食人族のレビュー・感想・評価
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このテーマを語るに最善の作劇。巧い。必見。
DVD初見。
なるほど秀作。
このテーマを語るに最善の作劇。
巧い、のだ。
1983年、中3、渋谷、
大々的にETと本作のポスターが並ぶトラウマ的記憶。
今やエロとグロは街角から消え失せた。
外は大人は怖くて汚いぐらいが教育上良くね?
高橋ヨシキ氏推薦作。
必見、と言おう。
鑑賞後、もっさんが肉入り焼きそばを買ってきてくれた思い出。そんな100%思い出しレビュー
これ、幸運にも劇場で観てきたんですね。当時。
予告編からして穏やかじゃなかったじゃないですか。←日本語大丈夫ですか?
ア・ナ・タ・タ・ベ・ル・タ・ベ・ラ・レ・ル 「ギャー!」超残酷ドキュメント食人族!
当時の職場の先輩たちと劇場まで観に行ってたんですよ。レイトショーで。
そして、職場まで戻ってくると…居残り組先輩のもっさんが(誰やねん!それ!)焼きそば買って待っていてくれたんですよ。肉入りの(笑)
誰も手を伸ばしませんでしたね。さすがに。
観ていてね、吐きそうになちゃったの。亀さんの解体シーンとか。ガク((( ;゚Д゚)))ブル
今どきみたいに、「この映画は動物に危害が加えられておりません」とか生ぬるいこと言ってない時代の映画ですから。
当時は純だったんだなぁ。今にして思えば、かなり稚拙な“作り物”だったです。モノホンの亀さん以外は。
悔しいことに音楽と、そこそこ深いいテーマだけは美しいから困ります。
その音楽を楽しみたくて、確かDVD借りていたと思うんですよ。
また観たくなって違法コピーDVD集(アカンやつ)を探しても、見つからないんですよ。
『人喰族』なんてのはコピーしてるのに。←だからアカンやつ
勿論、各種サブスクでも放送なし。まさにカルト・オブ・カルトな一品。
また観たいなぁ。肝試し的に肉入り焼きそばとか食べながら。
今回は、再鑑賞なしの100%思い出しレビューです。だから珍しく文章短いでしょ(笑)
試しにDVDをヤフオクやAmazonで探してみたです。トンデモなプレミアム価格でした。
35周年記念HDリマスター究極版 2Blu-ray小売価格5,700円が→26,500円とか。根強い人気あるんだなぁ。買わへんけど。
えっとね、また脱線なんですが。
リアルに食人文化のある部族について、ちょっと調べてみたんですよ。
そもそも、そんなの本当に存在するのかどうか。
したらね、ありましたね!
ニューギニアのアスマット族やら、インドネシアのコロアイ族やら、インド洋のセンチネル族やら。結構な数で。ほんまなんかいな?
おゝ怖い怖い。食人様の島へはおちおち旅行にも行けんのんか。行かへんけど。
POVの原点にして、完璧なフェイク映画!
この映画、ある意味すごい映画と思う!
ホラーやグロい映画は、これまでにどれだけ観てきたか分からないのですが、本作を観たときは正直度肝を抜かれました。見終わった後の、気分の悪さは相当凄かったです。1983年製作でCG技術も無いこの時代の作品なのに、非常にリアルなのです・・・。
それもそのはず、“POV(Point of View Shot)”という、いわゆるカメラの視線と登場人物の視線を一致させるようなカメラワークの手法がありますが、実はPOVの原点は『食人族』ということです!
この時代の人々にとって、POVなんて技術知る由もない。16ミリカメラで撮影されている上、完全にドキュメンタリー映画として宣伝されていたので、当時の人々は真実の映像としてとらえてしまったのです。もちろんフィクションでありフェイク映画ですが、インターネットなども普及仕切っていない時代に、残酷映像なんてものに耐性がない人々が映画館で観たと思うだけで…。
もちろん今観ても非常にリアルなのですが、特に一番気分を害したところは、亀の解剖です。なんでも本物を使用しているらしく、亀の内臓を生で役者が食べるシーンあります。本国イタリアでは、動物愛護団体からのクレームにより上映禁止まで食らっているのです。ちなみに監督談ですと解剖した亀は、おいしくいただいたとのこと…(いやいや、そこじゃないでしょ!!!)
ジャケット写真にも出てくる、超有名シーンの女性が串刺しにされている場面があります。あまりのリアルさに当時は本物と信じて疑わない人が多発したとのこと。しかし現実は自転車のサドルに腰かけた女性に発砲スチロールの木をくわえさせただけらしいです。ネタをばらせばなんでもないんですが、信じる人が出るほどの素晴らしい技術なんですよね!
この映画のイカレっぷりは、単にリアルなグロ映像だけでないんです、一番の気分を害した理由は撮影しているレポーター達の残虐さです。撮影にリアリティーを出すため嘘の演出を入れるのです。民族同士の戦いと見せかけ民族が居る家を焼き払い嘘の戦いを作る、妊娠中の女性の子宮を切り取ることを強制的に実行させる、老婆をワニの餌にする、しまいには民族の女性を木で串刺しにしてしまうのである。これには、気分を害さずには居られないです。挙句の果てには、仲間が食人族に捕らわれ、喰われる様子もしっかりちゃっかり撮影・・・。
そしてこの暴挙の途中にかかる音楽が心にしみわたる優しい名曲 !
ん、ん、ん???優しい名曲???
待って待って!このシーンでなぜほっこり曲!?
これには監督の悪意が感じます。めちゃくちゃ良い曲なのですが、曲の使いどころ間違っている…。
意外とお行儀がいい
子どもの頃に劇場公開されて、その際のテレビCMがめちゃくちゃ怖かった。こんなの絶対に見たくないと心に誓った。しかし90年代になると映画秘宝などでこの映画が高く評価されていた。その時もそうなのかなと気になりつつも見ないままここまできた。そしてとうとう、劇場で再上映されていたのでようやく見た。どんなとんでもない不謹慎な映画なのかと思ったら、不謹慎なyoutuberみたいな若者が出ていて、彼らは食人族に食べれられてしまう。しかしそんなのはダメだと良心的な人がボツにする。全然不謹慎でもなく、悪趣味ではあるものの、予防線を張ったような表現で折り目正しくすらある。もっととんでもなくおぞましいのを恐々と期待していたので肩透かしだ。映像が明るい。
人間の欲望こそ最も恐ろしいというテーマを40年以上前に描いた不朽の名作
4Kリマスター版で今回初めて見る機会を得たので、映画史上最大の問題作とのワードに興味をひかれ、怖いもの見たさで鑑賞。
数々の残虐シーンや動物虐待と言われるシーン、内臓オンパレードなグロテスク映像が多いので決してオススメできる映画ではありませんが、意外や意外、40年前の作品とは思えないほど見応えがあり、名作と言って差し支えのない作品でした。
食人の慣習があるとされる南米アマゾンの未開部族を取材に行き、行方不明になったアメリカ人撮影班の4人を、依頼を受けた大学教授が探しに行くのが前半。
行方不明になった4人の死体&撮影されたフィルムを発見し、そこに記録されていた驚くべき内容が明らかになっていく、というのが後半。
…フィルムに記録されていた映像から実は撮影班の4人組が現地の部族に対し、センセーショナルな映像を撮るために意図的に暴力、放火、虐殺、現地女性への暴行など蛮行を重ね、その復讐に全員が殺された、というのが真実。
フィルムを見終わった教授の、
「食人族は誰なんだ」
という問いかけを残して終わるわけですが、この一連の流れとモキュメンタリーとしての構成が時代的な古さを全く感じさせない見事なもので、グロテスクなシーンが多い作品でありながら美しいBGMと高いメッセージ性からただのB級グロ映画とは一線を画しています。
撮影班を探しにアマゾンを進んだ教授が現地の人々の文化や人権を尊重した行動から信頼を得たように、本作で食人族とされている部族は決して問答無用で他者を襲うような人々でなく、むしろその前に撮影班の蛮行に遭った事実を鑑みれば信じられないほど善良です。
一方、文明社会の人間でありながら撮影した映像で自分たちが有名になる(金を得る)為に犯した撮影班の悪事蛮行は、
・村人の貴重な食糧である豚を「弱肉強食だ」と勝手に撃ち殺す。
・部族間の抗争を演出する為に村を放火し、生きたまま焼き殺す。
・自分たちのセックスシーンを見せつける。
・現地の女性を複数で暴行する。
・暴行した女性を、純潔を重んじる現地の慣習(罰)の演出として、殺害して串刺しにし撮影する。
※本作でもっとも有名な映像シーンで、直接撮影班が手を下す様子は描かれていませんが、彼らの会話と一連の行動から明らかです。
と、枚挙に暇がありません。
最後の教授の「食人族は誰なんだ」のセリフについ「ホントだよ!」と思ってしまいましたが、このセリフ(字幕)は、リマスター版以前だと「食人族はどっちなんだ」というような字幕だったそうです。
英語に疎い為、どちらが元のセリフの意味に近いかは分かりかねますが、本作の時代的にとにかくショッキングでグロテスクな映像作品がウケていて、作中で動物を殺して食べるシーンなどは実際にその動物を殺した映像がそのまま使われていたり、劇中作として出る撮影班の過去作品の死刑シーンは本物の死刑映像が使われています。
そんなシーンがふんだんに出てくる映画を見たい観客(自分)、それを作る側、そして本作(食人族)で描かれる登場人物達…
食人族は誰なんでしょうね。
0219 あなた食べるか食べられるか
1983年公開
変な方に向かっているポリコレ全盛の世の中では
このような映画は今後一切作られないんでしょうな。
間は悪いし音楽は全くマッチしていないし
それでも強烈な印象を残す(当然か(笑))昭和臭プンプン。
まあこういうのも映画です。
決して後世で除外しないようにね。
60点
1
初鑑賞 2023年5月15日 京都みなみ会館
パンフ購入
自業自得だが、衝撃の映像
4Kリマスター無修正完全版を劇場で観賞。
緑の地獄と言われ生還者の居ない南米アマゾン奥地へ、ドキュメンタリー撮影のために探索に行ったアメリカ人男女4人組が消息を絶った。現地へ向かった救助隊は未開のジャングルの奥地で食人族の村にたどりつき、白骨化した遺体を発見した。現地の部族長へカセットテープレコーダーを渡し、彼らが持ち帰った撮影したフィルムを持ち帰って確認すると、そこには想像を絶する映像の数々が記録されていた、という話。
40年前に話題になった事を知らずに観賞したが、なかなか衝撃の映像だった。
食べ物を現地調達する為、ネズミやカメ、サルなどを捕まえ殺し食べる映像、現地の人と仲良くなる為に服を脱ぎフルチンで接するガイド、泥だらけで現地の女性レイプ、その子がお尻から口まで木を突き通され磔になった映像、そして家を焼かれその中で黒焦げになった泥族、殺された4人のガイコツ、人肉を食べるシーン、などなど、なかなか見れるもんじゃない。
ストーリーとしては先に銃で現地人を殺し、家を焼き、現地の女の子をレイプした4人組が現地人に復讐され殺されても自業自得と思った。
4人組のうちの紅一点、フェイ役のフランチェスカ・チアルディの美しい裸体も観れるし、数々の残酷な映像は一見の価値がある作品と思った。
本当に閲覧注意な…名作
ある意味でどんな優れた映画も「食人族」には勝てない。
人間は太古から続く残虐嗜好を持っている。その感覚を刺激するからこそ、この映画は長年愛されてきたんだな。
閲覧注意なのは見せる人間を選びたいといったところ。
なんでも縛るコンプライアンスという言葉は大嫌いだが、この映画は別格かも。
良識的な人間は娯楽と割り切れるが、心を病んだ人間は影響を受けるだろうな。
毒が強すぎるから。
劇場で鑑賞していて面白いことに気づいた。見ちゃいけない物を冷静に見ようとする自分の表情やポーズが劇中のフィルムを鑑賞する人物たちと同じだった。
映画が終わって劇場が明るくなって、気恥ずかしい思いがするのはそこにいた観客が共有する感覚なのかも。
動物を本当に殺してる動物スナッフ映画
気分が悪くなった、動物を本当に殺してます。
ジャコウネズミ、カメ、サル、ブタ、残虐に虐殺してます。
亀も殺して解体するシーンが長々と…
尊い命に、尊厳や優しさ思いやりを持てない、腐った人間が作った映画でしょう。
今だったら、
“映画を作る過程で動物に危害を加えていません”
とテロップが入るぐらいなのに。
『ハウス・ジャック・ビルド』や『女神の継承』は、そうだった。
殺して食べたとか言い訳してたらしいけど、
苦しませないように、痛みを最小限に、じゃなく、
残虐に虐殺してます。
この映画を作った監督は死んだらしいが、
安らかに…なんて思いません。
因果応報、罪と罰。
あの世で同じ目に遭ってる事を切に願う。
ツイッターに書いてる方いたが、動物好きのジェームズ・ガン監督も、この映画に怒ってたらしい。
この映画は、胸クソ悪い犯罪。
飽くなきタブーへの挑戦! モンド映画の最果てに華開いた、奇蹟のようなゴミ溜めの薔薇。
こんなことを言うと怒られるかもしれないが、
ふつうに「傑作」なのではないだろうか。
ひたすら悪趣味で、品性下劣な内容ではあるが、
思った以上に映画として「ちゃんとしている」し、
実のところ、きわめて手の込んだ知的な構成の映画ですらある。
イタリアという特異な映画風土において、モンド・ムーヴィーと、ゾンビ映画と、残虐アクションと、官能映画と、パゾリーニの結節点に華開いた「奇蹟の一本」。
あらゆる悪徳と狂気を包含しながら、文明の意味と人間の根源を問う社会派映画であると同時に、映画というメディアの虚構性と真実性を意識的に暴き立てる「映画を語る映画」でもある。
そして、そのすべての要素が分かちがたく混淆し、支え合っている。
真に驚くべきは、この精妙に作られた驚異的な作品が、低劣なエクスプロイテーションの「売らんかな」精神のもと、たいして理想も思想もないような監督の手で、おそらく適当に生み出されたということだ。
まさに、ゴミ溜めに咲いた大輪の毒の薔薇。
『食人族』は、イタリア映画史上の特異点だ。
30年前にVHSで視聴したはずだが、記憶はおぼろげだった。
なにせ、当時は年間200本ペースでホラーとサスペンスばかり観ていた。
予備知識ゼロで、手あたり次第に9割のゴミと1割の宝を漁る日々。
いろんな映画が、脳内でごっちゃになってしまっている。
一方で、そのごっちゃになった混淆物が今の僕という人間の「核」を形成している。
今日、映画館に足を運んだのは、水曜日で安いということもあるし、人が虫のようにぶっ殺される爽快な映画を観て仕事のうさをはらしたかったというのもあるが、数年前にヤコペッティの『世界残酷物語』正、続と『さらばアフリカ』のリバイバルを観た「今の僕の目」であらためて『食人族』を観直してみたかったのだ。
冒頭は、しょうじき悪酔いする。
空撮でアマゾンの大樹林を捉えるカメラはずっと揺れているし、撮影隊の出発シーンでも、NYの摩天楼で記者がしゃべるシーンでも、手持ちカメラが8の字を描くみたいにぐるぐる動き続けていて、ただただ物理的に(身体的に)気持ち悪い。
でも、この悪酔い感は、ジャングルに入ったとたんおさまる。
そこからは視点がある程度定まり、固定カメラとハンディのバランスがとれてくるからだ。
もしかして、出だしの眩暈を起こすような悪趣味な手ブレって、「わざと観客の腹具合を気持ち悪くする」ための深謀遠慮だったのでは?
このあとに供される生肉と人肉と腑分けのオンパレードで、しっかりオエっと気持ち悪くなってもらうための布石――心尽くしのアペリティフだったのでは??
と、それはまあ、ただのディープリーディングのお遊びだとしても、ある種の意図をもって冒頭から「ハンディ」感を強調してモキュメンタリーとして印象付けているのはたしかだ。
お話は、失踪した若者たち4人組の探検隊を探すための捜索隊がジャングルを行く前編と、そこで発見されたフィルムに残っていた4人組の末路を描く後編で構成される。
前半に「うまくいくケース」、後半に「失敗したケース」という順序で紹介されるのは、意外に珍しいかもしれない。
通例、先に「バッドエンド」があって、どうやれば正解にたどり着くかの模索があって、「トゥルーエンド」にたどり着くというのがふつうだろう。だがここではまず「白人がインディオとうまく折衝できたケース」を紹介したうえで、「白人がインディオに敵認定されて滅殺される最悪のケース」を後から出してくるわけだ。
その意味では、エロゲで先にトゥルーエンドを攻略してから、後からわざとひどい選択肢を選んで凌辱バッドエンドを回収してまわるような構成(品のないたとえで失礼)になっている。
結果として、観客はいかに若者4人組が不逞の輩であり、いかにやってはいけないことばかりやっていたかを冷静に考えられるし、因果応報で滅んでいく彼らの悲惨な末路を「面白がって」観ることができる。要するに監督のデオダートは、あえて4人組に感情移入させない、勧善懲悪を強調した、むしろ食人族側に義のある「醒めたホラー」を志向しているのだ。
もちろん、今の観点から言えば「捜索隊」のほうのインディオ民接触だってろくなものではない。銃器で撃ち、何人も撃ち殺し、一人を生け捕りにし、首になわをかけて、薬漬けにして、荷物を全部持たせ、家畜のように連れまわる。彼らにとってインディオはただの原住民であり、仲間を毒で殺した敵でもある。人間として尊重する気などさらさらない。
それでも、ヒグマと出逢ってしまったらどうするか、と同じで、「どう交流すれば相手と意思疎通を行い、バーターで希望の条件を引き出すことができるか?」はわかっている。
彼らは原住民とその文化を「尊重」はしないが、功利的な立場で(動物の生態のようにそれを)「理解」している。なんなら最初のヤクモ族の虐殺や捕獲も「功利的な判断で」そうしている。
だから、あれだけめちゃくちゃやっていても、村では歓待を受けたし、木の民(ヤマモモ族……ヤノマミ族とは違うのか?)からフィルムを取り戻して帰還することもできた。
だが、若者4人組のジャングル行は違う。
彼らのやりくちは、かつてのコルテスやピサロと変わらない、征服者のそれだ。
彼らは獣性と劣情の赴くままに、原住民をレイプし、惨殺し、村に火を放つ。
本作のメインビジュアルとなっている衝撃的な「串刺し少女」だって、その真実は「食人族がやった蛮行」ではなく、若者4人組がレイプして惨殺した少女を用いてでっちあげた「やらせ」なのだ。
原住民にとって、彼らは「厄災」「悪霊」以外の何物でもない。
だから討たれる。当然の結末だ。
テレビ局重役も、人類学者も、現代の観客も、誰も若者たちを擁護しない。唾棄すべき存在として切り捨てる。
彼らは、『13金』他、数多のスラッシャーでセックスに興じたうえで惨殺される悪童たち以上の「殺されて当然の犠牲者たち」だ。
で、あまりにひどすぎるという理由でフィルムは焼却処理され、彼らの悪行三昧は「封印」される。歴史的に見ても、白人の未開地に対する悪逆非道は、こういう形で「修正」されつづけてきたのだ。
まずは、主人公若者4人組を「悪」と規定する。
このことによって得られる利点は、「勧善懲悪」の導入だけではない。
いちばんの効果は「映画のなかでいくらでも悪いことを直截的に表現できる」ことだ。
そもそも、この映画は「観察者」と「被観察者」によって成り立っている。
観察者は人類学者とテレビ局重役、そして客席の観客たちだ。
被観察者は、インディオ原住民と、若者4人組。
インディオ原住民は、原始の人間の「無垢」「無知」「野性」をつかさどる。
若者4人組は、文明的人間の「悪」「傲慢」「獣性」をつかさどる。
作り手たちは、この2つの類型から引きずり出せる限りの「悪徳」を画面に焼き付ける。
「悪徳」を観察させられる学者とテレビ局重役と観客は、眉をひそめ、吐き気を覚えながらも、自分の内に隠した自らの「悪徳」が激しく呼応するのを感じざるをえない。
そんな「悪徳」、自分のなかにはないって?
そいつはよかった。幸せな人間だ。くだらない人生だけど。せいぜい正しく生きるがいい。
でも、僕のなかには間違いなくある。
幼いころに知性と理性と道徳心によってなんとか抑え込んだ「悪」が。
やってはいけないとわかっているけど、どうしようもなく惹きつけられる「悪」が。
マンハント。レイプ。食人。放火。動物殺し。
『食人族』が披露する直截的な「悪」は、僕のなかに隠して息の根を止めたはずの「悪」をびんびんと刺激し、ふるえさせ、渇を癒し、代替的に満たしてくれる。
僕が『食人族』に惹かれる一番の理由は、その「悪と正対する姿勢」と「目を背けず直視するゆるぎなさ」にあるのかもしれない。
「悪」を描くということは、
言い方を換えると、
「タブー」を描くということだ。
『食人族』は、「タブー」に挑戦する映画だ。
最大のタブーは、もちろんカニバリズム。「人を殺して食べる」ことだ。
ただ、そのタブーはスナッフ映像でも用いない限り、テーマにおいてはそれがメインであっても、実際の映像では結局「つくりもの」ですますしかない。
だからこそ、この映画では「その代替物」として「動物を殺して食べる」シーンがリアルな動物虐待として何度も挿入されるわけだ。もちろん、今の撮影の道徳的規準において許され得ない蛮行であることは論を俟たないが、製作者にとってここはきっと「譲れない」タブー挑戦の臨界点だったはずだ。
僕個人は豚やすっぽんは平気で食べるし、魚もふつうに下ろせる人間なので、巨大亀や子豚が殺されるのは可哀想、グロテスクとは思っても、しょうじき別になんてことはなかった。だがリスザルの頭が「削ぎ切り」にされるシーンは、やっぱり「うわっ」てなるよね。あんなに可愛い動物によくもこんなことを。ひぇー、ここまでやんのかと。後から食ったからいいだろってデオダートは言い張ってたらしいが、お前ほんとにちゃんとサルまで食ったんだろうな?
でも『食人族』は畢竟、「そういう」映画なのだ。
本当の動物殺しを「生で見せられる」。もちろん不快だ。不快だけれど、そこに生まれる恐るべき衝撃は、ヤコペッティの『さらばアフリカ』で延々と続くゾウの虐殺ハンティング・ショー同様、「この映画でしか味わえない」何ものかだ。僕はあらゆるタブーを描くこの映画で、製作者自身が動物殺しの「悪徳」をその身に背負ったことをあえて断罪しない。断罪しないことで、『食人族』という映画の悪徳の一端をわが身にも背負い、共犯者のひとりとなるつもりだ。
『食人族』には、さまざまな側面がある。
まずは、60年代から70年代にヤコペッティたちが隆盛させた「モンド・ムーヴィー」の後継作として。実際の処刑映像の挿入や、強制中絶シーン、残虐シーンになるたびにひときわ高まるオルトラーニの泣き節(最高)などは、まさに「モンド」の流儀だ。モキュメンタリーを志向しつつ、きちんと「劇映画」として緻密に仕上げ、そのうえで宣伝では「実際のスナッフヴィデオ」を強調するというねじれ切ったやり口は、「モンド」の行きつく果てともいえる。とくに「ファウンド・フッテージ」映画としての趣向は、後年の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)に絶大な影響を与えた。
本作には『ゾンビ』(78)『サンゲリア』(79)など、伊ゾンビ映画のカニバリズム描写もおおいに取り込まれていて、この「食人族」×「ゾンビ」という要素は、ジャック・ケッチャムの傑作ホラー小説『オフシーズン』(81)にもおそらく大きな影響を与えているはずだ。
イタリア伝統のセクスプロイテーション要素も、本作のなかに生々しいレイプシーンとして息づいている。被害者は皆、巨乳のグラマラスな美女ではなくいたいけな少女たちで、4人組の一人フェイも貧乳であるところに、デオダートの趣味が出ているのかもしれない。
それから、残酷ウェスタンの伝統やえぐ味の強い犯罪映画のテイストなど、デオダートが学んできた娯楽映画の様々な要素が本作には包含されている。
本作が、劇中作を含む「映画を語る映画」であることも重要だ。
娯楽としてのドキュメンタリー映画(とくに「モンド」)の有り方についての、痛烈で自己言及的な批評。原住民をshooting(撮影する)ことは、原住民をShooting(撃つ)ことと同じなのだ。
それと、デオダート自身は、極左テロ組織「赤い旅団」に関するメディア報道が本作の発想源になったと述べているが、森林と原住民と銃をもった若者たちという取り合わせで容易に想像がつくのは「ベトナム戦争」との関連性だろう。
『食人族』は、おそらく表面上見えている以上に「いろいろ考えて」作られた映画なのではないかと僕は思っている。
あと、心底どうでもいいことだが、エンドクレジットを観ていて助監督のところにランベルト・バーヴァ(『デモンズ』の監督)の名前を見つけて爆笑してしまった。こうやってろくでもない血脈というのは、未来に引き継がれていくんだね!!
ホラー形式をとった風刺?
ホラーエンターテイメントというよりも、とても風刺のきいた作品と感じました。
食人族4Kリマスター無修正完全版で劇場で鑑賞しました。
カルト的ホラー映画としてタイトルとあらすじは知っていたので、グロさを楽しむホラーエンターテイメントだろうと思っていましたが、鑑賞後の印象は大きく変わりました。
人肉を食す奇妙な風習をもつ未開民族よりも、作品の主体である文明人への不快感・嫌悪感が際立ちます。
異文化への敬意もなく利己心だけで未開の地へ押し入り、暴虐の限りを尽くします。
作品のオチ・テーマもそこがポイントなのでねらい通りなのでしょう。
「グロさ」を楽しむ作品だと思っていたのですが、現代の映像技術からすると微笑ましくもあるホラー描写です。
動物の解体は実物らしいのですが、おおよそ食事のための解体なのでグロいというより神秘的でもあります。
食料として解体したカメの頭をおもちゃにして遊ぶ文明人の姿のほうがよっぽど不快でした。
鑑賞後、公開当時の背景や監督インタビューの解説記事を読みました。
モキュメンタリーとして現実味を演出するめに、公開後しばらく役者の露出を控える取り決めをしていたとか。
作中に「やらせドキュメント映像」といわれていたものが、実は現実のニュース映像であったとか。
凄惨なニュース映像の放映は問題視されないのに、フィクションのホラー映画は規制される矛盾への監督の見解とか。
製作においても宣伝広告においてもとても画期的な手法をとられていたことがわかり、公開当時を体験できていたらさぞ面白かったろうなと感じられます。
ドキュメンタリーではありません
ドキュメンタリー風のB級映画ですね。当時もポスターや番宣では本物っぽく宣伝して、騙された!、ってオチの映画。
映像的にはよく出来た方だと思います。80年代前半ですから、CG技術もさほどなかったでしょうし、動物を捌くのはたぶんリアルでしょう。
ただ、フィクションだと分かって観ていると、ただ趣味の悪いホラー映画としか観えないので、怖くも気持ち悪くも感じません。
カニバリズム自体、聖書にも記述があり、古今東西「あるっちゃ、ある」ものです。で、コレを取り上げて何が言いたいのか〜、「ヤラセ」「文明とは?」、、、う〜ん。やっぱ、スナッフ風B級ホラー映画がやりたかったのでしょうね〜。カニバリズものならば、佐川一政を取り上げた「カニバ」の方がゾッとする作品でした。
ただ、こういう映画が1983年日本では大ヒットした、ってことは興味深いです。川口浩探検隊シリーズがまだ人気で、「死霊のはらわた」がヒットして、、、そういう世相だったのですかね〜
四十年ぶり
新庄元木世代の自分が中学生だった80年代半ば、友達から回ってきたVHSテープの「食人族」
十代の自分はTVの心霊写真特集や「あなたの知らない世界」も途中で無理っ!と退出するほどのビビリ!
案の定、開始30分で「気持ち悪っ」と見るのを放棄
あれから約40年、大人というか50のオヤジになり、さすがにもうダイジョブダイジョブ♪といそいそと渋谷へ
齢52にして「食人族」初鑑賞ですよ!
鑑賞後の感想は、「意外とメッセージ性有り!」
観た人みんな思うだろうが、どっちが食人族!?つーことよ❗
こんなの昭和の中坊が理解できねーってことで、邦題が秀逸ですよね!ってのが結論!
何ていいタイトル。
喰われるやつには喰われるだけの理由があった。
試写室とまさに同じ気持ちになりながら観る。
あと亀。亀…お許しください…猿も…
全体としてはグリーンインフェルノをより誠実にした感じ。逆だけど。
ゴアだけのパニックムービーかと思ってたから余計に誠実な映画でした。
それはさておき何しろタイトルとテーマ曲がいいやな!
恐いもの見たさ
水曜日なので安く鑑賞できるので恐いもの見たさで観てきました。(笑)
公開当時小学生だったので、当然鑑賞できませんでしたが、40年以上経って遂に見ることができましたが考えさせられる映画だったと思います。
誰が食人族なのかと❗️
現実世界ではありえないと思いますが、この年になると考えさせられました。色々な意味で❗️
食人要素、意外に少ない
カルト映画って、実際見ると「なんだこんなもんかぁ」となることが多いのですが、本作はまさにそのパターンで。
連絡が途絶えたクルーを探しに行く前半と、そこで発見したフィルム(というテイの特撮)を流す後半、という組み立てですが、まず前半がかなり退屈。話がなかなか進まず、残虐表現もないに等しい。まずここで肩透かし感がすごいです。
で、いよいよ後半のフィルムスタートとなるわけですが、これもまたなかなか本題に入らない…
しかも未開の原住民がなんかする前にクルー側が先に色々やらかすんで、最初から感情移入の矛先が原住民側に。
ようやく食人祭りになった!と思ったらとてもあっさりフィルムが完。
えぇ…このワクワクを返してくれよ…
いや、悪趣味さはそりゃあ凄かったですよ。
人権、モラル、知りません!的な。
ヤラセと言いつつ実際の処刑映像や動物虐殺使ってたりするのも実に皮肉的で上手いというか。
ただ、やはりねぇ…あまりのネームバリューに期待し過ぎた感は否めず…
裏テーマと言える「原住民と都会人、野蛮なのはどっちだ」の件も、作中人物に思いっきりそのテーマ言わせてるし、どっから見てもクルーの方が蛮族極まってるので考える余地もないというか。
キワモノ好きとしては、見といて損はない作品ではありましたが、特に2回目を観たいとは思わなかったですね…
エグ味は堪能出来るのだが…
人が人を喰う。ニュアンスではなくフィジカルな意味合いで、貪り喰らうのがこの作品の醍醐味。ゾンビだけでは物足りなく、更なるリアリティが欲しいとルジェロ・デオダートは負けじとイタリアンのエグ味と表裏一体のサービス精神で作り上げた名作である。美術も最高であり、特にキーアートにもされている串刺し死体は見事しか良いようがない。後にも先にもない素晴らしい美術である。
確かに面白いのだが、この時代だから許された動物虐待のシーンには今でも不快さが募る。作品のために殺された動物たちにとてつもない悲しみと憤りを感じてしまう。カルト的な名作ではあっても、私の中では最低最悪の糾弾すべきクズ作品という思いもあって、未だに自分の中でスッキリとした評価が出せない複雑な作品である。
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