この森で、天使はバスを降りたのレビュー・感想・評価
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ギレアデの香油。
「There Is a Balm in Gilead(ギレアデに香油あり)」。
パーシーが丘の上で歌っていた「ギレアデに香油あり」は、旧約聖書、エレミヤ書第8章22節からの引用で、アフリカ系アメリカ人の霊歌だそう。確かにニーナ・シモンもこの曲を歌っていた。
旧約聖書では、ギレアデの香油はイスラエルと罪人のための霊薬を象徴している。
なるほど、ジョーが地元の木が薬用に使われていると言っているのは、この香油のことを指していそうだ。製作側も脚本に聖書要素を加えるよう修正しているらしい。
パーシーは罪人である自身を、このギレアデの地に癒してもらおうと考えていたわけだ。
作品の本筋としては、贖罪、疑い、ベトナム戦争の退役軍人、等等、複数のテーマが包含されている。
製作側が強く聖書要素を意図していたように、中でも私はこれは贖罪の話だと思った。
パーシーの一連の事件によって人々の意識が変わっているのは、やはり「なんてバカな疑いをかけていんだ」という罪の意識からだと思う。
少なくとも最後に来た新入りに対しては、町の反応がパーシーが来た時とはまるで違う対応になっている。これは間違いなく周囲に無意識に贖罪を促した、パーシーの功績だ。
皆それぞれあらゆる人生はあり、ここまで起こらないと罪の意識を改めないのと言うのはホモサピエンスへの皮肉すら感じるが、確かにこれ程の事件が起きず普通に生きていたら、自分への「罪への意識」など生まれるはずがないのかもしれない。
なぜなら我々日本人にとっては特に、罪というのは個人の主観ではなく、法律という客観によって定められているのだから。皆自分は「真っ当な人として」生きていると思い込んでいるはずだ。
でもどうだろう、「プライベートでもパブリックでも、何かに対して無碍な反応をした」という風に敷居を下げてみると、罪かも?と思うことはあるかもしれない。その土台で考えるのが、敬虔なタイプのクリスチャンだ。
私もそこに立ってみて考えてみたら、映画が終わってみて、罪の意識をひしひしと感じた。
同時にもう一度「ギレアデに香油あり」を聴くと、なんだか神聖な何かに赦されるような、そんな心地もした。
一言でこの映画は「トピックは何にせよ、主観的に考え罪の意識を下げたら、あなたの罪はなんですか?」と問いかけてくるような余韻があった。
それに対し明確なカタルシスがあるわけではないが、観る者によっては胸に深く刻まれる内容であった。
辛い過去があるから...
前歴がある主人公は、なぜ田舎町で働くことにしたのか。知人の誰も居ない場所で人生をやり直すため...そのくらいしか私には浮かばなかった。周りの「あの娘は何?」という視線に苛立ちながらも、困ったことがあれば手を差し伸べる「情」はある。そんな印象だった前半。
映画は「前がある主人公」ではあるけど、誰も知らない場所で人生をやり直す、作り直すというのは誰でも少し勇気があれば出来ることではある。なるべく心を無にして、目の前のことを黙々とこなしていくうちに色々な出来事があり、人との何気ない出会いから新しい人生が生まれていく...そう考えると、ワン・パターンの生活を送っている自分のような人間には新鮮で、憧れや希望が持てる感覚にもなった。仕事場や家族でも人数が変わったり、役割が変わるだけで風向きが変わることってある。そういう見方もできますね。
中盤は、なぜ森の中で隠れるように暮らす男に興味を持つのか、わからないまま進むけど、主人公の生活自体は順調そのもので少々退屈ではある。
人間関係って上手くいく期間って短いのかな。後半になると主人公を気に食わない人、依然として前科者として信用できない人などゴタゴタしてくる。たとえば一番の親友的存在マーシャ・ゲイ・ハーデンは、優しく控えめで自分の意見を言わない役だったが、主人公と出会って心が明るくなり新たな自分を見付けたのに夫は理解できなかったり・・・順調な後には決まって嫌なことが起きる、何か人生のバイオリズムを見た気がした。
派手な演出はないけど、観ているうちにジワジワと引き付けられる映画だった。
主人公は堂々と「やり直した」と言える終わり方だと思う。気付かないだけで実際に自分の周りにも居るんじゃないかなぁ。
辛い過去があるから、人に生きる力を与えられたのでしょう。
薄幸だったのですね。
【哀しき殺人者でありながら、善性ある若き女性が、小さな森の町に齎した僥倖を描く。ハートウォーミングを主軸に置きながらも、見る者の胸を突くようなビターな後味を残す一品である。】
■仕方なき理由にて犯した罪を償い、5年の刑期を終えた女性パーシー(アリソン・エリオット:後年「荒野にて」で、再見。)は、保安官に紹介された小さな町にあるレストラン”スピットファイヤ・グリル”で働くことに。
前科者に対する住民の偏見を感じながらも、店の女主人のハナ(エレン・バースティン)とその家族シェルビー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)と心を通わせていくパーシー。
しかし、店を畳もうとしたハナに対し、パーシーが”参加費100$の作文コンテストで店を継がせればよい”と言った事が発端になった事件がきっかけで彼女は窮地に立たされていく。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・若きパーシーの前半生は言葉で語られるだけであるが、哀しい。
殺人を犯しながらも、刑期5年というところに、それは現れている。
・前科者というレッテルがありながらも、彼女を店に受け入れるぶっきらぼうなハナの姿。その理由は後半に分かる。
・シェルビーの夫、ネイハムの猜疑心による愚かしき行動により、パーシーは罪に問われるが、彼女は山中に暮らす男のために食料品を麻袋に入れて持っていっていたのだ。
ー 男は、ある理由により店のために薪を割り、そのお礼に缶詰めを届けていた。パーシーは男に自分と同じ匂いと哀しみを感じていたのであろう。
眺めの良い場所でパーシーが寛いでいる時に、背後に現れた髭面の男が、優し気にパーシーの髪を撫でるシーン・・。-
<追い詰められた男を助けるために、激流を渡るパーシー。だが・・。
ネイハムが、彼女の弔いの場で述べた自らの愚かさ。
今作は、一度罪を犯した人に対する、寛容、不寛容な心と、戦争により、深い傷を負った息子と母親の関係性を、ハートウォーミングを主軸に置きながらも、見る者の胸を突くようなビターな後味を残す一品である。
救いは、パーシーの遺志が継がれるラストのシーンであろう。>
典型的な変化を嫌う田舎町のストーリー。 どんどん人が減っていくよう...
ただのB級じゃないと思う
タイトルはどうかと思うけど
何よりも風景が美しい
その美しさが、悲しみを引き立てるという
相互作用のように思える
世の中、残酷だ
人の心も考え方も楽な方に流れていく
不特定多数が顔を出さずに文句を言って
自殺する人が出る事もあれば
気に入らないというだけで、虐めが起きたりする
その他大勢に紛れる方が、生きるのは楽で
多数派に属する方が、責任を分散出来る
人の本能に刷り込まれた必要悪なのだろうか
そんなもの捨ててしまって、本質を見極めればいいのに
それは、そんなに難しい事なのだろうか
パーシーも、小さなコミュニティに紛れ込んだ
異質な存在だった
受け入れてくれた、数少ない人達の暖かさに
心を開き、感情を取り戻し、小さな幸せを
感じ始めていたのに
本来の優しさや思いやりが、自分の中に
芽吹き始めていたのに
パーシーは強いな
だから、優しいんだ
あのラストが無ければ、悲しすぎる映画だ
人は本当に残酷である
前向きな悲劇
刑務所を出所した少女パーシーは新天地で人生をやり直そうと、小さな町で住み込みで働きだす。小さな町は保守的でパーシーをなかなか受け入れてくれず、好奇の目で見られる日々が続く。
そんなある時、パーシーを雇ってくれた店主は10年前から店を売りに出すが未だに買い手がついていないことを知る。パーシーのアイデアで作文コンテストを開き、優勝者にこの店を譲ってはどうかと提案する。コンテストを通して、店主や店を手伝いに来ていた店主の甥の嫁と心が通うようになってきた。コンテストで応募された作品を町人全体で読んで決めようとするうちに町にも活気と明るさが出てきた。しかし、そんな時、事件が起こり、パーシーは命を落としてしまう。パーシー亡き後もコンテストは続行され、乳飲み子を抱えた若い母親に優勝者として店が贈られる。
ほんの小さな行き違いと決めつけや誤解でパーシーは命を落とすことなる。パーシーの人生を思うとあまりに短く、不幸と言わざるを得ないが、パーシーの存在があったからこそ町は明るく前向きに生まれ変わることができた。最後はハッピーエンド。
若い人にも勧められる映画。
許すこと信じること
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