シェーンのレビュー・感想・評価
全39件中、21~39件目を表示
テーマがはっきりしない
「ここは開拓地、誰でも土地が持てる」
…って元々インディアンの土地だからね。
でもインディアンを奥さんにしてる家族もチラッと出てくるんだよね。
「人を一度殺したら二度と戻れない」
「シェ〜〜ン、カンバック」
…アメリカ人の銃礼賛映画のような、
そうでないような。
ずっと現代に置き換えて観ていたが、警察(保安官)がいない間の治安の維持ってどうするのか…って、今はまずないだろうし、 興味が湧かない。
映画としては、絵は全体的に綺麗だが、
後半は何で画面が真っ暗なんだろう?
フィルムのミス?
結婚記念日のシーンは明らかにセットで苦笑。
クリスの改悛ももう少しそこまでの描写がないと唐突。
奥さんが年配過ぎておばあちゃんに見えるのはキャストミス。
これじゃシェーンは惚れないよ。
旦那が奥さんに、お前はシェーンに惚れてるんだろうから一緒になれ、みたいなシーンが情けなくて可笑しい。
しかもその後二人で殴り合うし。
結局取られたくないんだね。
まあ古典というか、昔の映画です。
寡黙で思いやりがあるアメリカンヒーロー
子供の頃、西部劇のヒーロー俳優たちの早撃ちランキングみたいなものをテレビで観た記憶がある。
アラン・ラッドは確か5〜6位だった。
シェーンが1位じゃないんだ、と思った記憶がある。
で、誰が1位だったかは、覚えていない。
俳優たちの早撃ちシーンを計測して、コンマ何秒だ、と説明されていた。
当時子供たちから人気があったのは、ジュリアーノ・ジェンマで、上位にはいたが、彼は早撃ちよりも曲撃ちだと解説されていた気がする。
どなたか、ご記憶のある方は、教えていただきたい。
本作は、正統派の助っ人もので、アメリカ人の開拓精神と良心がこもっている。
シェーンがジョーイ少年に銃の撃ち方を教え始めたとき、母親が「銃がなくなればいい。それも含めて」と、シェーンの1丁を指して言う。
シェーンは「銃は道具だ」と言うが、当時は今ほど銃による悲惨な事件は報道されていなかったと思うけれど、銃社会であるアメリカにおいて、ガンファイトヒーローを描く映画の中に作り手の良心は確りと現れている。
ラスト、シェーンが少年に「人を殺した者はそれを一生背負い続ける」と言って去っていく場面にも繋がっている。
「ストリート・オブ・ファイヤー」を公開した頃ウォルター・ヒルは「ヒーローは去っていくもの」と言ったが、意味もなく去るのではなく、銃を捨てようとして捨てられなかった宿命を背負ってシェーンは農業者一家から去っていくのだ。
今回の鑑賞で思ったことだが、多分シェーンはあのまま馬の上で孤独に死んでいくんだろう。
それをジョーイ少年が知ることはないのだ。
遥かなる山の声
久しぶりに鑑賞!
山田洋次も影響受けたんやな!
多分!
家族のない
流れ者
ほんとはここにいたらあかん人なんや!
おれが、出来ることは
な、ジョーイ
ジャックパランス
ベンジョンソン
ビクターフレミングの
遥かなる山の声
こだまする
シェーン!カムバック!
「男」シリーズ
背中で語れる男がかくも存在し得る奇跡。共同体のため命張れる本物の父性。『ファイトクラブ』といい「男」シリーズはマジキチで泣きそうになるわー
子供のためにもミメーシス惹き起こす存在必要、大体がストレンジャー
旧作で名作
観れた。
CGも特殊効果もない時代の作品。
映像と脚本、編集で見せ切る時代の作品である…そのせいなのか、なんなのか、とても丁寧に慎重に作られたような印象を受けた。
女優への過度の加工はさておき…。
例えば、物語中で最初に死ぬ事になる人物は、ウィルソンの狡猾な口車にハマり、彼より一段低い位置で銃を抜く羽目になる。
そして、その不利な状況を彼はおそらく気づかない内に撃たれる。
一段上から抜く場合…抜けば標的を撃てる。
一段下の場合は、抜いて尚且つ銃口を上に向ける必要があるのだ。
そういう些細な差が命運を分け、殺し屋とそうでない者の差を歴然と印象付ける。
主人公が言う「卑怯者」を裏付けるシーンであったりもする。
にしても、多分退屈なんだろうなと思ったが、全然そんな事はなく、ゆっくりじっくりと物語を追えた事に満足だった。
主人公は決して完全無欠の善人ではなかった。
だが、過去への贖罪を抱えていて、所謂札付きだったように思う。
善行を行い過去への決別を図ろうとするが、運命はそれを赦しはしなかった。
そんな哀愁もあったりする。
あまり、喋らず、笑顔の印象の薄い主人公に高倉健さんを重ねたりしてた。
そして、銃の扱いが今と全く違った。
軽々しく抜いたりできず、撃ったりもしない。
印象に残ってるのは、たった5発程度だった。
銃を扱う人間が主役の西部劇でありながら、それを使った事への十字架をしっかり提示していた。
銃が軽くないのは、命が軽くないから。
命のやり取りは、もう切羽詰まった最終局面なんだと思えた。
なるほど、語り継がれる映画にそれ相応の理由があった。
見応えあった。
ただ…
アクションカットのヨリとヒキの別人さ加減が半端なかったw
Shane, come baaaack! のラストが有名な西部劇の古典的作品
50年以上昔の映画だけど意外と面白かったです。暴力描写もありますが全体的にまったりと牧歌的です。美しい自然の景色を観ていると何だかいい時代だなぁっと望郷の念が湧いてきます。物語はゆっくりと進んで行きますのでテンポの早い今の映画に慣れてしまってると退屈するかも?
ただ話はなかなか深いです。いわゆるアメリカのフロンティア時代の終わりの物語なのですが、自分達がインディアンを追い払って土地を得たと既得権を主張するライカーと後からやって来た者にも住む権利はあると主張するスターレット。当時は5年住んで開墾すると土地の所有権が発生する法律があったようで、昔から住んでいたライカーに取っては土地を盗られたと感じるのも無理はない話です。ライカーは殺し屋を雇っても法律を気にしてますし、スターレットにはビジネスとして土地を売らないかと話を持ちかけてますし、単純な悪者として描かれていない所が興味深いです。
例えば映画「七人の侍」では奪われる側(百姓)が傭兵(侍)を雇い自分達を守る。この「シェーン」では土地を奪った側(スターレット)が傭兵(シェーン)を雇い自分達を守る。話のベクトルが全く逆なのは日米文化の違いでしょうか?
主人公シェーンも映画内では詳細な説明はないですが、どちらかと言うと銃で生きてきた側の人間なので力に訴えるライカーと近い存在なんですよね。最後はなんだかんだで力にモノを言わせて去っていきますし。確かにカッコいいですし、少年からすればヒーローになるのは当然なのですが・・・単なる勧善懲悪物に終わっていない所が半世紀以上残っている秘訣ではないかと思いました。
少年の「シェーン」が耳に残る。
いや~良かった~。西部劇の良い所はストーリーはシンプルなんだけどなぜか引き込まれる。それはせかせかした現代の生活と違い余分な物も無く壮大な自然と人間臭さかとても良いからだと思う。このシェーンもそうです。西部劇には銃は欠かせないが当時はまだ銃でも正義があったんだな~と思う。今や正義でも平気で頭や顔を銃で撃ちまくるけど西部劇ではグロくも無くまだ銃への美徳を感じる。最後の殺し屋との早撃ちは一瞬で勝負を決める所がブルース・リーの決闘と似ている。
やっと観れました、そして聞けました!
いやぁ、ついに聞くことができました! 「シェーン! カンバーック!!」。なんか、これを聞くためだけに観たような感じがありましたね、実際。感想としては、思っていたより、声が高かった…
西部劇の代表作として名があがるだけあって、ストーリーは確実にどこかで見たことがあるというぐらいに、ど真ん中の西部劇でしたね。
えーっと、好きだったのは、ラスト近くのスターレットとの格闘シーンですかね。プロレスかっ!ってぐらい、ドッタンバッタンやってて面白かったです。
あと、ウィルスンの「抜けよ」という台詞、なんかカッコよかったなぁ。一度、言ってみたいなぁ、なんてね。
『シェーン』~一篇の叙情詩に組み込まれた活劇
わたしは西部劇をあまり観ないし食指も動かない。それには幾つかの理由がある。先住民への偏見、汗ににじんだ男臭さ、頻繁にみられる暴力シーン。もともとアメリカには「男らしさ」を美徳とする風土があるが、それにしても殴り合いなどのシーンが多すぎると思う。しかしそれらを差し引いても観たいと思う西部劇が幾つかある。『シェーン』もそのひとつだ。
注目すべきはこの映画がシェーンを少年ジョーイの目を通して進行する事、美しいワイオミングの山なみを背景に流れる叙情的なテーマ音楽の素晴らしさだ。
シェーンと名乗る流れ者がふとしたきっかけで開拓農民の小屋に寄留することになる。おりしも近隣の開拓農民たちは悪徳牧畜業者のライカー一族に立ち退きを迫られていた。そのために嫌がらせもうけていた。この無体な要求にシェーンは小屋の主ジョー・スターレットの力になろうと心に決める。いっぽう少年ジョーイは端正で銃の名手でもあるシェーンに強く憧れるようになる。
開拓農民たちが連れ立ってライカーの店に買い物に行く。そこで難癖をつけられ殴り合いとなる。思うにこれはやり過ぎではないか。
独立祭の日、開拓農民たちは祝祭とともにダンスに興じる。シェーンはジョーの妻マリアンとダンスをする。このときすでにシェーンとマリアンはほのかに魅かれあっていたのではないか。
数日後、開拓農民のひとりが、ライカーに呼び寄せられた、名うての殺し屋ウイルスンにあえなく殺される。この報に開拓農民のうちに動揺が広がり土地を捨てようと言い出す者がでる。義憤を覚えたジョーはライカーの酒場に死を覚悟でひとり乗り込もうと決意する。しかしこれは罠であった。シェーンに、改心したクリスが密かに知らせたのだ。そこでシェーンは妻子あるジョーを格闘のすえ殴り倒し自分が身代わりにライカーの酒場にむかう。ジョーイ少年が後を追う。
天性の早撃ちでシェーンはライカー一族を葬り去る。このガン・ファイトは類ない見せ場であり映画史に残ると思う。一段落ついたシェーンは馬に跨り再び当てもない旅に出ようとする。シェーンへの憧れが極まったジョーイは留まるよう懇願するが諭される。それでも諦めきれないジョーイの呼びかけ声は山々にこだまする。
「シェーン!カムバック!」
なにがシェーンに起こったか?
『交渉人』という作品の劇中、ケビン・スペイシーが「最後、シェーンは死んでいた」と言うシーンで、そんな訳ないじゃん!って思いながら鑑賞したのですが、とある調査(?)によると、なんと死んでいたと認識している人が大多数のようで、かなりショック。俺は信じないけどね。
全39件中、21~39件目を表示