シェーンのレビュー・感想・評価
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シェーン、髪バック!
アメリカの銃社会問題を知った後に観ると、妙に納得してしまう。母親が息子に銃の使い方を教えるシェーンを嗜めるように言った時、「いい使い方と悪い使い方がある」との返事、この考えが全てなんだろうな。最後にもからんできますが・・・
そんなことは抜きにして、いい映画です。一番印象に残った、トーリが早撃ちウィルソンに撃たれるシーンはすごかったです。それから、ジョーと殴りあった後の母マリアンの握手、これは見ていて気持ち良かった。
それからそれから、「銃はもう無くなった、とお母さんに伝えてくれ」とこの台詞!好きです。多くを語らないシェーンだけど、銃による死を軽く見ていないところはこの時代にしてはすごいですよね。
それから、それから、それから、ウィルソンとのガン対決の寸前に犬が通るところ!助演ワンワン賞ものだ・・・・
【小さい頃から何度か観てるけど、2004年ケーブルテレビにて】
『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。
先住民(原住民)から奪い取った土地を奪い合うそんな話。『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。アメリカが銃社会になっていった理由がよく分かる。まぁ、それは兎も角。ロケ地の美しさが良いので、それだけは評価する。
子供の頃見た時、ジャック・パランスのあっけない死に様が心動かされた。サンダース軍曹に殺されるドイツ兵みたいに。
ヤンク(北軍)はヤンキーの事か!元北軍が南軍を侮蔑して殺す。何を意味しているのか?
誰よりも弱い男たち
土地権利者vs開拓者という構図で繰り広げられる仁義なき領地争い。既に多くのレビューで指摘されている通り、この構図からはネイティブ・アメリカンの存在がまったく欠落している。
これを都合のいい歴史修正主義と断じることも可能だが、それよりはむしろ、ネイティブ・アメリカンの記憶が全く背景化してしまうほどに熾烈な領地争いが今も連綿と続いていることの示唆としての側面が強いように私は思う。
さて、領土をめぐる各々の思惑はもっぱら男たちの暴力によって代弁される。自らの生活を墨守する手段として認可されたこの暴力は、男たちの間で唯一無二の価値として崇め奉られる。喧嘩が強いとか、銃を持っているとか。
しかし暴力はいつしか手段から目的へと転じていく。酒場での殴り合いのシーンで血まみれのシェーンとジョーが交わす微笑には、暴力に対する恍惚的な満足が明らかに萌していたといえるだろう。
そんな男たちとは対照的に、女たちは「こんな土地捨てて逃げましょう」と哀願する。しかし男たちはそれを聞き入れようとしない。適当な理由をつけて女たちを土地に束縛する。なぜなら暴力を捨てて土地から逃げ去ることは男というコードから降りることに他ならないからだ。
暴力は加速の一途を辿るばかりだ。しかし誰もが男のコードから降りようとしない。というか降りられない。マッチョイズムの不毛なチキンレースは遂に死者さえ出してしまう。
何事も暴力で解決しようとする男と、男の暴力によって口を塞がれる女。その圧倒的な力量差は男vs女という二項対立の可能性すら無効化してしまう。もはや誰も暴力を止められないのか。ここで印象的な役目を果たすのがジョーイ少年だ。
ジョーイ少年は子供だが、そうであると同時に男でもある。したがって周囲の男たちの暴力性にうっすらと憧憬を抱いている。しきりに銃を欲しがったり、酒場の殴り合いに興奮したり。彼が最も尊敬していたのは、男のコードの最上位に君臨するシェーンだった。
シェーンは強い。喧嘩の腕も射撃の才能も並外れている。ジョーイ少年は彼のそんな「男らしさ」を羨望し、シェーンもまた彼に「男らしさ」を伝授しようとした。
しかしシェーンは自分が密かに想いを寄せるジョーイの母親が反暴力を訴えて泣いているにもかかわらず、お構いなしに「射撃ごっこ」に明け暮れるジョーイ少年のことを見て、暴力に対する反省の視点を得る。
無垢な子供であるジョーイ少年が暴力にまみれた男のコードに足を踏み入れようとしていることの危うさに、彼はそのとき気がついたのだ。
シェーンは誰の力も借りず、たった1人で土地権利者の溜まり場に赴く。そして殺し屋共々皆殺しにする。もはや引き下がれない境位にまで暴力に染まりきっていた彼には、そうする以外にジョーイ少年を「男のコード」から引き剥がしてやる術がなかった。彼はその一身にすべての暴力を引き受けたのだ。
そしてその呪われた身体ごと永遠に土地を去る。
シェーンは今生の別れを惜しむジョーイ少年に「もう銃は必要ない」と教える。長きにわたる暴力の独裁が、今まさに終焉を迎えたのだ、と。
そして彼は馬に乗ってどこかへと消えていく。「カムバック!」というジョーイ少年の悲痛な叫びに背を向けたまま。
私はこの映画を見て『真昼の決闘』を思い浮かべた。倫理を主題化した西部劇として、本作と『真昼』はきわめて存在感が大きい。『真昼』は主人公の孤独なダンディズムを妻の介入によって不恰好に阻止することを通じて、西部劇における男性中心主義の部分的解体に成功していた。
これらの作品に共通するのは、「子供」とか「妻」とかいった全き外部性によってしか自らを他者化できない男たちの弱々しさだ。そして暴力はそのフラジャイリティを隠匿するための言い訳に過ぎない。
本作において暴力は、男の力強さを誇示するどころか、むしろ男の根本的な弱さを露呈させるものとしてアイロニカルに描画されているといえる。
古い映画は良いね
まず奥さんの美しさにうっとり。この時53歳?驚くほど若く綺麗。シェーンも凄いイイ奴!!シェーンはたまたま通りかかったある開拓者の家族と仲良くなります。そして大好きなその家族の為に、ひと肌脱ぐのです。マリアン(母)がジョーイ(息子)にシェーンを好きになり過ぎないで!と注意するシーンがあるが、それは同時に自分にも言い聞かせているようにも思える。彼が決闘に行きたいジョー(父)を止めずに居たらひょっとするとマリアン、ジョーイと家族になれるかも知れないのに。シェーンはとても情に厚く、義理堅い。時々アップになる息子の表情がまた可愛い!
登場人物みんな良い人だったしそれぞれの気持ちに感情移入出来たので、とても切なくジーンとくる良い映画でした!ラストでジョーイが「シェーン!!」と何度も叫ぶのですが、耳に残って離れません!印象的なシーンです。
男の背中に漂う哀愁
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
南北戦争が終わり米国にも近代化と法治がある程度浸透しつつも、まだ地方では治安維持が確立していない微妙な時期。悪い地主とそうじゃない人との対立を描いた平凡な物語。
銃使いとして生きてきたであろうシェーンの、銃を封印して新たな生き方を模索するけれどもやはりそうはいかず一人旅立つ流れ者人生に哀愁が漂う。物語はよくあるものでも、この振り返らない男の哀愁の後姿にやはり得点をつけてしまう。シェーンはどのような人生を歩んできて、今後はどこに向かうのだろうか。
独立記念日の場面で一部本物ではなくで撮影所での作り物の美術での撮影は質が下がる。ここは普通に外で撮影で良かったのではないか。
とてもよかった
大昔テレビで見て、すっかり忘れていたので新鮮だった。シェーンがそれほどスーパーマンでないところがいい。お父さんと一緒に顔に傷を作っているところがよかった。超絶に強いよりも殴られてそれでも立ち上がって戦う姿が素敵だった。敵の早撃ちのガンマンもかっこよかった。またそのうち見たい。
遥かなる山の声
久しぶりに鑑賞!
山田洋次も影響受けたんやな!
多分!
家族のない
流れ者
ほんとはここにいたらあかん人なんや!
おれが、出来ることは
な、ジョーイ
ジャックパランス
ベンジョンソン
ビクターフレミングの
遥かなる山の声
こだまする
シェーン!カムバック!
旧作で名作
観れた。
CGも特殊効果もない時代の作品。
映像と脚本、編集で見せ切る時代の作品である…そのせいなのか、なんなのか、とても丁寧に慎重に作られたような印象を受けた。
女優への過度の加工はさておき…。
例えば、物語中で最初に死ぬ事になる人物は、ウィルソンの狡猾な口車にハマり、彼より一段低い位置で銃を抜く羽目になる。
そして、その不利な状況を彼はおそらく気づかない内に撃たれる。
一段上から抜く場合…抜けば標的を撃てる。
一段下の場合は、抜いて尚且つ銃口を上に向ける必要があるのだ。
そういう些細な差が命運を分け、殺し屋とそうでない者の差を歴然と印象付ける。
主人公が言う「卑怯者」を裏付けるシーンであったりもする。
にしても、多分退屈なんだろうなと思ったが、全然そんな事はなく、ゆっくりじっくりと物語を追えた事に満足だった。
主人公は決して完全無欠の善人ではなかった。
だが、過去への贖罪を抱えていて、所謂札付きだったように思う。
善行を行い過去への決別を図ろうとするが、運命はそれを赦しはしなかった。
そんな哀愁もあったりする。
あまり、喋らず、笑顔の印象の薄い主人公に高倉健さんを重ねたりしてた。
そして、銃の扱いが今と全く違った。
軽々しく抜いたりできず、撃ったりもしない。
印象に残ってるのは、たった5発程度だった。
銃を扱う人間が主役の西部劇でありながら、それを使った事への十字架をしっかり提示していた。
銃が軽くないのは、命が軽くないから。
命のやり取りは、もう切羽詰まった最終局面なんだと思えた。
なるほど、語り継がれる映画にそれ相応の理由があった。
見応えあった。
ただ…
アクションカットのヨリとヒキの別人さ加減が半端なかったw
Shane, come baaaack! のラストが有名な西部劇の古典的作品
50年以上昔の映画だけど意外と面白かったです。暴力描写もありますが全体的にまったりと牧歌的です。美しい自然の景色を観ていると何だかいい時代だなぁっと望郷の念が湧いてきます。物語はゆっくりと進んで行きますのでテンポの早い今の映画に慣れてしまってると退屈するかも?
ただ話はなかなか深いです。いわゆるアメリカのフロンティア時代の終わりの物語なのですが、自分達がインディアンを追い払って土地を得たと既得権を主張するライカーと後からやって来た者にも住む権利はあると主張するスターレット。当時は5年住んで開墾すると土地の所有権が発生する法律があったようで、昔から住んでいたライカーに取っては土地を盗られたと感じるのも無理はない話です。ライカーは殺し屋を雇っても法律を気にしてますし、スターレットにはビジネスとして土地を売らないかと話を持ちかけてますし、単純な悪者として描かれていない所が興味深いです。
例えば映画「七人の侍」では奪われる側(百姓)が傭兵(侍)を雇い自分達を守る。この「シェーン」では土地を奪った側(スターレット)が傭兵(シェーン)を雇い自分達を守る。話のベクトルが全く逆なのは日米文化の違いでしょうか?
主人公シェーンも映画内では詳細な説明はないですが、どちらかと言うと銃で生きてきた側の人間なので力に訴えるライカーと近い存在なんですよね。最後はなんだかんだで力にモノを言わせて去っていきますし。確かにカッコいいですし、少年からすればヒーローになるのは当然なのですが・・・単なる勧善懲悪物に終わっていない所が半世紀以上残っている秘訣ではないかと思いました。
なにがシェーンに起こったか?
『交渉人』という作品の劇中、ケビン・スペイシーが「最後、シェーンは死んでいた」と言うシーンで、そんな訳ないじゃん!って思いながら鑑賞したのですが、とある調査(?)によると、なんと死んでいたと認識している人が大多数のようで、かなりショック。俺は信じないけどね。
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