タクシードライバーのレビュー・感想・評価
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名作シリーズ
?あれ?ポスターが変わった?
ロバートデニーロがジャンパーのポケットに手を入れてるポスターがカッコ良かったんですよね?
勉強不足ですみません。古い映画でいつ観たかも覚えてないのにレビューするのも場違いですが、とにかく面白かったカッコよかった記憶があります。かと言って45年前の映画を見る勇気もありません。覚えているのが日本のタクシードライバーがギャンブル、多額の借金を背負ってる、ローンの審査が通らない悪いイメージを一掃してくれました。タクシードライバーと言うロゴまでがカッコ良く聞こえます。この映画の後に次から次から擬似タクシードライバーのオマージュ作品が出て来ます。良い思い出のままにしておきます。
絶対名作のはずです。やっぱり見てみるかな?
単なるバイオレンスではない
海兵隊上がりのタクシー運転手が、街角のガラス越しに見かけた選挙応援の仕事をしている彼女を茶店に誘って口説くシーンが最高。大きなガラス窓のすぐ外を通行人や定期バスが止まったり発車したりするのを見もせずに、パイやフルーツサラダを口に運ながらデカカップのブラックコーヒーを、味も分からぬ気で見つめ合い、しゃべったり合う午後4時の休憩時間。その後映画を見に行ったのはいいがポルノだったのに怒った彼女はタクシーを拾って帰ってしまう。彼の捨て台詞「送ってやったのに」印象的な場面だ。
目がキラキラ光った自信満点なR・デニーロの中に巣食った無鉄砲な言動は、過酷な戦場体験に依るPTSDと容易に理解出来る。単なるバイオレンスではないのだ。
スコセッシ監督の第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。
チョイ役のJ・フォスターが、複数の助演女優賞と新人賞をかっさらった貴重な作品でもある。
BGMがもっとも印象的
クオリティが高く感じるが1975年と結構古い映画。
ストーリー自体少し強引だし、主人公もいうほど社会不適合者か?といった感じで犯罪に手を染めていくほどでもない感じがする。
最後、少女を助けたのかなこれは笑
英雄になるのか。
雰囲気を楽しむのには良い映画かも。
哀愁漂うトランペットの音楽が最高に心地よい◎
汚い方のレオン
主人公は戦争帰りの元兵士、帰国してタクシードライバーを職にする男性。
売春、薬物取引、裏社会の人間達などを目にして車道を運転する主人公は鬱屈としていく。
一人の女性ベッツィに恋をして、ボランティアとして彼女の会社に入り込む。付き合いを続けるものの、デートコースにポルノ映画を選んで付き合いが切れる。そのうち、大統領候補をスピーチの場で襲うという計画を立て始めた。
途中売春している幼い家出少女アイリスと知り合いになり、少女の売春を止めるよう説得しつつも、主人公はテロの準備をする。
最後テロは失敗し、代わりにアイリスの娼館を襲い、支配人やバイヤーを殺害した。
結果、彼は未成年売春を止めた英雄になり、帰郷したアイリスの親から感謝の手紙が届いた。
彼は退院後、元のタクシードライバーとして働く。
人と接する主人公の姿はまるで映画「ナイトスクープ」の主人公のような薄ら寒い信頼のなさを感じた。
アイリスに宛てた手紙の主人公の拙い筆跡、虚栄心を見透かすような大人(大統領候補とベッツィ)の目と言葉、手紙やアイリスにつく卑しい嘘の数々(ベッツィという付き合ってる女性がいる、麻薬捜査官でタクシードライバーは捜査のため等)が人間模様が濃くて見ているこちらを抉ってくるよう。
政治や難しいことは理解できないけど、周囲に嫌気が差していて、本人は非常に内気、だから誰にも相手されない。それが辛いから体を鍛えて人を襲おう。
好きになれない主人公だ。
誰かと繋がりを持ちたい、他人に必要とされたい、自分を認めてほしいという素朴な欲求のはずだけど、どうにもうまくいかない。
独りよがりで、人間にも社会にも不満と恨みを持ってテロの準備をし、ますます孤独になってく様子は哀れさよりも危険人物としての危うさが目に映る。
誰かを助けたような、何かを成し遂げた人間になりたいんだろうなというのが見ていて伝わる。
同い年の大人やポルノ映画を見に行かないような生き方の人間には相手にされず、一回りは年下だろう子供相手でようやく喋れた姿はいたたまれない。
「どうして分からないんだ」は少女だけじゃなくて自分以外の人間と社会に向けた言葉のようだ。
結局、大統領候補の人間を襲撃することも叶わず、アイリスのいる娼館を襲って支配人やらを殺していく。
彼は本気でアイリスを助けたいと思ったわけじゃない。それなら、殺人を犯した後に拳銃自殺しようとはしない。弾切れで出来なかったけど。
当初言っていたように、「逃げよう」とアイリスを連れ出して家に送ったと思う。
主人公にとってアイリスは可哀想な犬猫と変わらない。可哀想な境遇を偶然知ったというだけだ。
大勢の前で権力者を殺害した有名人か、娼館を襲った人間になるかの分岐で、彼は結果的に未成年売春の現場を明らかにして少女を助けた形になった。
殺人で刑務所行きでも全くおかしくないと思う。
ラストのベッツィを送り届けた後のルームミラー、あれは何だろう?彼はヒーローになっても全く変わっていない、満たされていないように見えた。
今見てみると、こうしたどこか鬱屈した心を溜め込み、苦しむ人はどこにでもいて、周りとの繋がりもうまく行かず、最後最悪の形(テロ)で発散する、とまでいく人間が出てくるかもしれないというメッセージを感じた。主人公が、日常に密接してるタクシードライバーだからなおさらだ。
見本市
面白いけど人が感じてる面白みと違う気が…
ベトナム戦争の帰還兵だとか、
戦争によるPTSDだとかそう言う難しい事は置いといて、
トラビスって中2病じゃん!
と言う面白いさ。
トラビスに中学生の自分を重ねて
恥ずかしくもなり懐かしくもあり、
男はみんな心の中にトラビスを。
みたいな並走する気持ちになった。
好きな女の子と初デートにポルノを見せる
どうかしてるトラビス。
ふられてキレるトラビス。
体を鍛えだすトラビス。
拳を火で炙って熱さに耐えるトラビス。
銃を片手にカッコ付けるトラビス。
正義のヒーロー気取りのトラビス。
恥ずかしくもあるけど、
男はみんなトラビス。
だから愛させれる作品なのかな?と思う。
鍛えてたからなのか、首を撃たれても平気なトラビスな
「良かったな!」と肩を叩いてやりたい気持ちになった。
絶妙に生理的に無理
タクシードライバーとして働くベトナム帰還兵のトラビスが徐々に危険なテロを計画していく様子を描いた話。
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『ジョーカー』がこの話を原型に作られたと聞いて、やはり比較して見ずにはいられなかった。社会の隅で生きる男が徐々に人の道を外れていくが、『タクシードライバー』は結果的にーローになって、『ジョーカー』は悪のカリスマになる。
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見た目の残念さも狂気もアーサー(ジョーカー)の方が遥かに上回るのに、私はトラビスの方が無理(笑)見た目もそこまで悪くなくて、割と普通の人に見えるのに、話が通じないのが絶妙に気持ち悪い。
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女性関係については、トラビスはデートにポルノ映画見に行ったり、何回も電話かけたり普通に気持ち悪い行動を取る。明らかトラビスが悪いのに全くなぜ上手くいかないのか理解出来てないのが狂気。でも、アーサーは妄想の中でしかデートしてないので失敗がないので生理的に無理さを掻き立てられなかったの大きい。
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あとはやっぱり映画の世界では妄想だったとしてもヒーローになるよりヴィランになる方が惹かれてしまうんだろうな。
義憤に駆られた狂人
「ジョーカー」を観た時、バットマン、ダークナイト、タクシードライ...
今、観るから共感できる。
初代ナイトクローラー!!
冴えない男が理想の女性を見つけてグイグイいく出だしで掴みはOKで、中盤からは人生論(「酒を飲み女を抱いて楽しめ。人生はなるようにしかならない」)やオープンワールド要素がありました。40代で特に目的もなく生きている自分にとっては、刺激があって毎日楽しくしたいなあと思えてくる良い映画でした。夜の場面が暗く感じる程度で、内容的には特に旧さを感じませんでした。
マーティン・スコセッシ
孤独が招く狂気~最後の階段での銃撃戦は息をのむ
初めて観た時ハマってしまいました!
サイコパス
見終わった後はなにかが残る
駆け巡る、走馬灯のような
オープニングからラストまで
駆け巡る、走馬灯のような映画。
よく議論になるラストシーンは、
私の見解ですが、トラビスの死に際に見た幻なのでしょうね。
皮肉な形であれ、どうあれ、
彼の潜在的な理想が形になることなど、あり得ない
叶えてしまったら、あの映画のテーマに背くことになってしまう気がしますね。
首を撃たれた時点で彼はもう死んでいて
そのあとはすべて、幻だと思います。
下手をすれば撃たれたあとは、すべて幻なのかも
そうなれば、彼はただの押し入り強盗、殺人を犯した犯罪者ですよね。
店を襲い、そのまま何事もなかったかのように処理された
あの強盗のように、なにも残さずに終わるだけのこと
仮に指のピストルで自殺まで出来たとしたら、彼にしたら上出来なのではないでしょうかね。
それ以降の栄光や名声など、臨むべくもなく
それすらも、トラビスにはうまく想像できなかったような気がしますね。
新聞に取り上げられるが、それ以上のイメージが彼の中にないから、形になってこない。
アイリスの両親の顔が出てこないこと(見たことがないから)も含め
彼の髪型含め、表情も肉体も精神も「あの頃」のままで
彼女に振り向かないというのが、彼の死に際にまで見た理想だったのでしょう。
最近はこのような、結末や展開を観客に委ねる作品が少なくなりましたね。
わかりやすい答えを求める観客が増えた所為と
商業主義的に結末まで編集できるようになってしまったからでしょう。
こういった名画に類する作品は貴重だし、今後更に稀少になってゆくのでしょう。
美しい映画です。
事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。
ベトナム帰還兵の青年トラヴィスが抱える孤独と苦悩、そしてそれにより引き起こされる暴走を描くクライム・サスペンス。
監督は『ミーン・ストリート』『アリスの恋』の、後の巨匠マーティン・スコセッシ。
ニューヨークでタクシードライバーとして働くベトナム帰還兵、トラヴィス・ビックルを演じるのは『ミーン・ストリート』『ゴッドファーザーPART Ⅱ』の、レジェンド俳優ロバート・デ・ニーロ。
12歳の娼婦アイリスを演じるのは『アリスの恋』の、後のレジェンド女優ジョディ・フォスター。
アイリスを商品として扱うポン引きの男、スポーツを演じるのは『ミーン・ストリート』『アリスの恋』のハーヴェイ・カイテル。
なお、スコセッシ監督本人もタクシーの乗客としてカメオ出演している。
👑受賞歴👑
第29回 カンヌ国際映画祭…パルム・ドール!
第2回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作曲賞!
第19回 ブルーリボン賞…外国映画賞!
人間の内面に迫ろうとする、芸術的かつ純文学的映画。いわゆるアメリカン・ニューシネマに属する作品であり、他の作品同様に暗くて残酷で娯楽的ではない。トラヴィスは最終的に英雄として迎え入れるものの、その勝利はどんよりとした澱みの中から彼を拾い上げてはくれない。
余談だが本作が公開された1976年には、アンチ・アメリカン・ニューシネマとも言える映画『ロッキー』もまたスクリーンに登場している。
アメリカン・ドリームの象徴として今なお燦然と輝く『ロッキー』が、アメリカン・ニューシネマの到達点とも言える本作と同年に公開されているというのはなんとも興味深い。80年代に向かうにつれてアメリカン・ニューシネマはだんだんと下火になっていくのだが、1976年というのはそのちょうど転換期であると言えるのかもしれない。
作中でトラヴィスに向けて放たれるセリフ「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾」というのは本作の本質を非常によく捉えている。
彼は欺瞞と悪徳の満ちるニューヨークに嫌気が差しており、この街を出て行きたいという欲求を持っているが、実際にはタクシードライバーとして、彼が悪と断ずる人々のために従事している。
政治には無関心でありながら惚れた女が支持している議員には賛同を示しているし、また、ふられた腹いせにテロを画策する凶暴さを持っている一方で、売春に身を落とす少女のことを本気で救い出そうとする清き心も併せ持っている。そしてポルノ映画を好み暴力に関心を示す一方で、銃器を鏡の前で構えて喜ぶという幼児性も持ち合わせている。
このように、トラヴィスという人物の心理と行動は整合性がないようにも見える。しかし、矛盾している様にも思える多面性こそが、我々の人間の本質。
この映画が描き出しているのはトラヴィスという異常者の姿ではなく、普遍的な人間の姿なのだ。
また、この「事実と作り話が半分半分」という部分にこそ、本作の核心があるように思う。これは映画の構成そのものの説明なのではないだろうか?
終盤になると物語は大きく動き出すが、果たしてモヒカンにしてからの彼の行動は本当に真実か?鏡の前で銃を取り出し子供の様に戯れる彼が、あれだけのことを為し得るのか?
仮にそこが真実だとして、売春宿での銃撃戦とその後のエピローグはどうも繋がっていない様に思える。あの部分は真実か?それとも死の淵で彼が見た走馬灯か?
全ての解釈は観客に委ねられている。
この映画は人間の本質を鋭く貫いた託宣とも言えるし、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こした様に、観るものを狂わせんとする麻薬の如き毒物とも言える…。あなたは果たして本作をどう捉えるのだろう?
※2024年11月、BS松竹東急にてノーカット版放送を鑑賞。
今回再鑑賞して思ったのは、やはり物を書く人間が主人公の作品は、映し出された事をそのまま鵜呑みにしてはならないという事である。
冒頭、トラヴィスの目のクローズアップから映画が始まっていることに気づく。本作のエンディングで描かれた意味深な視線の意味がわからなかったのだが、なるほどあれは冒頭のシーンに繋がるものだったのだ。つまりこの冒頭と最後のトラヴィスの目線は、終わりと始まりがグルグルと回り続ける、灰色の日常という無間地獄を意味する描写なのだ。
それを示すように、本作では“レコード“が象徴的に扱われている。特に気になるのは、アイリスとスポーツのラブシーンでのレコードの使われ方だ。スポーツがレコードをかけると、そこから流れるのはあの“テ〜テ〜テ〜テレレ〜ン“という本作のメインテーマなのである。
冒頭から何度も何度も使われるこの楽曲。これがトラヴィスの脳内で流れているミュージックなのだとしたら…。
彼はアイリスのいる娼館でこの音楽を既に聴いていたのだろう。彼女に惹かれた彼は、自分がヒーローになるような物語を自作し、それを日記形式で書き表した。本作で描かれているのは最初から最後まで、全てがトラヴィスの考え出した嘘であったのだ。
この考えが正しいのかどうかはわからないが、この様に考えると、何処にも行き場のない男の虚しさ、都会で孤独に生きる人間の悲しみがより痛切に迫って来はしないだろうか。
※※改めて観直すと以前よりも面白く感じられたので評価を上方修正。
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