「知ることの大切さ」薔薇の名前 あっさり醤油ラーメンが好きさんの映画レビュー(感想・評価)
知ることの大切さ
現代と比較して知識の獲得が十分でないが故に、宗教に縋るしかなかった時代の悲惨さ、痛ましさ、悍ましさを目の当たりにした印象です。分からないことを一つ一つ地道に解明していくことの大切さを改めて痛感しますし、哲学や科学を黙殺していた教会には憤りを覚えます。
こうした宗教と科学の対立は青のエクソシストなどで既視感がありましたが、「女は生来邪悪な存在」と言い放ち、聖母マリアすら例外ではない(本来は邪悪だが神の御業によって神聖な存在となった)かの様に仄めかす修道士の態度には驚きました。教会がマグダラのマリアを事実に反して売春婦に貶めたことはダン・ブラウンの小説にありましたが、まさか信仰の対象である聖母マリアにすら内心否定的だったとは考えもしませんでした。主人公の進歩的なウイリアム修道士でさえ「神が女を創りたもうたのには何か理由があるはず」などと、女性の存在意義を積極的に肯定できない様子でした。現代のタリバンと大差ないように見えますが、そのタリバンもカトリックのように将来考えを改める時が来るのでしょうか。
悪魔は左手に宿るとされ、描かれる悪魔のほとんどが左利きのキリスト教修道院で、僅か副司書一人とはいえ左利きの修道士がいたことも意外でしたし、教皇庁がローマではなくアビニョンにあったことも知りませんでした。
洗うが如き赤貧に民衆が喘ぎ、怪死事件が連続して起こり、民衆を導くべき修道士が教会と異なる思想を黙殺していてはあまりにも救いがないということなのか、無実の少女は磔刑を免れ、自らに異を唱えるウイリアムを異端呼ばわりする異端尋問官は怒れる民衆の手によって崖下に転落死させられますが、これらが何らかの救いになっているのか、粗末な食料と引き換えに下劣極まりない醜悪な修道士の慰みものになることが、少女にとって無実の磔刑と比べてどれほど良いことだったのか、私には分かりませんでした。