ジャグラー ニューヨーク25時のレビュー・感想・評価
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マラソンマン
今なぜこのタイミングでの再映?と思いつつ。随分前に見た覚えがあるが、何か主人公がやたら走っていたという印象だけ残っている。
構造は誘拐する子どもを取り違えるという「キングの身代金」ひいては「天国と地獄」パターンだが、この映画ではそこはあまり主眼ではなく、いくら間違えていると指摘しても犯人はまるで聞く耳を持たない。捜査陣と犯人の緻密な駆け引きとかはなく、ただひたすら一直線に突っ走るのみ。疾走感はあるが、あれよあれよと転がる随分荒っぽい展開だ。犯人の計画は大ざっぱだし、追う父親も行きあたりばったりだ(脚力と腕力はおよそ超人的だが)。何なら最初の誘拐シーンから父親に目撃されるという杜撰さはどうよ。
何なら誘拐犯より元同僚の刑事の方がよっぽど狂っているし。ダン・ヘダヤはコーエン兄弟の鮮烈なデビュー作「ブラッド・シンプル」でも偏執的なコキュをねっとりと演じていた。誘拐犯役のクリフ・ゴーマンは「真夜中のパーティ」でその風貌が記憶に刻まれている。異常犯罪者というとマザコンの設定が多いのも陳腐感があるな。
疾走‼️
確か今作を初めて観たのはレンタルビデオ‼️30数年前にレンタルビデオで二回くらい鑑賞してそれっきり‼️ビスタ画面がTV画面になってて、当時はあまり印象に残ってなかったんですが、それでもアクションシーンの迫力に目が釘付けになった記憶が・・・‼️DVD化もされずBlu-ray化もされず、今回、久しぶりに鑑賞して目から鱗、こんなに傑作だったんだと・・・‼️元警官のトラック運転手ボイドの15歳の娘キャシーが、セントラル・パークで父と別れたとたん、人違いでソルティックという男に誘拐されてしまう。警察が当てにならないと分かり、ボイドのニューヨークの街を駆け回りながらの救出劇が幕を上げる・・・‼️ニューヨークの雑踏の中、逃げる車を追ってボイドが走りに走る‼️脚で追い、次はタクシー、地下鉄でマンハッタンを南下し、タイムズスクエアで盗んだ自動車でさらに追うという、目まぐるしいカメラワークとアクションの積み重ねが凄まじい迫力‼️まさに映画史に残るチェイス・シーン‼️ボイドのせいで出世が遅れた巡査部長バーンズが街頭でボイドを発見するや、人ごみも構わずショットガンをドカンドカンとぶっ放すシーンや、ボイドとマリアが不良グループに追われるシーンも、全篇中の白眉と言えるくらい勇ましくて面白いシーン‼️CGではなく実際のニューヨークのロケ撮影で迫力を盛り上げるロバート・バトラー監督の演出もホントに素晴らしいですね‼️料理の皿にケチャップでいたずらをする犯人の、屈折して不気味な心理状態を描いたオープニングも忘れられないし、白昼堂々、キャシーがセントラルパークで大胆に誘拐され、周りの人々が無関心なのにも戦慄させられる‼️70年代の危険なヨークを象徴するシーンですね‼️そして露出度高めの衣装で登場するマリア役ジュリー・カーメン‼️ひょんな事からボイドに協力し、ボイドやキャシーと新たな家族となる事が暗示されるようなラストカットもホントに微笑ましい‼️ご都合主義かもしれませんが、私はこういう展開が大好きですね‼️ジュリー・カーメンの美しさにもホントに心奪われます‼️作品全体を観ると、子供を間違えて誘拐するのは黒澤監督の「天国と地獄」を思わせるし、娘を誘拐された父の奮闘は、リーアム・ニーソンの「96時間」に代表されるように現代でもアクション映画の定石‼️ただそれ以上に私が思い出したのはシュワちゃんの「コマンドー」‼️娘を誘拐されるのはもちろん、女性の協力者がいたり、娘の衣装が似ていたり、クライマックスの舞台・美術も似てる‼️ボイド、キャシー、マリアのラストカットも、「コマンドー」ではシュワ、レイ・ドン・チョーン、アリッサ・ミラノのスリー・ショットだった‼️そういえば今作のバーンズ役ダン・ヘダヤは「コマンドー」のラスボス役だったですよね‼️シュワちゃんは今作を観た事あるのかな⁉️とにかく70年代〜80年代のアメリカ映画には「バニシング・ポイント」や「ザ・ドライバー」、そして今作と、圧倒的疾走感と臨場感で映画本来の楽しさを満喫できる作品が多かった‼️最近でもトム・クルーズあたりがしっかり受け継いでる気がするんですが、CG全盛の時代に生きてて、ふと今作のような作品に出会うと、CGの作り物感を露骨に感じてしまう自分がいたりします‼️やはり文字通り実写に勝るものはありませんね‼️
ノンストップ追跡アクション!
シネマート新宿で初鑑賞。
とにかく序盤で娘が誘拐される件からノンストップの追跡劇が続く!
特にカーチェイスシーンが多く(近年のワイスピより多い)、観客を絶対休ませないぞ、という作り手の気概を感じる!
正直本人はヘッポコだか、道中で次から次へと妨害が入り、中々救出が上手くいかない!元相棒が通りでショットガンを放ち、終盤は不良グループに絡まれる災難。
それでも裸一貫で犯人に立ち向かう展開は熱い(最後まで銃とか持ってなかったはず)。
ディスク出たら買いたい!
思い返すと良かったシーンが沢山。
・とにかく街のが治安が悪い小汚い!
・口論になったきり出番がない元奥さん
・クレメンザのフローズンヨーグルトの件なんなの(褒)
・唯一協力してくれた記録係のヒロイン(天使)
・相棒が犬に食われるのもいいね笑
ジョギングしてる人の多いこと
当時の生のニューヨークでの三度にわたる迫力の追跡劇!逃亡劇! 人種・移民のるつぼ、格差社会に生きる人々
追う!追われる!活気あふれる雑踏のニューヨークを走り抜ける。
まず、冒頭から延々と続きなかなか終わらない、誘拐犯と娘を必死に追う主人公の追跡劇が見もの。
走り、タクシー、地下鉄、車も奪い追いかける執念!
その後、元相棒の汚職刑事からの執拗な追撃では、人ごみの中でも躊躇なくショットガンがぶっぱらされる。
マンハッタンの街中で通行人に知らされずに撮影したため、警察に通は応されたという迫真のシーンは迫力満点。
さらに終盤では、主人公とヒロインはブロンクスで暴漢少年たちも襲い掛かる。
三度にわたる失踪のシーンの連続からなる展開が、本作を特別なものにしている。
初見では少年かと思った素朴な少女は、父親から見たらなついてくれている理想の娘。
娘が犯人と接するうちに、自然とかすかな同情が生まれる。
富豪の娘と間違えて誘拐してしまう愚かな犯人、動物の登録施設で知り合い主人公に同行する女性、元同僚の汚職警官など印象的な人物たちと、人種差別、移民問題、格差社会を背景に描かれる当時の雰囲気が詰まった特別な映画だった。
お父さん大活躍、だけどラストの盛り上がりに欠ける
ニューヨークで暮らす、さえないシングルファーザーの娘が金持ちの娘と間違えられて誘拐される話。
冒頭からベトナム帰りぽい犯人がダイナーで目玉焼きを食べてる。何げない食事のシーンだけでこの男の狂気を伝えて期待感が高まる。
もうちょいお父さんがオロオロする感じかなと思ってたら、ダッシュからのカーチェイスで、ガチで追いかける。
徐々にお父さんの素性が明かされて、惹きつけられた。だいぶ遅めにヒロインが登場。わざとらしくなくてよかったけど、隣のおじさんは爆睡してた。
誕生日プレゼントのコンサートチケットの話をちょいちょい挟むから、ラストはいい感じのライブシーンで派手に締めてくれるかな、と思ってたら肩透かし。
代わりに昔の映画らしく短めのエンディングロールで、いい感じのブラックコンテンポラリー(この言葉も今は聞かないですね)が流れる。
アース・ウインド&ファイヤーのGETAWAYかなと思ったら違う。後で調べたらシーウインドというハワイの夫婦フュージョンバンドとのこと。曲名は特定できなかった。
掘り出し物のアクション映画
日本初公開は、1980年のことのようだが、シニアの私は知りませんでした。カーチェイスにハラハラドキドキです。ニューヨークのロケで、あの凄いシーンをよく撮影できたと感服です。娘を誘拐された父親の執念の勝利でしたね。父親を助ける(協力する)ことになるマリア(ジュリー・カーメン)が、魅力的でした。目を離すことのできない100分でした。
今作のようなソフト化されていない(または廃盤になっている)映画を劇場でもっと公開して欲しいですね。
私は中学生の時に鑑賞した東宝の「ノストラダムスの大予言」(←丹波哲郎、由美かおる出演)をもう一度観たいけど、特定の人たちに対する差別的な描写が有るためソフト化されてないみたいです。😭)
超名作!
ここまでNYを使い倒すか!
1980年当時のNYの空気をそのまま映像に取り込めた、時代考証的価値があるのでは?と思うぐらいの作品。
自由の女神やエンパイアステートビル、美術館といった一般的なNYの記号は一切出てこない。グラフィティをまとった地下鉄、汚職警官、風俗、再開発、スラム。そして人、人、人。そこがこの作品の舞台。カーチェイスや人混みを縫って走るといった、「走り続ける」ことにこの作品のダイナミズムが通底している。
脇目を降らず、深く考えず、ただ目の前のことに真っ直ぐに執着し続ける熱量溢れたエンターテインメント。
やばいやつしか出てきません(笑)。
他の方々のレビューに共感しまくりです
ゴールデン洋画劇場を映画館で見る。
よく放映されてたのに見てなかったようです。
子供の頃に聞いていた昔のN.Yを堪能。
カーチェイスが交通事故にしか見えません。
お父さん、ぶっ飛んでます。
ヤバイやつしか出てこない。
楽しかったす!
ニューヨーク
序盤のカーチェイスが圧巻!80年代アクションの幕開け的佳作
《シネマート新宿、4K対応のSCREEN1》にて鑑賞。
【イントロダクション】
70年代の終わり、猥雑としたニューヨークの街中で娘の奪還に奔走する元警官の父親の姿を描いたアクション。アメリカのベストセラー作家、ウィリアム・P・マッギヴァーンの同名小説を『乱気流/タービュランス』(1997)のロバート・バトラー監督(製作当初は『国際諜報局』(1964)のシドニー・J・フューリーが担当していたが、主演のジェームズ・ブローリンの怪我による撮影中断中に降板、クレジットなし)が映画化。
主演は『カプリコン1』(1977)のジェームズ・ブローリン。脚本にビル・ノートン・Sr、リック・ナトキン。
日本では80年に劇場公開されて以降、カルト的な人気を誇りつつも、権利問題によって VHSが一度発売されたのみで長らく鑑賞困難となっていた幻の一作。45年の時を経て 、4K修復を施され、装いも新たにスクリーンに甦る。
【ストーリー】
アメリカ、ニューヨーク。ダイナーで朝食メニューが運ばれてくるのを、片耳イヤホン姿でラジオの音楽番組を聴いて過ごす1人の男の姿があった。ガス・ソルティック(クリフ・ゴーマン)という名の男は、料理を運んで来たウェイトレスのコーヒーサービスにも素っ気なく対応し、運ばれて来たトースト、目玉焼き&ウインナーの皿で人間の顔と思しき形を作り、ケチャップをぶち撒けると食事もせずに勘定だけを置いて去って行った。
一方、トラック運転手として働く元警官のショーン・ボイド(ジェームズ・ブローリン)は、シングルファーザーとして一人娘のキャシー(アビー・ブルーストーン)を育てていた。キャシーは15歳の誕生日を迎え、ボイドはホットドッグとバレエのチケットでお祝いし、学校に向かう彼女をセントラルパークまで送る。しかし、父親と別れた直後、キャシーはソルティックによって白昼堂々と誘拐され車に引き摺り込まれてしまう。
娘を誘拐されたボイドは、逃走する車をタクシー運転手の協力を経て追う。カーチェイスの末、ソルティックはキャシーを連れて地下鉄に逃げ込み、ニューヨークの街中を走って逃亡する。必死に追うボイドだったが、自身が起こした車の衝突事故で負傷して意識を失い、病院へ搬送されてしまう。
病院にて治療を受けたボイドは、再びソルティックを追おうとするが、プエルトリコ系過激派の連続爆破事件を追うトネリ警部補(リチャード・S・カステラーノ)率いる捜査チームがやって来て、ボイドの無茶な追跡の事情聴取を求める。署に着くと、かつてボイドの内部告発によって収賄疑惑を暴露されて左遷された元同僚のバーンズ巡査部長(ダン・ヘダヤ)が、彼に恨みを晴らすべく食って掛かってくる。警察を抜け出して娘を救いに向かうボイド。そして、それを追うバーンズ。ボイドは追う側であると同時に、追われる側となったのだった。
その頃、ソルティックはサウスブロンクスで廃墟化した自宅にキャシーを連れ帰ってきた。彼は、キャシーを不動産王クレイトンの娘と勘違いして誘拐しており、土地の再開発を推し進める彼を恨み、身代金を要求して困窮した生活から抜け出そうとしていたのだ。
ニューヨークの街を奔走するボイドは、ソルティックに関する手掛かりを求めて、彼が落とした荷物を拾ったローブ姿の女を探して42丁目の「のぞき部屋」を訪れる。そして、その背後には彼を執拗に追うバーンズが迫っていた。
【感想】
尊敬するライムスターの宇多丸さんも絶賛する本作。パンフレットに解説コラムを寄稿した映画評論家・町山智浩さんをはじめ、コメントを寄せた各界の著名人達の熱量からも、「そんな幻の一作を劇場で観ないわけにはいかない!」と公開を心待ちにしていた。
全編ニューヨークロケによるCGなしの迫真のアクション大作。序盤の街中での激しいカーチェイスと追跡シーンは、その始終にかなりの時間が割かれており、見応え十分だった。また、この時代にこれだけ迫力のあるカーチェイスを組み立ててしまう、更には主演のジェームズ・ブローリンは殆どスタンドなしで骨折までする体当たり演技を披露しており、その熱量と手腕は拍手喝采の見事なものだった。
ただし、本作の白眉とも言えるこの序盤のシークエンスは、町山智浩さんの解説によると、シドニー・J・フューリー監督によるものだそう。個人的には、このシークエンスに本作の魅力の殆どが詰め込まれていたと感じたくらいなので、降板によりノンクレジットなのは残念(本人の希望によるものである可能性もある)である。
そう、まさしく本作は娘の奪還に奔走するボイドと同じく、この前半のシークエンスで恐ろしい程の疾走ぶりを見せていたのに、その後は息切れしたかの如く失速し始めるのだ。
それでも、ボイドを追うバーンズの街中でのショットガン発砲シーンは、ゲリラ撮影による市民のリアルな反応も相まってかなりの緊迫したシーンに仕上がっている。
しかし、そんなバーンズの動物管理所でのアッサリとした退場、クライマックスでのセントラルパークのライブイベントの裏と、地下通路で行われる最終決戦のシーンは、凡庸なアクション映画の域に収まってしまっており残念だった。
ところで、このクライマックス直前、動物管理局でボイドに協力し、以降追跡劇に同行する事になるプエルトリコ人女性・マリア(ジュリー・カーメン)の、降って湧いたかの如き急なヒロインっぷり、地下通路でキャシーを連れてボイドと対決するソルティックの姿は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『コマンドー』(1985)を彷彿とさせる。もしかすると、本作があちらの作品に影響を与えたのかもしれない。それこそ、私のようにクライマックスの盛り上がりに不満を持ち、「もっと良いものを撮ってやる」と。
ボイドが直面する障壁の数々、逆恨みするバーンズ、元妻との口論、「のぞき部屋」でソルティックの犬の鑑札を中々渡そうとしない娼婦、サウスブロンクスでのプエルトリコ系ギャングと、それぞれの人物に関係性が全く無いのも特徴的で、一見すると無駄な要素が多く散漫化している印象を受けた。しかし、パンフレットにある字幕翻訳家・上條葉月さんの解説に目を通すと、誰も彼もが自らの欲望に従って行動するその猥雑さこそが、当時のニューヨークの状況をリアルに映し出しているのだと知る。
思い返せば、ボイドもまた娘の奪還の為に暴走行為や傷害事件と、元警官ながら様々なトラブルを引き起こしており、事情を知らないニューヨーク市民にとっては、殆迷惑な話である。
それでも、娘の誘拐を即座に信じて車を飛ばしてくれる若いタクシー運転手の気風の良さは心地良いし、マリアの献身的な協力っぷりには「人間も捨てたもんじゃない」と感じさせる人情の温かさがある。
本作の原題は“Night of the juggler(詐欺師の夜)”である。“juggler”はジャグリングをする人という意味で「曲芸師」とも訳されるが、本作の字幕では「詐欺師」として訳されている。本編ではソルティックが不動産王のクレイトンを指して表現する。時に火災保険を掛けてプエルトリコ系や黒人に放火までさせ、退廃したニューヨークの土地を二束三文で買い上げて、多額の利益を上げていた当時の不動産業者への痛烈な批判なのだろう。
町山智浩さんの解説では、現アメリカ大統領、ドナルド・トランプ氏のプラザホテルの買収&売却手腕を指摘している。当時の時事ネタを現政権批判に流用してしまう氏の論理には首を傾げるところはあるが、その見事な解説ぶりは流石である。
【猥雑としたニューヨークに住まう、個性豊かなキャラクター達】
主人公ショーン・ボイドの元警官というキャラクター設定は、自力で娘の奪還に向かう父親像に説得力を持たせている。現在はトラック運転手という、やはりタフさの求められる職業を通じて、高いフィジカルを保っている事にも繋がっている。
演じたジェームズ・ブローリンは、『ウエストワールド』(1973)、『カプリコン1』での演技が印象に残っているが、本作でのモジャモジャ頭に髭を蓄えたビジュアル、シングルファーザーとして娘を取り戻そうと必死になる姿は、彼の新たな魅力を確認出来る。
誘拐犯ガス・ソルティックは、現代の陰謀論者的思考を持ちつつ、退廃したニューヨークの被害者としての側面も強調されている。オープニングで、無言のままダイナーの朝食で人の顔を模して遊ぶ姿には、その後示される彼の邪悪さと無邪気さが混在しており、「食べ物を粗末に扱う」という点については、悪役としての魅力十分である。キャシーに対して語る身の上話から、女性と縁の無かったマザコンらしさを感じさせ、恐らく友人関係にも恵まれていないだろう。だからこそ、クライマックスで誘拐したキャシーと共に逃亡して、彼女を理想のお嫁さんに仕立て上げようとする狂気が恐ろしい。
演じたクリフ・ゴーマンの仏頂面の演技も良く、純粋な狂気を秘めたソルティックを見事に演じていた。
ボイドの娘キャシーの、“囚われのお姫様”ポジションながら庶民的でヒロイン感の薄い様子は、演じたアビー・ブルーストーンが1,000人以上にも及ぶオーディションで選ばれただけあって、本当の誘拐事件にありそうなリアリティを醸し出している。思春期という多感なお年頃故、自らの体型や男子からアプローチされない事を気にしている様子もリアル。
そんなキャシーとソルティックの奇妙な関係性が構築されていく様子は、ストックホルム症候群的な関係性を想起させつつ、所謂“イケてない者同士”が互いにシンパシーを抱いているようにも感じられ、だからこそ、クライマックスでのアクションでは、キャシーに「優しい父とありのままの自分を肯定してくれた犯人、どちらに味方するのか」まで描いてほしかった。
ボイドの内部告発によって左遷されたバーンズ巡査部長は、その逆恨みっぷりと白昼のニューヨークで市民が居るのもお構いなしにショットガンを発砲する狂気に人間味を感じさせられた。本作において、ある意味ソルティック以上の悪役であるが、内部告発の内容が収賄の他に署内に女性を連れ込んで淫らな行為に耽ったというどうしようもなさも味。
【パンフレットの充実具合】
本作のパンフレットの価格は「800円」と、今や1,000円超えもざらに有るパンフレットの高価格化(それこそ、各劇場毎の一般観客へのサービス鑑賞料金と同価格に迫る勢い)に限界まで抗うかのような良心的な価格設定であり、それに対して、先述した町山智浩さんによる作品解説、上條葉月さんによる批評は勿論、蓮實重彦氏によるワンセンテンスで語る単行本での本作の批評箇所の抜粋をはじめ、各界著名人による絶賛コメントや作中舞台のマップ、場面写真やキャスト紹介に至るまで、その内容の充実ぶりに唸らされると同時に、それだけ本作が映画通の各著名人を魅了してきた事を伺わせる(この文章のみ、蓮實重彦氏のワンセンテンス執筆を真似てみた)。
【総評】
70年代の終わり、世間から見放され、猥雑とした当時のニューヨークで展開される奪還劇は、現在では再現不可能な当時の時事ネタや空気感をふんだんに盛り込んだタイムカプセル的なアクションとして一見の価値ある作品だった。
序盤のカーチェイスシーンの迫力は、映画史に遺されるべき屈指の名シーンであり、これほどの作品が長らく鑑賞困難で埋もれていたのが信じられない。
反面、そこから先が凡庸なアクション映画の域に収まってしまっていったのは残念である。ボイドのように、最後まで疾走し続けて欲しかった。
蓮實重彦氏の言うように、本作は決して傑作などと評する作品ではないはずなのだが、パンフレットを読んで本作が内包する当時のニューヨークの風景や社会情勢について知ると、どうしたものか「もう一度観たい」という思いが拭えない。
序盤の疾走からの失速、一度観ただけでは楽しみ尽くせない、解説を読まなければ現代において本作の持つ歴史的価値の側面を把握出来ないという困った一作なのだが、どうやら私も本作に魅了された1人となってしまったようだ。
Before&After ジャグラー
やっと観れた1980年のミッシングピース
やったら面白かった。なるほど。1980年というとドン・シーゲルは『アルカトラズからの脱出』を経て『テレフォン』、ペキンパーは『コンボイ』、アルドリッチは『カリフォルニアドールズ』というみんな遺作をやってる頃で、ウォルター・ヒルが『ザ・ドライバー』撮って『ウォリアーズ』撮って『48時間』に向かうアクション映画の監督たちの入れ替え時期でもあったんだ。
この頃の車はやたら映画栄えする。銃撃戦が楽しい。そして無茶な撮影&無茶なシチュエーションが非常に面白い。電車や路上はゲリラなのかみんな振り返るのがいい。出だしはほぼ相米慎二の『ションベンライダー』(1983年脚本レナードシュレイダーなので影響を受けているのかもしれない)。ただ誘拐した子供が間違いと気づいても犯人が変態なので「そんなはずはない」で進んでしまい、警察も「元警官の娘か」で、むしろ「元警官」も変態扱いなのが衝撃的に面白い。そしてその変態に過去に因縁のある元パートナーの警官もイカれていて、都合全員イカれていて、ひたすら子供を取り戻すマシーンと化して不幸な元警官が走りまくる。
そして何を思ったのかこの犯人が誘拐した娘と恋仲であるという妄想に陥るサイコパスぶりで、天井に上がっていく階段を一歩一歩足をかけることが銃で撃たれるのより痛いと言う変態ぶりでとてもよかった。結果、みんな(途中で出てくる可愛い女性もそれを追っかけてくるヤンキー集団も)見事なくらいに何も考えていない勝手な連中ばかりの大運動会のようで美しかった。
ちゃんと「HELP!」って騒がないと
1980年公開の米国映画。リバイバル上映
全然知らん映画やったけど、観に行って良かった。すげえもん観た、最高。
主役はジョシュ・ブローリンのお父さんなのね
ジャグラーは詐欺師の意味、映画自体は誘拐とそれを追いかける父親。
PG12は覗き部屋のおっぱいのせいかも。
70年代後半のニューヨーク、サウスブロンクスた廃っぷりが凄い
マリア可愛かった
ウォルター・ヒルのウォリアーズみたいなの出てきた
コマンドー
ダイ・ハード3
ヒートとか感じた。
以下、公式サイトより。
1980年に日本でも劇場公開されカルト的人気を誇るものの、権利問題から長らく鑑賞が難しく、配信はおろか80年代に一度VHSが発売されただけの幻の傑作が、4K修復され遂に劇場のスクリーンに還って来る!
普遍性と特殊性
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」内で、パーソナリティのライムスター宇多丸さんが激押しし続けていたので、なんとなく知っていた作品。この度4K修復版が劇場でかかるとのことで、走って見に行きました。もう最高!何度でも見たい!シネマートさん、2~3本連続で見るにはあの椅子は固すぎるから、もうちょっといい椅子になりませんか?いや、自分でクッション持ってけばいいな、よし、また行こう!
プロットを切り取ると、「富豪の子女と間違えて誘拐された娘を救おうと犯人を追いかける元警官の父親の追跡劇」という、どこにでもありそうな普遍的な題材である。映画を見終わっても、80年代のB級アクション映画の枠を出ない。しかし、この映画全編をつらぬく異様な熱量、疾走感、有無を言わせぬ勢いに終始圧倒され、他のことを考える暇もなく101分間映像を受けとめ続けるしかない、1000本ノックのような映画体験は、他の映画では味わうことはできない。ダッシュで買いに行くから、すぐにブルーレイを出してくれ!
上記ラジオの特集でも触れられていたが、この映画には「その時代の場所と時間がまるごと切り取られている」ように思う。1980年のニューヨークという、もう二度と出会うことのない空間に、この映画を見るとアクセスできるような、そんな気持ちにさせてくれる映画にはめったに出会ったことがない。私は1985年生まれで、ニューヨークには一度も言ったことはないから、この映画に写っている風景に対して、「あの時のあの場所だ」という実体験を持ってはいない。しかし、この映画を見ると、時間と空間を越えて、そこに生きる人々の「生」に出会えた感覚を覚える。映画はあくまでも虚構だが、そこに描かれているのは現実である。そう感じるのは、一人として人間性をはく奪されたモブキャラクターがいないからだろう。追跡劇の最初に出会うプエルトリコ系のタクシーの兄ちゃん、犬のタグをくれる大人のお店のお姉ちゃん、サウスブロンクスで出会うタクシー運転手の黒人姉ちゃん、次々と出てくる名前もない登場人物すべてに「生」がある。そんな「人生の営み」が複雑に絡み合って、「街」という大きな塊が出来上がるのだと、この映画を見て思った。この映画に描かれているのは「街」であり「人」である。極論を言えば、一人一人の人生に「普遍」などなく、全てが「特殊」で「一回性」を持ったものである。だから、普遍的なプロットの、当たり障りのないこの映画が、他のどの映画にもない特殊な魅力を持っていると感じるのにも納得がいく。そういえば、今目の前にある4K修復版のパンフレットも、表紙はニューヨークの街が描かれている。顔なじみの多い「町」ではなく、顔も名前もわからない他者がぶつかり合いながら生きる「街」で生きる私に、この映画は多くのことを語りかけてくれたのだ。
昔ゴールデン洋画劇場で予告やたら見たなという印象だったけど放送リス...
昔ゴールデン洋画劇場で予告やたら見たなという印象だったけど放送リストを見ると1985年に1回あるだけだった。他の枠で放送してたのかな。土曜の夜は子供にも23時頃までテレビ見るのがなんとなく許されてたのでゴールデン洋画劇場よく見てたがその前後に放送してる『少林寺三十六房』『ダーティハリー』『スペース・サタン』『チャンプ』(ジョン・ボイト主演)は覚えてるが『ジャグラー〜』は予告編しか覚えてない。予告見て子供心に怖そうな映画だと思ってたので全く見なかったか途中で止めたのか覚えてないがともかく未見のままだった。
その後2001年頃復刊された蓮實重彦先生の『映画狂人 シネマの煽動装置』を読んでとんでもなく面白い映画だということを知ったが、権利関係が複雑で鑑賞するのが困難ということでゴールデン洋画劇場で見なかったという事を後悔したものだった。
そして今年、その存在を知ってから40年後、蓮實先生の檄文(300p弱ある本ですが句点があるのは最後の1個だけの一つの長い文章なので檄文というのが相応しいと思います。怪文書かもしれませんが。)を読んでからは24年後にようやく鑑賞する機会が巡ってきた。
目の前で娘を誘拐されてからノンストップで犯人を追い続ける父親、犯人も逃げ続ける。今なら元警官の父親の回想シーン入れたり、元同僚のダン・ヘダヤのキャラをもっと膨らませてもっとストリーに絡ませるかもしれませんが(このキャラ自体は異常な存在感で面白いですが)、余計な装飾のない疾走し続ける映画でした。ホント今年の正月映画の大本命ですよ。
全26件中、1~20件目を表示















