劇場公開日 1989年9月30日

「現場は頑張ったが、製作側の慢心が招いた失敗作」007/消されたライセンス あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5現場は頑張ったが、製作側の慢心が招いた失敗作

2019年4月16日
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鑑賞方法:DVD/BD

これは辛い
観るのが苦痛の007シリーズは初めてのことだ
役者や監督はじめスタッフは皆良い仕事をしているにも係わらずだ

大半は製作側の責任にある

ひとつはテーマの選定
前作リビングデイライツでのダルトンの新しいボンド像の出来映えの良さに製作側が惑わされた
これならもっとシリアスに原作に寄り近い生々しいボンド像を作れると
しかしそれは観客が待ち望んでいるボンド像なのか?

もうひとつは予算の制約による製作方針の目線低下
インフレしていくなかでムーンレイカーを超えるような予算の獲得は困難なのは理解できる
その解決の為に現代のIT業界でいうところのオフショアを使った
人件費など物価の安いところで製作するという意味だ
そこはメキシコに決まり、その地に合う脚本は何かという風に映画の内容が決められたのだ
だから麻薬王とボンドの戦いのお話になっただけだ
麻薬戦争は確かに時代性がある
しかしそれはボンドが戦う相手なのか
観客が観たいボンドの敵なのか

ここにはお客さんが観たい007は何かという態度がスッポリと抜け落ちてしまっている

その結果は観客が観たいボンドではないボンド
そしてボンドが相手するに相応しくない敵と、彼らしくない戦い方で暴れまわる映画になったのだ

余裕ある態度、ユーモアを忘れないプロット
スカッとするカタルシス
何もない
あるのは現場の工夫とわかるシーンだけだ

この制約のなかで撮影し映画を完成させた現場は最大限努力しており、質の高い良いものを撮った
どのシーンもクオリティは高い
シリーズの他の作品に劣るところはほとんどない

しかしこれでは本当の007映画ではないのだ
単なる良くできたアクション映画だ

故に興行成績もシリーズ最低となり、ブロッコリを筆頭とする製作陣は責任を結果としてとる事になってしまった
007シリーズは本作以降6年も間を開けることになったのだ

1995年に再開される007シリーズでは、ブロッコリは引退し妻のバーバラの名前があるのみだ
次回作はこの大失敗を踏まえて007シリーズのリブートに取りかかることになる
そこにはもはやジョン・グレン監督、主演のダルトンの名前も無くなって更地からの再出発になってしまうのだ

音楽もジョンバリーが前作で降板したため
クオリティの低下は著しい
ただ主題歌のグラダィス・ナイト、エンドテーマのパティ・ラベル共に楽曲も歌唱も素晴らしい

ただなぜ1989年にソウル歌手を器用したのか?
10年前ならまだ意図が分かる
何故なのか全く理解できない
舞台がメキシコなのでヒスパニック、
その連想でマイノリティに目を向けた起用意図だけのように穿ってしまう
音楽もまた製作側の慢心が感じられるのだ

あき240