ノスタルジア(1983)のレビュー・感想・評価
全43件中、21~40件目を表示
【難解なる名匠・タルコフスキー監督作の中では、比較的に分かり易い監督自身の想いを描いた作品。】
■通訳を伴い、霧深いイタリア中部を旅する詩人・アンドレイ。
彼は自殺したロシア人音楽家・サスノフスキーの取材のため、モスクワからこの地にやって来ていた。旅も終わりに近付いた頃、アンドレイはある温泉町で人々から変人扱いされている老人に出会う。
◆感想
・相変わらず難解なストーリーである。
- だが、この作品に魅入られる自分が居る。-
<今作は、ソ連を追われたタルコフスキー監督の想いを込めた作品である。間違いなく秀作であろう>
「死」への諦念を抱く、画家的・詩人的タイプの琴線に静かに触れる
祖国に母と妻、娘と息子を残し亡命した詩人。(設定では亡命ではないが、後のタルコフスキー像を投影し)
世界の滅亡を憂い妻子を7年家に閉じ込めた挙句、その妻子に愛想をつかされ捨てられたインテリ。
共に初老の哀しい男が「火」によりそれぞれ命の灯を焼き尽くすことになる芸術的悲哀劇。
これで五度目くらいの視聴となるが、「絵」の素晴らしさに毎度心打たれると共に、今回ようやく上に書いたストーリーが明確化し、ジワリ心に浸透。
自分が死ぬまで何度見ることになるのだろう? と苦笑う
難しい
2022年5月20日
映画 #ノスタルジア (1983年)鑑賞
ソ連を離れ“亡命者”となったタルコフスキーの初の異国での作品であり、祖国を失ってさまよう彼の心情が如実に出た、哀しく重厚で、イマジネーションに溢れた映像詩
というのを知らないとよく分からないと思いました
情念深いカメラワーク
【あらすじ】
旧ソ連の詩人アンドレイがイタリアを旅する物語。
祖国に残した妻や子供への郷愁の念に苛まれながら、詩人として国家の弾圧や検閲と闘い、肉体と精神を疲弊していくアンドレイ。
そんな中、信仰により世界を救おうとするドメニコに出会い、彼に一つの願いを託される。
【感想】
美しい映像と情念深いカメラワークに引き込まれるタルコフスキーの芸術性に満ちた作品でした。
過去への郷愁と現実への諦観が交錯した世界観を生み出し、その精神世界を読み解く難解なストーリーですが、ラストに向けて信念を貫く二人の男の姿は強烈な印象を残すものでした。
ブログの方では、ネタバレありで個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
興味を持って頂けたら、プロフィールから見て頂けると嬉しいです。
【タルコフスキーの心/希望】
タルコフスキー作品のなかで、最も映像が美しい映画だと思う。
この圧倒的映像美は絵画表現のようでもある。
そして、もう一つ重要なのは、タルコフスキーの水表現について、この作品で解が与えられたことだと思う。
序盤で映し出される絵は「懐妊の聖母(マドンナ・デル・パルト)」だ。
ルネサンス初期のピエロ・デラ・フランチェスカの作品だ。
マリアの顔が、言い方は悪いが、憮然としているように見えるのが印象的だ。
フィレンツェのサンマルコ美術館にあるフラ・アンジェリコの「受胎告知」のマリアは、戸惑いながらも、処女であり妊婦であり、母になる優しい予感もしたが、こちらは、大きくなったお腹を突き出して「なんか、神様の子供、身籠ったみたいよ」と不貞腐れているようにさえ見える。
妊娠を告げられ、戸惑いもあったが、希望もあった。しかし、お腹が膨らむにつれて、どうも何かがおかしいと疑問を持つようになった感じだ。
自分の祖国に対する希望が次第次第に薄れていく感じと重なるものを感じたのだろうか。
既に言われて久しいことだが、この作品のアンドレイはタルコフスキー自身のことだ。
そして、僕は、ドメニコはタルコフスキーの心なのだと思う。
アンドレイとドメニコの会話は、自問自答のような気がするのだ。
温泉は祖国。
温泉の湯煙は、何かを隠しているもののたとえなのだろうか。
この作品でも滴る水の音や、屋内にも降り注ぐ雨など水の表現は多い。
ドメニコは演説の中で、水は根源なのだという。
水は、万物を育み、人間が生きていくためには必ず必要なもの、拠り所になるものだ。そして、時には、悲しみなども洗い流し、浄化し、宗教的な意味も持っているように思う。
蠟燭の火は、きっと情熱だ。
ドメニコの最後の演説はタルコフスキーの心の叫びだろう。
ピラミッドは完成させることが目的ではなく、続けることが重要なのだ。
だが、ドメニコは焼身自殺し、人々はこれを傍観し、歓喜の歌が流れる。
タルコフスキーの心が死んでしまったのだろうか。
そして、ドメニコに指示された通り、アンドレイが温泉に駆けつけると、既に、温泉は枯れてしまっていた。
何かを隠すように覆っていた湯煙もほとんどなくなってしまっている。
希望はついえたのか。
そうした希望のない場所で、情熱を燃やしても、役には立たないと言いたいのだろうか。
だが、枯れた温泉ではあるが、なんとか蝋燭の火を灯すことが出来たことは、希望が潰えていないことを表しているのではないか。何も、希望はタルコフスキーだけではないと言っているようにも思える。
そして「1+1=1」は何を指し示すのか。
誰が考えても解を導き出すことが出来ない数式は、タルコフスキーのどうすることも出来ない気持ちなのかもしれない。
この作品の後、タルコフスキーは亡命する。
タルコフスキーは、ノスタルジアになるのだ。
タルコフスキー
オープニングから絵画的な美しい霧の田園風景に圧倒される。モノトーンに近い彩度を落とした映像から教会の祈りのシーン。次はセピア調の映像と、見事なまでのコントラスト。
しかし、ストーリーもよくわからないし、詩的な表現にも全くのめり込めない。それを補って余りあるくらいの映像表現だけで充分満足なのです。ベートーベンの楽曲を中心とした重厚さも感じられますが、モノトーン映像部分での心情描写が光ります。
焼死するシーンにも度肝を抜かれ、その後ライターの火を触りながら逡巡する老人の姿。すべて絵画的。母の思い出に捧げると書かれたエンディングにもレクイエムを感じさせます。
ただ感じるための映画
大好きな映画に、惑星ソラリスがある。
映画館でもビデオでもDVDでもBlu-rayでも、そりゃ何度も観たよ。
タルコフスキーの映画は、それだけだった。
観たいのは山ほどあるのに。
やっぱり、あの世界観は銀幕で観たい。
今日はまた、タルコフスキーの特集がはじまったシネマテークで、初めての2つ目の作品となる、ノスタルジアを観ることができた。
鏡もストーカーも観たいのに時間が合わないという理由もあったが。
観れるタイミングが、観るべきベストタイミングだから。
時間も長いとも短いとも、ちょうどよかった。
途中何度も睡魔が襲うが、それもありだと理解してる。
だからではないと信じたいが、まったくわけのわからない映画だった。
これは超ホメ言葉だからね、念のため。
あのタルコフスキーだよ。
評論家でもあるまいに、あのシーンの意味とか、あのセリフがどーだとか、わかったところでなんになる?
わかんないから、すごいんだよ、この監督作品は。
だって、母に捧ぐとエンディングに表明したように私的な映像なんだからわかりっこないよね。
主人公アンドレイとかドメニコとか、結局人は自分の世界の中に生きてて、その背景に家庭や社会や宗教観があって、端から見たら理解できない。
いや、わたしが鈍感か理解不足なだけの部分も大きいのだろうけど。
変態だから1回観ただけで理解できるより、気になって気になって何度も観る、スルメ映画が好きなのもある。
それも、観てみないとわからないではないか。
今日わからなくても、10年後に観たらど真ん中のストライクってこともあり得るからね。
映画の魅力は、お茶の間ではなく、旅先のような映画館でないと感じれない何かがある。
あの奥深くて美しい世界観と心象描写。
ロシア語をイタリア語で訳すシーンのセリフでも、芸術は翻訳できないといったように。
この映画は翻訳するのは野暮ってことで。
ただ感じるための映画だと思ってる。
ただそれを深く味わうのに、わたしにとってタルコフスキー作品はもってこいの極みに君臨しているのです。
追記:2024/1/31
やっとこれで2回目。
前回は3年前のシネマテークだったけど、その後ミニシアターとしてお役目を終え現在、新たにナゴヤキネマ・ノイとして再建中。
今回は、パルコの中にあるセンチュリーシネマにて。
タルコフスキーは高校か学生時代に惑星ソラリスを観て、わけがわからず、だけど衝撃的で、美しく、心の奥深くに突き刺さる何物かと対峙させられる。
その後何度も何度も観るはめとなり、スルメのような鑑賞方法には慣れてるけど、この監督の作品にはどこかに確実にヒットするところがあって、大好きな映画監督なのだ。
なのに、他の作品にまで手が出せず、ここ数年でリバイバル上映されたのをきっかけにノスタルジアを観たわけだけど。
当然、まったくわけがわからなかった。
印象的なシーンは記憶され、心に残りやすいけど、そこじゃない。
だけど1回目ではただそれだけ。
観光地でいえば、ただ行っただけの状態だ。
だから冒頭から、あれ?これ観たことないシーンばかりだけど、やっぱり勘違いで今回が初なのか、よほど記憶力のない頭なのか疑った。
でも、中盤から徐々に思い出してきた。
それでちょっと余裕が出て、映画の深部へ入り込もうと、雑念を消してただ観る行為に集中してみた。
4K修復版のパンフが売ってたけど、詳しい内容はどうでもいいので買わないでおく。
地名もわからず、撮影地や映画の舞台が何処なのか、登場人物の名前もはっきり覚えれないうちに映画は終わった。
そんな曖昧な記憶でも重要なのは、自分は何を感じたか、だ。
だからこのあと書くのは曖昧な記憶による印象であって、もし間違えててもそこは各自修正してください。
主人公は詩人のロシア人男性。
霧がかった景色の、イタリアの何処か田舎にある温泉街。
そこにモスクワから来たロシア人が取材のため、通訳のイタリア人女性と一緒に訪れる。
旅のはじまりは、古い教会なのかマリア信仰の宗教施設。
滞在ホテルと野外温泉が舞台の中心となり、ときどき故郷の霧がかった風景の中で家族が妙な表情で佇むシーンがクロスする。
土地で出会った重要人物が都会のローマに行って、街頭演説したまま焼身自殺するシーンは衝撃的なのに、雑踏の見物人はみな無慈悲なところが残酷すぎて。
エンディングの文字スーパーに母に捧ぐとあるので、ソ連を追い出された監督がイタリアでやっと映画撮影が出来、理不尽な世界や哀愁をひしひしと感じるストーリーではあるが。
それは表層的に誰もがわかる設定やシチュエーションであって、そうした背景を通して全体には一貫した監督のメッセージが浸透しているのが、どこかに確実に伝わってくる。
そのひとつには、霧がかる風景がモスクワに似てるとか、古代の自然崇拝に近い廃墟のような宗教施設が暗くジメジメしてたり、やたら雨が降ったり、最後はボタボタ落ちる豪雪の雪に変わる。
これはそういう土地の描写でもあるだろうけど、これだけ徹底的にやってるので相当意味がある。
一度でも晴れて、太陽の日が射すシーンは皆無なのだ。
水に、そして、闇と火。
薄暗いシーンの連続で、闇が圧倒的に多い中で、蝋燭の火が風に靡いて弱々しいにもかかわらず、とても力強く描かれる。
それは、無残な死を選んだ男が炎に包まれるシーンの強烈な火とは対照的に、慈悲深い救いの光となる。
それは崇高な祈りであり、その命そのものを暗示するかのように。
今回、そういうストーリーの中で気づいたことは、女とか女性性へのリスペクトだった。
母に捧ぐという言葉からも、それはたしかだと思う。
宗教施設で日本の田舎の古い祭りのようなシーンがあり、通訳の女性が興味深く見守る中で大地母神のようなマリアに祈るシーンがあり、そこで唯一男性である神父にきく。
なぜこの祭りは女性ばかりなの?と。
神父は、呆気にとられて答える。
女性は子供を産むからではないかと、しかし男にはわからない、そんなこときかれたことも考えたこともなかった、と。
これがこの映画のひとつのテーマというか、骨になってるなと思った。
男女の考えた方の違いや、矛盾や葛藤といったものが複雑に展開して、無慈悲でありながら物語を豊かにしていく。
主人公は監督の化身だから、そんな一人の男として描き抜かれてるなぁと思った。
というわけで、わからないことだらけの映画だけど、また次はいつ観ることになるのか楽しみだ。
とりあえず次は、ストップメイキングセンス観るぞ!と。
芸術作品は難解でつまらない
総合:50点 ( ストーリー:30点|キャスト:65点|演出:75点|ビジュアル:80点|音楽:65点 )
映像にも撮影にも演出にも芸術的な美しさ・儚さがある。でも解りづらいし、面白くはない。何がしたいのか、登場人物たちは何を目的にしているのか、主題は何なのか、理解できない。静かで冷たい雰囲気も後作の『サクリファイス』とよく似ている。
映画界にはたまにこういう作品があるが、良さもあるとはいえ、時間を犠牲にして観るには難解すぎて覚悟がいる。覚悟がないまま他のことをしながら観たので余計に解りづらくなる。
静か
ホラゲ実況の観すぎだろうか、凄くそういうものに見えた。やることはシンプルだけどじわじわ精神が蝕まれていく系の。しっかり理解するにはあと5回くらい観る必要がありそうだ。
絵画的というのか、ドラマチックな画面が美しい。高画質で観るべき。
GYAO!にて
犬だけが静かに鳴き続ける
なんだこれは⁉︎
私如きに理解できるレベルの映画ではありませんでした。
とにかく、宗教的な映画は理解がとても難しいですね。
特に今作はとてつもないメッセージ性があるように思うのですが、残念ながら理解不能。
まあただ、この映画は本当に映像的にも素晴らしいので、映像メインで見ました。
セリフが圧倒的に少ないです。
内容が掴み取りにくい要因の一つはこれかもしれません。
静かで沈黙が続くため、雨音や生活音などがやけに耳に残り、強く印象付けられるカットも多かったです。
登場人物の視線や顔の表情、また、光の当て具合による調整、モノクロとカラーの使い分けなど演出がかなり凝っています。
でも、やはり内容はさっぱり訳がわからなかったので、勉強して出直してきます。
また、GYAOで鑑賞したのですが、GYAOのあらすじで堂々とネタバレをされました。
早稲田松竹にてデジタル版とフィルム版見比べる。
高田馬場の早稲田松竹にて、「サクリファイス」と「ノスタルジア」のアンドレイ・タルコフスキー監督二本立てを鑑賞したが「ノスタルジア」のみ、デジタル版と35ミリフィルム版を同日の時間違いで上映する素晴らしい企画があった。
睡眠導入剤映画と名高いソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキー監督を2回連続で見るのはシンドイのでは?と思ったが貴重な機会なので、挑戦。
最初にデジタル版(10分ほど睡眠に襲われたが)を見てからフィルム版を鑑賞。
その後に35ミリフィルム版を鑑賞。
かなり古いフィルムで、キズもあり若干退色しているが、コントラストが穏やかでディテールが潰れておらず色や彩度も豊かで柔らかい画調で大変美しくて見やすいので驚いた。
デジタルリマスター版は、コントラストが強く硬質でディテールも潰れ気味。色もアッサリしており、まるで別の映画。
デジタルへの変換作業や素材の問題もあるかもしれないが、やはりオリジナルフィルムの保存がまだまだ必要と感じる。
映画もともかく映像の詩人のタルコフスキーなので、画面の美しさに酔いしれる。
タルコフスキーお得意の水周りの描写の美しさは、近年の撮影技術が進歩した映画と比較しても素晴らしい。
ちなみに難解だと思ったが、2回連続で見ると割と腑に落ちてお気に入りになった。
とうとう、観た!そして、粉砕。
19歳で東京に出た1979年、この監督の作品「ストーカー」が公開された。1972の「惑星ソラリス」1975の「鏡」を中心に度々名画座で上映され、当時の情報誌「シティロード」では「タルコフスキー作品を見なければ、もぐりだ」というオーラを感じる記事が掲載。(ぴあ が既に主流だったが自分はなんだかシティロード派だったんだよなあ)
そんな時代に青年を過ごした自分としては、タルコフスキー監督作品のうち、SFである「ストーカー」「惑星ソラリス」は観ているが、残る「鏡」「サクリファイス」「ノスタルジア」を観ていないことが、長く心に引っかかっていた。(「アンドレイルブリョフ」もあるか…)
それを今回、早稲田松竹さんのおかげで、とうとう、それも心に引っかかっているうちの二本立て「サクリファイス」「ノスタルジア」という豪華組み合わせで、観ることができた。
観念的な映画だろうから、今回は予習してから行ったよ。再び観る機会はなかなかないだろうし、DVDを買おうにもタルコフスキー作品は高いし。
しかし、そんな俺の努力は、秋の強風に舞い散る落ち葉のように、簡単にかつ見事に吹き飛ばされたよ。2分に一度は寝た。「あ、やばい」と、すぐ目を覚ますのだけれど、たしかに何度も落ちた。あらすじを全部読んでから行ったので、落ちまくっても、話はかろうじてわかるのだが、その話もまた何を言いたいのかよくわからない話。
もちろん、「この映画の各シーンは、それぞれ何を象徴するのか」という数多くの問いかけに対して、監督が「それらは象徴ではなく比喩であり、スクリーンの中で起こっていることは現象である」と答えていることも予習済だし、「ストーカー」「惑星ソラリス」で慣れているつもりだったが、どうしてどうして。タルコフスキー監督作品は、そんな予習程度で理解や共感に至るものではございませんでした。
話題のラストシーンを「綺麗だな」と確認するのが精一杯で、劇場を後にしたのでした。完。
2020/9/10 追記
このレビューじゃ、タルコフスキー監督を誤解されかねないので、早稲田松竹さんの、短いが的確な紹介を載せておきます。
> 聖なる狂人に導かれて世界を救おうとする男
う〜ん、素晴らしい。「早稲田松竹 タルコフスキー」で検索すればヒットしてくる紹介記事を、是非参照ください。
映像の散文詩
このシーンは、この台詞は、この映像は何を語りたいのか?説明はない。
途中夢物語が挿入される等、フェリーニ監督の映画を思い出してしまう。
ユング心理学を片手に、感性と想像を駆使して読み解きたくなる。
フェリーニ監督の映画の脚本家がこの映画の脚本を手掛けているからか。
けれど、フェリーニ監督の映画程、ユーモアがあるわけでもなく、シニカルでもない。
ひたすら愚直に美しい映像ーグラビアの写真のような=が展開する。
信仰・自由がキーワード?
映画の中では”ロシア”と言っていたから、ソ連崩壊後の話かと思った。
監督が活躍する頃には緩んだとはいえ、規制の多かった”ソ連”で子ども時代を送った監督。そんな監督が、イタリアに出国し、この作品発表の後に”亡命”宣言をしたという背景を考えながら見ると、いろいろな意味づけをしたくなる。
とはいえ、シーンシーンごとに愚直に思いをぶつけてくる。
しかも”翻訳”では”詩”の本当の内容は伝わらないという映画のセリフを体現するように、極限まで”台詞”を減らした作り。
そんな制作映画であることを楽しめるかで、この映画の評価は変わる。
壮大で煌びやかなカソリックの世界ではなく、土着の迷信が絡んでいそうな、素朴なキリスト教がベースであり、終末感溢れた世界。 世界はすでに滅びかけている?
とはいえ、散漫でわかりやすくはない。
下手すると眠気に襲われるのに、
それでも、映像に引き込まれて、目が離せなくなる。
正直・・・・
正直言ってよくわからないというのが素直な感想ですが、信じられないぐらい綺麗な映像を見るためだけにも、この映画には鑑賞価値があると思います、さすがタルコフスキー!
それぐらいしか言えないな・・・・キリスト教徒だったらもっとわかるかもしれないです。
風景画
狙った構図であろう?オープニングから最後まで上品な絵画を映像美で表現しているように映る。
明確なストーリーさえ理解出来ずに睡魔との戦いに集中してしまい背伸びしてタルコフスキーの良さを感じたいと思った結果は置いてけぼりにされてしまった!?
モノクロの映像が過去のことなのか?妄想?音楽家の人生?ラストのロウソクも含めて何も理解出来ずに。
万全の体調で映画館で観ていたとしてもウトウトすること間違いなしな恐るべし!?タルコフスキー!!
計算された映像美は確かにすばらしいが鬱に落ちそうなほど病的で怖い。...
計算された映像美は確かにすばらしいが鬱に落ちそうなほど病的で怖い。
内容も一度では理解不能。
むしろ解説付きのスライドショーで観たかった。
全43件中、21~40件目を表示