小さな巨人のレビュー・感想・評価
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ベトナム戦争の時代背景が生んだ、アメリカ白人至上主義を批判したペン監督の作家的良心
「奇跡の人」のアーサー・ペン監督が、アメリカン・ニューシネマの「俺たちに明日はない」「アリスのレストラン」の次に演出した異色の西部劇映画。この異色の意味は、ハリウッド映画が創成期から主要ジャンルとしてきた西部劇において、アメリカ国家の自由と平等と共に標榜してきたフロンティア精神(移民国家の精神的支柱)を誇示した歴史に対する、人道的な修正と反省を濃厚に表現していることです。ネイティブアメリカンの人たちに対する差別からアメリカ騎兵隊が行った虐殺の事実を公然と扱い、白人至上主義を批判し戦争そのものを否定するニューシネマの意義があります。もう一つは、デビュー作「左きゝの拳銃」で題材と演出の映画表現が不調和に終わった失敗から得た脚本選びに、ペン監督の新たな試みが感じられることでした。「左きゝの拳銃」が失敗作でも正攻法で真面目な演出が「奇跡の人」で成果を残し、「逃亡地帯」「俺たちに明日はない」で一流監督になったペン監督は、この作品では更に余裕と安定感を持って演出しています。これは偏にトーマス・バーガー(1924年~2014年)の『Little Big Man』(1964年)のピカレスク小説として完成度が高い原作に惚れ込んでの選択だったからと想像します。なんとこの原作の映画化権を最初に持っていたのはマーロン・ブランドといいます。1973年のアカデミー賞授賞式で「ゴットファーザー」の主演男優賞を拒否し、アメリカ先住民の女性が代理でスピーチした時は唐突な違和感を感じましたが、今更ながら意図が解りました。主人公ジャック・クラブをブランドが自ら演じたかったのか、それとも制作か演出をしたかったのか分かりませんが、1966年に「逃亡地帯」に出演した関係から、誠実なペン監督に映画化権が移譲されたのでしょう。
121歳の老人ジャック・クラブが11歳の時にシャイアン族に拾われ、戦士として成人してからは白人社会と先住民族の世界を行き交う運命に翻弄される物語は、ジャックの一人称のナレーションで進みます。数奇な経験を冒険譚の武勇伝のように語るお話は、老人特有の記憶と思い込みが混在したホラ話のようで、それでいて白人社会の欺瞞と先住民族の追い詰められた歴史的事実を冷静に描いています。養子になった先の聖職者のペンドレイク夫人が不貞をして最後は売春婦に堕ちるエピソードや、ペテン師メリウェザーと放浪の旅をするコメディ、実在の人物ワイルド・ビル・ヒコック(1837年~1876年)の最期に見届けるシーンなど、ペン監督の抑制の効いた諧謔を弄する演出が生きています。おふざけになっていない演出タッチは、ペン監督の誠実な姿勢を裏付けていると思いました。演じるペンドレイクのフェイ・ダナウェイとメリウェザーのマーティン・バルサムの有名スターが本来キャスティングされないであろう汚れ役を熱演しています。対してシャイアン族のオールド・ロッジ・スキンズを演じたチーフ・ダン・ジョージの渋味と泰然自若な演技が対照となり際立つ効果を生んでいました。この映画は、第一にトーマス・バーガーの原作の面白さと贖罪、第二にペン監督のコメディとシリアスをバランスよくまとめた絶妙な演出、そして役者の演技は特に主演のダスティン・ホフマンの巧さと適正を観て感じて其々が思い、移民国家アメリカの歴史を俯瞰することに価値があります。盲目になったオールド・ロッジ・スキンズとジャックが再会する映画中盤のシーンがクライマックスでした。白人と先住民族の死生観の違いを哀しく語るロッジ・スキンズの台詞に、この映画の主題が込められています。“生きようとする命も白人どもは殺してしまう”
この映画で変人のパロディとしてアイコン化した影の主人公ジョージ・アームストロング・カスター将軍(1939年~1876年 享年36歳)は、リトルビッグホーンの戦い(1876年6月25日)で中佐として率いた第七騎兵隊を全滅させた人物として歴史に刻まれており、当時のアメリカ白人社会の英雄と祭り上げられて多くの西部劇映画の題材になりました。記憶にあるのがラオール・ウォルシュ監督の「壮烈第七騎兵隊」(1941年)を中学生の時に日曜洋画劇場で観ています。カスター将軍の最期を派手に演出した娯楽作品でした。前年の13歳の時には、ワイルド・ビル・ヒコックをゲイリー・クーパーが演じたセシル・B・デミル監督の「平原児」(1936年)を観ているのですが何も覚えていません。1967年制作ロバート・シオドマーク監督ロバート・ショウ主演の「カスター将軍」は見逃しています。10代で印象に残っているのは、サンドクリークの虐殺(1864年)を扱ったラルフ・ネルソン監督キャンデス・バーゲン主演の「ソルジャー・ブルー」で、騎兵隊の軍馬がアメリカ国旗を踏みつけるカットが強烈な印象として残りました。ネルソン監督は、「野のユリ」「不時着」「泥棒を消せ」「まごころを君に」「...チック...チック...チック」と観ていて、黒人差別や人道的なテーマを扱う異色監督として一寸理屈っぽい人でしたが嫌いではありません。この同年制作の「ソルジャー・ブルー」と比較して、今回漸く見学できたペン作品が物語の語りの面白さで上回り、映画としても完成度が高いのは明らかでした。また、この騎兵隊内部の不条理と人間の功名心を冷静に批判したジョン・フォード監督の「アパッチ砦」(1948年)は、リトルビッグホーンの戦いのカスター将軍をモデルにしたヘンリー・フォンダの人物像、それでいて英雄視しない切り口に感銘を受けました。この時代で騎兵隊を美化しない映画として貴重なフォード作品になっていると思います。
西部劇の記念碑
シャイアン族酋長の“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が心に響き…
「俺たちに明日はない」「奇跡の人」の
アーサー・ペン監督のこの映画、
もう何度も観てはいるのだが、
TV放映を機にアメリカ西部開拓史を
振り返る意味でも再鑑賞した。
この作品、白人と先住民の間を行き来する
男を通じての西部開拓史ものなのだが、
自分の中では、再鑑賞で評価が大幅に高まる
作品の一つとなった。
元々、ともすると説明不足・御都合的とも
言われかねない各エピソードのつなぎ部分を
大胆にカットした構成が、むしろ、
この作品の世界に観客を引き入れる魅力的な
要素の作品だったように感じてはいた。
しかし、今回の鑑賞では、
一部のコミカルな要素に目を奪われて
認識外となっていた、
秘められていた深い世界観に
更なる気付きを得たような鑑賞となった。
ただ、牧師の妻から娼婦に身を落とす女性、
片手片足を失うペテン師、
またワイルド・ビル・ヒコックの後日談は、
読み切れない人生の奥深さを表すため
なのだろうが、
本旨に絶対に必要な要素とは感じられず、
また少し間延び感もあり、
これらをカットして2時間位にまとめた方が
良かったのではと思った。
ところで、この作品でも描かれた
理不尽な先住民部落の襲撃と虐殺を扱った
「ソルジャー・ブルー」という作品がある
が、同じ年(1970年)に公開されていた
ことに初めて気が付いた。
西部開拓史上の先住民へ強いた負の歴史は、
この頃から大きく問題視され始めていた
のだろうか?
また、実は直前に、Y・N・ハラリの
「サピエンス全史」を読んでいたのだが、
ネアンデルタール人に勝ち抜いた
ヨーロッパ人としてのホモ・サピエンスの
末裔が、
北米大陸に先にたどり着いていた先住民の
ホモ・サピエンスを蹂躙したのだと考えると
複雑な想いにも繋がった。
それ故か、ラストシーンで
シャイアン族の酋長が神に語る
“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が
心に響いた。
先住民ホモ・サピエンスは自然と共に生きる
姿勢だったが、
今、世界をリードしているホモ・サピエンス
は自然と対峙して生きる姿勢を
選択してしまったように感じる。
我がホモ・サピエンスは
どこで道を間違えたのだろうか。
米国の成立を裏側から覗いた個人の翻弄
テーマ 時代 背景地域 ストーリー 映像 演出 役者の面構え そして音楽!
反骨の、しかし真の、ジ・アメリカン・ムービー。
この徹底した白人社会批評や英雄批判、先住民と自然信仰へのシンパシーの表明は、いくらアメリカン・ニューシネマ只中といえど、我々現代人には及びもつかない勇気が必要だった事だろう。
その語り口はアーサー・ペンらしい詩情と知的な軽妙さを前作よりも自信に満ちて洗練させている。
史実に基づいていながら寓話的味わいをもち、世間では人気の没入型コンテンツのカウンターとして機能する批評的視点を崩さない本作の語り口は、後のある種の擬似実話映画のお手本として機能しているように見える。
ジョン・アーヴィング原作の映画化作品群や、「ロイヤル・テネンバウムズ」などだ。
個人的にはディック・スミスによる老人化特殊メイクアップの伝説になった代表作品と知ってから40年近く経って、今やっと観られた事にパズルピースをはめた様な小さな安堵を覚えている。
蛇足
この映画は当時は娯楽映画として成立して受け入れられたのかも知れない。
しかし現代の一般人レビューを見る限り、これはすでに芸術として保存するしかなさそうだ。
優れた映画は万人に理解出来るとか、受け入れられるなどと考えるのは大いなる間違いだ。
時代と共に観客の劣化や変容は起こる。
絵画や小説の歴史をみるがいい。
もう現代の多くの大衆には、芸術をみる時も西洋思想的・進化論的直線思考の誤謬が蔓延っている。
「昔のものは劣ったもの」という論考前提が無批判無自覚に設定されているのだから、最早其れを一部の他人が修正するなど無理な話だ。
だからあなたがこの映画を気に入って、大衆の評価が低いからと言って気不味くなる必要はない。
堂々と「これはいいものだ」と宣うがよろしい。
生きる、もしくは生かされてる上で、大切なこと
波瀾万丈な人生
よき日はまだまだ先のようです
多少面白おかしく作られているこの作品にはとても深いメッセージが込められていると思うのです
アメリカと言う国のことやあらゆる偏見や差別
自分が正しいと本気で思っている人はもう誰の言葉も届かない
どの時代、どの国でも変わり無いのでしょうね
たぶん最初に見たのは中学生の頃
あの時の印象は酋長の言葉や行動が面白かった
特に最後のシーンなどはね
その後見た時はインディアンへの仕打ちの惨たらしさばかりが心を覆った
そして今回はもっともっと全体的に彼の人生を振り返って注目している私がいることに気が付きました
私ももう人生の半分以上を生きてきたので死に対してのいくばくかの考えは、ありますし気になり始めています
死をイメージはそのまま生へのイメージでありどう生きていくかに繋がっているのでしょうね
こんなして今は真剣に思っていても3日と経たないうちにまた元の自堕落な生活に落ちていくのは渡りきったことなんだけどそれでも今は真剣に考えています
人の歴史や文化や技術は何なのだろうかとか今手にしてこの文章を書いているスマホは本当はいらない物だろって
とうとうシラフでこんな文を書くようになっちゃった
暑さに参っているのだろうか
しかし思考は止まらないのです。
名作
ダスティンホフマン主演で人妻に迫られる展開は『卒業』っぽいなと映画ネタで考えてしまったけれど、本編はひとりぼっちになった主人公が先住民に育てられ、アメリカの開拓~インディアンの迫害~リトルビッグホーンの戦い~そして現代とアメリカがたどった歴史と主人公がたどった過酷な人生を重ね合わせているのだろうか。
白人による先住民の弾圧、文明社会が正しいのか?というメッセージが込められていたけれど、憧れていた外の世界よりも実は育った場所のほうが居心地がいいのでないかというメッセージも感じた。
最後の主人公と育ての親の族長が雨の中立ち上がり歩いていく場面は”人間”はどんなにつらくてもそれでも生きていかなければいけない・・・そんな力強さが伝わってきた。
中二病の僕のトラウマ的な西部劇。
主人公の奇妙な人生をコミカルに描いた寓話だ。中学校2年位に月曜ロードショーで観た記憶がある。斬首の場面が印象に残って、暫くの間、トラウマだったが、本日2回目の鑑賞で妄想と理解した。つまり、ジェノサイドの場面が斬首の場面と見ていたようだ。
やはり、アメリカンニューシネマそのものだが、それまでのアメリカ製の西部劇とは違っていた。もっとも、僕にとっては西部劇はイタリア製になっていたので、残酷な場面はそれ程ではなかったが、ジェノサイドでしかも女性や子供への虐殺はさすがのイタリア製でも無かった。
しかも、家族の絆とか言った内容を無視して、この主人公の人生をコミカルに描くだけとしている。その点がきわだって残酷で、ネイティブアメリカンにとっては何一つ解決されぬまま終了する。
コミカルな寓話だが嫌に現実的に感じる。つまり、言い訳なくカスター将軍を悪として描いている。そこを大いに評価せざるを得ない。僕にとっては傑作である。
不思議感を味わえるかが鍵
アクションでもないしコメディでもヒューマン系とも言えない。何とも不思議な映画。次々と場面が変わり、一風変わった人生を歩むことになるので、強いて言えばファンタジーかと自分は思う。ごちゃ混ぜと言ってもいいかな。緊張感も感動も期待せず、終始リラックスして観る... 何ともレビューが難しい。
現代で言うと、ジョニー・デップの映画のような雰囲気かな。
ナレーションがしっかり入るので、ユーモアやノリが合う方は大いに気に入る可能性がありますね。
私は70分過ぎまで頑張って観てましたが、眠気が上回ってしまったため、お目当てのフェイ・ダナウェイは前半で美しくお役御免で鑑賞したし、これにて面白みがない映画と判断してストップボタン押しました。
ダスティン・ホフマン
軽い感じが重い
不思議な人生
白人と先住民のあいだをいったりきたり…
いろんな職業につき、様々な人に出会い、
設定がすごく魅力的だった
主人公の演技も良かった
どうしても真夜中のカーボーイを思い出してしまう
たまに入るコミカルさも良かった
結局主人公はその場その場で生きのびるために
白人に戻ったり先住民になったりで、最後は白人社会に馴染んだんでしょうか?
アメリカのこの時代のことや、有名なガンマンとか、知識があったら
もっと楽しめただろうな、と思いました
性格良さそうだったのに、年取ったらすごいひねくれた感じになってたのはなんででしょう
おもしろい映画でした
『ダンス・ウイズ・ウルブス』の先駆け
総合:75点 ( ストーリー:85点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
その老人はかつてアメリカ先住民シャイアン族との生活で、小さいのに大きな男を殴り倒したために「小さな巨人」と呼ばれた。老人の語る彼の過去が喜劇調に軽く進んでいくので、最初はそれを軽薄と感じてあまりはまれなかった。
しかし話は西部開拓時代の厳しい現実があり、また彼の人生は壮絶な波乱万丈な見応えのあるとても興味深かいものだった。そしてその中に、アメリカ先住民と白人の対立とシャイアン族の虐殺という、アメリカの歴史的事実に基づく暗黒部を堂々と晒していた。要所要所で登場する部族の長が象徴的な役割を演じている。
古い映画だし決して全ての演出の質が高いわけではないが、それでも心に刺さる内容だった。観終わってみると、この重厚な話を描くのに喜劇調の演出もそう悪くないと思えた。
この映画の完成するほんのちょっと昔まで、アメリカはアメリカ先住民を野蛮な敵と描いてひたすら撃ち殺す映画を作っていた。1964年にはジョン・フォードの『シャイアン』がその流れに一石を投じたが、1970年代にはこの作品のようにはっきりと違う流れが出来た。本作はアメリカ先住民の名前を持つ白人が先住民側の立場を観るという点で『ダンス・ウイズ・ウルブス』の先駆けになっている。
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