大地(1937)のレビュー・感想・評価
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壮大なスケールの物語
貧しい農夫が土地を大切にして、大金持ちになっていく20世紀初頭の中国を舞台にした壮大なスケールの物語である。
140分の長尺にもかかわらず、最初から最後まで飽きずに見ることができた。また、ほとんどの登場人物が西洋人であり、英語を話すのに最初はちょっと違和感があったが、ストーリーにのめり込むに連れてそれほど気にはならなくなった。
タイトルにもなっている大地、農民にとってはいちばん大事なのが土地である。飢饉の時に、飢えで死にそうになっても絶対に土地を売る事をしなかった主人公夫婦の姿勢がすばらしい。主人公がいかに土地を大事にしていたと思うが、病気で死にそうな妻のオーランへ、お前を治せるなら土地を全部売っていいと言ったり、彼女が植えた桃の木をつかんでお前が大地だったと言うラストシーンは感動的であった。ただ、もうちょっと早く気づいて、第二夫人をもらうようなことはしてほしくなかったな。彼女の唯一の贅沢品であった真珠2個、しかもイヤリングにする事はなく、大事に身に付けていたのであるが、その真珠を主人公が奪い取って、第二夫人にあげるのは残酷であり、オーランが可哀想でたまらなかった。
イナゴの大群が田畑を襲うシーンは圧巻であったが、CGのない時代にどうやって撮ったのだろうか。
原作はパール・バックの「大地」中国北部に住む貧しい農家の王龍(ワン...
原作はパール・バックの「大地」中国北部に住む貧しい農家の王龍(ワンルン)が豪族の黄家から奴隷の阿藍(オーラン)を妻として貰い受ける日から映画が始まる。黄家に行く途に桃を売ってる商人がいて、初めて出会ってふたり会話もないまま桃を買って食べながら歩く。ワンルンが食べ終わった種を捨て、それをオーランが拾う「植えたら木になるわ」これがラストにつながっていて、物語の中のワンルンに対してのオーランの姿勢をも表している。オーランは無口で働き者で、どんな困難な状況におかれても思慮深い選択をする。夫婦は懸命に働き5つの畑を手に入れ、子供を3人授かる。
やがて起きる飢饉。南で起きた暴動。たまたま手にした幸運。ワンルンの叔父が金たかってくる糞キャラで、提案してくることもロクなことが無い。2人目の嫁ををすすめたり茶館に連れて行ったり。
第二夫人をオーランも承諾するが楽器弾きまくりのお色気女。新ママから誘惑される次男坊。靴の修理を頼むが女が男に靴を渡す行為の意味は心を許したと言う意味らしい。
第二夫人と次男がイチャつく現場に踏み込んで息子をボコボコにするワンルン。家庭崩壊。次男が追い出されるその日にイナゴの大群が襲来する。この時のイナゴが食い荒らす映像は本物だし凄まじい。ここが最も凄いシーン。石油を線上に撒いて火の壁をつくり、溝を掘って水を流してイナゴが入ってこれないようにする。それらも全部突破されてしまい最後は大量のバッタを農具で必死に叩き潰す。
風向きが変わり飛びさっていくバッタの大群。歓喜の声を上げるワンルンと農民たち。この時オーランだけは「主人が息子と畑にいる」ことの喜びを噛みしめていた。ワンルンが大金を得てすっかり農作業しなくなったから。バッタと一緒に戦った次男と和解。
桃の種を宝石のようにオーランに手渡すワンルン。大きくなった桃の木を見つめ、オーランが私の大地だったとつぶやくラスト。良作品。
ラストシーンは素晴らしい余韻を残してくれます
1900年頃からの30年程に渡る中国大陸での中国人農夫の夫婦の物語です
ご存知パール・パックの名作が原作です
大作の原作を上手く整理してまとめてあり、退屈することなく観れます
クライマックスのイナゴの大群の襲来シーンは語り草になっている名シーンです
太陽をも覆い隠すほどのイナゴの群れをこの時代の撮影技術でここまで映像表現できるのかと驚く程の出来映えです
中盤の南の都市での邸宅への群衆の略奪シーンも壮絶です
後年のどんな群衆パニックものにも負けない迫力です
ラストシーンの老いた夫婦の会話と、続く妻が嫁入りの時に道端の田んぼから拾って庭に埋めた桃の種が大木になっているシーンは素晴らしい後味の良い余韻を残してくれます
さすが名作です
原作は1935年に完結、映画化公開はその2年後
日本でも米国と同年11月に公開されています
つまり1937年ですから昭和12年のこと
その時の7月に盧溝橋事件が起こり日本は支那事変に突入した年なわけです
このことも頭の片隅に置いて本作を観るとまた深い思いも胸に去来してきます
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