西部戦線異状なし(1930)のレビュー・感想・評価
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これを超える戦争映画は無いのでは
第一次世界大戦をドイツ側、ドイツ兵の視点から描き、戦争の現実をリアルに描いた傑作。本作はアメリカ映画であり、台詞はほぼ英語なことに、違和感を感じるひともいるかと思うが、これを超える戦争映画は無いのでは。
第一次大戦が勃発し、授業で愛国心を説く先生に感化された生徒たちが、次々に入隊を志願するが、戦争の悲惨さに直面。
負傷して一時帰国を許された主人公ポールは、母校を訪問し、同じ先生や生徒たちに体験談を促されて、戦争の現実を語ると、実際の戦場を知らない子どもたちは、失望してポールを軽蔑するばかりというくだりが、特に心に突き刺さった。
戦場で出会った仲間たちが、次々と戦死していく。殺さないと殺される、でも殺した敵兵にも家族がいる。野戦病院で、ポールは回復する一方で、足を切断せざるを得ない仲間もいる。
フランスの女の子たちとのつかの間の交流をはじめ、ひとつひとつのエピソードを積み重ねつつ、終盤の「キャット」カツィンスキー伍長の運命と、ポールの悲劇的な最期で、物語は頂点に達している。
サクサクと物語が進むような、テンポの良い映画だとは思わない。それでも、戦争というテーマの中にも、登場人物たちの人間味を交え、しんどくなるほど重くなり過ぎず、でも真っ向勝負で真面目に向き合った、素晴らしい映画だといえる。
主人公が直面する出来事や、彼が出会った人々の人間模様をコツコツと描きつつ、リアルな戦争の現場を写実的に描き、説得力のある物語を紡ぎあげた、戦争映画の傑作だと思う。
偉い人も観てね
第一次世界大戦の映画は案外少ない。兵装とか戦いかたなどを知りたくて、それならばと有名な本作を観ることにした。
とても古い作品なので映像の荒れ具合は相当なものだが、戦闘機や使われている武器などを知るには十分だった。
戦い方のほうは、ドイツ人が穴堀り得意だったばかりに西部戦線という少々特殊な状況ができてしまい塹壕戦以外はわからなかったけれど、まあ、それが見たかったわけだし問題ない。
毎日、僅か数十メートル前進するために敵の塹壕に突撃していく、敵側も同じように突撃してくる。結局ほとんど移動しない戦線のために何百何千と死んでいく。そんな戦場の雰囲気はよく描かれていたと思う。CGではない本物の迫力っていうのかな、それが本作にはあった。
ただ、血が全く出ないので、負傷や戦死した場面がちょっと分かり辛くて、みんな突然死んじゃうな、みたいな感覚になったことだけは書いておこう。やたらと死亡フラグも立てまくっていたしね。
それで内容のほうは、まず最初に驚いたのが、てっきりイギリス兵の物語だとなんの疑いも感じていなかったところに、まさかのドイツ側の物語だったこと。よくよく考えたら西部戦線なんだしドイツ側からに決まってたけど気付かないもんだね。
それで、こんな時代から敵側の視点で戦争の愚かさを描いた作品があったんだと、なんかちょっとその事に感動したけど、結局その後に二次大戦が起こっているわけで、なんとも言えない複雑な気持ちになったよね。
一本の映画がどんなに強烈に反戦をうたっても肝心の偉い人にはわからんのだろうな。
作品の中でも戦場に行かない者の戦争観は描かれている。
地図を眺めて地図の中で戦争をしている人々と、実際の戦場は違うのだ。すごく当たり前のように思うけど、その事に気付ける人は少ない。
最初の少年たちだって、最初は地図の中の戦場に行くような気持ちだったろう。それが一瞬で、本物の戦場は違うのだと気付く。そして戦争そのものの無意味さや愚かさにも目覚めていく。
シンプルで力強いメッセージを含んだ本作は、噂通りの傑作で間違いない。
各国の偉い人も是非観て下さいね。
【”神よ、何故です!何故殺し合うのです!”戦意揚降に煽られ、戦場に出たドイツ青年兵が悟った真実を描く強烈な反戦映画の逸品。今作が今から100年近い前に制作されていた事には頭を垂れるしかない。】
■第一次大戦下のドイツ。
盛んに愛国心を説く教師の勇ましい言葉に心動かされた学生たちは、次々と軍に志願。
ポールものそのひとりだったが、訓練を経て送り込まれた戦場で彼が目にしたのは、食料もなく砲弾におびえる中で仲間が死んでゆく戦争の現実だった。
◆感想
・この作品が制作、公開されたのが、1930年と言う事実に驚く。
・更に言えばこの作品は、第二次世界大戦に流れる当時の世界情勢の中、過酷な環境下に置かれながらも、上映がされて来たという事実に、人間の善性を感じる作品である。
・内容で言えば、第一次世界大戦の苛烈な塹壕戦を、見事に再現している点と、その中で疲弊していくドイツ兵の姿がリアルに描かれている点であろう。
ー ご存じのように、第一次世界大戦は、正に肉弾戦であり死者数も第二次世界大戦よりも多く、身障者も多数出てしまった事は史実にある通りである。ー
<今作で、盛んに愛国心を説く教師の勇ましい言葉に心動かされたポールが、3年の悲惨な戦争体験をして、祖国に戻った際に、その教師から”戦意高揚のスピーチ”を依頼された際に学生たちの前で行った戦争の真実を伝えるスピーチ。
涙が出ます。そして、ラストのあのシーン。
今作は、今から100年近く前に制作された反戦映画の傑作であると思います。>
■毎年、夏になると戦争映画が上映されていた。だが、コロナ禍以降、新たなる戦争映画は上映されていない。
京都の「京都シネマ」は今年も「野火」を上映してくれるのだろうか・・。
塹壕に向かって有刺鉄線越しに敵が向かってきては打ち倒される場面、夢...
塹壕に向かって有刺鉄線越しに敵が向かってきては打ち倒される場面、夢に見そうな嫌さである。もちろんそれはこの映画には欠くべからざるものである。
アメリカでこういった映画が作られたのは、博愛主義・平和主義的なことなのか、それとももっと他の目的があったのか。
後年の米国戦争映画とは異なるストレートな反戦メッセージが心に響く
ルイス・マイルストン 監督による1930年製作のアメリカ映画。
原題:All Quiet On The Western Front、配給:大日本ユニヴァーサル社輸入。
第一次世界大戦の若きドイツ兵の視点から戦争の理不尽さを描いた米国映画。高等学校で先生に愛国心を煽られて、戦争に参加する学生兵士が主人公。一緒に従軍した同級生たちやベテラン兵士たちが次々と負傷し死亡していく。とても古い映画ながら、重火器で攻撃される恐怖、凄まじい音と光で襲われる様相に、とても迫力があってビックリ。
塹壕の中に飛び込んできた敵兵を夢中で刺し殺したが、穴の中で長時間同居する中、敵兵の家族写真も見て苦しむ描写がリアルで、後年の米国映画らしからず。少々の驚きと共に、原作が有するストレートな反戦メッセージが心に響いた。最後、蝶々に見惚れた主人公が撃ち殺されて終わるのも強烈。
監督ルイス・マイルストン、脚色マックスウェル・アンダーソン、 デル・アンドリュース 、ジョージ・アボット、原作エリッヒ・マリア・レマルク『西部戦線異状なし』(長編戦争小説。1928年11月から12月にかけてベルリンのフォシッシェ・ツァイトゥング紙連載)、台詞マックスウェル・アンダーソン、 ジョージ・アボット、撮影アーサー・エディソン。
出演者 ルイス・エイヤース、ルイス・ウォルハイ、スリム・サマーヴィル、ベン・アレクサンダー、ベリル・マーサー、ヨーラ・ダヴリル、アーノルド・ルーシー。
『西部戦線一九一八年』を見てしまうと、アメリカの作った作品と実感する
『西部戦線一九一八年』を見てしまうと、アメリカの作った作品と思ってしまう。しかし、原作者はドイツ人。でも、調べると、ドイツとフランスの国境の町に生まれたフランスの血を引くドイツ人の様だ。
それは兎も角、筋立てや設定が反戦そのもので、フランスもドイツも同様に資本家から搾取されている。とか言った台詞があったように感じた(なかったかな?)まぁ、概ねそんな所だと思う。墓地での敵とのバトル。その結果が涙をそそられる。まぁ、傑作だと思う。
前線を経験した兵士の群像物語。
町は戦争一色、歓喜の声。学校のラテン語のクラスでは老教師が若者たちに全員志願をそそのかす態度。「祖国のために死ぬのが本望」と訴え、行きたくない者まで拒否できないような雰囲気を作ったのだ。入隊した学徒たちは知り合いの郵便配達人が上官になってたことにとまどう。そんな和気あいあいとした雰囲気も、訓練と実践によって夢から覚める。
いきなりの前線。鉄条網を張る作業。さっそくクラスメートの一人が戦死。なんとか生還するも現実を目の当たりにした若者たちであった。これが1930年に作られた映画?と、驚くばかりの迫力。愛国心なんて生と死の挟間で一瞬にして消え去る現状なのだ。
壕に暮らし、休む間もない兵士たち。次々と仲間が死にゆき、彼らの雑談の中にも戦争の意義を問う反戦意志が生まれてくる。「国が国に怒る」などと現実味のない言葉。偉い連中が若者を使って得をしているだけだと気づくのだ。
主人公のポールはある銃撃戦で敵兵と向き合い殺してしまう。自分を取り戻して敵兵を生かそうと努力するも死んでしまうのだ。やがて3年の時が流れ、自分も負傷し、死の恐怖を味わうことになるがなんとか帰還。休暇中に地元へ戻ると、新たな愛国心を養おうとしている老教師と、ポールを臆病者となじる生徒。「国のために死ぬよりも命を大事に!」と、実戦を経験した者の声も虚しく・・・やりきれない思いで戦地に戻るのだ。
完全版は2時間10数分。敵地であるフランス女性と一夜を過ごすとか、コミカルな部分もあったりして、無駄な部分はあるがかなりの大作。アカデミー賞受賞も頷けるのだ。現在の世界情勢はもっと複雑なので単純には語れないけど、戦争が生まれる直接原因はいつの時代も同じだと思う。上の人間が自分の利益のために国民の愛国心を煽る。どうしていつも一般人は騙されてしまうのか・・・
第3回アカデミー賞最優秀作品
タイトルは知っていたものの、昨今情勢などから興味が沸き初めて視聴した。機関銃や大砲が撃たれる中、歩兵部隊が相手の塹壕目掛けて突撃する様など、現代に生きる私達からすると正気の沙汰とは思えない。それほど命が軽く、次から次へと共に出兵した同級生や戦友たちが死んで行く。主人公のポールは重傷を負いながらなんとか生き残り、母と姉の元へ少しの間だけ帰郷する。しかし、あまりにも情勢を分かっていない父や周囲の人たち。軍人でもないただのオジサンたちが地図を広げ、ここを抜けだの、パリに一気に攻め込むべきなど、現有戦力や戦況も分かっていない机上の空論の戦略論を繰り広げる様はあまりにも痛々しい。また、国のために戦うことが美徳だと思い込む若者たちにも失望し、ここは自分の居場所では無いと予定を早めて戦場に戻るも、こんな呆気なくという終わり方。しかしそれだけ冒頭でも書いた通り命が軽いのだ。
この映画が作られたのは1930年。反戦小説を原作として作られたもので、第一次世界大戦と第二次世界大戦のほぼ中間というのはなんという皮肉か。戦争の悲惨さ、無意味さを必死に伝えようとしていることが分かる。にも関わらずこの現代社会において、第三次世界大戦すらあり得るという事態が今まさに起きている。作中で次の戦争はお偉いさん達が裸で殴り合いすればいいというセリフがあった。今も昔も犠牲者は若者や弱者ばかりだ。
反戦映画の歴史的傑作にある、戦場の悲惨さを写実したマイルストン監督の演出美
第一次世界大戦におけるドイツ軍の若い兵士たちを等身大の姿で描き、戦場の前線の悲惨さや残酷さを生々しく表現して、戦争の愚かさを説得力を持って訴え掛ける反戦映画の傑作。
特に、戦争を扇動し好戦を主張する大人たちと戦場に送られ実際に人殺しをさせられる若者との対比が象徴的に扱われていて、戦争に追い詰められた人間社会の構図を俯瞰した客観的な視点が勝る。それが地味に静かに、心に染み入る感動を呼ぶ作品になっていた。声高に反戦を主張したイデオロギーは語られないし、ドラマチックな展開もない。記録映画のような、忠実に再現された戦場を舞台に兵士同士の会話が語られ、過酷な状況の中でもユーモアを忘れない人間のありのままの行動が写実的に描写されている。また、兵士ひとり一人の顔のアップをモンタージュしたシーンの無言が訴える、その表情が語り掛ける映画ならではの表現の雄弁さも特筆に値する。これは監督ルイス・マイルストンの手腕に他ならない。また、兵士が戦場を駆けるシーンの早送り(コマ落とし)の技法による、臨場感のある緊迫の演出も素晴らしい。人類史上最も悲惨な戦争と言われる第一次世界大戦のこの戦闘シーンは観る者を圧倒して止まない。
主人公が初めて敵兵を殺すシークエンスの無常観、学友のブーツのエピソード、食料が底を付き疲労困憊するところ、帰省した主人公の蒐集した蝶のカット、野戦病院の人をモノ扱いする非情さ、束の間の女性との憩い、そしてラストシーンと、総てと言っていいくらい印象に残るシーンの連続であり、脚本・演出・演技の完成された作品として高く評価したい。
第一次世界大戦終結から約10年の歳月を経て、トーキー映画誕生の時代背景から生まれた映画史に明記すべき戦争映画である。唯一、レマルク原作のドイツが舞台のアメリカ映画故、台詞が英語の違和感は拭えない。しかし、これはまた、映画に国境がなく、自由な制作と表現が成されていた当時のアメリカ映画の懐の深さを思うと、素晴らしいことではないだろうか。
2007年 10月28日 DVD
初見は上記より30年以上前の高校一年生の時、淀川長治氏の日曜洋画劇場だった。この時も感動し、特にラストシーンの終わり方が印象に残り、戦争映画の個人的ベストに位置づけられた。中学・高校時代で鑑賞した「誓いの休暇」「禁じられた遊び」と併せて、私の反戦映画のベスト3は、今も変わらない。日常生活では戦争について深く考えることはないので、せめて映画を観てはその都度僅かな知識を蓄えるようにしてきた。日本映画でも「五人の斥候兵」「土と兵隊」「二十四の瞳」「ビルマの竪琴」「ひめゆりの塔」「海軍特別年少兵」「日本のいちばん長い日」「真空地帯」「拝啓天皇陛下様」などで太平洋戦争について考える機会を得る。映画に夢中になった中学時代には、国内の軍部に徴兵された父に、何故日本はアメリカと戦争をしたのか質問したことがある。納得できる回答は得られなかった。学校の歴史の授業でも明治維新までで終わり、まともに太平洋戦争について教わることが無く、その疑問を映画で何とか理解するのが私の勉強法だった。そして今日、意外だったのが、2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」が話題になったこと。今の時代に合った表現の戦争秘話のヒットと評価に驚きを持って、テレビドラマと映画を観たが、その語りは自然体のとても柔らかいものだった。テレビドラマでは、その世界観がモーツァルトのクラリネット協奏曲の第二楽章を連想させる穏やかな諦観を感じさせた。このような太平洋戦争を扱った日本映画が、新しい切り口と表現法でこれからも作られることを願うし、関心を持った人が少しでも古典の世界の名作に触れられたら、得るものがあると思う。
反戦思想を映画文化の成長を信じた力で描いたが、再び世界大戦に…
「ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド」を観た関連で第一次大戦物として
数十年ぶりに鑑賞。
十代で観た時はセリフも英語だったにも
係わらず、アメリカ映画との認識では
観ていなかったような気もする。
それは、ドイツ映画の名作「橋」と
同じような匂いを感じたためかも知れない。
冒頭の、兵士への志願を煽る先生と
それに絆される生徒の教室のシーン、
蝶に手を伸ばし狙撃される印象的なシーン
位しか覚えてはいなかったが、
改めての鑑賞で、
取ったり取られたりの塹壕戦のシーンは、
敵の機銃掃射に身を晒したり、
肉弾戦を強いられたりとの戦争の残酷さを
見せ付けられる。
それらはとてつもないリアリティを持って
撮影されており、例えばスピルバーグの
「プライベート・ライアン」の
ノルマンディー上陸作戦シーンをも上廻る
迫力だったと改めて認識させられて、
スタッフの努力には敬服せざるを得ない。
共にアカデミー作品賞の栄誉を勝ち取った
2年前のサイレント作品「つばさ」も含め、
この時代に大戦を描いたハリウッド映画の
半端なく資金投入した本気度には、
この後の映画文化の成長を
信じているようにも感じ、
強い反戦思想のメッセージに
成功しているように感じる。
世界はこの作品から僅か9年後に再び世界大戦
を招くことになってしまったが。
反戦映画の名作と誉れの高い当作品だが、
構成としては、前半はリアリティ溢れる
戦場でのシーンを中心として、
当時の世界に引き込まれるばかりだが、
後半は女性グループとの交流や、
病院でのエピソード等が
少し長すぎたイメージで
前半の勢いを削いでしまったような
印象がある。
前後半のバランスの悪さが
少し残念には思えた。
反戦映画の古典
再見であるが、最初に見たのはかなり前、子供の頃であるのでほとんど忘れていた。唯一覚えていたのが、撃たれて死んでしまうラストシーンであったが、花を取ろうと思っていたと記憶していたのであるが、実際には花ではなく蝶であった。いちばん大事なシーンなのに、間違って記憶していたと我ながら恥ずかしい。また主人公はイギリス兵かアメリカ兵と思っていたが、ドイツ兵だった(セリフは英語)。もし第二次世界大戦の戦争映画であったら、軍服やヘルメットですぐにドイツ兵と分かったのだが。
いずれにしても、ドイツ兵でもイギリス兵でも大差はなかったのではないか。つまり戦争がどの国民にとっても悲惨であるということであり、強烈な反戦映画に変わりがないのである。これが1930年製作のアメリカ映画だったとは色々な意味で驚きである。
※印象に残ったセリフ
(主人公が敵をナイフで殺した後、神への祈り)
私たちはただ生きたいだけだ
なぜ殺し合うのでしょう
銃と軍服を脱いだら友達になれたのに
※その他
主人公が、チャーリー・シーンとマイケル・J・フォックスを足して2で割ったような顔だった。
絶望しか無い戦場にて
第3回アカデミー賞作品賞受賞作。
DVDで鑑賞(吹替)。
原作は未読です。
愛国教育に感化された若者たちが、本物の戦場で体験する不安や恐怖、死、痛み、理不尽さ、虚しさ、絶望…
死と隣り合わせの日常で愛国心に沸いていたかつての姿は失われ、戦争の内包する凄惨さが浮き彫りになりました。
ポールの視点で描かれる出来事が胸に刺さりました。偶然逃げ込んだ砲弾の穴で鉢合わせしたフランス兵を格闘の末に銃剣で刺し殺してしまったポールでしたが、懐から妻子の写真がこぼれ落ちて来て、相手も人間だったことを思い知る…
負傷して故郷へ帰還すれば、若者たちに武勇伝を聞かせてくれとせがまれるも、実際の戦場では華々しい出来事など微塵も無く、ありのままを話してもかつての自分のように愛国心に高揚している若者たちには欠片も届きはしませんでした。
やがて訪れた最期の時。いつもとは違って静かな戦場に迷い込んで来た一匹の蝶。自らの姿を重ねたのか、それを捕まえようとそっと塹壕から手を伸ばしたポールを射抜いた狙撃手の弾丸。悲しい名シーンだと思いました。
※修正(2022/11/19)
反戦映画の全ての始祖
本作の様々なモチーフが後世の多くの作品に引用されている
映画ととしても特撮の稚拙な時代に良くここまでリアリティーのある戦場シーンを撮れたものだと感嘆するばかりだ
団塊世代の人々は本作に特に思い入れが激しいようだ
しかし21世紀に生きこれからも生き、さらに次世代を育てていかなければならない我々の世代の目線で本作を観るとどうだろう
戦争するくらいなら殺されようと繁華街でビラを配って歌っている団塊左翼老人達の主張を代弁しているように見えてしまうのだ
主人公が休暇を得て故郷に帰った時の老人達の非現実的な戦争推進談義の逆パターンに見えるのだ
本作のようになりたくなかったら、自ら進んで殺されようと団塊左翼老人世代は本作を利用してそそのかしているのを我々若い世代は散々見てきた
自分達の理想の為に次世代を犠牲にしようとしている無責任な態度だ
正に戦場に学生を送り込もうとする教授の逆パターンだ
それ故に本作は冒頭で但し書きが映されるように
砲弾によって破滅させられたある時代の男達の物語が描かれたものとして、より客観的に観る必要がある
そうでなければ、老人のアギーレに連れて行かれた先には次の世代にはキリングフィールドが待っているのだから
本作をそれに利用させてはいけない
●西部戦線異常だらけ
当たり前に軍に入隊する若者たち。陰湿なシゴキを繰り返す伍長。
特別なディナーが過酷な戦場への出兵の合図。
これ、アメリカ映画だけど主人公はドイツ人なのね。
制作年の1930年ったら、まだ第二次世界大戦の前だ。舞台は、第一次大戦。この戦争は実際、早期に終わるとみられていた。
だから、割と楽観的に出兵した若者も多かったらしい。しかし、機関銃の組織的運用などで防御側が優位となり長期化した。毒ガスや火炎放射器も戦争を終わらせるまでもなく。
良心の呵責から、敵兵を助けようとする主人公。生きて帰って、同僚の戦死を家族に報告するも、罵倒される。
戦争の悲惨さを丁寧に描き世に訴えた作品。しかし、人類はまた戦争を引き起こすってのが悲しい。
モノクロが余計に戦争のリアルさが分かる。
当時の戦争映画って今の戦争映画と違って戦争とは何かを問うと言う課題を上手く表現出来てると思う。最近の戦争映画は武器や射殺シーンにリアルさを力を入れているがこの映画はそう言ったリアルさじゃなく戦争のむなしさと意味の無い事をリアルに上手く画かれてると思う。
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