劇場公開日 1966年6月14日

「孤独な男の肖像」市民ケーン naokiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0孤独な男の肖像

2025年1月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

知的

はじめ、この題名を聞いたとき何それ!?
原題と邦題は同じ
普段そんな言葉を見聞きしないですよね。
「私、市民naokiです」(←共産主義の方でも使わない)
題名が「新聞王ケーン」なら分かりやすいんですけど陳腐ですね・・・
やっぱり市民ケーンは、しっくりきます。
私この映画を30年程前に池袋文芸坐で「第三の男」と二本立てで
鑑賞したのですが、あろう事か市民ケーンを途中から観てしまいました。
それでも、スクリーンから放たれる光と影に圧倒されたのを覚えております。
話は単縦でしたから、だいたいの流れは理解できました。
のちに深夜TVで市民ケーンが放送されてましたが、
あれ、影の色がつぶれてる・・・に気づき観るのをうせてしまいました。
私は、そこでシナリオや俳優の魅力以外に映像の役割に気づかせるきっかけとなった作品でした。(映画館で観れたものがTVでは観れないて・・・)
今やYou tubeで全編観れますが、それでは意味がないので、
待ちに待って今回のフィルム上映を鑑賞する事ができました。
(日本初公開時の清水邦夫さん字幕監修)
この映画館では、たいてい字幕のついていない直輸入フィルムのせいか
日本語をスライドで投影する(すごい手間!)ので
少し画面が切れていたりします。(これは、これでしょうがないんですけどね)
しかし今回は切れる事なく画面がビシッと決まってました。
フィルム上映て何回も通っていると今回の映像技師さんは最初から
ピントが合っているので上手いなぁとか気づいてきます。
日本語字幕のフォントもきれいに映りこんで手書きの美しさなのでしょうかね。
本題ですが、まぁただ圧倒されてしまったの一言です。
はじめ懐古趣味で観ましたが、この映画が80年以上前に作られたなんて
信じられません。この前観た「シビル・ウォー」以上に興奮しております。
今、You Tubeで市民ケーンに関する考察をいろいろ参照しております。
特に町山智浩さんのローズバッド🌹の解釈について冒頭のケーンの唇のアップは、あぁなるほどなぁ納得しました。
小津安二郎監督は、このカット割には怒っておりました。
途中、エクスファイア社での祝賀パーティー🎉で
ケーンとダンサーが踊るシーンはジョン・オルコット(「時計じかけのオレンジ🍊」の撮影監督」が助手として撮ってるんじゃないかと錯覚しました。
この映画は技術的には、もちろん優れているのですが、
ケーンという男の孤独が色濃く描かれています。
愛人スーザン主役のオペラで拍手しているのはケーンだけ、
ザナドゥという城で寒々しく響くケーンとスーザンの声。
スーザンが去って行った後にケーンが彼女の部屋を散乱するシーンは、
ただただ悲しかったです。(若い時に観たときは何も感じなかったんですけどね)これに比べたら「野いちご」のイサク・ボイル医師は孤独じゃないなぁ。
まだ二十代の若さで人生を見渡した、こんな脚本書けるなんて凄いんですが、
共同脚本のハーマン・J・マンキウィッツよる功績が大きいです。
Netfelix「マンク(監督:デヴィッド・フィンチャー)」参照

naoki