シャインのレビュー・感想・評価
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実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの栄光と悲劇
青い空に向かって両手を広げる男性のメインビジュアルが以前から気になっていて、いつか観よう観ようと思っていた作品。1995年に公開され、アカデミー賞を受賞した名作であることは知っていました。今回、「映画.com ALLTIME BEST」に選ばれていたのでこれを機に思い切ってAmazonプライムビデオにて鑑賞してみることにしました。
実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの半生を描いた作品だと知り驚きました。そして、彼は2024年現在もご存命であることを知り、より感慨深い思いに耽りました。この作品は、彼の栄光と苦悩の半生を描いていますが、天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットの人生を語るとなると、もうひと作品「デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり」もセットで観たくなります。こちらの作品は2015年に公開されたデイヴィッドのその後の人生が描かれた初のドキュメンタリー作品です。彼が精神病院に11年も出入りし、奇跡の復活を果たせたのは映画「シャイン」の終盤で登場した愛妻ギリアンの存在があったからに他なりません。今作品では、彼が天才ピアニストになるまでの過程と精神を病んでからの苦悩が中心に描かれていて、そこからの復活シーンは、終盤のほんの数分に集約されているので、少し物足りなさがありました。もっともっとその後の妻ギリアンとの幸せな人生を観たいと思ってしまいます。なので可能であれば、彼の半生に関するこの映画2作品を丸ごと1本にした映画をいつか観てみたいなぁと強く思いました。
どんな天才の影にもそれを支えるたくさんのサポーターが登場します。それは、ピアノの英才教育をした父であり、その時々で出会った先生であり、彼の後半の人生を支えた妻の存在であったりします。ただこの映画における父の存在は、ピアノを教えてくれたサポーターであると同時に、愛という名のもとに全てを支配しようとした毒親でもありました。愛は行き過ぎると毒にもなります。才能も有り余るとそれを持つひと自身を壊し始めます。天才とは、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指します。それは常軌を逸した努力を積み重ねた結果であり、その行き着く先はいつも輝く栄光のステージだとは限らないことをこの映画は教えてくれます。時に芸術家は、魂(自分)を削って、作品を紡ぎ出すといいます。それこそが、常人には真似できない天才こそが成せる技なのだと思います。そして天才であるが故の悲劇は、一度手にしてしまったその才能を無かったことにはできないことにあります。自分をいつ攻撃するかもしれないその才能と一生添い遂げていくしかないのですから…。
けれども、愛はいつでも何度でも、人生やり直せると教えてくれます。そして、苦労して身につけた芸(才能)は、最後は自分自身を助け、幸せにしてくれると信じたくなります。
先延ばしにせず、今鑑賞しておいてよかったと心から思いました。メインビジュアルにピンときた貴方は、ぜひ一度ご鑑賞なさってみてください♪
『デイヴィッドとギリアン』と共に
30年近く前の作品のリバイバル上映ですが、僕は初見。父親の束縛を逃れて世界的ピアニストに成長するサクセス・ストーリーなのだろうと思っていたら、全く予想外の方向に物語が進んで行きびっくりしました。が、「これって心を病みながら独特の音楽世界を繰り広げるピアニストのドキュメンタリー『デイヴィッドとギリアン』(2018) の物語じゃないか」と気付き改めて感動しました。デイヴィッドの実際の演奏は「音楽が好き」と言う思いが本当に溢れていて素敵です。
天才ピアニストデイビッド・ヘルフゴットのドキュメンタリー
シャイン
神戸市内にある映画館 OSシネマズミント神戸にて鑑賞 2024年7月9日(火)
実在の天才ピアニスト、デイビッド・ヘルフゴットのドキュメンタリー映画
午前10時の映画祭
原題 Shine
オーストラリア、メルボルンで暮らすデイビッド(アレックス・ラファロウィッツ)は、音楽家の夢に破れた父ピーター(アーミン・ミューラー=スタール)に幼少時からピアノを厳しく教え込まれ、その才能を開花させる。
ピアノコンクールで、デイヴィッドはショパンの「ポロネーズ」を弾く。そこでデイヴィッドのずば抜けた才能を見抜いたピアノ指導者のローゼンは、彼の指導をさせてほしいと申し出る。
ピーターはその話を一旦断るが、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾きたがる息子を見て、ローゼンに指導をお願いする。世界一難しい大曲として有名な「ピアノ協奏曲第3番」を息子に弾かせることは、ピーターの悲願でもあった。
ローゼンは、ラフマニノフはまだ無理だと判断し、モーツアルトから指導していく。それから数年後、ローゼンの指導に導かれ、デイヴィッドは大きなピアノコンクールで史上最年少の優勝者となる。有名なピアニストにも実力を認められたデイヴィッドは、アメリカ最高の音楽学校へ留学しないかと誘われる。
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しかし家は貧乏で、デイヴィッドを留学させるような余裕はない。ローゼンは、ユダヤ教の堅信式に参加し、寄付を募ることを提案する。寄付金は順調に集まり、デイヴィッドのアメリカ留学が決まる。ところが、独占欲の強いピーターは、デイヴィッドが家から出ていくことが許せず、アメリカ留学を無理やり諦めさせる。ローゼンは、“ラフマニノフだけは押し付けるな”と忠告して、ピーターと決別する。
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ピーターはローゼンの忠告を無視して、コンクールでデイヴィッドにラフマニノフを弾かせるが、デイヴィッドは優勝を逃す。しかし彼の才能は認められ、ロンドン王立音楽学校から奨学生の招待状が届く。ところが、再び父親に激しく反対され、デイヴィッドは家を飛び出す。ピーターは、自分に反抗したデイヴィッドを勘当してしまう。
デイヴィッドは、親交を深めていた女流作家の励ましもあり、強い意志を持ってロンドンでの生活を始める。ロンドン王立音楽学校のセシル・パーカー教授(ジョン・ギールグッド)は、デイヴィッドの才能と純粋な人柄を愛し、熱心に指導をしてくれる。努力が実り、コンクールの最終選考に残ったデイヴィッドは、“ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾きたい”とパーカー教授に申し出る。
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パーカー教授は、ラフマニノフ本人の前でこの曲を弾き、その才能を絶賛された過去があり、この曲の難しさと怖さを熟知していた。それでもデイヴィッドの情熱にほだされ、彼の挑戦を許す。デイヴィッドは、寝食を忘れてこの大曲に挑み、パーカー教授の厳しい特訓メニューをこなしていく。
コンクールの日。デイヴィッドは、“明日という日はないと思って弾け”というパーカー教授のアドバイス通り、全身全霊でピアノを弾く。彼の魂の演奏は大絶賛され、デイヴィッドは見事コンクールで優勝する。しかし、自分を追い込みすぎたデイヴィッドは、そのまま正気を失って倒れてしまう。
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デイヴィッドは精神病院に入る。そして医者からピアノを禁止され、オーストラリアへ帰ってくる。帰る場所のないデイヴィッドは、それから10年以上を精神病院の中で過ごす。妹が時々面会へ来てくれたが、それ以外に彼を訪ねてくる人はいない。
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そんなある日、デイヴィッドは病院内の音楽室で、教会でピアノを弾いている女性と出会う。その女性は、デイヴィッドのことを知っていた。引き取る人がいればデイヴィッドは退院できるという話を聞き、女性は彼を自宅に引き取る。
しかしやはりデイヴィッドの世話は大変で、彼女はデイヴィッドを知り合いの男性に預ける。男性が用意してくれた部屋にはボロボロのピアノがあり、デイヴィッドは久しぶりにピアノを弾く。1度弾き始めるとデイヴィッドは止まらなくなり、四六時中ピアノを弾き続ける。これに閉口した男性は、ピアノに鍵をかけてしまう。
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ピアノを奪われたデイヴィッドは、以前迷子になった時に訪れた「モビーズ」という酒場にピアノがあったことを思い出し、その店へ向かう。デイヴィッドはそこでいきなりピアノを弾き始め、店員も客もそのすごい演奏に言葉を失う。客から大喝采を浴びたデイヴィッドは、そのままその店のピアノ弾きとなる。彼のピアノのおかげで店は大繁盛し、デイヴィッドの存在が新聞でも報道される。
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デイヴィッドは、モビーズの店員の知り合いのギリアン(リン・レッドグレイヴ)という女性と出会う。ギリアンは星占いの先生をしており、金持ちの投資アドバイザーと婚約中だった。店でデイヴィッドのピアノを聴いたギリアンは、彼の才能と純粋さに惹かれる。そしてデイヴィッドも、優しく大らかに自分を見てくれるギリアンに惹かれていく。
ギリアンが自宅へ戻る日、デイヴィッドはいきなり彼女にプロポーズする。ギリアンは戸惑うが、“嬉しいわ”と答えてくれる。
自宅へ戻ったギリアンは、本気でデイヴィッドとの結婚について考え始める。そして塾考したすえ、彼女はデイヴィッドと生きる道を選ぶ。2人の結婚式には大勢の友人が集まってくれた。
自由奔放なデイヴィッドとの生活は大変だったが、ギリアンは彼を愛し、彼がピアニストとして再起できるよう支えていく。
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デイヴィッドは、コンサートホールでのリサイタルの日を迎える。観客席には、父親以外の家族や懐かしいローゼン先生の姿もあった。長い時を経て、デイヴィッドはピアニストとして再起を果たす。アンコールを弾き終えたデイヴィッドは、スタンディングオーベーションで自分の演奏を讃えてくれる大勢の観客を見て、感極まって涙を流す。
後日、デイヴィッドはギリアンと父親の墓参りをする。デイヴィッドはもう父親を憎んでおらず、父親の教え通り、何があっても強く生き抜いていこうと思うのだった。
デイヴィッド・ヘルフゴット 少年期 アレックス・ラファロウィッツ
デイヴィッド・ヘルフゴット 青年期 ノア・テイラー
デイヴィッド・ヘルフゴット 現在 ジェフリー・ラッシュ
ピーター・ヘルフゴット(アーミン・ミューラー=スタール)デイヴィッドの父親
ギリアン(リン・レッドグレイヴ)星占いの先生
セシル・パーカー(ジョン・ギールグッド)ロンドン王立音楽学校の教授で、デイヴィッドのロンドン留学時代の恩師。
スコット・ヒックス監督
1995年製作 オーストラリア
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感想
主人公のデイヴィッド少年期のピアノ演奏よりも、ギリアンと出会った時のほうが、楽しそうに演奏しているように思った。
ギリアンさん、心優しい女性の占い師さんの対応に感動しました。
ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲3番」の第1楽章の「カデンツァ」の演奏は、2通りあってどちらで演奏してもよいことになっています。この作品では「ossia」側で演奏されていることが分かります。
追加情報
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)はロシア帝国生まれの作曲家・ピアニスト
劇中で流れた「くまんばちの飛行(Flight of the Bumblebee)」はリムスキ=コルサコフ(1844-1908)が作曲しラフマニノフがピアノ演奏に編曲している作品
ゆがんだ愛情、芸は身をたすける、でも何ごともほどほどがいいんじゃないの
「午前十時の映画祭」で 27年ぶりに鑑賞。
うーん、そうかこんな展開だったのか。「良い作品だった」という記憶だけは残っているものの、内容はほとんど憶えていなかったのだ。
サントラも購入して何度も繰り返し聴いていたのに、映画の場面は全然よみがえってこないのでした。何故だろう?
まあそれはともかく、現代の目で見ると、あの親父のサイコぶりはより深刻に映ります。父権とかそういうものでは、すまないような……。ゆがんだ愛情がこわすぎる。
ヘルフゴットはずば抜けた才能を与えられたけれど、奪われたものも多かった。
「芸は身を助ける」のことわざどおり、その才能によって窮地を脱したわけだけど、そもそも才能がなかったらあんなふうにならなかったかもしれないし……。やっぱり何ごとも、ほどほどがいいんじゃないでしょうか。バランスが大事ですね。
いや、登場人物のことばっかり書いて、作品についての感想になってないな。ま、いいか。
ところで、本作のサントラで僕が一番好きな曲(エンディングに流れるヴィヴァルディの美しい歌曲)のタイトルを今日はじめて知りました。
『まことの安らぎはこの世にはなく』——か。なんかツライなぁ。
お前の父はこのワシだ!
「人生は残酷だ。その中で生き残る」
午前十時の映画祭14にて鑑賞。
天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの苦悩と栄光に満ちた半生を描いた伝記映画。現代のヘルフゴットを演じたジェフリー・ラッシュは第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞し、オーストラリア人俳優として初の快挙を達成した。
多分、多分いい話だ。だが謎、謎だ。当初僕はデヴィッドの精神状態が崩壊したのは父ピーターの苛烈なまでの過干渉によるものだと思っていた。今で言う毒親、そう毒親だ。家は貧しかったが、ピアノの才能を認められてアメリカへの留学が決まりかけていたデヴィッド。留学資金も寄付によって集まっていたにも関わらず「家族が壊れる」と言う理由で留学を反故にした父、この時点で毒親に見えたし、自分がこんなことをされたら「そりゃあ人格歪むよな」とさえ感じた。しかしヘルフゴット自身の述懐によれば精神に異常をきたしたのはその後のロンドン留学時代であり、とすると父ピーターの見立てはあながち誤りではなく、むしろ子想いにさえ映ってくる。とはいえロンドン時代の統合失調のトリガーを引いたのはラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」であり、その原点は幼少期の父からの刷り込みによるものであることを考えると、(実際のところはともかく少なくともこの作品上では)やはり毒親だったと言わざるを得ない。
青年期のデヴィッドが妙に不潔だったのが自分の心の奥底に引っかかってしまい、途中でやや冷めてしまった部分はあったが、ジェフリー・ラッシュが(普通ではないけれど)生気を取り戻してくる姿は素直に嬉しかった。極上の果実が周囲によって汚されていく歯痒さと悔しさと、それでもどうにか実になったことに今はただ安堵している。
ジェフリー・ラッシュの演技に圧倒されました。
午前十時の映画祭にて初鑑賞。
実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた伝記映画。
あまりに身勝手な毒父の存在に何度もため息がでました。
なぜデイヴィッドをアメリカに留学させてあげないのか。
息子の希望にあふれた将来を自分のエゴのために摘み取る父親がどこにいるのか。
息子の人生を自分の思いのままにコントロールしようと時には暴力まで振るう。
デイヴィッドが萎縮するのもうなづける。
しかし意を決して父に歯向かい英国王立音楽院にいくデイヴィッド。
父に弾けるようになるよう言われていた難曲ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をコンクールの曲に選び猛特訓を受ける。
そして当日、見事な演奏をするデイヴィッドだが、限界を超えたのか精神を病む。
ここから悲劇へと向かうのか心配したが、出会いや周囲の支えもあり確かな演奏の腕を活かしてピアニストとして生き抜いていく。
父と再会してももはや父に頼らないと何もできないデイヴィッドではない。
父と決別し、占い師の伴侶とともに人生を歩んでいくという前向きなところが非常に良かったです。
ラフマニノフの呪縛からの解放
精神を病んだ実在のピアニストの半生を描く作品だけど、その父親との確執と魂の解放がテーマでもあります。とにかく、主人公の父親像のインパクトが強烈です。厳格を通り越した歪んだ家族観と父性愛で、子供の人格を認めず精神を支配する毒親ぶりは、現代の日本でもありそう。息子にラフマニノフの難曲を強制するのも自分が支配し続けるためであり、主人公がコンクールでこの難曲を演奏しきった瞬間に精神が崩壊してしまうのは衝撃的です。ところが、精神を病んでしまった後の彼の人生は、ユーモラスで愛すべきエピソードに満ちているのがいい感じです。子供の時から、年上の女性にモテるのも、どこかおかしいです。ピアノの呪縛を解いたのは、誰からも奪われることのないピアノの才能への喝采であるのに救われる思いでした。役者では、青年期を演じたノア・テイラー、中年期を演じたジェフリー・ラッシュの力演が素晴らしかったです。毒父役のアーミン・ミューラー=スタールも、えげつないほどのうまさでした。
人生は残酷だが、悪くない
午前十時の映画祭にて鑑賞。
才に溢れて人に恵まれても、人生が順風満帆に進むとは限らない。それでも人生のその一瞬においては確かに光り輝いている。ラフマニノフの演奏シーンは音楽に聴き入る。
王立音楽院の先生が名言しか言わない。
明るくて素直、正直な主人公に救われる♪
午前10時の映画祭、最近ちょこちょこ観ています。
学問もアートも小説も宗教も、時代を超えるモノって、本質をついているんだと思います。
私が映画を習慣的に観るようになったのは、子育てが一段落したここ15年ほどなので、こうして良質な過去作を観ることができて、幸せです。
「シャイン」は、私、ホラーと思ってました。
「シャイニング」と勘違いしてました、恥ずかしい…。
ギフテッドの男の子が、父親から自立し、自分の人生を歩む話でした。
直系血族との関係って、ホントウェット。
私も、親、弟たち、子どもたちには、情が深いし、悩む・怒る・泣くなど、ひどく心揺さぶられるのは彼らに対してのみ。
それ以外の人たちには、割と理性的に対応できるんですけれどね。
きっと、自分の人生の課題と繋がっているから、ヒトゴトと距離をとって考えられないんでしょうね。
デイビッドの気持ちとシンクロして、作中結構泣きました。
強権的な父親に虐げられる未成年のデイビッドは、ホントにかわいそうでした。
父親も、子ども時代に第二次世界大戦による大きな心の傷を負い、最愛の息子を守ろうとしているだけなんですよね、やり方は間違っているけれど。
デイビッドも、子どもを持てば、このあたりの父親の心情が理解できたかもしれない。
ホント、直系血族は、カルマなので、自分の中でそれを昇華できる人はごく稀だと思います。
デイビッドは、大人になってからの方が少年のようで、だからこそ、奥様も自由な独身生活を手放しても結婚したんでしょうね。
映像表現が美しく、ピアノの音色も素敵で、デイビッドの人生がどうなっていくのかハラハラしてたら、エンディングでした。
実在の人物で、今も、奥様と幸せに暮らしていると聞いて、帰り道、ほっこり幸せな気分でした。
実在するピアニストの話だが、公開後に親族らから事実と異なることで抗...
実在するピアニストの話だが、公開後に親族らから事実と異なることで抗議があったようなので、実話を元にしたフィクションとして観るぶんにはとても良い映画でした。迫力あるピアノ演奏のシーンが見応えあり。ほぼ無名だったジェフリー・ラッシュがアカデミー賞主演男優賞受賞。
本当に偶々
ですが、シドバレットの映画と連続する事に。お父さんは紛れもなく毒親でしょうが、息子を愛している事には違いなく、音楽へと誘ったのも彼なので家族であれば憎みきれない・・。ホロコーストから一人生還した事が彼を歪めてしまった。このジーンハックマンとポールジアマッティの間に生まれた様な俳優さんの演技は凄かった。
精神を病んだ人の周りで支える人々は大変だなあと切実に思う。所々PV監督らしい画が見えました。
実在するピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴット
1996年の映画。遠い遠い昔一度見たことがある。
2024年リバイバル上映していたので、映画館で鑑賞。
家族を自分の所有物だと思っている厳格な父親に苦しめられる幼少期を過ごす主人公。奥さんもまた弱い立場なので可哀想。
しかし、周りの人からは恵まれ、パーティーで出会った老年の女流作家から愛情をもらい、イギリス留学を自分のことのように喜んでくれた。そのお婆さんが亡くなった知らせを聞いたシーンは、一番涙した。
まだインターネットもスマホもない時代。
今だったら、スマホで撮影されて世界中に拡散され、デイビッドは時の人になるかもしれない。
ピアノの才能があるにしても、日本だったら、変な人と白い目で見てしまいそうなのに、オーストラリア人の懐の深さに驚く。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番はそんなに難しく、危険な曲なのか、今一度聴いてみたい。
父の呪い
母の呪いってあるけど父の呪いも強烈よな。父自身の体験の凄まじさを思えば、というところではあるが。/ホロコースト、冷戦、ユダヤ教。全てが個人の力を超えた人類全体の呪いでありそこに出会った者の運命である。父にとっては家族を手放さないことが運命に抗うことであったが、難しいのは、家族というのは異なった個体の集まりなのである。 デイヴィッドの音楽へのアンビバレントも凄まじいものがあったと思う。自分を父と繋ぐのも、父から介抱するのも音楽でありピアノである。/とにかくよくぞ生き抜いた。他の家族も、父が死んで羽ばたけたのかな。
映画が多様で豊かだった時代の秀作。
これはよかった。
主演のジェフリー・ラッシュが第69回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したので日本でも話題になった。
オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。
ピアノに関して神童的な実力を持つデイヴィッドは、注目を集めて、より高い教育を受けるように勧められる。しかし、家族のもとを離れることになると、そのつど父親が拒否してしまう。
家族を捨ててイギリスの王立音楽院にわたったデイヴィッドはコンクールで優勝するが、その場で昏倒。精神病院で生活することになる。しかし、ピアノの演奏技術は人々の注目を集めて、彼は人生を切り開いていく。といったもの。
実在のピアニストではあるものの、実際とは違う部分がいろいろあるらしい。
「勇者が冒険の旅に出て、試練を経て褒美を手にする」という、キャンベルが提唱している神話の構造に忠実に作ったために、家族が納得できない結果になったのだろう。ただ、それゆえにわかりやすい展開になっている。
なぜこの映画が作られたのか。当時の世界の状況を振り返ると、多少はわかるかもしれない。公開が1996年なので、仮に1994年頃に制作が開始されたとする。
ルワンダの虐殺、ボスニアの空爆、第一次チェチェン紛争、松本サリン事件などがあった。
また、イスラエルとヨルダンの平和協定、ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国初の黒人大統領となった、というニュース。アカデミックな方面では、フェルマーの最終定理が証明され、360年にわたる議論に決着がついた、といった出来事もあった。
出来事は違えども、30年前も今も、世界は相変わらず混沌としていて、それでも人は生きていかなくてはならない。
この感覚は、「人生には大変なことも多々あるが、それでも生きていくことが大切」という本作のメッセージにも通じている。特殊なメッセージではないので、普遍的とも言える。
なお、第69回アカデミー賞では本作と、「イングリッシュ・ペイシェント」と「ファーゴ」が、いろいろな部門で賞を争った。
「イングリッシュ・ペイシェント」は未見だが、「ファーゴ」は観た。
主演のフランシス・マクドーマンドが、犯罪者役のピーター・ストーメアに「あなたたちのような人間が理解できない」といったニュアンスのセリフを言うのだが、このやりとりが本作とリンクしており、面白い。
本作では父親が「私は若いころにお金をためて美しいヴァイオリンを買った。それを、私の父親がどうしたか、知っているだろう?」と聞くシーンがある。この質問は映画の最初のほうと後半で出てくる。本当はデイヴィッドは答えを知っており「父親がヴァイオリンを壊した」と答える。そのあとで父親は「お前は幸運なんだ」と続ける。自分は音楽をやらせてもらえなかったが、お前はピアノを弾かせてもらえるじゃないか、というわけだ。
しかし、後半で父親が同じ質問をするとデイヴィッドは「知らない」と答える。彼が拒絶するのは、自分を縛りつけている父親から独立したいからだ。「ファーゴ」の「同じ人間でも理解しあえない」という趣旨のセリフとはニュアンスが違うとはいえ、コミュニケーションの断絶という意味では共通している。当時は、他者と理解しあうことの難しさといったものが、問題意識としてあったのかもしれない。
製作費は8億8千万円。興行収入は57億円。これは現在の相場で計算しているから30年前の通貨価値とはだいぶ違うと思う。ただ、製作費の6倍ほどの売り上げになっている。
ちなみに、「イングリッシュ・ペイシェント」と「ファーゴ」も製作費の8倍程度の興行収入をあげており、当時のアカデミー賞ブランドの強さをうかがわせる。
ショパンやラフマニノフといったクラシックの人気曲が使われているので、クラシックが好きな人はより楽しめると思う。
純粋に自分のやりたいことを追い求める姿は輝いている
大好きな映画。
天才的ピアニストの半生を描く作品。
とにかく、作品を通して、映像と音楽が美しい。加えて、役者の演技もすばらしい。主人公の才能が開花していくと並行して、狂気じみていく様子だったり、厳格でありながら、ある意味、世の中的には負け組の父親と主人公との距離感の変遷だったり、その父親にやらされきたピアノだが、精神に異常を来たしてしまったそんなときに、自分を表現できるのはやはりピアノだったり、とにかく、もう、全てが素晴らしい。
圧巻は、汚いアパートメントでピアノを禁止されてしまったデイビットが、ふらふらと立ち寄ったレストランで、見事にピアノを演奏するシーン。泣ける。ホント、号泣。
自分が本当にやりたいことって、実は分からなかったりする。年を取れば取るほど、分からなくなっていったり、分かっていてもできなかったり、臆病になってやろうとしなかったり。
本当に純粋に自分のやりたいことを追い求める姿は、たとえその過程で常識を逸脱した行為があろうとも、そこに才能があって、周囲を幸せにすることができれば、それはやはり輝いているのだと思う。
絶対に観るべき映画。短く、完結にまとまっているが、その短さを感じさせない名作。
鑑賞後、ジェフリー・ラッシュ!!!!と、雄たけびを上げたくなる。 ノア・テイラー氏の演技も鳥肌ものなのに。
実話。
でもデイビット氏の兄弟からクレームとな。
実際は藪の中。羅生門エフェクト(心理用語。詳しくは『羅生門』のレビューをご参考下さい)。
言えることは、デイビットが語ったことを妻が書いたということだけ。(デイビットの心的現実+妻の価値観によってできた物語で、ある意味、これも事実)
そうか。奥様と出会ってからラストまでが、すごくお座なりな描き方で違和感あったんですよね。
「父の愛によって狂気に追いやられ、妻の愛によって復活した」というのなら、もっと妻と愛を深める過程をじっくり描くだろうにと不満だったが、そういう理由があったのね。原作本の映画化版権を妻が持っているから、へたな描写して「NO」と言われたら全てがとん挫するものね。
父。私には、暴君には見えなかった。
ナチスによって家族を殺されて家族が離れることが怖かった父。ああ、ここでもナチスの影が、とそちらの方が唖然とした。根深く引きずるPTSD。
子が「もっとうまくなりたい」と望む。”ラフマニノフ”にこだわる。反対する父。教えられないから。でも結局、父はレッスン料払えないと言う屈辱をさらしても最初の師に託すし、結局、父は留学資金集めを受け入れる。何とかしたいけど何とかできない父の背中が切ない。
それに留学すれば、誰が一番かという身も心も擦り切れる世界への参戦。「家族の元に留まれ」という父の言葉は「一番でなくたって愛しているよ」と聞こえた。この時点ですでに、精神障害の兆候が表れていたのでは?という人もいる。
「お前は運がいい」というのも呪縛にもなるし、幸運を願うおまじないにもなる。それになにより父の本音。ウクライナや各地で起こる災害・絶対的な貧困を考えても、どれほどの才能が花開かずに終わってしまうのだろう。ピアノを弾けているというだけでも幸運というのではなく、自分が心を籠められるものを続けていられるというのが当たり前の世界になってほしいのに。
「だから大丈夫だ」っていう。どういう意味で伝えるのか、どういう意味で受け取るのか、言葉って難しい。
『ファースト・ポジション』を観た後だからそんな思いが強いのかしら。
親と子の愛情って複雑。時が経つにつれ、思い出への意味づけも変わってくる。
子にしてみたら、一番の応援団になってほしい人からの反対。一番応えますね。自分目線からしか親を見れない年代。
”ラフマニノフ”にこだわったのはどうしてなのだろう。”一番”難しく、父さえ弾けない曲。父を喜ばせたかったのか、超えたかったのか。
そして、若きデビット氏の頼みから行われる師との常軌を逸した練習。本当にあんな練習だったのか?
そんな映画の事情はどうあれ、
ラッシュ氏の演技が圧巻なことは疑いない。
そしてノア・テイラー氏も。思春期の繊細な演技が光る。
父も師も重厚な演技を見せるが、ラッシュ氏が凄すぎて。
ラッシュ氏を初めて知ったのは『パイレーツ・カリビアン』こんなお子様映画にこんなすごい人がと釘付け。あういう映画でさえ、手は抜かない。そして『英国王のスピーチ』『鑑定士と顔のない依頼人』拝見する作品ごとに印象が違う。振り幅のすごさ。一つ一つの演技の確かさ。
だけど、このデイビットはそんなラッシュ氏の演技の中でも群を抜いている。
この年のアカデミー・主演男優賞。トム・クルーズ様もノミネートされていた。トム様推しの私だけれど、ああこの、ラッシュ氏なら、軍配ラッシュ氏でも仕方がないと思ってしまう(泪)。ゴールデングローブ賞はドラマとコメディ/ミュージカルで、分け合っていたけれど。
テイラー氏は『バニラスカイ』の監視員と『オールユーニ―ドイズキル』のオタクな科学者。こちらも印象違う。出てくるだけで結構インパクトがある。
そして何より、流れるピアノの素晴らしさは議論の余地ない。実際にデイビット氏の演奏だとか。
映画ラストのリサイタルより、バーで弾く姿が一番活き活きしているように見える。
リサイタルは批評家にさらされ、スケジュールに管理されている世界。本当にデイビット氏が望んだことなのか?コンクールに駆り立てた(ようにみえる)父と、リサイタルに引っ張り出す(ようにみえる)妻。同じように見えるのは私だけ?
なんて、映画での印象で決めつけるのは愚かしいけどね。
映像も色使いがとても洗練されていている。
バーの前の小雨はちょっと寒々しく。でもバーで皆に囲まれている場面は『NINE』?というほど煌びやか。小説家と青年デイビットの場面はとっても温かく、妻との家はガラス張り、と場面場面も美しく、音楽を引き立てる。
と、惚れこむ要素はたくさんある映画なのだけど、
鑑賞し終わっての印象が、ジェフリー・ラッシュ!!!!になっちゃう。
映画に感動というより、俳優の演技に喝采を送ってしまう。
父と子の物語は、見返すたびに意味付けが変わり、新たな発見がありそうだ。
なのに、成人になってからが別物語になったようにも見えて、
後半の妻とのエピソード、父を始めとする源家族とのエピソードをもうちょっと丁寧に描いてほしかった。惜しい。
なので映画としては☆1つ減らして☆4つです。
(原作未読・デイビット氏の半生知らず)
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