鳩の翼のレビュー・感想・評価
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温暖化で沈みゆくヴェネツィア、思い出とともに。
ヴェネツィアのアフロディーテ。
午後の光を浴びながら、石段に斜めに身を横たえて ゴンドラの行き来を眺める。
きざはしの上には読みかけの本と、藁苞(わらづと)のキャンティ。
リンゴとパン、そして無造作に投げ出された女神たちの日傘・・
三人でのデートはあまりにも絵になるけれど、でも僕は気付く、そうなのだ、
ミリーが撮ったカメラには、親友ケイトと、(ほのかに心寄せる)マートンしか写っていない。
・ここに来れて良かった、
・友達も出来た!
・思い残すことはない。
サン・マルコ寺院のバルコニーで独り、ハンケチを握って嬉しさと見納めの十字を切るミリー。
ミリーは、「嘘」がわかっている。でも割りきれない。夢が見たい。
ミリーは羽目を外したいのだ。でも“去っていく者として”こんなにも自分にブレーキをかけている。
死を前に、英国~イタリアと旅をするこの美しい乙女ミリーに対して、せめては精一杯のもてなしを贈りたいと願った、恋人ふたりの奔走と葛藤がひりひり痛いのです。
そして地味だけれどミリーのすべてを知って支える黒髪のスーザン(エリザベス・マクガヴァン)からも目が離せない。
ミリーのメイクがどんどん変容する。ベニスは美しい街なのに、なぜ死と切り結ぶのだろうか、
小さな礼拝堂で、修復の足場に駆け登って「職人は何処?修復の完成、我見ること能わず」と嘆くミリーに、屋根裏のどこかで鳩が静かに啼いたのでした。
鳩の声が心に残ります。
鳩の声はミリーの声。
マートンはしがない新聞記者。後日彼が執筆した小説がこの思い出の日々のプロットになった・・と言った感じですね。
「じきにすべてが順調に運ぶわ」と遺言のように呟いた亡き友の声は、マートンとケイト、=残された二人の いまだ心の天蓋に響いているのではないかな・・
撮影、構図と光。そしてもちろんあの衣装と小道具のすべてが落日の階層を見事に捉えて、これは紛れもなく大作です。
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「死の間際の友人のために、
例えどんな犠牲を払ってでも、出来得る限りの持っているものすべてを捧げたい」と願った経験のある人ならば、
共感のさざ波は、ひた寄ってくるのではないでしょうか。
ベニスに行きたくなる
ミリー(エリオット)は病気で死期が近い。しかし憐れみを受けたくないので病気を隠している。そんな中、ケイト、ミリーとマートン、そしてスージーと共にベニスへ旅行に行くのだが、このベニスの風景がとても綺麗。巨大なセットと夥しい数のエキストラ。カーニバルの真っ最中ということもあって、下町文化と上流階級の衣装が美しく融合する。
ミリーにはマートンとのことを友人だと紹介したために、ミリーも彼に恋をする。病気のミリーに同情したケイトはマートンを譲ろうとするが、キスシーンを目撃すると決心が揺らぐ。やがて、静かにミリーは逝ってしまうが、その描写があまりにも静かで、死んだのかどうかもわからないくらいだった。
ヘレナ・ボナム・カーターが大胆ヌードにもなっているが、ロングショットでもあり、セックスシーンも体を合わせているだけの静かな演技。もっと彼女の心理描写を重要視するべきなのだろう。無駄にシャーロット・ランブリングやマイケル・ガンボンを出演させているような気もする。
美しい想い出に負ける現実的美女
ジェームス・アイボリー監督の映画の
ヘレナ・ボナム・カーターが奔放で
好きなのだが ここでは貧乏に苦しむ美女
を演じている
(監督はイアン・ソフトリー)
友人の金持ち美女と主人公とその恋人の
三角関係が ( 見ているほうには楽しい)
主人公にはだんだん苦しみに変わってゆく
金持ち美女は 育ちもよく知的で 優男との
美しいイタリア旅行をより美しくする
出自の違いで勝敗が決まってしまう
のだろうか…
金も恋人も手放せない主人公は 小賢しく、
美しい景色の中に沈んでゆく…
主人公を責めることはできないが
恋愛において 自分をどう魅せていくか
は戦略でもある
ライナス・ローチの優男っぷり、
シャーロット・ランプリングの冷たい
まなざし、そして何よりイタリア旅行の
映像が流麗で美しい
なお、製作総指揮がワイスタイン兄弟で
びっくり!
ライナスローチが好きなので
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