シャインのレビュー・感想・評価
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実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの栄光と悲劇
青い空に向かって両手を広げる男性のメインビジュアルが以前から気になっていて、いつか観よう観ようと思っていた作品。1995年に公開され、アカデミー賞を受賞した名作であることは知っていました。今回、「映画.com ALLTIME BEST」に選ばれていたのでこれを機に思い切ってAmazonプライムビデオにて鑑賞してみることにしました。
実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの半生を描いた作品だと知り驚きました。そして、彼は2024年現在もご存命であることを知り、より感慨深い思いに耽りました。この作品は、彼の栄光と苦悩の半生を描いていますが、天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの人生を語るとなると、もうひと作品「デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり」もセットで観たくなります。こちらの作品は2015年に公開されたデイヴィッドのその後の人生が描かれた初のドキュメンタリー作品です。彼が精神病院に11年も出入りし、奇跡の復活を果たせたのは映画「シャイン」の終盤で登場した愛妻ギリアンの存在があったからに他なりません。今作品では、彼が天才ピアニストになるまでの過程と精神を病んでからの苦悩が中心に描かれていて、そこからの復活シーンは、終盤のほんの数分に集約されているので、少し物足りなさがありました。もっともっとその後の妻ギリアンとの幸せな人生を観たいと思ってしまいます。なので可能であれば、彼の半生に関するこの映画2作品を丸ごと1本にした映画をいつか観てみたいなぁと強く思いました。
どんな天才の影にもそれを支えるたくさんのサポーターが登場します。それは、ピアノの英才教育をした父であり、その時々で出会った先生であり、彼の後半の人生を支えた妻の存在であったりします。ただこの映画における父の存在は、ピアノを教えてくれたサポーターであると同時に、愛という名のもとに全てを支配しようとした毒親でもありました。愛は行き過ぎると毒にもなります。才能も有り余るとそれを持つひと自身を壊し始めます。天才とは、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指します。それは常軌を逸した努力を積み重ねた結果であり、その行き着く先はいつも輝く栄光のステージだとは限らないことをこの映画は教えてくれます。時に芸術家は、魂(自分)を削って、作品を紡ぎ出すといいます。それこそが、常人には真似できない天才こそが成せる技なのだと思います。そして天才であるが故の悲劇は、一度手にしてしまったその才能を無かったことにはできないことにあります。自分をいつ攻撃するかもしれないその才能と一生添い遂げていくしかないのですから…。
けれども、愛はいつでも何度でも、人生やり直せると教えてくれます。そして、苦労して身につけた芸(才能)は、最後は自分自身を助け、幸せにしてくれると信じたくなります。
先延ばしにせず、今鑑賞しておいてよかったと心から思いました。メインビジュアルにピンときた貴方は、ぜひ一度ご鑑賞なさってみてください♪
毒親の呪いは、時間差で襲ってくる説
主人公の半生モノ映画は、時間が足りない、
と感じる事が多くなるのは、映画の常。
シャインの場合、終盤の、ギリアンとの馴れ初めや、
共に人生を歩むくだり付近は、
だいぶ駆け足になったのは残念だったが、
それ以外の部分は、過不足なく、
うまく物語がまとまっていたので、見やすかった。
見どころはやっぱり、終盤の演奏シーン。
これに尽きる。
本当に弾いているように見せる役者の演技、躍動感。
実際に聴こえてくる、圧巻の演奏と音色。
ただの変人だと思ってた眼鏡オジサンが、
実は天才だったと分かった瞬間の、
バーの観客達の、あの顔。
映画を観ている観客のほぼ全員が、
どうだ、凄いだろ?と、
ドヤ顔できるあの瞬間が、たまらなく、好きだ。
物語の前半パートは、なかなかシンドイ展開。
幼少期から青年期まで、
毒親親父に「ダブルバインド」の呪いをかけられ、
ストレスにより、統合失調症が発動する。
主人公が豪州から英国に留学したのだから、
父親の精神支配や物理的虐待は、
直接的な原因ではない、
と思ってる人が散見されるが、それは間違った解釈だ。
ダブルバインドのストレスやトラウマ、発病というものは、
時間差で襲ってくるし、遠隔で発動するものだ。
なぜなら、私がそうだったからである。
私にも毒親の父親がいる。
私にとってのダブルバインドは、たとえば幼少期に、
自由に生きなさいと言われ育ったのに、
大学進学以降は田舎に早く帰れ、転職しろと言われた。
これはまだ序の口で、一番キツかったのは、
酒癖の悪い父親は、悪友の飲み仲間と毎日のように飲み歩いていたが、
私をその場に呼んで、連れ回そうとするのだ。
酒に溺れ、酒に呑まれた父親を見るのが嫌いで、
私は飲み屋に行く事を拒否するのだが、
嫌々その場に行き、つまらなそうにしていると、
突然、連れてくるんじゃなかったと激怒し、
タクシーに私一人だけ乗せ帰らせるのだ。
これが一番キツかった。
つまり父親は、私を愛しているのではなく、
私を愛す、父親として振る舞う「自分自身が好きなだけ」なのだ。
父親の、慈愛ではなく、自己愛のための、ツールとしての息子。
これを、幼少期の段階ですでに私は気づいていた。
他にも、物理的虐待こそ無かったものの、
精神的経済的虐待と呼ばれる、
トラウマやコンプレックスの時限装置は、
いくつも仕掛けられたように思う。
主人公の父親は、ホロコースト経験や、自身の父との関係性ゆえに、
息子にダブルバインドの呪いを、かけてしまったようだが、
確かにこの父親は、私の父と同じように、息子を愛しているのだろうけれども、
その愛は、本当の愛のようで、実際の所は、
自己愛性人格障害の結果だと推測できる。
ゆえに、父親は「お前は運がいい」と、
自身が与えられなかった音楽の道への機会を、自分が与えてやったんだと、
自分の功績を「過大評価している」のである。
そして、ラフマニノフという楽曲へ、遠隔装置、時限装置としての呪いをかけ、
主人公は時間差で、気が狂うのだ。
私の場合は、呪いに対して、気づきがあったゆえに、
主人公ほどの発病は無かったが、やはり、父親から離れ、
数年後の大学生の時に、少々の鬱状態にはなった。
なので、発病後、父親と主人公の間に空白の期間があるのは当然だし、
そこに下手な和解もいらないと思う。
あの再会のシーンは、余計だなと個人的には思うし、
父親の墓参りで見せた、主人公の意外と冷めたリアクションは、
逆に必要だと思う。
それにしても、主人公は優しい人間だ。
父親に対して、憎しみの感情がほとんど見られない。
私なんて、憎む事でしか耐えられなかったのに。
そういう優しさが根っこの部分にあるから、
彼は色んな人と出会い、そして支えられ、「生き残っている」のだろう。
彼はやっぱり、運がいい。
なーんだ、私ってやっぱり運が悪いんだなとつくづく思うのだった。
誰か助けてくれー。
彼が人生をシャイン!と思えていたらいいな
1997年公開、実在のデイヴィッド・ヘルフゴッドというピアニストの半生を元にしたお話
デイヴィッドの実姉の話では実際の主人公の父親は劇中のような暴君ではなかったらしいことや、第二次大戦中はポーランドではなくオーストラリアにいたなど、すべてが実話ではないことに少し安堵できましたが、実際のことは本人に聴かないとわからないことですね…
家父長制の悪い影響が強く出ている話だと思いました
父親ピーターが家族に対してやっている行いや言動はストーカーやハラスメントをする人、悪い政治家のそれと同じだなぁ
“一方的”で“自己満足”の愛
自分の父親にされて傷ついたことを自分の代で改めるのではなく、我が子にも強いる心の幼い実父ピーター
自らを俯瞰できず、黙って子を見守れず、過干渉で支配欲が強いのは自信のなさの表れでもあると感じる
冒頭のコンクールでは息子が正当に評価してもらえないと決めつけると評価前に帰宅
お前の価値をわかるのは俺だけだ!俺だけがお前の幸せを願ってるんだ!みたいなことどこかで言ってましたね…
逆に息子が世間に認められると息子の人生を踏みにじっても全否定
佳き理解者で支援者だったキャサリンと過ごす時間は観ている側にも救われるものがあった
実父の異常性に気付かされたキャサリンの父親のエピソードは、描き方が少しシンプルかなとは思ったけど、デイヴィッドにとっては人生を左右する気付きのシーン
最後に父親がデイヴィッドの元を訪れてメダルをかけたときに、初めて息子からとどめになる言葉を受けて無言で立ち去る場面では絶望を表情から感じたけれど、そうでなくてお父さんが自分のしたことに気付いてくれてたらいいなぁと思った
攻撃してくる人ってちょっと反撃されるとシュンとなるのはどこでもおなじなのね
父親の台詞
『父さんは鉄の男だ!この世は強い者が生き残る弱肉強食、虫ケラは潰されて死ぬ』
父さん哀れだなぁ
その前に斧で薪を割るシーンも、この先デイヴィッドの将来に続く道を力ずくで断絶する行動をよぎらせる
アメリカの音大招聘を諦めさせたときの台詞
『父親を憎むのは恐ろしいことだ。人生は残酷だ。音楽だけが変わらない友達だ。その他のものはいつかお前を裏切る。私を憎むな。私を憎むな。人生は残酷だ。それに耐えて生き残るのだ。私の愛は誰よりも強い。他人は信用できん。』
これらも父親の疑いのない本音なのだろう
ずっと味方がいなくて、不安で自信のないのが伝わりすぎる
だからといって子供を犠牲にしていい権利なんて父親にはない
父親の教えと自分の希望、父親と世間とのズレの底無し沼に押し込められていればデイヴィッドのように心も砕かれるでしょうね
自分の心を守る、満足させるために家族を縛り付けて支配する
独裁者ですね…
もしかしてダンサーインザダーク的なストーリーか?なんて思って小切手のシーンではもしかして盗まれちゃうの!?とヒヤヒヤしました(笑)
父親から去ったあと病に冒されながらも無邪気さを失わなかったこと、その無邪気さから周囲に恵まれてピアノが生業になったことは本当に良かったです!!!
最後の占星術で結婚を決めた奥さん、なんてユニーク!!!
じわじわ効いてくる映画
観ることができて良かった1作でした
『デイヴィッドとギリアン』と共に
天才ピアニストデイビッド・ヘルフゴットのドキュメンタリー
シャイン
神戸市内にある映画館 OSシネマズミント神戸にて鑑賞 2024年7月9日(火)
実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットのドキュメンタリー映画
午前10時の映画祭
原題 Shine
オーストラリア、メルボルンで暮らすデイビッド(アレックス・ラファロウィッツ)は、音楽家の夢に破れた父ピーター(アーミン・ミューラー=スタール)に幼少時からピアノを厳しく教え込まれ、その才能を開花させる。
ピアノコンクールで、デイヴィッドはショパンの「ポロネーズ」を弾く。そこでデイヴィッドのずば抜けた才能を見抜いたピアノ指導者のローゼンは、彼の指導をさせてほしいと申し出る。
ピーターはその話を一旦断るが、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾きたがる息子を見て、ローゼンに指導をお願いする。世界一難しい大曲として有名な「ピアノ協奏曲第3番」を息子に弾かせることは、ピーターの悲願でもあった。
ローゼンは、ラフマニノフはまだ無理だと判断し、モーツアルトから指導していく。それから数年後、ローゼンの指導に導かれ、デイヴィッドは大きなピアノコンクールで史上最年少の優勝者となる。有名なピアニストにも実力を認められたデイヴィッドは、アメリカ最高の音楽学校へ留学しないかと誘われる。
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しかし家は貧乏で、デイヴィッドを留学させるような余裕はない。ローゼンは、ユダヤ教の堅信式に参加し、寄付を募ることを提案する。寄付金は順調に集まり、デイヴィッドのアメリカ留学が決まる。ところが、独占欲の強いピーターは、デイヴィッドが家から出ていくことが許せず、アメリカ留学を無理やり諦めさせる。ローゼンは、“ラフマニノフだけは押し付けるな”と忠告して、ピーターと決別する。
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ピーターはローゼンの忠告を無視して、コンクールでデイヴィッドにラフマニノフを弾かせるが、デイヴィッドは優勝を逃す。しかし彼の才能は認められ、ロンドン王立音楽学校から奨学生の招待状が届く。ところが、再び父親に激しく反対され、デイヴィッドは家を飛び出す。ピーターは、自分に反抗したデイヴィッドを勘当してしまう。
デイヴィッドは、親交を深めていた女流作家の励ましもあり、強い意志を持ってロンドンでの生活を始める。ロンドン王立音楽学校のセシル・パーカー教授(ジョン・ギールグッド)は、デイヴィッドの才能と純粋な人柄を愛し、熱心に指導をしてくれる。努力が実り、コンクールの最終選考に残ったデイヴィッドは、“ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾きたい”とパーカー教授に申し出る。
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パーカー教授は、ラフマニノフ本人の前でこの曲を弾き、その才能を絶賛された過去があり、この曲の難しさと怖さを熟知していた。それでもデイヴィッドの情熱にほだされ、彼の挑戦を許す。デイヴィッドは、寝食を忘れてこの大曲に挑み、パーカー教授の厳しい特訓メニューをこなしていく。
コンクールの日。デイヴィッドは、“明日という日はないと思って弾け”というパーカー教授のアドバイス通り、全身全霊でピアノを弾く。彼の魂の演奏は大絶賛され、デイヴィッドは見事コンクールで優勝する。しかし、自分を追い込みすぎたデイヴィッドは、そのまま正気を失って倒れてしまう。
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デイヴィッドは精神病院に入る。そして医者からピアノを禁止され、オーストラリアへ帰ってくる。帰る場所のないデイヴィッドは、それから10年以上を精神病院の中で過ごす。妹が時々面会へ来てくれたが、それ以外に彼を訪ねてくる人はいない。
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そんなある日、デイヴィッドは病院内の音楽室で、教会でピアノを弾いている女性と出会う。その女性は、デイヴィッドのことを知っていた。引き取る人がいればデイヴィッドは退院できるという話を聞き、女性は彼を自宅に引き取る。
しかしやはりデイヴィッドの世話は大変で、彼女はデイヴィッドを知り合いの男性に預ける。男性が用意してくれた部屋にはボロボロのピアノがあり、デイヴィッドは久しぶりにピアノを弾く。1度弾き始めるとデイヴィッドは止まらなくなり、四六時中ピアノを弾き続ける。これに閉口した男性は、ピアノに鍵をかけてしまう。
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ピアノを奪われたデイヴィッドは、以前迷子になった時に訪れた「モビーズ」という酒場にピアノがあったことを思い出し、その店へ向かう。デイヴィッドはそこでいきなりピアノを弾き始め、店員も客もそのすごい演奏に言葉を失う。客から大喝采を浴びたデイヴィッドは、そのままその店のピアノ弾きとなる。彼のピアノのおかげで店は大繁盛し、デイヴィッドの存在が新聞でも報道される。
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デイヴィッドは、モビーズの店員の知り合いのギリアン(リン・レッドグレイヴ)という女性と出会う。ギリアンは星占いの先生をしており、金持ちの投資アドバイザーと婚約中だった。店でデイヴィッドのピアノを聴いたギリアンは、彼の才能と純粋さに惹かれる。そしてデイヴィッドも、優しく大らかに自分を見てくれるギリアンに惹かれていく。
ギリアンが自宅へ戻る日、デイヴィッドはいきなり彼女にプロポーズする。ギリアンは戸惑うが、“嬉しいわ”と答えてくれる。
自宅へ戻ったギリアンは、本気でデイヴィッドとの結婚について考え始める。そして塾考したすえ、彼女はデイヴィッドと生きる道を選ぶ。2人の結婚式には大勢の友人が集まってくれた。
自由奔放なデイヴィッドとの生活は大変だったが、ギリアンは彼を愛し、彼がピアニストとして再起できるよう支えていく。
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デイヴィッドは、コンサートホールでのリサイタルの日を迎える。観客席には、父親以外の家族や懐かしいローゼン先生の姿もあった。長い時を経て、デイヴィッドはピアニストとして再起を果たす。アンコールを弾き終えたデイヴィッドは、スタンディングオーベーションで自分の演奏を讃えてくれる大勢の観客を見て、感極まって涙を流す。
後日、デイヴィッドはギリアンと父親の墓参りをする。デイヴィッドはもう父親を憎んでおらず、父親の教え通り、何があっても強く生き抜いていこうと思うのだった。
デイヴィッド・ヘルフゴット 少年期 アレックス・ラファロウィッツ
デイヴィッド・ヘルフゴット 青年期 ノア・テイラー
デイヴィッド・ヘルフゴット 現在 ジェフリー・ラッシュ
ピーター・ヘルフゴット(アーミン・ミューラー=スタール)デイヴィッドの父親
ギリアン(リン・レッドグレイヴ)星占いの先生
セシル・パーカー(ジョン・ギールグッド)ロンドン王立音楽学校の教授で、デイヴィッドのロンドン留学時代の恩師。
スコット・ヒックス監督
1995年製作 オーストラリア
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感想
主人公のデイヴィッド少年期のピアノ演奏よりも、ギリアンと出会った時のほうが、楽しそうに演奏しているように思った。
ギリアンさん、心優しい女性の占い師さんの対応に感動しました。
ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲3番」の第1楽章の「カデンツァ」の演奏は、2通りあってどちらで演奏してもよいことになっています。この作品では「ossia」側で演奏されていることが分かります。
追加情報
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)はロシア帝国生まれの作曲家・ピアニスト
劇中で流れた「くまんばちの飛行(Flight of the Bumblebee)」はリムスキ=コルサコフ(1844-1908)が作曲しラフマニノフがピアノ演奏に編曲している作品
ゆがんだ愛情、芸は身をたすける、でも何ごともほどほどがいいんじゃないの
「午前十時の映画祭」で 27年ぶりに鑑賞。
うーん、そうかこんな展開だったのか。「良い作品だった」という記憶だけは残っているものの、内容はほとんど憶えていなかったのだ。
サントラも購入して何度も繰り返し聴いていたのに、映画の場面は全然よみがえってこないのでした。何故だろう?
まあそれはともかく、現代の目で見ると、あの親父のサイコぶりはより深刻に映ります。父権とかそういうものでは、すまないような……。ゆがんだ愛情がこわすぎる。
ヘルフゴットはずば抜けた才能を与えられたけれど、奪われたものも多かった。
「芸は身を助ける」のことわざどおり、その才能によって窮地を脱したわけだけど、そもそも才能がなかったらあんなふうにならなかったかもしれないし……。やっぱり何ごとも、ほどほどがいいんじゃないでしょうか。バランスが大事ですね。
いや、登場人物のことばっかり書いて、作品についての感想になってないな。ま、いいか。
ところで、本作のサントラで僕が一番好きな曲(エンディングに流れるヴィヴァルディの美しい歌曲)のタイトルを今日はじめて知りました。
『まことの安らぎはこの世にはなく』——か。なんかツライなぁ。
お前の父はこのワシだ!
「人生は残酷だ。その中で生き残る」
午前十時の映画祭14にて鑑賞。
天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの苦悩と栄光に満ちた半生を描いた伝記映画。現代のヘルフゴットを演じたジェフリー・ラッシュは第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞し、オーストラリア人俳優として初の快挙を達成した。
多分、多分いい話だ。だが謎、謎だ。当初僕はデヴィッドの精神状態が崩壊したのは父ピーターの苛烈なまでの過干渉によるものだと思っていた。今で言う毒親、そう毒親だ。家は貧しかったが、ピアノの才能を認められてアメリカへの留学が決まりかけていたデヴィッド。留学資金も寄付によって集まっていたにも関わらず「家族が壊れる」と言う理由で留学を反故にした父、この時点で毒親に見えたし、自分がこんなことをされたら「そりゃあ人格歪むよな」とさえ感じた。しかしヘルフゴット自身の述懐によれば精神に異常をきたしたのはその後のロンドン留学時代であり、とすると父ピーターの見立てはあながち誤りではなく、むしろ子想いにさえ映ってくる。とはいえロンドン時代の統合失調のトリガーを引いたのはラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」であり、その原点は幼少期の父からの刷り込みによるものであることを考えると、(実際のところはともかく少なくともこの作品上では)やはり毒親だったと言わざるを得ない。
青年期のデヴィッドが妙に不潔だったのが自分の心の奥底に引っかかってしまい、途中でやや冷めてしまった部分はあったが、ジェフリー・ラッシュが(普通ではないけれど)生気を取り戻してくる姿は素直に嬉しかった。極上の果実が周囲によって汚されていく歯痒さと悔しさと、それでもどうにか実になったことに今はただ安堵している。
ジェフリー・ラッシュの演技に圧倒されました。
午前十時の映画祭にて初鑑賞。
実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた伝記映画。
あまりに身勝手な毒父の存在に何度もため息がでました。
なぜデイヴィッドをアメリカに留学させてあげないのか。
息子の希望にあふれた将来を自分のエゴのために摘み取る父親がどこにいるのか。
息子の人生を自分の思いのままにコントロールしようと時には暴力まで振るう。
デイヴィッドが萎縮するのもうなづける。
しかし意を決して父に歯向かい英国王立音楽院にいくデイヴィッド。
父に弾けるようになるよう言われていた難曲ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をコンクールの曲に選び猛特訓を受ける。
そして当日、見事な演奏をするデイヴィッドだが、限界を超えたのか精神を病む。
ここから悲劇へと向かうのか心配したが、出会いや周囲の支えもあり確かな演奏の腕を活かしてピアニストとして生き抜いていく。
父と再会してももはや父に頼らないと何もできないデイヴィッドではない。
父と決別し、占い師の伴侶とともに人生を歩んでいくという前向きなところが非常に良かったです。
ラフマニノフの呪縛からの解放
精神を病んだ実在のピアニストの半生を描く作品だけど、その父親との確執と魂の解放がテーマでもあります。とにかく、主人公の父親像のインパクトが強烈です。厳格を通り越した歪んだ家族観と父性愛で、子供の人格を認めず精神を支配する毒親ぶりは、現代の日本でもありそう。息子にラフマニノフの難曲を強制するのも自分が支配し続けるためであり、主人公がコンクールでこの難曲を演奏しきった瞬間に精神が崩壊してしまうのは衝撃的です。ところが、精神を病んでしまった後の彼の人生は、ユーモラスで愛すべきエピソードに満ちているのがいい感じです。子供の時から、年上の女性にモテるのも、どこかおかしいです。ピアノの呪縛を解いたのは、誰からも奪われることのないピアノの才能への喝采であるのに救われる思いでした。役者では、青年期を演じたノア・テイラー、中年期を演じたジェフリー・ラッシュの力演が素晴らしかったです。毒父役のアーミン・ミューラー=スタールも、えげつないほどのうまさでした。
人生は残酷だが、悪くない
明るくて素直、正直な主人公に救われる♪
午前10時の映画祭、最近ちょこちょこ観ています。
学問もアートも小説も宗教も、時代を超えるモノって、本質をついているんだと思います。
私が映画を習慣的に観るようになったのは、子育てが一段落したここ15年ほどなので、こうして良質な過去作を観ることができて、幸せです。
「シャイン」は、私、ホラーと思ってました。
「シャイニング」と勘違いしてました、恥ずかしい…。
ギフテッドの男の子が、父親から自立し、自分の人生を歩む話でした。
直系血族との関係って、ホントウェット。
私も、親、弟たち、子どもたちには、情が深いし、悩む・怒る・泣くなど、ひどく心揺さぶられるのは彼らに対してのみ。
それ以外の人たちには、割と理性的に対応できるんですけれどね。
きっと、自分の人生の課題と繋がっているから、ヒトゴトと距離をとって考えられないんでしょうね。
デイビッドの気持ちとシンクロして、作中結構泣きました。
強権的な父親に虐げられる未成年のデイビッドは、ホントにかわいそうでした。
父親も、子ども時代に第二次世界大戦による大きな心の傷を負い、最愛の息子を守ろうとしているだけなんですよね、やり方は間違っているけれど。
デイビッドも、子どもを持てば、このあたりの父親の心情が理解できたかもしれない。
ホント、直系血族は、カルマなので、自分の中でそれを昇華できる人はごく稀だと思います。
デイビッドは、大人になってからの方が少年のようで、だからこそ、奥様も自由な独身生活を手放しても結婚したんでしょうね。
映像表現が美しく、ピアノの音色も素敵で、デイビッドの人生がどうなっていくのかハラハラしてたら、エンディングでした。
実在の人物で、今も、奥様と幸せに暮らしていると聞いて、帰り道、ほっこり幸せな気分でした。
実在するピアニストの話だが、公開後に親族らから事実と異なることで抗...
本当に偶々
実在するピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴット
1996年の映画。遠い遠い昔一度見たことがある。
2024年リバイバル上映していたので、映画館で鑑賞。
家族を自分の所有物だと思っている厳格な父親に苦しめられる幼少期を過ごす主人公。奥さんもまた弱い立場なので可哀想。
しかし、周りの人からは恵まれ、パーティーで出会った老年の女流作家から愛情をもらい、イギリス留学を自分のことのように喜んでくれた。そのお婆さんが亡くなった知らせを聞いたシーンは、一番涙した。
まだインターネットもスマホもない時代。
今だったら、スマホで撮影されて世界中に拡散され、デイビッドは時の人になるかもしれない。
ピアノの才能があるにしても、日本だったら、変な人と白い目で見てしまいそうなのに、オーストラリア人の懐の深さに驚く。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番はそんなに難しく、危険な曲なのか、今一度聴いてみたい。
父の呪い
映画が多様で豊かだった時代の秀作。
これはよかった。
主演のジェフリー・ラッシュが第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したので日本でも話題になった。
オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。
ピアノに関して神童的な実力を持つデイヴィッドは、注目を集めて、より高い教育を受けるように勧められる。しかし、家族のもとを離れることになると、そのつど父親が拒否してしまう。
家族を捨ててイギリスの王立音楽院にわたったデイヴィッドはコンクールで優勝するが、その場で昏倒。精神病院で生活することになる。しかし、ピアノの演奏技術は人々の注目を集めて、彼は人生を切り開いていく。といったもの。
実在のピアニストではあるものの、実際とは違う部分がいろいろあるらしい。
「勇者が冒険の旅に出て、試練を経て褒美を手にする」という、キャンベルが提唱している神話の構造に忠実に作ったために、家族が納得できない結果になったのだろう。ただ、それゆえにわかりやすい展開になっている。
なぜこの映画が作られたのか。当時の世界の状況を振り返ると、多少はわかるかもしれない。公開が1996年なので、仮に1994年頃に制作が開始されたとする。
ルワンダの虐殺、ボスニアの空爆、第一次チェチェン紛争、松本サリン事件などがあった。
また、イスラエルとヨルダンの平和協定、ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国初の黒人大統領となった、というニュース。アカデミックな方面では、フェルマーの最終定理が証明され、360年にわたる議論に決着がついた、といった出来事もあった。
出来事は違えども、30年前も今も、世界は相変わらず混沌としていて、それでも人は生きていかなくてはならない。
この感覚は、「人生には大変なことも多々あるが、それでも生きていくことが大切」という本作のメッセージにも通じている。特殊なメッセージではないので、普遍的とも言える。
なお、第69回アカデミー賞では本作と、「イングリッシュ・ペイシェント」と「ファーゴ」が、いろいろな部門で賞を争った。
「イングリッシュ・ペイシェント」は未見だが、「ファーゴ」は観た。
主演のフランシス・マクドーマンドが、犯罪者役のピーター・ストーメアに「あなたたちのような人間が理解できない」といったニュアンスのセリフを言うのだが、このやりとりが本作とリンクしており、面白い。
本作では父親が「私は若いころにお金をためて美しいヴァイオリンを買った。それを、私の父親がどうしたか、知っているだろう?」と聞くシーンがある。この質問は映画の最初のほうと後半で出てくる。本当はデイヴィッドは答えを知っており「父親がヴァイオリンを壊した」と答える。そのあとで父親は「お前は幸運なんだ」と続ける。自分は音楽をやらせてもらえなかったが、お前はピアノを弾かせてもらえるじゃないか、というわけだ。
しかし、後半で父親が同じ質問をするとデイヴィッドは「知らない」と答える。彼が拒絶するのは、自分を縛りつけている父親から独立したいからだ。「ファーゴ」の「同じ人間でも理解しあえない」という趣旨のセリフとはニュアンスが違うとはいえ、コミュニケーションの断絶という意味では共通している。当時は、他者と理解しあうことの難しさといったものが、問題意識としてあったのかもしれない。
製作費は8億8千万円。興行収入は57億円。これは現在の相場で計算しているから30年前の通貨価値とはだいぶ違うと思う。ただ、製作費の6倍ほどの売り上げになっている。
ちなみに、「イングリッシュ・ペイシェント」と「ファーゴ」も製作費の8倍程度の興行収入をあげており、当時のアカデミー賞ブランドの強さをうかがわせる。
ショパンやラフマニノフといったクラシックの人気曲が使われているので、クラシックが好きな人はより楽しめると思う。
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