「もし現実に〝ゾーン〟が存在したら……?」ストーカー(1979) 阿久津竜斗さんの映画レビュー(感想・評価)
もし現実に〝ゾーン〟が存在したら……?
ロシア映画界の巨匠、アンドレイ・タルコフスキー監督が1979年に発表した傑作SF映画『ストーカー』。すごく難解な言い回しが多かったですが、個人的には一番好きなSF映画になりました。
作中は常に静かであり、登場人物は少なく、『2001年宇宙の旅』や『スター・ウォーズ』などのような規模もない。入ると願いが叶う〝部屋〟に向かって、三人の男たちが歩いていくだけ。しかも最後までその〝部屋〟に入ることもなく終わる。何もスッキリしないのに、なぜか他の映画では味わえない奥深さというか、パワーのようなものを感じました。
各所で〝水〟が印象的に使われていて、しかしどれも汚い水なのですが、それが不思議と心地よく、美しく感じます。ひたすらに現実離れした静けさで、瞑想しているような落ち着きを2時間半ちょっと、味わうことができました。
ところで現実に〝ゾーン〟(性格には〝ゾーン〟内にある〝部屋〟)が存在したら? と私はちょっと考えてみたのですが、多分自分だったら勇気を出せず、入ることすらできないと思います。作中で作家が話していたように、「願いが叶う」ということは、「自分の腐った本性を見る」ということでもあるのです。
つまり何が言いたいのかというと、〝部屋〟という名の〝ズル〟で願いが叶ったところで、幸福なんてものはそうそう得られないのだということです。ストーカーの妻の言葉を借りるならば、「苦しみのないところには幸せもない」ですね。
やっぱり願いは自分で叶えるからこそ良いのですよね!(そう言いながらキミは、挑戦から逃げてばっかだよね?)(まぁいいじゃないっすか。失敗するのイヤですもん)
「思うがままに行くがいい、信じるままに。情熱など嘲笑え。彼らの言う〝情熱〟は心の活力ではない。魂と外界の衝突でしかない。大切なのは自分を信じることであり、子供のように無力になること。無力こそ偉大なのだ。力に価値などない──」
──ストーカーの言葉より