ダーティハリー3のレビュー・感想・評価
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ハリー・キャラハン
2024年2月12日 映画 #ダーティハリー3 (1976年)鑑賞 シリーズ第三弾。陸軍の兵器庫から新型バズーカ砲等の武器を奪い、サンフランシスコ市長を誘拐した過激派グループとの対決 新人女刑事とのコンビとアルカトラズ刑務所を舞台にしたクライマックスが見所 だんだんヒリヒリ感が無くなる悲しさ
時代を映してシリーズ化
第5作まであるが、その時代背景を映して、ストーリーを作っている。女性が男性だけの職場にも社会進出、ベトナムの帰還兵、警察の腐敗と政治からの圧力、マスコミへの誇張報道など、アメリカの問題を背景にしているのだろう。3は、小さな犯罪や犯罪まがいの描写が目立った。急病と称しての無銭飲食、人質を取っての逃亡、ぼったくりの性産業などがサイドストーリーの見せ場。初の女性刑事とのシーンが多く、面接試験、死体解剖の立会、犯人の一人の追跡、履歴の会話など。
殺人課で初の女性刑事なら防弾チョッキ位着ろよと思いながら、相棒が死ぬのがお約束だから仕方ないか。ラスボスをどうやってやっつけるかが見どころなのだが、ポータブルのバズーカとはね。近くにいた市長も一緒に吹っ飛びそうだけど。ダーティハリーにしては、昼の明るいシーンが多めで、女性刑事も登場して、ライトで明るい仕上がりになっていた。
コミカル部分は要らないです
このシリーズでは自分は「1」「2」「4」を気に入っているのですが、この際もう一度気に入らなかった「3」「5」も観ようと思いブルーレイ(吹替で鑑賞)でレンタルしました。 夏を感じさせる態度の悪いお色気姉ちゃんのヒッチハイクで今作はスタート!その後、いつの時代も「いい人」は、とばっちりを受けると痛感した。 犯人に、車をよこせ!と言われた時は「絶対に店の中まで突っ込んで渡すんだろうな」と予想してしまった。それでこそダーティハリーと再確認。紳士的に説明し傷付けないように...そんな一石二鳥を望まれたって「じゃお前がやってみろよ」「ポイント稼ぎなんてしねぇよ」と言いたくなる。 現代の面倒な世の中に必要な人であります(苦笑) 刑事志望の女性警官の面接時なんて、本当に痛快であります。そんなんで解決すると思ってんのか、てやんでぇ!そんな気分でした。 コンビを組まれてからの展開は、軽快なジャズミュージックの影響もあるかもしれませんが、コミカルになってしまい、追いかける部分なんか特につまらない演出だった。教会で捕まえて神父に怒られるオチなんて全然面白くない。シャレてる? 新境地を開拓した? 体当たりな演技に拍手を送りたい...いやいや、無理に褒める気なんかないね。評論家じゃないんだから忖度レビューするかよ。(以上ハリー風) こういう展開はビバリーヒルズ・コップやリーサル・ウェポンの方がいいです。 中盤以降は印象に残った部分もなく、平凡そのもので感想できる部分もありません。本編とは特に関係性ないでしょうが、帽子をかぶったイーストウッドが林檎を食べながら風俗店へ入っていく場面は面白かったかな。 忖度な市長に、尻に惹かれてるのかよくわからん神父を経て、いざアルカトラズ決戦へ! 正義感ある女刑事の活躍が光っていたので、前半追いかける時の軽いノリが余計に悔やまれる。個人的には全部真面目な演出の方が良かった。
殺さなくても重症あたりで止められないのか?
前半はもう一つだったが女性刑事ムーアだ登場してから面白くなってきた。 ハリーが犯人を追い詰めるワクワク感とは別に刑事課長のうさんくささが物語を盛り上げている。 市長がまた、けつの穴のちっさい男で哀れんでしまうがハリーのすごさに一役買っている。 ハリーとムーアの関係をもっと続いて欲しかったがアメリカ映画は人の命を軽く扱いすぎるのでは? アメリカには何度か旅行したが銃社会はまったくもって怖いの一言。 エンディングシーンはヘリコプターが間の抜けた活躍というまるで「ちゃんちゃん」というのりでどこか残る悲しみを払拭させてくれた。 あと、申し訳ないがアルカトラス刑務所が出てきたときに軍艦島を想像してしまった。刑務所を世界遺産と比べるとは失礼な話ですね。
上野の映画館で見たのを思い出した。何かの映画と2本立てだったはずだ...
上野の映画館で見たのを思い出した。何かの映画と2本立てだったはずだが、覚えていない。 ベトナム戦争にアメリカは完全に敗北をして撤退した後の映画。 この映画も何かのそういった事を語っている様に感じる。兎に角面白い。 タワーリング・インフェルノの脚本家の作品だそうだが、映画と言う格式にとらわれず、テレビドラマの延長として、無理ないストーリーにしている。頼るはイーストウッドのアクションのみ。
【”泣けるぜ・・”シリーズ初の婦人警官の相棒とハリー・キャラハンの関係性が徐々に密になって行く過程が面白い作品。】
ー 相変わらず荒っぽく事件を解決するサンフランシスコ市警の刑事・ハリーの前に、彼さえも一目置くほどの根性と正義感を持つ新人婦人警官・ムーアが現れる。一方、ハリーの相棒・フランクは、過激派グループの事件に巻き込まれて瀕死の重傷を負い、命を落とす・・。- ◆感想 ・第1,2作よりもアクションシーンは大幅に減っているが、それまで男性社会だった警察組織に女性の活用を・・、と抜擢された新人婦人警官・ムーアと、最初は彼女の存在を軽く見ていたハリー・キャラハンが、彼女の根性に一目置いて行く関係性の変化が面白い。 ・人民革命軍団を名乗るテロリスト達の愚かしき姿と、彼らを匿う神父の姿。 ・彼らに捕らわれた市長も相当に愚かしき男である。 ■それにしても、ハリー・キャラハンの上司は悉く、愚かで、相棒はドンドン死んでいく・・。 <今作は、ハリー・キャラハンの皮肉を込めた”Marvelous・・・”(泣けるぜ・・・)が印象的な作品。愚かな上司。無理に押し付けられた新米女性警官。 けれど、今作を印象付けているのは、必死にハリー・キャラハンを助け、命を落としてしまう新人婦人警官・ムーアの姿であろう。>
名脚本家スターリング・シリファントの落日と影響を受けたベトナム帰還兵ランボーとは
公開当時のコピーに「巨大な10大見せ場を引っさげてダーティハリーが帰ってきた!」とあり、ハリーキャラハン刑事と新人女性刑事が、コンビを組んで武装組織の捜査する展開だが、重くて暗い雰囲気が魅力の2から、若干明るい方向修正したシリーズ3作目。(あれ?2の見せ場が12なので2つ減っているけど) 冒頭に犯人たちの行動を見せたあとに、ハリーが強盗団相手に大立ち回りをするフォーマットは、変わらずだが人事部に移動させられるくだりや新しいパートナーを押し付けられて呆れる姿が微笑ましい。 イーストウッドのハリー役は、渋い表情が多いが、風俗店に潜入する場面でのくだけた演技や新しい相棒のケイトとのやり取り捜査を通じて心が通いあい微笑む場面もあり今作ではユーモアを多めに感じる。(テレビ放映時の山田康夫の吹き替え版は、もう少しくだけた演技を強調していてこちらも面白い) 新人刑事のケイト・ムーアを演じるタイン・デリーは、大きな瞳とイーストウッドと並ぶと小柄な体格の凸凹コンビ感を強調されて微笑ましい。 性格も真面目な堅物に見えて、性的な会話もさらりとする先進的女性を愛敬も含めて印象的に演じておりラストで殺されてしまうのが惜しいほどの役柄。彼女は、その後テレビドラマの女性コンビの刑事シリーズで一躍人気ものになっていったと記憶している。 監督のジェームズ・ファーゴの演出は、前二作の様なパンチ力やキレやダークな雰囲気はないが、明るめな画面構成とそつなく分かりやすい語り口は、観客にストレスを抱かせずに映画を鑑賞させておりデビューの本作を娯楽性のある手堅い佳作に仕上げている。 個人的には、初夏の昼下がりにビールとポップコーンを片手に若干寝そべっりながら観るのには、最高の映画でもある次作のブルーカラー向けアクションコメディの『ダーティファイター』で明るくて悩まない喧嘩好きのトラック野郎で、新しいイーストウッド像を創り上げて、当時のイーストウッド映画では、一番のヒットと興行収益を上げており上記の点が、原動力にもなっていると思う。 ちなみにジェームズ・ファーゴは、イーストウッドの製作会社マルパソで長年助監督を務めていて、ハリーシリーズ3作目をやるのかと、鷹揚に構えていたらイーストウッドから突然「今回はキミが監督だよ」と言われて焦ったそうです。 今回の音楽は、シリーズ5作で唯一ラロ・シフリン担当しておらず、イーストウッドの監督作品で傑作西部劇の『アウトロー』や後にこれも傑作の監督作品の『ガントレット』を担当したジェリー・フィールディングが、力強くて都会的なジャズを提供している。 特に中盤の爆弾犯人を追跡する場面のスコアが撮影や演出もマッチしてとても心地良くて印象的。(個人的には、サム・ペキンバーとのコンビでのサントラも良いけど) 今回のもう一つのデビューとしての撮影のチャールズ・W・ショートは、イーストウッドの前作『アウトロー』の撮影監督ブルース・サーティスの助監督(もしくは本編も代行撮影してるかも)などをしていてサーティスが、イーストウッドの友人で師匠でもあるドン・シーゲルがジョン・ウェインと初めて組んだ『ラスト・シューテイスト』にかかっていたので、抜擢されたと思われるが、上記の通り良い意味で大役をそつなくこなしていて、後に映画本編はほとんど無いが、多くのテレビドラマやテレビ映画などで活躍していた。 最終的に別の人がリライトしているが、本作のメイン脚本のスターリング・シリファントは、『夜の大捜査線』でアカデミー賞を受賞した後も多くの話題作や娯楽大作を担当していた当時の売れっ子で、イーストウッド作品には初だが、長年のテーマと思われる、人種や性別や障害などで社会的に抑えれた人々の公民権をベースに描く事が多くて本作も男性社会(警察組織)に紛れた女性を当時のウーマンリブ運動や敗戦直後のベトナム帰還兵などの社会的状況も踏まえて扱っていると思う。 スターリング・シリファントが脚本を担当した作品を思い起こすと、人種差別や身体的障害などを克服して進もうとする人々が多くて、『夜の大捜査線』や名匠ワイラー監督の『L・B・ジョーンズの解放』などの人種差別や、「アルジャーノンに花束を」の最初の映像化でもある『まごろろを君に』の知的障害者やペキンパー監督作の『キラーエリート』での友人の裏切りで身体的障害者になってしまった殺人エージェントの復讐劇や爆発物によって視力を失った保健調査員が活躍するテレビシリーズの『ロング・ストリート』(ブルース・リー助演!)など様々である。 特に当時アメリカで活動していたブルース・リーとは道場の弟子としてや友人としても意気投合しており、アジア人に差別的なアメリカ映画界に仕事紹介するなどして親身なっていた。 本作品を手がける頃には、絶好調だったシリファントのキャリア的や作品の質に、やや陰りが見え始めた頃で、個人的には悪役のベトナム帰還兵の画一的なキャラ設定に深みや問題意識もなくただの殺人狂の男として描かれているのが疑問だが、当時の世間の認識だとベトナム戦争での残虐行為や映画の『タクシードライバー』(1976年)や1『ソルジャー・ボーイ』(1972)などで描かれる狂気に暴力を振るったりする側面やあるからなのか。 ただ脚本はリライトされているのでシリファントの元脚本が、どの程度改変されているか分からないが、1971年にはベトナム帰還兵の暴走を描いた代表的な小説の『ランボー 一人だけの軍隊』がデビッド・マレルによって既に出版されて映画界でも話題になっており、本作の悪役であるベトナム帰還兵のボビーは、服装と出立や独特の形状した大型ナイフを持った殺し屋の設定は、スタローンが演じたランボーに近い。(ただ原作のランボーは特殊ナイフを携帯して無かった様に記憶しているが、原作本が手元にないので未確認) ちなみに日本語吹き替え版だと後にボビー役をランボーシリーズでスタローンの吹き替えも担当した玄田哲章が声を当てているのが偶然とはいえいろいろとダブる。 本作以降のスターリング・シリファント脚本作品は、徐々に質が低下してゆき、いわるゆるダメダメな大作などに関わってきて80年代後半には殆ど目ぼしい作品は無い状態になっている。(駄作や凡作と笑われ呼ばれる作品でも個人的に好きなところが有れば、好きな作品になるので、完成度が高いイコールが映画の魅力ではないと思うが) スターリング・シリファントのもう一つの功績として『ランボー 一人だけの軍隊』の原作者でもあるデビッド・マレルは、学生時代にシリファントがメイン脚本を担当したテレビドラマシリーズの『ルート66』の熱心な視聴者で、特にシーズン3のエピソードで、戦闘後遺症を負ったベトナム帰還兵を描いた話しが、印象に残っていて、デビッド・マレルが作家を志ざした時にスターリング・シリファントへ、質問の手紙を出したところ、本人から長文の返信と激励を受けたのが、創作活動へのきっかけとなりのちのランボーを執筆する際には、上記の帰還兵のエピソードを立脚点に泥沼化し始めたベトナム戦争に興味を持ち参考にさせてもらったと、作家の自伝アンソロジー集に記している。(早川書房 『ヒーローの作り方』 より) そう言えば、『ランボー』と『夜の大捜査線』の設定を思い起こすと田舎町に寄った凄腕のよそ者と地元の警察署長の物語としてのネガとボジみたいな関係でマレルはこちらも意識していたのかも。 ちなみにデビッド・マレル自身は、映画になった第一作目の『ランボー』には、原作とは違う若干センチメンタルなったランボーのキャラクター性に違いを感じたが、観客に受け入れられる変更については好意的に捉えており、映画版ランボー(原作版ではない)の続編として映画ランボー2・3のノベライズを執筆している。 マレル本人は直接関わりの無い『ランボー4 最後の戦場』での戦う事や人殺しに躊躇しないランボーのキャラクターが自分の創造した姿に一番近いと言っている。(ランボー5には否定的コメントをしている) 本作は、突飛した出来映えでも無くて、現在のリアルなアクション映画からするとアルカトラスのくだりなどは、牧歌的にも映るかもしれませんが、娯楽のツボを抑えた作品になっており、おそらく映画初登場の使い捨てのバズーカ砲や電気銃などの当時は新しくて珍しい小道具などか同時してそれを活かすカタチで、ハリーの怒りを表すクライマックスなどもあり特に新人刑事のケイト・ムーアの遺体の前に佇むハリーの姿からカメラが高く引いてゆくラストまでが印象的。 余談だが悲劇的な最後を遂げた新人刑事のケイト・ムーアを演じるタイン・デリーは、本作の後にスターリング・シリファント脚本でドン・シーゲル監督のスパイサスペンスの良作『テレフォン』にも出演していて、想いを寄せている同僚のCIA局員から、事件解決の重要なヒントを見つけたお礼に、キスをしてもらって中学生ごとく感激して喜びの言葉をパソコンに記入するチャーミングなコンピーターオペレーターを演じていたのが印象的。(脚本は80年代のアクション映画ファン的にもご贔屓だった監督のピーター・ハイアムズも関わっている)
クリントイーストウッドの
格好良さを見ていればイイ映画。今の映画ファンがこういう作品を見たら、脚本がイマイチとか演出がゆるいとかテーマは何かとか様々不満が出てくるのは当然。しかしながら昔から映画とはこういうものだった。オードリーヘップバーンの溌剌とした美しさに2時間見とれるだけの映画とか。苦虫を噛み潰したような顔で足の長いダーティー刑事が上司や市長の言うことなんか聞かず、悪い奴を問答無用でぶちのめす。終わってスッキリしました!チャンチャンみたいな。こういう映画を今見ると、この後、80年代、90年代に乱発されるスタローン、ジャッキーチェン、シュワルツネッガー、セガール、ブラッカイマーなどのアクション大ヒット超大作みたいな作品群のお手本というか、基礎になっているんだなとよく分かる。筋肉やカンフーやCGじゃなく、渋いイーストウッドが「泣けるぜ」とか言いながら名誉も金も捨てて、ただただ悪い奴をぶっ殺す。そこをカックイイーぜ!って楽しまなきゃ。マックィーン映画も同じ。こういう映画に、演出だ、脚本だ、伏線だ、それらがなってないと言ってしまう人は無粋であり、映画を見る本数がまだまだ足りないということです。
もしも…ハリーが面接官だったら
シリーズ3作目ともなるとハリーキャラハンという確立されたキャラクターを弄り始める。女性の社会進出だとか黒人運動家の交流だとか、新しい潮流にハリーがどのように応じるのかを論じ始める。シチュエーション・コントのようであるが、ムーア刑事役のタインデリーが結構ハマっていたこともあり、96分という短い尺に納まっていて、飽きさせるようなことはない。 このシリーズには欠かしてはならないのか、御色気シーンは天窓から落ちて拝める。純粋に笑いを取りにくる婆さん達の偽造メールアルバイトの緩さに至っては、現在ほど製造工程に緻密さがない牧歌的なハリウッドを懐かしむ。
女性蔑視のハリー刑事
女性蔑視のハリー刑事だったけど、新しい相棒は女性刑事。徐々に女性刑事を見直して行くが… オープニングで派手な捕物劇を見せられて、期待してたら、めちゃくちゃやったのはソレだけ。 少し肩透かし… それでも、自分の信じる道を突き進むハリー刑事の活躍は見てて気持ちが良い(^^)b
単調なストーリーにくわえ、 冗長すぎる内容にうんざりしました
最悪でした。 単調なストーリーにくわえ、 冗長すぎる内容にうんざりしました。 日常会話や車の いどうなど、 どうでもいいシーンが多すぎます。 日本のテレビドラマなら、 30分にまとめる内容です。 見るかちは ありません。
5の老いたキャラハンでは終われない、ってことで12年遡り3を鑑賞。...
5の老いたキャラハンでは終われない、ってことで12年遡り3を鑑賞。 この順番、案外正解かもしれません。1、2を見た後の初見ではふーんって感じだったこの3が結構バランス取れた作品なことに気付きました。 今回感じたのはアクション映画は悪役が非常に重要だということ。1、2には及ばないもののこの3、まずまずです。 相棒のタインもなかなか。評価していいのではないでしょうか。とにもかくにもハリーの相棒にだけはなってはいけません(笑) ハリーのかっこよさはこの3、健在です。
SWATの代わりにハリーと相棒がテロリストに挑む
総合70点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
昔、表向きは革命と称して自らを美化し、犯罪を重ねる凶悪犯罪者たちの事件が世間を騒がせた。この作品はそれを意識して作られたのだろう。兵士あがりのテロリストは残虐で頭も悪くないし強力な武器の使用にもたけていて、普通の刑事が扱うには手に余る。むしろSWATやFBIが相手にするような敵だろう。そんな強敵の相手をするのが、頭はいいし努力家だが現場で凶悪犯を相手にするには頼りがいのなさそうな女性の相棒というのが一風変わっている。その状態で彼女なりに頑張っている姿がとても健気だった。将来はいい警官になるかと思ったが残念な結末だった。
ハリーが娼婦館に潜入捜査する場面のかみ合わなさとひどさが滑稽で、何気に気に入っている。南極の人形の意味がこの場面を観てわかった。
敵が革命家
クライマックスは革命家の若者とキャラハンがアルカトラズ島で対決するという非常にテンションの上がる場面で、とても面白かった。市長がすぐ近くにいるのにお構いなしにバズーカをぶっ放すところが最高だった。
ただ、革命家たちのキャラの掘り下げがほぼないに等しく、彼らの人間性も追及してほしかった。革命家のドラマが好きなので物足りなかった。しかしそれを言えば、前作の白バイ隊も大して掘り下げていなかったので、このシリーズはそういった方針なのかもしれない。
その反面、売春宿ではせっせとおばさんがキスマーク付きのDMを作っている描写などやたらと丁寧だった。
新人の女刑事と組まされて最初は嫌々だったのが、次第にお互いを認め合っていくところが感動的だった。彼女が撃たれて死んでしまうのは悲しかった。
キャラハンのヤクザや上司に脅されても一切動じない感じがやはりとてもかっこよかった。男としてほれぼれする。
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