π パイのレビュー・感想・評価
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【”216桁の数字“高等数学に憑りつかれた男の狂気性を、斬新でグロテスクな映像とテクノ、アンビエントミュージックを効果的に使い、描き出した作品。】
ダーレン・アロノフスキー監督の長編デビュー作。
■天才的な数学研究者であるマックス・コーエン。
ある日、彼の家を満たしているコンピューターが暴走し、数字の羅列を弾き出した。
マックスはそれが世界の株式相場の未来の動向を示すモノであり、且つユダヤ教のモーセ五書の法則の神秘の数字だと知り、その解析に没頭していく。
そして、マーシー・ドーソン率いる謎の株組織に追われ、ユダヤ教のラビたちにも・・。
且つて、πを研究していた老人ソルと交流を続けるも、彼も又失踪。
一方、だが同時に、彼はひどい頭痛と奇妙な妄想にとらわれていく・・。
◆感想
・ダーレン・アロノフスキー監督は、今作の脚本も手掛けている。
フィボナッチ数列なんて、久しぶりに聞いたよ・・。
ハーバード大では、人類学を勉強していたのではないのかい・・。と思ったら、作品構成は人間の脳に焦点を当てたモノだった。成程。
・前衛的な現実と幻想を行き来するような、不思議な感覚に襲われるモノクロ描写と目まぐるしい展開がスタイリッシュである。
それを後押しするようなジャーマンテクノの様な無機質なエレクトロポップ、アンビエントミュージックの使い方も効果的である。
・随所で出てくる、グロテスクな脳の視覚的インパクトも大である。
<マックス・コーエンが高等数学にのめり込み、ユダヤ教組織や謎の株組織に追われつつ、自我を失って行く過程がスリリングである。
そして、彼は自らの頭にドリルを当てて・・。
高等数学のラビリンスから解放されたマックス・コーエンの表情は穏やかだ。
かつての様に、3桁乗算は、最早解けないが・・。
ダーレン・アロノフスキー監督の巧妙な脚本と共に、映像センスが印象的な作品。
優れた映画監督は、初長編で、その才能を既に発揮していた事が分かる作品でもある。>
インテリ臭〜。
ブラックスワンの片鱗は
チープ
森羅万象、全ては数学で説明できるという主人公の主張は狂人の妄想と言う訳でもない、世界中の物理学者が神の数式と呼ばれる宇宙統一理論の探求を真摯に続けている。
最新研究の扉を開いた一人が超絃理論を編み出したジョエル・シャークであり、34歳で自殺してしまった夭逝の天才である。彼は宇宙は多次元でできていると書き残した、まさにSF映画でおなじみのパラレルワールドの世界である。
本作を観ながら何故かシャークと似た臭いを感じて惹きこまれたのだが、出てくるコンピューターはどう見てもパソコンだし、大衆受けを狙って研究の効用として株式予想とか宗教とかを絡めるから急に安っぽくなる。ユダヤを持ち出したのもアインシュタインの名声を借りたかったのでしょう。
難しい研究と頭痛と妄想はなんとなく因果関係がありそうだがクスリの常用、挙句にはドリルで頭を突く暴挙まで行って死にもせず、才能を失って安らぎを得ました、めでたしめでたしとはふざけた話になってしまいました。
天才数学者の葛藤の様、心理描写としてあえてモノクロで手持ちカメラの不安定映像を多用するのも前衛的との評価狙いなのだろうが使い古された手法で今や予算の無い学生の実験映画でもやらないだろう。
思い込みに取り憑かれた学者の狂気性を映像表現したかっただけの残念な映画に思えました。
数字に囚われ、法則に囚われる男の話。全体を通して白黒で男の演技にさ...
まあまあだった
昔見た時は面白かったような印象があって、監禁されて数字の謎をといて脱出する話だと思っていて『キューブ』と混同していた。見たのが同時期だったのだろう。数学のことなんか分からないので、全体的になんのこっちゃって感じで頭良さそうなのをひけらかされたような気分になった。謎の組織みたいな連中にお金もらって数字を教えてしまえばよかったのではないだろうか。けっこう退屈した。
音楽がジャングルで懐かしかった。
何かがわかりそうになる瞬間
数字で世界のすべてがわかるかもしれない、そういう妄想に刈られた数学者の話です。
ある一つの事象と別の事象を関連付けるのは人間の知性の初歩的な段階なのではないかと勝手に想像するんですが、ソースはありません。原始文明における魔術は科学の生みの親、とみる見方もあるようですが、「雨が降ったら作物が育つ、だったら雨が降らなくても畑に水をまけばいい」という経験的な法則からくることも科学的ですし、「恨みを持つ相手そっくりの人形を作って痛めつける」という魔術も、じつは類似のメカニズムなんじゃないかとおもいます。
また西洋文化の二元論の限界を多くのポストモダンの哲学者が指摘するように、実は数学や言語というのは真実に近づいたり、何か新しいものを作るための道具にはなりますが、そのものが真実になりえることはないという、歴然とした事実があります。たいていの人はその道具を真実と思い込み妄信したり懐疑したりするんですが、じつはそれはナンセンスで、目の前にある「それ」そのものが真実であるわけです。この辺は仏教が得意な分野だと思いますが、この映画のラストではそれがいいたかったのではないかと思います。
禅文化と共通するのかな?この監督のほかの作品を見ても問うよう哲学への関心が感じられますし、たぶんその辺の解釈でいいのではないかと思います。
面白い映画でした。
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