「リバー・フェニックスとテーマミュージックに涙ぐむ」スタンド・バイ・ミー 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
リバー・フェニックスとテーマミュージックに涙ぐむ
大人になって作家になったコーディ(リチャード・ドレイファス)が
12歳だった頃の、友人と冒険した2泊3日の思い出を振り返る映画。
黒人歌手のベン・E・キングのしゃがれ声のテーマ曲が、
“ダーリン、ダーリン、スタンドバイミー“とノスタルジックに
歌い上げると熱い涙が込み上げる・・・
小さな田舎町キャッスル・ロック。
(スティーヴン・キングはこの架空の地名を何度も使っている)
幼なじみのコーディ、クリス、テデイ、バーンの4人は、
ある日30km先の森に男の子の死体を見に徒歩で旅に出る。
線路伝いに歩いていると、陸橋の上で突然、蒸気機関車が迫ってくる。
慌てて飛び降りる4人。
沼を腹まで沈んで渡ると、ヒルに何箇所も食われる。
クリスの兄の不良仲間に因縁を付けられる。
腹ペコで焚き火にあたり夢を語る。
そうして冒険の旅から帰った彼らは確実に大人に変わっている。
ラストで成人したクリスやテデイのその後が語られる。
この旅を契機に必死に勉強して弁護士になったクリスは
呆気なく刺されて死んだと知らされる。
クリスを演じたリバー・フェニックスもまた、青春スターとして
人気絶頂の23歳の時に、不慮の死を遂げる。
その死を予言するような映画になってしまった。
実は私は作品というのか作品情報というのか、まったく情報に疎いのです。つまり知らないのです。知ろうともしないと言った方が正しいかもです。
映画だけで言えば、昔はビデオもない時代には映画館かテレビの放映だけが唯一の視聴方法でした。
ビデオが出回って作品数も多くなれば、興味の対象が多様化します。
そういう時代の過程でも、私は殆どビデオ屋に出入りしていませんでした。
でも見たいと思う作品はありました。その多くが流行り映画でしたが、グランブルーを見たときに初めて心が揺れ動きました。
SFXやらCGやらが発達すると、邦画は日本人にも見られなくなっていきます。
しかし、杉咲花ちゃんと綾野剛君が主演した「楽園」を見たとき、この作品は何を描いているのだろうという疑問が生じました。
答えを明確に出すことなく、でも答えにはたどり着けるように描いている邦画が素晴らしいと思えたのです。
この作品がきっかけとなって邦画の余白という魅力に目覚め、シャーロックホームズのようにすべてのすべてを解決してしまうつまらなさにも目覚めました。
作品はすべて人を描きますが、人の心は移り気で変化しやすく、行動と気持ちが一致しない場合もあって複雑極まりないものです。それ故余韻が生まれなければならないと感じるようになりました。
「あんのこと」では、事実とフィクションという構造があんの心理をわかりやすくもわかりにくくもしていました。でも、だからこそ考えてしまう面白さが生まれます。
また、
東京にいた当時、上司からたまにもらった早稲田松竹の無料券で、都合の良い日の都合のいい時間によく出かけました。
つまり何を上映しているのかわからずに入場するのです。
そこで見た「セヴン」に驚愕しました。精神的に殺された気分がしました。
知らないから面白いという体験です。
こんな経験から、私は無知を選択しています。
おはようございます。
トゥームレイダーのコメントありがとうございます。
教えていただいた作品はどれもまだ見ていません。
「見たいリスト」に入れておきます。
ありがとうございます。
さて、
しばらく前のこの作品ですが、私は当時大学生で、友人たちと一緒に映画館で見た記憶があります。
映画というよりもこの音楽が特質して流行ったように思います。
この物語ですが、実は子供の頃この物語に似たようなことばかりしていたこともあって、二度煎じ的な感じがして結構退屈だった感じがします。
しかし雑誌やテレビなどでは大絶賛されており、他人とのセンスの差を感じた記憶があります。
テレビでも何度か放映され、2度ほどは見たはずですが、やはり感想は変わりませんでした。
この物語はO・ヘンリーの「after 20years」を思い出させます。
大人になった彼らの様々な変化
当時もアメリカ社会における格差なのか差別なのかわかりませんが、日本のように中流意識にたどり着くのがかなり難しいことを感じさせられます。
昔は怖いものなどなかった。
仲間と思うままに楽しんだ。
でも今は…
私はこの部分にこの作品の切なさ、寂しさを感じます。