「信仰とどう向き合い、どう生きるべきかのメッセージ」第七の封印 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
信仰とどう向き合い、どう生きるべきかのメッセージ
第七の封印が解けるとき、最後の審判が始まる
その時キリスト教会に帰依するものは天国に携挙され人類の滅亡から免れるはずだ
これらは聖書の黙示録に書かれてあることだ
つまり西欧人にとっては常識のこと
幼児の頃から刷り込まれて魂の一番奥底にあることだ
しかしそれは長く長く続く患難時代の果てのことである
献身に応えてくれない神
神の前での人間の死と虚無
今がその患難時代であるのならそれでも携挙を信じて、神の試練に耐え甘んじるほかないのだ
この現代に生きる我々はどう生きるべきか
どう信仰と向きあうべきなのか
それを本作は考えるべきものなのだろう
それぞれに人生に疲れ果てた人物
そして地に足をつけて今日を精一杯生きる旅芸人の一家
その対比にベルイマン監督の本作の主題がある
ラストシーンは旅芸人の若い夫婦と赤ちゃんの明るい陽光の下の幸せな暮らしが描かれる
つまり信仰なんか役に立たない
そんなものは人形劇のネタで十分
そんな事よりも地に足をつけた暮らしの方が大事だ
今ある命を精一杯楽しめと、そう訴えかけているのだ
しかし火炙りにされる魔女は恐怖と絶望の目をしていながら諦感している
それは神を否定したらこうなるという監督の恐怖の吐露だ
つまり理性は信仰から自由でも魂は呪縛されたままなのだ
騎士が救おうとするが手遅れと諭されて諦める
自分もこの呪縛を解くには最早手遅れであり、それでもなお、このような映画つくる自分への戒め、あるいは諦めなのかも知れない
難しいテーマでありながら、観る側を惹き付ける語り口と映像の力は流石というしかない
詩の朗読の様な台詞が深い
日本人にとって本作のキリスト教の信仰は分かりづらいのは確かだ
しかしそれを世間の目、周囲の期待、脱落者に厳しい社会、無言の同調圧力…これらによってがんじがらめに生きている日本人の息の詰まるような生活
いつ果てるともない長時間労働の日々、会社と家の往復だけの生活
そこに救いは有るのか?となぞらえて観てはどうか
皮相的かもしれないが、そのように観ても良いのではないか
仕事が信仰になってしまっていないか?と