市民ケーンのレビュー・感想・評価
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後世に多大な影響を与えた、一大人間ドラマの傑作。
「バラのつぼみ」という言葉を残して死んだメディア王、チャールズ・フォスター・ケーンの生涯を、彼を知る関係者に次々と取材する、ニュース新聞の編集記者を通して描いたドラマ。 本作以前にも無かったことはないだろうが、主人公の稀有な生い立ちや、成功から挫折に至る人生を取り上げ、関係者の証言を通じた回想という形で描くのも、本格的に明確に提示した、初めての作品では無いかなと。 狂言回しの存在や、「バラのつぼみ」の結末も、後の映画やドラマで、頻繁に使われている手法だね。 後世の作品に、非常に多大な影響を与えた作品と思う。 中だるみが無いわけでは無いと思うし、やや冗長という気もする。それでも、公開当時としては、画期的かつ独創的なストーリー運びで、メディア王の生涯を実に興味深く、壮大かつ大胆に描いた、一大人間ドラマの傑作だ。
映画史に残る大傑作???
映画史上に残る名作中の名作と謳われる本作、敢えて全く予備知識入れず観てみました 子どもの頃から映画が大好きで、以来 半世紀近く観続けている映画博愛主義者という事を大前提で、無理に背伸びして解ったような事を言わず、素直に、正直にコメント 何がどう評価に値するのか全くわからず、全然 面白くなくて退屈、何度も寝落ちしそうになった 観終わった今では全く理解できない高評価なレビューをたくさん読んで期待しすぎた様です
よくわからんので2回観た(笑)
いや、ちょっと違いますね、分からなかったのは間違いないのですが、印象的なシーンが多かったのでもう一度…という気持ちも。 この映画を観るに至った経緯ですが、「映画史に残る名作」で検索したら出てきたのですよ。「2001年宇宙の旅」と「8 1/2」と一緒に。で、思ったのが検索方法間違えたかなーということ(笑)いや、つまらなかったとかそういうことではなく、この「映画史に残る」っていう検索方法だと、制作サイドの観点から選ばれた作品が多く挙がるんですね。撮影技法だとかに焦点を当てた作品です。はっきり言って素人にはさっぱりわかりません!(笑)でもこの「市民ケーン」はそういう技術の話を抜きにしても楽しめました。 全てを手に入れ、全てを失った男が最後に残した言葉…。その真相を目の当たりにし、愕然としました。なんと哀れな男。ラストシーンではそれまでのケーンに対する印象をちゃぶ台返しされたような衝撃。しばらく口開けて放心状態でした(笑) 随所に散りばめられた工夫を凝らした撮影方法…私は片手で数えれる程度しか気付けませんでしたが(笑)でもそれ以上に純粋に喜悲劇として楽しめました。
映画史上最高作
公開当時は、その斬新な映像技術によって映画関係者に衝撃を与えたようです。 確かに話の展開の巧みさや緻密な内面描写など、技術面を除いても優れた映像作品であることは認めますが、これが「世界一か?」 と言われると、そこまでの評価には至りません。 大戦前後の映画であれば「第三の男」や「カザブランカ」などの方が遥かに優れていると感じます。ということは、やはり映像技術面の評価なんですかね? いずれにせよ、ここまで世評が高いことが有名な作品を色眼鏡ナシで観ることは難しいでしょう。
モノクローム時代の大傑作
オーソン・ウェルズ主演脚本監督作。 【ストーリー】 メディア王チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が、ザナドゥ城と呼ばれた自らの邸宅で死んだ。 スノードームを手に、たった一言「バラのつぼみ」と言い遺して。 その言葉の謎を解くべく、ニュース映画の編集者ジェリー・トンプスンはケーンの過去を暴きにかかるのだが、浮かび上がるのは、空虚で悪趣味な邸宅にこもる、孤独な男の姿だった。 それは、かつて栄華をほこったメディア王のイメージとは、大きくかけ離れたものであった。 シミケンこと市民ケーンです。 主演脚本監督すべてを手がけたオーソン・ウェルズの事をほぼほぼ知らずに鑑賞しましたが、これが面白いのなんの。 場面をいろんなアングルから撮影し、カメラを自由に動かし多彩な演出を展開しつつ、白黒なのにレイアウトも分かりやすく工夫されているので、退屈せず理解もしやすく作られております。 この人、映像作家としても優秀なんだなと。 英語教材『家出のドリッピー』が代表作じゃなかった。当たり前だ。 かなり興味をかきたてられてWikipediaの記事を読んで、この映画への評価の不遇さに腹を立てるも、そこからさらにオーソン・ウェルズを調べてダメだコリャと笑ってしまいました。 なんというか、天性のエンターテイナーで稀代の詐欺師ですね。 初ステージに上がったエピソードもそうですが、あっさりと人気者になって都会に移り、この映画を撮るまでの経緯も破天荒で、どんだけ無茶するんだこの人と。 この映画も、当時のメディア王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを思いっきりモデルにして、最期を孤独に終わらせるとか、そりゃ激怒されますわ。 個人的な感想としては、ハーストを悪く描いたとは思いません。 ハーストって人はこんなもんじゃない、自分のメディアで酷いことしでかしまくった超悪党ですから。 ぴっちり2時間の長編ですが、それに堪えうる画面づくりで退屈を吹き飛ばしてくれる一大ドラマ。 空き時間に流し見するつもりでしたけど、Amazonプライムでは吹き替えがなくて、結局ガッツリ世界観に取りこまれてしまいました。 映画に浸りたい休日前の夜に、ピッタリの一本ですよ。
今は昔のドラマツルギー作品とマクガフィン
内容は、アメリカのザナドゥと呼ばれた新聞王ケーンの人生に光を当てた物語。好きな言葉は『薔薇の蕾』でこの言葉を中心に話が進められ一体!?薔薇の蕾と何だったのかと考えさせる辺りは脚本の上手さを感じます。この時代から根強く残る演出法ではありますが素晴らしい。場面やシーンでは幼い父との確執と大人になったケーンとの皮肉なまでの類似性を表現する辺りが面白かったです。降って沸いた様な富豪生活の興亡は観ているものの気を惹き最終的には、1人の人として市民として幸せとは呼ばなかったかも知らない人生に自分を重なり考えさせられる辺り脚本の手本的作品です。
とんでもない予算をかけて作られた映画だと分かったけれど,今の時代に...
とんでもない予算をかけて作られた映画だと分かったけれど,今の時代にこれを見てそれほど感嘆するべきことがあるのかどうか自分にはわからない.野心と志を持って財を成した人物が,実は自分がかわいいだけであると周囲の人々から見透かされてしがない生涯を終えるという話はそれほど珍しく盛んなくなってしまった.女性を美しく撮影するような光の当て方と,ケーンの顔を切り取るように光と影が横断しているところは面白いと思ったけれど,それ以上に映像として印象深いところはないかな.Rose Budという言葉は結局幼少期のサッチャーに引き渡されたシーンに回帰して,すべての始まりだったあの別れが無ければというたらればを回想したという話だったのかもしれない.
実在の大物実業家の心理を探求
激しいジャーナリズム戦争を巻き起こしたメディア王の生い立ちをミステリーのようにたどることで、何が彼をそこまで追い立てたのか、その心の内を明らかにしていった意欲的な作品。実在の大物人物を扱うのはなかなかできることではない。25才と若かったからできたのかも。ラストに明らかになるオーソン・ウェルズの出した結論には納得だった。 技術的には映画の教科書とされているそうだけど、主人公の老け顔がメイクで上手くできてること以外は特に意識しないで見てしまった。
思い込みが激しい新聞王
オーソンウェルズ扮する新聞王チャールズフォスターケーンがばらのつぼみと言い残して亡くなりザナドゥで葬儀が行われた。2回結婚して2回離婚。ケーンは、市民に対し全ニュースを誠実に伝える日刊紙を目指した。真実を素早く楽しく知る市民の権利を擁護するとした。しかし、思い込みが激しい人だった様だ。そう実力が無い歌手に歌劇場を作ってしまったりもした。欲をかくとろくな事は無いね。
玄人向けの復習映画
名作中の名作。THE映画。 って感じの映画でした。 正直一回観ただけではこれがすごいとはならない。 根源的映画だからこそ、予習のための映画ではなく、色々な作品を観た後で復習として観た方が、この映画の偉大さが分かる気がしました。 とりあえず、これでいつでも『Mank』は観れそうですが。出直してきます。 ストーリーは至ってシンプル。 アメリカの新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンが死に際につぶやいた『Rose bud』ーバラのつぼみ、という言葉の謎を追うために生前調査を行い、彼がどんな人物で「バラのつぼみ」とは何を指すのかを、回想を交えながら探っていく119分。 非常に多くの映画に影響を与えた作品のようで、成功者の成功からの堕落というよくあるストーリーは、まさにアメリカン・ドリーム。 メディアによって形成されたアメリカという国を非常によく表した映画なのだと、町山さんの解説をチョロっと聞いて知りました。なるほど。 素人の自分でも、映像技術が素晴らしいということはよく分かりました。 次はどんな撮り方をしてくるんだと、ワクワク。 観ているこちらを飽きさせない、工夫に富んだ映像の数々は影響を与えたどころか、現代の撮影方法を持ってしても敵わないような気がします。 当時こんなものをスクリーンで観たら、衝撃どころでは済みませんね。 映像・音響は100点満点でしょう。 登場人物が多くてこんがらがったのも事実。 何度も観て深めたい一本です。 市民ケーンの市民権 なんでもないです。
バラのつぼみ-ROSEBUD-
アカデミー賞では脚本賞を受賞したようですが、最も印象に残るのは編集や撮影の妙。亡くなった新聞王の過去を“バラのつぼみ”という謎の言葉を解き明かすためにインタビューを続けるニュース映画記者。インタビュアーの姿がまったく印象に残らないほど、インタビューに答える元妻や同僚たちが引き立たせているのもドキュメンタリータッチにするためか。その過去のエピソードが年代もバラバラに扱っている編集と、全てを演じ分けているオーソン・ウェルズの姿が面白い。この編集者が『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエストサイド物語』のロバート・ワイズだったことも興味深い。 撮影でも、後の『第三の男』に使われる影の多用。不自然なくらいにウェルズ本人に影がかかったり、奥行きの深さを出すためだけに影だらけの手前の人だったり、特撮のような効果さえ出していた。 大富豪になり、何もかも手に入れることができた男の人生。しかし、そこにはポッカリと空いたピースがあるのだ。それが妻の愛か、亡き母との思い出か、それとも市民の心だったのかはわからない。州知事選で敗れたことで、直前の情事が暴かれた事実があったにせよ、その空虚・孤独がケーンの心を占めたに違いない。何もかも思い通りにできると思い上がりは見え隠れするものの、正直であることが彼の信条。ところが、やはり何もかも手に入れた後に、足りないものに気づかされたのだろうか・・・エンディングの焼却炉にくべられるガラクタ美術品の中から子供時代に遊び親しんできたソリに“ROSEBUD”の文字がくっきり浮かび上がる映像が凄い。 それにしても何度も登場する“城”。権力や財産の象徴であるかのような大邸宅ザナドゥに圧倒された。モンゴル(元)皇帝クビライ・カーンの作った都が語源。ミュージカルや色んな会社の名前にもなっているけど、今ではビル・ゲイツの私邸が「ザナドゥ2.0」と呼ばれているらしい。彼もまたケーンのような孤独を感じているのだろうか・・・と思ってたら、昨日離婚したらしい。
見返す度に、いろいろな思索にはまってしまう。中毒性のある映画。
「No.1映画」と紹介される作品。 でも、余程の映画通でなければ、初見では「どこが?」となる。 まるでこの映画の主人公のようだ。 新聞王・広大で豪勢な(ノアの箱舟にも比される)館の主・世界で〇番目の金持ち。権力をふるい人や世間を思うがまま操った人物。人がうらやむ成功者。だが、その実体は? 一人の男の一生をたどる旅、「薔薇のつぼみ」というキーワードでひっぱる。面白そうな設定なのだが、「No.1映画」として期待すると、今一つ面白くない。 何より、人たらしのウェルズ氏がコミカルに演じている人たらしな男の話のはずなのだが…。 エンタテイメント的な面白さを期待すると「つまらない」になってしまう。 しかも、特殊メイクが発達していない頃の作品。若干20代のウェルズ氏が、老年まで演じるのだが、メイクや体の恰幅の良さを出すため?力士の着ぐるみ着ているようで動きがぎこちなくて、せっかくの名演を殺してしまって…。 でも、何度も観ているうちに、初見では軽く見過ごしてしまったところが見えてきて、解説等も参考にすると、そこかしこに唸ってしまう箇所等、宝の山だらけ。 今普通に使われている撮影技法や演出等を始めて採用したのだとか。 ああ、専門家に評価が高いのが納得してしまう。 でも、そのような技法だけではない。 テーマ。 人の一生は所詮スノードーム?欠けている何か。生涯かけて取り戻したいもの…。 成りたい自分と、期待される自分、そして成った自分。そのせめぎ合い。 虚と実。「あなたは約束守らないでしょ」なのに、表明したがる”宣言”と”公約”。 中身がない、何も実のある事を言っていないのに、立派なことを言っているようで。しかもそれをありがたがる大衆。 世論操作。ちょっとしたきっかけで変転する大衆が信じる”真実”。 パズルの一片。そして全体像。 何が重要で何がガラクタなのか。その人にとっての価値。他人から判定される価値。 等々、万華鏡のように、鑑賞者がどこに焦点を当てるかによって、様々なイシューが立ち現れてきて、心と思索の罠にはまってしまう。 きっと、これからも観返す度に、上記に上げたこと以外にも、もしくは上記に上げたことでも感じ方・考え等が変わっていくのだろう。 まるで、深淵なる哲学書を紐解くようだ。 そして、工夫を凝らした映像。 ホラー的な映像で始まり、何が起こるのか期待値を高める冒頭映像。 スノードームのガラスの破片越しに見えるドア・看護師の動きが、とても意味深…。 リーランドから歴史的に価値があるともてはやされた後の、ひきつった笑顔が表現するもの(これはDVDの特典映像で、ウェルズ氏が意図を語っている) 同じシチュエーションで物語る年月。最初の妻、二番目の妻との関係性の変化。 スーザンの顔に移る影で表現する牢獄。 アリスの世界に誘われそうなドア、鏡。 梱包されたままに放置されたものの間を蟻のようにうごめく人間たち。 一つ一つのシーンを止めて”研究・鑑賞”したくなる数々のシーン。 解説者が必ず例示する有名なシーンでも、その人なりの発見(意味付け)がありそうな。 まるで、おもちゃ箱。 興味が尽きることがなさそうだ。 そんな興味深い映画で、人たらしのウェルズ氏が作って演じているのだからおもしろいエンタティメントになるはずなのだが、 ケーンの、そこまでするかというパワハラ・モラハラ度が前面に出すぎてしまって、その奥に隠れている空虚さ・わびしさはわかるが、カタルシスが得られる流れになっていない。 実在の人物をモデルにしていると言われているが、リスペクトがまったく感じられずに、コケにしているようにも見える。 世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男の、隠された内面の叫びを映画を通して体験できたと思える時と、 世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男だが、内面は、空虚感に支配された、ガラクタ(芸術品でも梱包されたままならガラクタ同然)だけを手にした、つまらない男というオチにも見える。 ベビーフェイスを活かした、もっと魅力的な男としてのキャラクターを出した場面と、そうでない場面を見せてくれればいいのに、どの場面を見返しても、唯一の味方?理解者?のバーンステインの回想場面でさえ、ケーンのいやらしさがまき散らされていて、ケーンに共感できない。 だから鑑賞後感が悪くなる。 どうしてこんな風に作ったのだろう。 『マンク』を見ると謎が解けるらしい。
MANKに備えて『市民ケーン』を鑑賞。 こんな映画だったのね。一般...
MANKに備えて『市民ケーン』を鑑賞。 こんな映画だったのね。一般市民が立ち上がる的な話と思ってたら大富豪なのかー。 ぶっちゃけそこまで面白くもなく。 ローアングルや過去を複数視点で振り返る構成が当時は斬新だったそうだけど今だと当たり前すぎて。 逆にそれだけ影響を与えた作品なんだろうな。
構成、撮影、照明、編集のあの手この手のテクニック
『Mank』を観る機会があるかわからないが。冒頭はこのままいったらどうしようと途方にくれたが。話が始まると色々気にかける余裕ができて安心した。 故人の過去を探るパターンね。この辺は『Mank』を観ると印象が変わりそうな気がするが。調査側がほぼ没個性になっているのは意図的なのだろうか。 あとはもうウェルズが繰り出す手練手管にひいひい言わされるだけ。構成萌の変態さんにはおすすめ。モノクロだからより強調されるのかもしれないが、光と影のコントラストが強めで印象に残る。シーンの切り替え方や時間経過の処理の仕方とかもバリエーションをつけて楽しい。 構成はもっとめちゃくちゃやっても(むしろ過去に遡るとか)よかった気もするが、後出ししてる身では偉そうになんとでも言えるしね。 覚悟していたよりも面白く見ることができたのでよかった。
孤高の一面と裏面
『Mank/マンク』を見たので、やはりこの作品が無性に見たくなる。 オーソン・ウェルズの監督デビュー作にして、製作/主演、ハーマン・J・マンキウィッツと共に脚本も兼任。 映画史上不滅の、1941年の名作。 新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンがこの世を去った。 生前は幾つもの新聞社を経営し、多くの女性と浮き名を流し、富と権力を欲しいままに。 が、晩年は廃れた大邸宅に引きこもり。最期の言葉、「バラのつぼみ」を遺して…。 ニュース映画の記者たちは、その意味を探る。 そして明らかになっていく、“一面”では知り得なかった新聞王の本当の“裏面”…。 本作も見るのはかなり久し振り。 改めて見ても、オーソン・ウェルズという天才の才能に圧倒される。 まず、まるでホラー映画のような、カメラがケーンの古城に迫っていくシーンにゾクゾク。 そして謎の言葉「バラのつぼみ」を遺して息絶えるケーン。 これだけでもう、掴みはばっちり! 記者たちがケーンを知る関係者たちに接触して話を聞く。語り出される関係者の証言。 こういうの、我が日本クロサワの『羅生門』が有名だが、それよりも9年前! 記者たちの現在とケーンの人生が交錯。当時としては大胆にして複雑な構成。 パン・フォーカス、長回し、ローアングル…多彩な撮影法は作品に力を与えているかのよう。 …しかしこれら、現在の映画ではどれも当たり前。 そう、その先駆なのが『市民ケーン』と言っても過言ではない。 モデルとなった新聞王ウィリアム・R・ハーストの逆鱗に触れた。 無断でモデルにされ、喧嘩を売られたからか。 プレイボーイで、権力に溺れる傲慢な男だからか。 実際Wikipediaで調べてみると、ハーストはそんな人物。 それらもあるだろうが、別の理由もあるのではないだろうか。 “一面”では知り得なかったケーンの“裏面”。 孤独で、愛を欲していた男。 傲慢な権力者からすれば、侮辱だ。 しかし私はこれで、ケーンに人間味を感じた。 例えどんな莫大な富を築き、絶大な権力を握っても、本当に欲するのは… 彼もまた一人の人間。 …いや、我々以上に哀しい人物。 記者たちが結局分からずじまいになってしまった“バラのつぼみ”。 最後の最後に明かされる。それもまた彼が秘めたるもの…。 『市民ケーン』と言うとどうしても、オーソン・ウェルズ(とハーマン・J・マンキウィッツ)がウィリアム・R・ハーストを“叩いた”作品の印象。それは『Mank/マンク』を見ても。 しかし改めてこうして見て… 権力者叩きじゃなく、一人の孤高の男のドラマチックな生涯。 ひょっとして、オーソンもマンクもそこに自分を重ねたのでは、と。 だからこその“自分の最高傑作”“自分にしか書けない物語”。 改めて見て良かったと思う。
オーソン・ウェールズという人
ホドロフスキーの『dune』インタビューでその怪物オーソン・ウェールズの逸話を耳にしたが、作品を一度も見たことがなかったので 『第三の男』『市民ケーン』と観賞 若い頃はいい男だったのだな… しかし、あのいかついドスンとした姿は有名人らしくすぐに思い浮かぶが、何をした人かよく知らない…と首をひねって思い出した!英会話の人だ、CMで見てたんだ…(笑) 傍若無人な25歳オペラ好き、演劇人の作る映画 アイディアてんこ盛り、やりたい放題、手抜きなしの夢の映画? 良いと思います👏🏻 ただ、テーマの「バラのつぼみ」が鮮明じゃないね〜 ソリとバラのつぼみがそり合わない、ソリだけに…
手の込んだ映像にしっかりと語らせる天才監督に感心
最初見た時は良く分からず、結局3回見ることになった。3回目で、ようやくガラスの球が元々2番目の妻の持ち物であることを示す映像を見つけた。そう彼女が元々持っていたものだが、ケーンにとっては、球の中、雪景色の中の一軒屋に意味が有る様に思える。 最初に出てくる球の中そっくりの一軒屋で、そりで遊ぶケーン。そのそりについていたのが、ローズバッドであることが観客には燃える暖炉の映像で最後示され、観ている人間 に謎が明かされる。 死に際と、妻に去られた時に思い出したのは、愛をひたすら求め叶わなかった家族3人での暮らしということか。そう読解したのだが、ただ、どうもすっきりと腑には落ちていないところも少し有る。 愛されることだけを求めて、本当に愛することを知らない。上昇志向で、闘うだけで、妥協することや折り合うことを知らぬケーン、市民に友人に二人の伴侶に見放され孤独な、可哀想と言われてしまう大富豪の末路。これって、やっぱり安易なアメリカンドリームの痛烈な批判ということか。結局、成り上がりきった人間が最後に想いをはせたのは自分のルーツであったというストーリーなのだろうか。 成り上がる渦中のケーンを演じるオーソン・ウエルズは、下から見上げる映像も相まって、俳優として抜群に魅力的で、将来の大統領候補にも十分に見えてしまう。勿論、看板から天井突き抜けて降りるカメラワークや集合写真のはずが動き出す等、幾つかの映像は本家ということでか、さんざん真似されたとは言え、今でもなお印象的。また、脚本家及び監督としてこれだけの複雑な手の込んだ完成度の高い映画を作り上げた彼の年齢が25〜26歳ということでも、驚愕。まさに天才的映画作家。ただひたすら感心はするが、感動は覚えないのは何故なのだろうか。
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