シェーンのレビュー・感想・評価
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古き良きアメリカの良心を描いた名作
感想
1860年代後半、南北戦争後、西部開拓時代末期のワイオミング西部地域。緑豊かな大地と豊富な水源がある土地をネイティブ・アメリカンのシャイアン族との闘争により、多大な犠牲者を出しながらも広大な土地を占拠する事に成功し、独占的専有を主張していた牧童主であるライカー兄弟とその一味。対して新天地を求めて数家族で移住してきた開拓者達の間で土地の占有権を巡って争いが起きていた。
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開拓移住者であるジョー・スターレットは荒れ地ではあるが、小川が流れ、開墾次第では農作物や牧畜が可能な理想の地に辿り着き、妻のマリアンと一人息子のジョーイと3人で暮らしている。
ある日、南から一人の男が馬に乗りスターレットの家を横切る。男は北に行くという。そこに突然畑の畝を馬で踏み付けにしてライカー一味が現れ、警告と称し脅しをかけて来る。唯ならぬ雰囲気の中、男はスターレットの友人と言いライカー一味に対峙する。只者ならない男の雰囲気を感じ取りその場は立ち去るライカー達。
スターレットはライカーの仲間であると誤解した事を謝罪し、男を夕食に誘う。男の名はシェーン。少しの物音にも敏感な反応を示すシェーン。流れ者のガンマンである事を悟るスターレットとマリアン。だがジョーイだけは初めて出会う西部のガンマンに興味が尽きず憧れと尊敬の眼差しを持って接する。
シェーンは食事の礼として家の庭先に残っている大木の切り株を抜こうと斧を振り始める。スターレットは感心して自分も斧を振り始める。二人の労作は続く。マリアンは馬で株を引けばと提案するが、スターレットは「此奴(切株)と格闘してかれこれ二年になる。人の力と汗を以て勝利(切株を倒す事)を手にしたい。」二人は力を合わせて最後には株を抜き倒す事に成功する。こうしてシェーンはスターレット家で使用人として働く事になる。
ライカー一味は相変わらず開拓者達に嫌がらせをする。隣地に住むアーニーは育てていた収穫前の小麦畑に多数の牛を嗾けられ一晩で全てが破壊されてしまい、希望が無くなりこの土地を離れたいという。スターレットはアーニーを宥め今晩、開拓者全員を集めて自宅で会議をすると言い出す。シェーンもまた作業着をグラフトンの雑貨店に買い物に出掛けた時に新品の服を酒場にいた一味の一人クリスに難癖を付けられ汚される。シェーンは黙ったまま無言で立ち去る。
会議の席でシェーンは開拓者全員を紹介される。元南軍のトーリー、元北軍でハモニカが得意なヤング、アーニー、ルイス、エド、ジョンソンの6人である。ルイスはシェーンが酒場で罵倒されても沈黙したままの臆病者だと町中の人々が噂している事を皆に話す。会議の席を外し降り頻る雨の中佇むシェーン。会議では全員が一致してライカー一味に立ち向かう事を確認する。
自衛手段として翌週土曜日に開拓者全員が家族を連れ添って買い物に出かける。そこでシェーンはクリスにされた前回の仕置に対して仕返しを行い、激しい乱闘となる。開拓者達は初めは傍観するだけであったが最初は1対1であった喧嘩相手がライカーのスカウトをシェーンが断ったため6対1にまで増える。卑怯なやり方に怒りを感じたスターレットが加わり大乱闘に。酒場のオーナーでもあるグラフトン本人が仲裁に入り、スターレット側の勝利とした。スターレットは酒場を破壊した修理代は自分達で弁償するとライカー達に啖呵を切り去っていく。事の成り行きを最初から全て見ていたジョーイはシェーンの勇敢な行動に心酔する。更に銃の撃ち方を教えてもらい間近でシェーンの銃捌きを見てその早技に感嘆する。
ライカーは開拓者達との全面的な抗争を決意。シャイアンに銃の腕の立つ用心棒を探し求め雇う事にする。数日後スゴ腕の二丁拳銃の使い手であり名が知られている黒帽子と黒ベストのガンマン、ジャック・ウィルソンが現れる。
独立記念日には付近の住民はお祭り騒ぎとなる。その最中、酒場でライカー、ウィルソン達に酒を買いに来たトーリーが捲し立てる。「お前達のおかげでアーニーは出て行った。お前達には負けない。」開拓者達の集まる場に戻りトーリーは黒帽子のウィルソンを見た話をする。その夜スターレットとシェーンの所にライカーとウィルソンは現れ、牧童仕事の勧誘をするがスターレットは話を断る。
ある日開拓者のトーリーとジョンソンがクラフトンの店に買出しに行った時に悲劇がおきる。ウィルソンにトーリーが声をかけられ、南軍の事を馬鹿にされ銃を抜いたトーリーが酒場の前で撃ち殺されてしまったのだ。ライカーはこれで開拓者達は怖れをなして土地を出ていくと確信する。
トーリーの遺体はジョンソンが馬に乗せて開拓者の家に触れ回りスターレットの家まで運ぶ。スターレットは家族にトーリーの死を知らせて欲しいとマリアンに依頼、ジョンソンは遺体を家族に運ぶ。
グラフトンの雑貨店と酒場が見える近隣の高台に墓地がある。トーリーは他の開拓者家族全員に見守られ葬られる。葬儀はしめやかに行われる。葬儀後、ルイスとジョンソンはこの土地を離れる事をスターレットにつたえるが、シェーンは「町を出るべきでは無い。何故町に残るべきなのか?町に残るべき理由。それは愛する者のためだ。家族の事だよ。妻。子供達。息子。娘。彼らの将来の為に。君たち大人が未来を切り拓くのだ。」
スターレットも皆を説得する。
「その通りだ。ここは誰もが自由に暮らせる開拓地なのだから。ライカー達に土地を追われてなるものか!奴等が牛を守るなら俺たちは家族を守る。」
しかし、この地を去ろうとしたルイスの家がライカー一味に放火され焼かれる。
スターレットは更に皆を説得する「また皆で家を建て直せば良い。協力は惜しまない。それはこの場所に残る自分達の問題でもあるから。」話を聞いた周りの人々も口々に賛同し家の再建の手伝いを申し出る。
「それでは火を消す為に家に戻ろう!」ルイスと援助を申し出た者達がルイスの家に向かい消火活動を開始する。遠目からルイス達の行動を見ていたライカーはスターレットの差し金と断定してスターレット殺害を企てる。
ライカーの弟モーガンはライカーに依頼されスターレットの家を訪れ「兄貴がグラフトンの店で待っている。冷静に話し合おう」と伝える。その事に対してスターレットは「必ず行く」と返事をする。
更にライカーの所をクビになったクリスが馬小屋のシェーンを訪ね、スターレットは罠に嵌められる事を伝える。クリスはヤクザ家業から足を洗って堅気に戻るとシェーン伝え去っていった。
スターレットがグラフトンの店に行く準備をしている。嘆き悲しむマリアン。外ではシェーンが銃を着けて出掛ける準備をしている。
シェーンはスターレットに、
「俺に任せろ。ライカーは倒せたとしてもウィルソンは無理だ。」
スターレットは「必ず倒す。忠告には感謝する。」とし、話を受け入れない。必死に二人を止めようするマリアン。
シェーン「役不足だ。俺が行く。」と言うと、
スターレットは「ここで俺と闘おうと言うのか!」
シェーン「お前次第だ。」
シェーンにスターレットが突然殴り掛かり、悲鳴をあげるマリアン。
「やめなさい!」マリアンの叫びも虚しく殴り合う二人。シェーンは銃の握手でスターレットの頭を殴り気絶させる。ジョーイはシェーンに向かって「大嫌いだ!」と叫ぶ。佇むシェーン。
シェーンはスターレットの様子を見に行き、「介抱すればその内に気がつく。誰も彼を責めたりしないよ。」とマリアンに伝える。
グラフトンの店に向かおうとするシェーンをマリアンが呼び止める。
「ガンファイトはもう卒業したんじゃないの?」
「気が変わった。」
「私のためなの?」
「君たち夫婦とジョーイのためだ。」
「二度と会えないのね。」
「ああ、これでお別れだ。ジョーに悪かったと伝
言を伝えてくれ。」
「必要ないわ。待って。」
見つめ合うシェーンとマリアン。
そして握手をする二人。「どうか。命を大切に...。」
馬に乗りスターレット家を後にするシェーン。
「シェーン!ごめんよ!」ジョーイか叫ぶも声は届かない。シェーンを徒歩で追いかけるジョーイと愛犬。グラフトンの店の酒場に到着するシェーン。
酒場の格子扉を押し開けるシェーン。店内には一番奥のテーブルにライカーが座り、右手前のテーブルにウィルソンが一人で佇む。カウンターにはバーテンのウィル。カウンターを背にしてシェーンが立つ。その間ジョーイは愛犬と共に到着し店の外から見守る。
シェーンがライカーに話し掛ける。
「話を聞きに来た。」
「お前には用は無い。スターレットはどうした?」
「俺が相手だ。」
「お前と争うつもりはない。出て行け!」
2階のドアからシェーンを狙うライフルの銃口が躙り出る。
「お前は長生きし過ぎた。お前の時代はもう終わっている。」
「お前はどうなんだシェーン。」
「俺は(時代遅れの男と)自覚している。」
「お互い銃を手放して野良仕事に精出すか?」
「まだその時ではない。あんたの仲間に用がある。」
と、ウィルソンを睨むシェーン。
「図に乗るな。」
と言いながら立ち上がるウィルソン。
殺気を感じ店から出て行く二人の男達と酒場の犬。
「相手はお前じゃない」
「違ったか?」
「残念だがな。」とウィルソン。
「もう後戻りは出来んぞ。シェーン。ウィル!
お前が証人だ。」とライカーが言う。
「お前がウィルソンか。噂は聞いた。」とシェーン。
「どんな噂だ?」仁王立ちのウィルソン。
シェーン、カウンターを離れ仁王立ちになる。
「卑劣なヤンキー野郎だってな。」
「抜けよ!」
と、ウィルソンが銃を抜くや否や、シェーンの銃口から火を吹く銃弾2発!後ろにふっ飛び酒樽に埋まり動かないウィルソン。さらに3発目は威嚇発射したライカーに向けて発射。ライカーは絶命した。
ライカーの死を確認するシェーン。拳銃を人差し指で回転させてホルダーに収める。
ライカーに背を向け店を出ようととした瞬間!
ジョーイが叫ぶ「シェーン!後ろの上危ない!」
2階のライフルから発射、身を避けながら応戦するシェーン。左腕を負傷するシェーン。撃たれたモーガンも絶命した。無残な死体を後にして酒場を出るシェーン。
「シェーン!思った通りだ。勝つと信じていたよ。」
全てを見ていたジョーイが訊ねる。
シェーンは人を一旦殺めた以上、後戻りは出来ない事。人生に人殺しの烙印を押されてしまう事。これは自分の性分なのだと。真っ当な人に一度は成ろうとしたが変われなかった。心配はいらないもう銃の世界はこの場所では終わらせた。スターレット家には帰らない。強く逞しい男になれ。親孝行をしろ。そして両親を大切に。最後に頭を撫でてジョーイに言い聞かせる。「シェーン。約束するよ。」
振り返る事無く馬に乗り去っていく男。
「 Shaneー!Come Backー!」
墓場を越える馬影。傷付いた流れ者の運命は厳しく儚い。
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監督ジョージ・スティーブンスの考えるアメリカ人の良心とは何かが脚本や映像の端々に至るまで見事に反映され、創り上げている西部劇の不朽の名作。
1950年代頃までは普通にあったアメリカの国民性を感じる事ができる内容となっている。現在は社会的ダイバーシティが進んだので歴史的な感性論となってしまった。それでも監督の想う開拓者魂の感性は現在もアメリカ国民に受け継がれ、生き続けている。
1974年頃 渋谷東急
⭐️5
シェーン、髪バック!
アメリカの銃社会問題を知った後に観ると、妙に納得してしまう。母親が息子に銃の使い方を教えるシェーンを嗜めるように言った時、「いい使い方と悪い使い方がある」との返事、この考えが全てなんだろうな。最後にもからんできますが・・・
そんなことは抜きにして、いい映画です。一番印象に残った、トーリが早撃ちウィルソンに撃たれるシーンはすごかったです。それから、ジョーと殴りあった後の母マリアンの握手、これは見ていて気持ち良かった。
それからそれから、「銃はもう無くなった、とお母さんに伝えてくれ」とこの台詞!好きです。多くを語らないシェーンだけど、銃による死を軽く見ていないところはこの時代にしてはすごいですよね。
それから、それから、それから、ウィルソンとのガン対決の寸前に犬が通るところ!助演ワンワン賞ものだ・・・・
【小さい頃から何度か観てるけど、2004年ケーブルテレビにて】
『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。
先住民(原住民)から奪い取った土地を奪い合うそんな話。『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。アメリカが銃社会になっていった理由がよく分かる。まぁ、それは兎も角。ロケ地の美しさが良いので、それだけは評価する。
子供の頃見た時、ジャック・パランスのあっけない死に様が心動かされた。サンダース軍曹に殺されるドイツ兵みたいに。
ヤンク(北軍)はヤンキーの事か!元北軍が南軍を侮蔑して殺す。何を意味しているのか?
誰よりも弱い男たち
土地権利者vs開拓者という構図で繰り広げられる仁義なき領地争い。既に多くのレビューで指摘されている通り、この構図からはネイティブ・アメリカンの存在がまったく欠落している。
これを都合のいい歴史修正主義と断じることも可能だが、それよりはむしろ、ネイティブ・アメリカンの記憶が全く背景化してしまうほどに熾烈な領地争いが今も連綿と続いていることの示唆としての側面が強いように私は思う。
さて、領土をめぐる各々の思惑はもっぱら男たちの暴力によって代弁される。自らの生活を墨守する手段として認可されたこの暴力は、男たちの間で唯一無二の価値として崇め奉られる。喧嘩が強いとか、銃を持っているとか。
しかし暴力はいつしか手段から目的へと転じていく。酒場での殴り合いのシーンで血まみれのシェーンとジョーが交わす微笑には、暴力に対する恍惚的な満足が明らかに萌していたといえるだろう。
そんな男たちとは対照的に、女たちは「こんな土地捨てて逃げましょう」と哀願する。しかし男たちはそれを聞き入れようとしない。適当な理由をつけて女たちを土地に束縛する。なぜなら暴力を捨てて土地から逃げ去ることは男というコードから降りることに他ならないからだ。
暴力は加速の一途を辿るばかりだ。しかし誰もが男のコードから降りようとしない。というか降りられない。マッチョイズムの不毛なチキンレースは遂に死者さえ出してしまう。
何事も暴力で解決しようとする男と、男の暴力によって口を塞がれる女。その圧倒的な力量差は男vs女という二項対立の可能性すら無効化してしまう。もはや誰も暴力を止められないのか。ここで印象的な役目を果たすのがジョーイ少年だ。
ジョーイ少年は子供だが、そうであると同時に男でもある。したがって周囲の男たちの暴力性にうっすらと憧憬を抱いている。しきりに銃を欲しがったり、酒場の殴り合いに興奮したり。彼が最も尊敬していたのは、男のコードの最上位に君臨するシェーンだった。
シェーンは強い。喧嘩の腕も射撃の才能も並外れている。ジョーイ少年は彼のそんな「男らしさ」を羨望し、シェーンもまた彼に「男らしさ」を伝授しようとした。
しかしシェーンは自分が密かに想いを寄せるジョーイの母親が反暴力を訴えて泣いているにもかかわらず、お構いなしに「射撃ごっこ」に明け暮れるジョーイ少年のことを見て、暴力に対する反省の視点を得る。
無垢な子供であるジョーイ少年が暴力にまみれた男のコードに足を踏み入れようとしていることの危うさに、彼はそのとき気がついたのだ。
シェーンは誰の力も借りず、たった1人で土地権利者の溜まり場に赴く。そして殺し屋共々皆殺しにする。もはや引き下がれない境位にまで暴力に染まりきっていた彼には、そうする以外にジョーイ少年を「男のコード」から引き剥がしてやる術がなかった。彼はその一身にすべての暴力を引き受けたのだ。
そしてその呪われた身体ごと永遠に土地を去る。
シェーンは今生の別れを惜しむジョーイ少年に「もう銃は必要ない」と教える。長きにわたる暴力の独裁が、今まさに終焉を迎えたのだ、と。
そして彼は馬に乗ってどこかへと消えていく。「カムバック!」というジョーイ少年の悲痛な叫びに背を向けたまま。
私はこの映画を見て『真昼の決闘』を思い浮かべた。倫理を主題化した西部劇として、本作と『真昼』はきわめて存在感が大きい。『真昼』は主人公の孤独なダンディズムを妻の介入によって不恰好に阻止することを通じて、西部劇における男性中心主義の部分的解体に成功していた。
これらの作品に共通するのは、「子供」とか「妻」とかいった全き外部性によってしか自らを他者化できない男たちの弱々しさだ。そして暴力はそのフラジャイリティを隠匿するための言い訳に過ぎない。
本作において暴力は、男の力強さを誇示するどころか、むしろ男の根本的な弱さを露呈させるものとしてアイロニカルに描画されているといえる。
古い映画は良いね
まず奥さんの美しさにうっとり。この時53歳?驚くほど若く綺麗。シェーンも凄いイイ奴!!シェーンはたまたま通りかかったある開拓者の家族と仲良くなります。そして大好きなその家族の為に、ひと肌脱ぐのです。マリアン(母)がジョーイ(息子)にシェーンを好きになり過ぎないで!と注意するシーンがあるが、それは同時に自分にも言い聞かせているようにも思える。彼が決闘に行きたいジョー(父)を止めずに居たらひょっとするとマリアン、ジョーイと家族になれるかも知れないのに。シェーンはとても情に厚く、義理堅い。時々アップになる息子の表情がまた可愛い!
登場人物みんな良い人だったしそれぞれの気持ちに感情移入出来たので、とても切なくジーンとくる良い映画でした!ラストでジョーイが「シェーン!!」と何度も叫ぶのですが、耳に残って離れません!印象的なシーンです。
男の背中に漂う哀愁
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
南北戦争が終わり米国にも近代化と法治がある程度浸透しつつも、まだ地方では治安維持が確立していない微妙な時期。悪い地主とそうじゃない人との対立を描いた平凡な物語。
銃使いとして生きてきたであろうシェーンの、銃を封印して新たな生き方を模索するけれどもやはりそうはいかず一人旅立つ流れ者人生に哀愁が漂う。物語はよくあるものでも、この振り返らない男の哀愁の後姿にやはり得点をつけてしまう。シェーンはどのような人生を歩んできて、今後はどこに向かうのだろうか。
独立記念日の場面で一部本物ではなくで撮影所での作り物の美術での撮影は質が下がる。ここは普通に外で撮影で良かったのではないか。
とてもよかった
大昔テレビで見て、すっかり忘れていたので新鮮だった。シェーンがそれほどスーパーマンでないところがいい。お父さんと一緒に顔に傷を作っているところがよかった。超絶に強いよりも殴られてそれでも立ち上がって戦う姿が素敵だった。敵の早撃ちのガンマンもかっこよかった。またそのうち見たい。
遥かなる山の声
久しぶりに鑑賞!
山田洋次も影響受けたんやな!
多分!
家族のない
流れ者
ほんとはここにいたらあかん人なんや!
おれが、出来ることは
な、ジョーイ
ジャックパランス
ベンジョンソン
ビクターフレミングの
遥かなる山の声
こだまする
シェーン!カムバック!
旧作で名作
観れた。
CGも特殊効果もない時代の作品。
映像と脚本、編集で見せ切る時代の作品である…そのせいなのか、なんなのか、とても丁寧に慎重に作られたような印象を受けた。
女優への過度の加工はさておき…。
例えば、物語中で最初に死ぬ事になる人物は、ウィルソンの狡猾な口車にハマり、彼より一段低い位置で銃を抜く羽目になる。
そして、その不利な状況を彼はおそらく気づかない内に撃たれる。
一段上から抜く場合…抜けば標的を撃てる。
一段下の場合は、抜いて尚且つ銃口を上に向ける必要があるのだ。
そういう些細な差が命運を分け、殺し屋とそうでない者の差を歴然と印象付ける。
主人公が言う「卑怯者」を裏付けるシーンであったりもする。
にしても、多分退屈なんだろうなと思ったが、全然そんな事はなく、ゆっくりじっくりと物語を追えた事に満足だった。
主人公は決して完全無欠の善人ではなかった。
だが、過去への贖罪を抱えていて、所謂札付きだったように思う。
善行を行い過去への決別を図ろうとするが、運命はそれを赦しはしなかった。
そんな哀愁もあったりする。
あまり、喋らず、笑顔の印象の薄い主人公に高倉健さんを重ねたりしてた。
そして、銃の扱いが今と全く違った。
軽々しく抜いたりできず、撃ったりもしない。
印象に残ってるのは、たった5発程度だった。
銃を扱う人間が主役の西部劇でありながら、それを使った事への十字架をしっかり提示していた。
銃が軽くないのは、命が軽くないから。
命のやり取りは、もう切羽詰まった最終局面なんだと思えた。
なるほど、語り継がれる映画にそれ相応の理由があった。
見応えあった。
ただ…
アクションカットのヨリとヒキの別人さ加減が半端なかったw
Shane, come baaaack! のラストが有名な西部劇の古典的作品
50年以上昔の映画だけど意外と面白かったです。暴力描写もありますが全体的にまったりと牧歌的です。美しい自然の景色を観ていると何だかいい時代だなぁっと望郷の念が湧いてきます。物語はゆっくりと進んで行きますのでテンポの早い今の映画に慣れてしまってると退屈するかも?
ただ話はなかなか深いです。いわゆるアメリカのフロンティア時代の終わりの物語なのですが、自分達がインディアンを追い払って土地を得たと既得権を主張するライカーと後からやって来た者にも住む権利はあると主張するスターレット。当時は5年住んで開墾すると土地の所有権が発生する法律があったようで、昔から住んでいたライカーに取っては土地を盗られたと感じるのも無理はない話です。ライカーは殺し屋を雇っても法律を気にしてますし、スターレットにはビジネスとして土地を売らないかと話を持ちかけてますし、単純な悪者として描かれていない所が興味深いです。
例えば映画「七人の侍」では奪われる側(百姓)が傭兵(侍)を雇い自分達を守る。この「シェーン」では土地を奪った側(スターレット)が傭兵(シェーン)を雇い自分達を守る。話のベクトルが全く逆なのは日米文化の違いでしょうか?
主人公シェーンも映画内では詳細な説明はないですが、どちらかと言うと銃で生きてきた側の人間なので力に訴えるライカーと近い存在なんですよね。最後はなんだかんだで力にモノを言わせて去っていきますし。確かにカッコいいですし、少年からすればヒーローになるのは当然なのですが・・・単なる勧善懲悪物に終わっていない所が半世紀以上残っている秘訣ではないかと思いました。
なにがシェーンに起こったか?
『交渉人』という作品の劇中、ケビン・スペイシーが「最後、シェーンは死んでいた」と言うシーンで、そんな訳ないじゃん!って思いながら鑑賞したのですが、とある調査(?)によると、なんと死んでいたと認識している人が大多数のようで、かなりショック。俺は信じないけどね。
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