「囚われ…。」ショーシャンクの空に とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
囚われ…。
”社畜”という言葉ができて久しいが、それだけでは終わらせたくないなあ、なんて気づかさせてくれる。
思うようにいかないことの方が多い人生。
努力さえすればそれが実っていた学生時代と違って、社会に出れば足のひっぱいあいや思わぬミス、意見の違い…。
うまくいかないことを人のせい、環境のせいにしがちなんだけれど…。
そんな”本来の居場所”でない環境に身を置いたときに、自分ならどうするか。
その環境に慣れきって、囚われたままになるのか。”いつか”の”塀”の外での人生に思いを馳せられるのかどうか。
不登校から社会復帰に向かう寸前の子どもに教えてもらった映画。
興奮して語るその子の顔が忘れられない。
夜明け前が一番暗いとはよく言うが、そんな中での一筋の光明。
勇気をもらえる。
アンディはいつ、”あれ”を完成させたのだろう。
奴隷的な生活の中で、蛇のような奴らに目を付けられ追い回されても、望まぬ仕事に無理強い加担させられても、レッドをはじめとする友達も得て、仲間に高校資格も取らせて、刑務所の中でそれなりの”居心地の良い”居場所を確保していた彼。
オペラを流すなんて命令違反をして半ば”死”を覚悟して、それでもかまわないと思う婉曲的な自死願望と、それでもそこまではされまいとの確信との狭間。
そんな中で、ひょっとしたらこのままここで生涯を終えてもいいかもなんて思ってしまったことはないのだろうか?一か八かの危険を冒すよりも。
でも、ある人物の死が、その幻想を打ち破る。
ある人物の行いが、奴隷としての人生に、一石を投じる。
”施設(環境)慣れ”。時として人間に尊厳を与え、時として人間の尊厳を徐々に蝕んでいくもの。
原作未読。スティーブン・キング氏の原作の映画化とな。
聖書がキーなはずなのに、何が悪で、何が善なのか、そんな枠組みすら軽く壊す。それなのに、聖書の一節がとっても効いてくるラスト。すごい。
法で裁ける悪。法に守られた悪。法では裁けない、心や人間関係の中に潜む悪。
刑務所に入ったがために、かえって”悪人になる”というパラドックス。
簡単には割り切れない。
それでいて、完全に悪に染まり切ってしまった者への顛末がすかっとする。
それなのに、情けは人のためならずという展開を期待すると、軽く外してくれる。
アンディとレッドを中心とした友情が展開されるけれど、だからといって、何でも一緒・協力し合ってというべたべたな友情じゃないところが清々しい。
映画紹介のあらすじを読んで、こんな話だろうというのをはるかに凌駕する展開にも驚嘆。
レッドの回想で、アンディをとりまくことが中心に描かれるが、
オペラに聞き入る人々の様子が好き。犯罪予防にモーツァルトの曲を流すと効果があるとどこかで読んだっけ。
図書館で、それぞれ好みの活動に興じる人々の様子が好き。
刑務所に入る前に、あんな風に、知識をつけ、自分のために静かで内省的な時間を持てていたら、犯罪者にならずに済んだ人がたくさんいるのではと思ってしまう。
そんなアンディの行為に巻き込まれて、変わっていくレッド。
レッドの仮釈放許可のきっかけの面接。自分の心に他人を受け入れる心。
上っ面の言葉ではなく、自分の生きざま・心と向き合ったからこその言葉。そんなレッドの変化。
(その変化を演じ分けるモーガン氏がすごい)
何の刺激もない独房の中でさえ、心は自由に羽ばたける。
反対にいろいろな刺激があふれている”塀の外”でも、心が萎縮・囚われれば、鎖につながれて檻の中にいるがごとくに何もできない。
そんな”心”の奥深さに触れ、心が動き出す映画。
何度も繰り返し見るたびに、いろいろな思いを喚起させられる。
2度目の鑑賞では、初見で何気なく流していた場面にハラハラする。
そして、3度目、4度目…と、筋が頭に入っているから、名優たちの演技に酔いしれる余裕ができ、様々な人物に感情移入して鑑賞できる。
奥深い映画。
PS.アンディ役は、最初トム・クルーズ氏が考えられていたとのこと(Wikiより)。ティム氏も裁判での表情とかすごかったけれど、トム様でも観たかったなあ。