「タルコフスキーのニヒリズムと宗教批判」ストーカー(1979) nagiさんの映画レビュー(感想・評価)
タルコフスキーのニヒリズムと宗教批判
人類の存在意義は芸術を創造するためであり、科学はその2次的な要素に過ぎない、といった無欲さが人類の本質であるとした上で、真理の探求は無意味かつ錯覚であるという、ニーチェ的ニヒリズムが展開される序盤。
しかし、音楽がそのような機械的に作られるものであるとするならば、人の心に直接響くのは何故か?身体の何が喜び、共鳴し、感動するのか。それは何の為であるか?それは無欲であるはずがないだろう。全てには価値と理由があるはずである。そうして彼らは自らのそれを「ゾーン」に求めたのだ。
彼らを待ちうけた「ゾーン」は、つまり「精神の反映」である。水辺に火があったり、あり得ない近道があったり...それは理解を超えた、人間の幻覚が生み出す超現実的な領域である。願いを叶える「ゾーン」の本質は「無意識の望みを顕然させる」というものであった。無意識を顕然させると人間の本性と直面する。
しかしそれは本当に望ましいことだろうか?自らの本性を認識することで、自己嫌悪に苦しむかもしれない。或いは、たとえ奇跡によって苦しみが取り除かれようと「幸せというだけでは淋しい、爽やかというだけでは淋しい」のである。奇跡があろうと、苦しみがなければ幸せを実感できない。彼らは、運命を受容することを決意する。
そこで彼らは「ストーカー」が「ゾーン」に取り憑かれ、崇拝し、禁欲主義的な偽善に毒されていることに気がつく。キリスト教と同様、奇跡は人を真に幸福にはしない(奇跡の有無に関わらず)。彼らは自らの弱さを武器に虚偽を流布する狡猾な人種である。これはニーチェの痛烈な宗教批判からくるものだ。
という、『ノスタルジア』『サクリファイス』にも通ずる、タルコフスキーによるニヒリズムを描いた作品だ。しかし、痛烈な宗教批判の印象が、美しい強度をもつ映像体験がその存在感を薄めている様な気もして、そこはやや残念に感じる。
極めて散漫な文章となったが、SFでありながら現実世界を主題とするあたり、タルコフスキーの現実への愛がうかがえる。