明らかになる運命的な繋がりが組み合わさって物語が進んでいくんだけど、
盛り上がりに欠けるし、その割には時間が長いしで、私には合わなかった。
原作の小説は名作とされているようだから、たぶん本として物語に触れたら、
情景描写とか文章の綴られ方で惹かれるような作品なのかなと感じた。
人気小説を映画化したけど、うまく映像化できなかったという印象です。
【”現実主義と自由博愛主義との狭間で起こった様々な出来事と人間模様をハワーズ・エンド荘は静かに見守っていた・・。美しき、英国の田園風景が、この作品が醸し出す気品を支えて居る作品でもある。】
ー 自由博愛主義のシュレーゲル家の聡明な姉マーガレット(エマ・トンプソン)と、美しくも愛に奔放な妹ヘレン(ヘレナ・ボーナム=カーター:ティム・バートン監督とお付き合いを始まる前だったので、ヘンテコな役ではない。)と現実主義のウィルコックス家の長、ヘンリー(アンソニー・ホプキンス)を始めとした思想、生き方の違う人々の姿を、ウイルコックス家所有のハワーズ・エンド荘は、静かに見守っているようだ。
ハワーズ・エンド荘の周囲の美しい自然と共に・・。ー
・ヘンリーの妻ルースのみが、聡明なマーガレットと病床で交流を深めるシーン。そして、末期の彼女が鉛筆でメモに遺した言葉。だが、ウィルコックス家の人々は、”その言葉”を受け入れられずに、破り捨て暖炉で燃やしてしまう・・。
・ヘンリーと、マーガレットが惹かれ合って、婚約したのはお互いにないモノを持っている事に対する敬意から産まれた愛情であろうと勝手に解釈する。
ー ここは、劇場で観た際にも唐突感があった。今回も完全に払拭出来たわけではない・・。ー
・だが、終盤、情無き、チャールズ・ウィルコックスが、ヘンリーのアドバイスの転職を勧めた”ミス”で困窮したレナード・バストに行った仕打ち。その結果、ルースが遺した言葉通りになりシーン。
ー ”家が人を選ぶ”とは、正にこのことである。ー
<初回、鑑賞時には一部難解に思えた作品であるが、再見すると人の心の機微の変遷や、運命の残酷な悪戯が、上手く描かれていると思った作品。
英国の田園風景を映し出した映像も、大変美しく、この作品の醸し出す気品を支えて居る作品でもある。>
<2019年10月20日 京都シネマにて鑑賞>
<2021年 4月27日 別媒体にて再鑑賞>
美しい郊外の風景、街中の様子など、様々な階級の英国の香りが漂い、ホ...
美しい郊外の風景、街中の様子など、様々な階級の英国の香りが漂い、ホプキンスの紳士ぶりがその英国風の味わいをより一層引き立てている。登場する人物像はそれぞれ個性豊かで、その人生を名優達が見事に演じていた。
流石イギリス
グリム童話ばりのブラックユーモアな話。
当時の貴族の暮らしぶりや考え方がよくわかり
建物、家に対する思いが、日本とはまるっきり違うんだなぁと。。。
イギリス、改めてUnion Jack
恐るべし!と思いました。
イギリスのコテージハウス、その500年
題名のハワーズ・エンドは家の名前。イギリスの500年も前のコーテージ・ハウスを舞台にした20世紀初頭の物語。見終わっての感想は、この映画もまた幾つかの建物が主役となり作られていた、ということ。かってカズオ・イシグロの映画「日の名残り」を見終わった時と同じ印象だ。
ハワーズ・エンドは同時代の田園都市を開発したハワードと関係があるのではないか、映画を見終わった後、気になり図書館で調べてみると、池澤夏樹さんが彼の個人編集・世界文学全集の1巻として吉田健一訳「ハワーズ・エンド」を発刊していたことがわかった。やはり名作は「観るより読め」かと思いつつ、池澤さんの解説を読むとこんなことが書かれていた。
イギリス文学には日本文学の花柳小説とは異なる「風俗小説」の伝統がある。・・・・登場人物の個性よりも社会性の方がプロットを駆動する。役者以上に舞台装置の力が大きく、個性の神話としてのロマン主義には傾かない。作者と読者の間に、暗黙のうちに、社会について共有する理解がある。
なるほど、これでわかった、「日の名残り」も「ハワーズ・エンド」も建物が映画の主役と思ったのは、このイギリス文学の伝統にあったのだ。物語の内容については本を読んでからゆっくり考えることにしよう。「眺めのいい部屋」もそうだったし、「二都物語」・・・・。やはり建築空間が気になるなら、イギリス文学は「観るより読め」ということのようだ。
池澤さんの巻末の解説によれば、「ハワーズ・エンド」の家はロンドンから数十キロ離れたハーフォードシャーにいまでも健在、作者であるエドワード・モーガン・フォスターの母の家だったそうだ。
貧家の母アリスは裕福な女性の家に引き取られ、家庭教師の資格を得る。母アリスを引き取ったマリアンには建築家を目指す甥がいた。この甥とアリスの二番目の子が「ハワーズ・エンド」の作者エドワード。最初の子は生まれて間もなく亡くなり、次男のエドワードが生まれるとすぐに夫も結核で死ぬ。甥を失ったマリアンはエドワードとアリスをずっと庇護しようと決め、やがてアリスとエドワードはハーフォードシャーの家に引っ越し、映画にある「古くて小さくてなんとも感じがいい、赤煉瓦の家」に住むこととなる。つまり、「ハワーズ・エンド」の作者エドワードはこの家で幼年期を過ごし、映画監督ジェームズ・アイヴォリーはこの家を舞台として「ハワーズ・エンド」を撮った。
映画でのこの家の所有者は保守的な実業家ヘンリー(演じるのはアンソニー・ポキンス)の妻ルース。やがてルースは遺産として「ハワーズ・エンド」を親友である自由主義的なマーガレットに譲り、さらに「ハワーズ・エンド」はマーガレットの妹ヘレンと知的だが不運な労働者パスト氏の間に生まれた不義の子に引き継がれる。つまりハーフォードシャーの500年前のコーテージ・ハウスは映画や物語の中でも現実と似たような経過を辿り生きつづけていく。
ジャッキーはどうなった?
4Kデジタル・リマスター版が公開。映像はさすがに綺麗だし、上流階級の生活ぶりもよくわかる。ウィルコックスの当主であるヘンリー(アンソニー・ホプキンス)はアフリカ植民地に関わる会社を経営して富豪になった様子がうかがえる。フランスと争ってアフリカの植民地を増やし続けていた大英帝国。帝国主義万歳とか婦人参政権を論じていたりと当時の社会情勢も勉強になる。
ロンドン郊外にあるウィルコックス家所有の別荘ハワーズ・エンド。シュレーゲル家と因縁めいた付き合いにより、長女マーガレット(エマ・トンプソン)が老婦人ルース(バネッサ・レッドグレーブ)の世話をしたことから、「ハワーズエンドはマーガレットに」という遺言を残すまでになったが、他人に譲渡するなんて・・・と、鉛筆書きだったこともあり、ウィルコックス家は遺言書をもみ消してしまう。そのハワーズエンドが両家と低所得者層のバスト夫妻が奇妙に絡み合っていくのです。
レン・バストはある講義でヘレン・シュレーゲルに傘を持って行かれ、ちょっとだけ親しくなるのですが、これがまた1年後に重大な転機を迎える。「勤めている保険会社は年末に倒産するから今のうちに転職した方がいい」などというヘンリーの言葉を信じ、マーガレットとヘレンはレンに忠告するのだが、予想もしない展開となっていく。
奇妙な縁で・・・という大まかなプロットは、そこまで膨らませなきゃならないのか。それに過去の愛人問題、現在の不倫、見事に絡まってはいくものの、最終的には殺人事件で終わり?と、どうしても腑に落ちない。そんなことより、貧富の格差をもっと描いてほしいと感じるし、低所得者層を舐め切った言葉で罵倒するなど、いつかは没落するはずの大富豪も何様?といった感じで嫌悪感でいっぱいになる。
ちょっと古めかしい展開のため、伏線だとか感情線だとかは無視した帝国主義叙事詩みたいな印象も受ける。感情がもっとも現れるはずのヘレンとレンの描写も足りなさすぎ。むしろ内面を抉っていたのは当主ヘンリーの揺れまくる失態だったかもしれません。
下層階級は同じ人間とは思わない意識
インテリ中流階級の姉妹と庶民のバスト夫妻と上流階級家族が田舎の別荘ハワーズ・エンドを巡って交わっていくが、階級意識の違いが浮かび上がる物語。
1990年代の日本人が憧れるイギリスの生活とは?
ロンドンの伝統的な建築や慎ましく豪華な衣装や屋敷に田園の別荘。
重厚で豪華な内装や家具。優雅なお茶の時間と忠実な執事やメイド達。そんな夢のような描写の数々がこの作品の特徴ではあるが・・
一見優雅に見えるイギリス上流社会に属する人々は、階層違う人間に対する差別心や特権意識が、美しい映像と重厚な美術の中で、静かに描かれる。
それは、下層階級は同じ人間とは思わない意識。
インテリ姉妹は、上流階級の一員なり、ささやかな抵抗をするが、理解はされない、分かり合え無い。
下層に属する庶民のバスト夫妻に、共感して見てしまう自分には、選択のミスにより職を失い路頭に迷う姿は、とても他人事とは思えない。
しかも夫のレナード・バストは、ある仕打ちにより亡くなり、その妻がその後にどうなったか?も描かれない!?
ちなみにバストの妻は、貧しかった少女期に、上流階級のヘンリー氏の愛人をしていたが、それを汚点としている。
本作は1992年英日合作の作品で、日本の資本が入っていたのもバブル期だったからと、アイボリー監督作品の「モーリス」(1987年)の日本でのヒットを受けてだろうと推測している。
1992年当時の日本はバブルが弾けたとはいえ、一億総中流社会で豊かな日本では、感じ難かった階層意識が、今の日本の社会情勢だとこの作品世界に近づいていると、実感出来て暗澹たる気持ちになる。
今回のリバイバル上映でもエンドクレジットに拍手する人もいたので、ともかく映画としては、とても美しい映像と素晴らしい演技陣の上出来な文芸作品です。
メイドとか英国とか、お屋敷とかにはまっていた時期に見ました。 物語...
メイドとか英国とか、お屋敷とかにはまっていた時期に見ました。
物語はぼんやりとしか覚えてないのですが、
そういう時代を感じられる映画を見たかった時期だったので大満足でした
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