「見るものに自身のクズ性を振り返らせる映画」バッファロー'66 shunsuke kawaiさんの映画レビュー(感想・評価)
見るものに自身のクズ性を振り返らせる映画
どうしようもない惨めで悲しく情けない不器用なクズ野郎というのが世の中にはいる。
それは、おそらく世の中の男性の結構な数が抱える闇の、あるいは病みの性分であり、この映画はそんな反社会的な見る側(男性)の一部分を悲しく切なく馬鹿らしく見せつけてくる。
主人公ビリー・ブラウンは、恋人はいないし、友達も互いに切磋琢磨できるような親友ではなく、髪がボサボサの浮浪者のような格好で、頭が悪いグーン(のろま)しかいない。普通はのろま扱いして馬鹿にしてる人のことは友達とは言えない。だから、友達もいない。
そして、両親はというと、地元バッファローのアメフトチームの応援に人生を捧げて、一人息子の人生に全く関心のない母親、そして息子のやることなすことに腹を立てて怒鳴り散らす父親だ。この両親から全く愛情を授かったことがないビリー。
だからこうした愛もへったくれもない両親がビリーのような惨めで情けない男を世の中に意図せずして放り投げたかのようにみえる。でも、非常に個人的な話、こんな親はけっこういる。アメリカのバッファローだけじゃなく、日本だってたくさんいる。世界中にいる。だから共感できるわけだ。わたしの両親もどこかこういう面があった。世の中のダメな親の要素を、犯罪者手前の要素を濾してところてんにしたらこんな素晴らしいキャラクターが出来あがった!この映画には惨めなビリーを産み育てたこの親とじぶんの親を照らし合わせ想いをはせることができる、そんな絶妙な素晴らしさがある。
この親が世界規模で存在するなら、そのビリーの惨めさ情けなさ不器用さはもちろん世界規模だ。これは俺だ!と観客(私)は思い、ビリーがデニーズの便所で「もう生きられない」と泣くシーンに共感してしまい…追い詰められて、ストリップを開いたと聞き、そいつの罪をかぶった、中年ハゲのジャバザハットのような男と共にキングクリムゾンの絶妙な脳内選曲でストリップでスイサイドする。素晴らしい!そしてものすごく悲しい。人生はカスだと皆(男性諸君)が思い、ビリーのスイサイドの刹那にカタルシスを得る。
と思いきや、あのなんとも志村けんのだっふんだのようなラストの展開に、若い頃見た時は安心したのに、結末を忘れていておじさんになった今、改めて観て、少しムカついてしまった。若い時は純粋にビリーが可哀想で死んでほしくなかった。おじさんの今、ビリーのスイサイドを望んでいる自分に自身がビリー化、クズ化しているのではと思わせる恐怖の瞬間だった。
クズ性は、生まれつき性格がよいか、しっかりものの親の愛情たっぷりなしつけがない限り多くの人が自然と授かるものだと思う。でもこの年になって親がどうのこうのは恥ずかしくて…そんな惨めな発想しかできない自身のクズ性は消えるどころか増幅していると思わせる恐怖の映画であった。